第105話 喧嘩禁止


「先輩、少しいいですか?」


「ん?」


 遠く離れた位置で話をしているらしい店長と『六重奏セクステット』の皆を、座ってぼんやりと眺めながら待っていると、後ろからフィオナに声をかけられた。何の用かと首だけを振り向かせると、彼女は立ち上がり、こちらを真剣な眼差しで見つめていた。どうやら真面目な話があるようなので、僕も立ち上がり尻を払ってフィオナと向き合う。


「どうかした?」


「身体強化をお願いします」


「え?」


「お願いします」


「あ、はい」


 何故かはわからないが身体強化する事を要求されたので、言われるがままに僕は自身の身体をマナで強化する。普段とは比べ物にならないくらいの力が湧き上がり、感覚が研ぎ澄まされ、少し自分でも驚いてしまった。

 周囲の皆の視線が僕とフィオナに集まっている。一体、彼女は何をする気なのだろう――


「いきます」


「は?」


 そう思った瞬間、フィオナが《天翔ける魔女ヘブンズウィッチ》を発動し、間髪入れずに僕へと複数の魔弾を放つ。

 ねえ僕何かした?


「あっぶなぁぁぁぁ!」


 不意打ち気味に放たれた魔弾を、僕は既のところで横っ飛びして躱す。殆ど飛び込むようにして躱したため、地面に滑り込んだ僕は、わけがわからないながらも慌てて態勢を立て直しフィオナを見た。


「フィオナ、何を――」


 そして、言葉を失う。

 彼女が片手をこちらに向けていたからだ。

 嫌な予感がして、僕はその場から跳び退った。瞬間、先程まで僕がいた場所を複数の魔弾が通過する。

 これは――店長との戦闘で見せた敵を追尾する技だ。魔弾自体は通常のもののようだが、だからといって当たっても大丈夫なわけがない。

 ねえ僕何かした?


 魔弾の群れは方向転換すると再び僕へと高速で飛来する。それを今度は倒れないように横っ飛びで躱し、周囲に視線を走らせると、周りの皆はただ黙ってこちらを見ていた。


 何故、誰も止めてくれないのか。この世は不思議である。


 こういう時一番に場を収めてくれそうなエルすら、腕を組んで静観している。テセアだけは少しおろおろとした様子だが、どうやら皆止める気はないらしい。

 ねえ僕何かした?


 そうこうしている内に、魔弾の群れは再び僕目掛け迫り――四方八方にバラけた。


「ちょおっ!」


 先程までとは違い、様々な方向からタイミングをずらし迫る魔弾を、身を捩り、頭を下げ、腰を落とし、跳び退り――冷静に見極め躱していく。店長は僕を抱えながらこんな事やってたとか化け物かな?


 しかし、僕も思ったよりも余裕があった。《狩人》の魔装マギスを使っているわけでもないのに、やたら感覚が研ぎ澄まされている。魔弾一つ一つの動きがよく見え、身体の方も驚くほどに反応がよく、激しく動いているにも関わらず疲れを感じなかった。

 これなら、いつまでも躱していられる気さえしてくる程だ。


 だが、いつまでもこんな事をしているわけにはいかない。僕は拳と両足にマナを集め、更に強化する。肉弾戦は得意ではないが、魔装が使えない今は致し方ない。フィオナの魔弾は、基本的に着弾すれば魔法が発動する。ならば、発動するよりも早く、強化した手足で弾き返す。今の状態なら可能だろう。それに、対店長に用いた特殊な魔弾でなければ、一度魔法を発動すれば消えるはずだ。


 意識を集中し、まずは正面から迫った魔弾を下から拳を打ち込み上空へと弾いた。若干拳が痛かったが耐えられない程じゃない。弾かれた魔弾は上空で火炎を放出する。

 ⋯⋯うん、やっぱ直撃すればただじゃすまないね。

 ねえ僕何かした?


