第101話 招待
「ふむ、ノイル少し待っておれ」
地上に降りた店長は、僕を少し離れた位置に寝かせてそう言った。
僕を抱えたまま戦う、という選択を彼女が取らなかった事に少しだけ驚いてしまう。いや、本来人を抱えたまま戦うなどという事自体が異常なのだが、店長の場合は別である。