「ふッ⋯⋯!」


 ふざけている場合ではないので、僕はすぐに気持ちを切り替え、短く息を吐くと、次々と迫る魔弾、その全てを拳や蹴りで弾き返す。

 非常に《守護者》が恋しかった。


「そい! ⋯⋯はぁ」


 最後の一発をミーナを模倣した回し蹴りで弾き返し、僕は大きく息を吐く。そして、フィオナの方を向いた。ちょっとだけじんじんと痛む手足のしびれを一度振って払う。


「フィオナ、いきなりどうしたの? 危ないよ」


 本当に。

 本当に危ないよ。まさか本気でやってたわけじゃないだろうけどさ。何か怒らせるようなことしたかな?


「やっぱり⋯⋯」


 《天翔ける魔女》を解いたフィオナは、何故か泣きそうな顔で僕を見た。


「ごめんなさい先輩。今、私は本気で先輩を撃ちました」


 本気だったよ。

 僕も泣きたくなった。

 後輩に本気で命を狙われる奴とかいる? 何がどうなったらそんな事になるの。


「一体何で⋯⋯」


「今の先輩なら、絶対に大丈夫だと信じていたからです!」


「⋯⋯⋯⋯」


 切実な表情に、フィオナが何を言いたいのか、なんとなく理解できてしまった。


「先輩、やっぱり私は⋯⋯あの人たちをもう二度と先輩の身体に入れたくはありません」


「フィオナ⋯⋯」


「あいつらは、先輩の素晴らしい才能を食いつぶす謂わば寄生虫です!」


 フィオナ⋯⋯言い過ぎ言い過ぎ。

 言い過ぎだけど――彼女が僕の事を想って言ってくれているのがわかるため、あまり怒る気にはなれなかった。


「それに⋯⋯私と先輩がセックスする時も中に居るなんて耐えられません!!」


 さーて、やっぱり怒ろうかなぁ。


「そうだね。僕もフィオナに同意するよ。ノイル、彼らはもうキミの中に戻る必要はないんじゃないかな? アリスが身体を用意してくれるまで、ここに居てもらえばいいだろう?」


 と、それまで静観していたエルが歩み寄ってきてそう言った。隣にはいつも通りソフィが居る。


 同意するタイミングが若干おかしい気もするが、エルの言っている事はわかる。正直な事を言ってしまえば、もう『六重奏』の皆は必ずしも僕の中へと戻る必要はない。アリスに器の作製を依頼して――素直に受けてくれればだが、それが出来上がるまでここに居てもらう事も出来るのだから。


 今はもの寂しい平原となっているが、元々『私の箱庭マイガーデン』は自由に箱庭を作ることのできる『神具』だ。皆が快適に過ごすために環境を整える事だって可能だろう。


 僕としても、皆が重荷になっているなどとは決して思わないが、先程のように自分でも信じられない程に能力が上がるのは確かだ。


 まあ、様々な魔装を扱える状態と比べれば、どちらが優れているかなど単純には言えないが⋯⋯少なくともマナボトルをがぶ飲みする必要はなくなるだろう。なんにせよ、いずれ皆を自由にするつもりならば、その目処が立った今、もはや遅いか早いかの問題でしかないのかもしれない。


 けれど――いつかは離れる時が来るのだとしても、僕自身がそれを望んでいたとしても――僕はもう少しの間だけ、皆と共に過ごしたい。せめて、皆の身体の用意が整うまでは、今まで通り一緒に居たいと思ってしまうのだ。


 今まで沢山数え切れない程助けてもらった。多くの苦難を共にしてきた。六重奏みんなのおかけで皆に出会えた。こんな僕でも、誰かを救う事ができた。


 わがまま――これはきっと僕のわがままなんだろう。


 僕は一切偽ることなく、この気持ちを伝える事にした。


「うん、エルの言うとおりだ。だけど――僕はまだ皆と一緒に過ごしたい」


 はっきりと、それだけを言い切る。

 誰に何と言われようが、この気持ちだけは変わらない。


「マスター、差し出がましいようですが、ここはだ⋯⋯ノイル様の意志を尊重なされたほうがよろしいかと」


「⋯⋯⋯⋯そうだね」


「大丈夫です。あれは⋯⋯」


「わかっているさ、ソフィ。わかっては、いるんだよ」


 エルが憂いを帯びた笑みを浮かべ、心配そうな表情をしているソフィの頭を撫でる。

 そして、自分を落ち着かせるかのように一つ息を吐いた。

 何だろう⋯⋯罪悪感がすごい。


「せん、ぱいは⋯⋯私よりもあの人たちの方が大切なんですか⋯⋯」


 フィオナがよろめきながら一歩後退る。彼女はこの世の終わりかのような表情をしていた。

 僕の罪悪感は加速する。


「ちがっ⋯⋯そうじゃなくて⋯⋯」


 どっちが上とか下とかじゃないから。


「なら! 今この場で私を抱いてください!」


「それはおかしいよね」


 うん、わかった! とかならないよ。どんなにフィオナが大切でもならないと思うよ。


「それがだめなら! 熱いキスを!」


「それもおかしいなぁ」


「では! ぎゅっと抱きしめてください!」


「交渉術かな?」


 使ってくるね、心理テクニック。

 まあそれくらいなら⋯⋯とはならないから。


「頭を撫でるのは⋯⋯?」


「まあそれくらいなら⋯⋯」


「ダメだよノイル」


 突如僕とフィオナの間に笑顔で割って入ったノエルにそう言われ、僕ははっとする。

 わかっていたはずなのに、途端にしおらしく上目遣いで言われたせいで危うくフィオナのペースに嵌るところだった。

 いや、まあ頭を撫でるくらいなら別に問題はないように思えるが。


「⋯⋯本当に邪魔なひとですね」


 フィオナさん、あなたさっきのしおらしい態度はどこにいったの?

 僕はノエルを親の仇かのように睨みつけるフィオナを見てそう思った。


「フィオナが悪いんでしょ。ノイルはすぐ騙されちゃうんだから。私が止めてあげなきゃね」


 ノエル、僕は君が思ってるよりしっかりしてるんだよ?

 フィオナと向き合っているノエルを見て僕はそう思った。


 と、その瞬間突然風が僕を包む。


「⋯⋯ちっ」


 僕が驚いていると、背後から忌々しげな舌打ちが聞こえてくる。顔だけを振り向かせると、そこにはいつの間にかシアラが居た。


 おかしいな、さっきまでそれなりに離れた位置にいたはずなのに、瞬間移動でも使えるのかな? 馬車さん入ってる?

 彼女の(僕への)強襲を止めたエルが、片手をこちらに向けながら口を開く。


「シアラ、おいたは良くないな」


「⋯⋯⋯⋯ハグは、一般的な兄妹のスキンシップ」


「下半身へのハグは一般的とは言えないね」


「⋯⋯⋯⋯ちっ」


 うん⋯⋯シアラはいい加減僕の下半身に固執するのやめない? 何がどうしてシアラはそうなっちゃったの?


 というか、君たちすぐ喧嘩するね。

 結構えげつない感じで喧嘩始めるね。

 ソフィとテセアを見習ってよ。ほら、いつの間にか離れてこっちを眺めてる。テセアは笑顔が引きつってるけど。


 しかしまあ⋯⋯流石にこうなったら僕も言うよ。言うぞ、ちゃんと言うぞ。ミーナがいないなら僕が言うしかない。

 僕は息を大きく吸い込んだ。


「全員ストップ!!」


 可能な限りの大声でそう叫ぶと、皆ぴたりと止まり、僕を見た。


「む? どういう状況じゃ?」


 そして、いいタイミングで店長と『六重奏』の皆が帰ってくる。話し合いは終わったらしい。六色の光が僕の周りを取り囲むように飛び回る中、ちょうどいいので言うべきことを言ってやることにした。

 僕はクールに腕を組むと、少し驚いた様子の皆と、首を傾げている店長を順に見て、ゆっくりと口を開く。


「えー、皆さん喧嘩のしすぎです」


「のぅノイル? どういう状況じゃ?」


「なので、一晩『私の箱庭この中』で反省してもらいます」


「のぅ、ノイル⋯⋯」


「えー、集団行動になりますが、くれぐれも喧嘩しないように」


 僕は歩み寄ってきた店長の肩を掴み、自分の前に突き出した。


「監督役は、店長と『六重奏』の皆さんです」


「何じゃ? 新しい遊びかのぅ」


 わくわくした様子の店長と、僕の周りを抗議するかのように飛び回る光たち。とくに赤い光はこんなところに置いていくなとばかりに激しく動いている。

 ごめん、魔法士ちゃんだけを置いていくわけにもいかないし、こうする他ないんだ。

 許してくれ、僕だって辛いんだ。


「無理にマブダチになれとは言いませんが、もし皆さんがルールを破った場合⋯⋯えー⋯⋯その⋯⋯えー⋯⋯あれが⋯⋯あれします。これは⋯⋯えらいことですよ」


「あれとは何じゃ? 我の好きなやつかのぅ?」


「うん」


「おほー!」


「はい、というわけで、あれがあれしないよう、皆さん仲良くしてください。⋯⋯店長、後は頼みます」


「うむ、我に任せておくがよい」


 店長の肩を軽く叩くと、確実によくわかっていない彼女は元気よく頷いた。


「皆も、この機に打ち解けてほしい」


 未だ僕の周りを飛び回っている六色の光たちにそう言って、僕は呆気に取られてる様子の皆を残したまま『私の箱庭』から抜け出した。


 ちょっとした浮遊感のような感覚を味わい、目を開けると、そこは見慣れた『白の道標ホワイトロード』の店内だった。入った時同様ソファに腰掛けた態勢だった僕は、そのまま大きく息を吐き出す。


「ふぅ⋯⋯とりあえず⋯⋯解放」


 そして、再び『私の箱庭』に意識を向けた。

 すぐにテセアとソフィの二人が中から抜け出し、店内へと現れる。

 隣に座ったテセアはジト目で僕を見ていた。


「ノイル⋯⋯」


「言いたい事はわかってるよ。僕だって辛い。本当はこんなことしたくないんだ」


「ならば、しなければよいのでは?」


 ソファに歩み寄ってきたソフィが不思議そうに首を傾げる。僕はクールな笑みを浮かべた。


「愛故に、だよ。ソフィ」


「申し訳ございません。意味がわかりません」


「僕もだ」


 ごめん、適当なこと言った。

 まあとにかくだ。


「二人は喧嘩しないし、どうする? 外に出ておく?」


「ソフィは中に戻ります。マスターのお側に居たいので」


「んー⋯⋯私もシアラが心配だし⋯⋯中に居ようかな」


「わかった。ちょっと待ってて」


 二人の意志を確認した僕は、立ち上がり店の奥に入る。そして、普段一切使われていない空の非常用持ち出し袋に飲料水といくつかの食料、それから適当に暇を潰せそうな物を詰め込む。


 店長が何かあの小さな箱――『収納函ストレージボックス』だったかにいろいろ入れているから、それ程必要ないとは思うが、一応一晩過ごせるだけの荷物を詰めた麻の袋を持った僕は、再び二人の元へと戻った。


「これ、色々入ってるから、皆に持っていってくれる?」


「かしこまりました」


 すぐにソフィが一礼して、僕から袋を受け取る。


「重いから気をつけて」


「問題ありません」


「本当に一晩出さないつもりなんだ⋯⋯」


 テセアが苦笑する。

 もちろんだ。今回僕は本気である。

 皆には一度しっかりと反省してもらい、『六重奏』の皆と打ち解けてもらいたい。

 決して、逃げたわけではない。


「それじゃ、もう一度二人を中に戻すね」


「うん、行ってきます」


「よろしくお願い致します」


「よし、招待」


 僕がそう言うと、二人は再び『私の箱庭』に吸い込まれるように入っていった。

 コルクがひとりでに動き、瓶に栓をする。

 一人になった僕は、シャワーでも浴びて寝るかと思い――はたと思い至った。


 一人、そう一人なのだ。

 最近全くなかった、完全に一人の時間である。


「これは⋯⋯」


 釣りに行くしかないだろう。

 こんな機会は中々ない。ただ眠るなんてもったいなさすぎる。夜釣りへと洒落こもうじゃないか。


 自由を手に入れた僕は、ウキウキしながら、まーちゃんを迎えに階段をスキップで上るのだった。

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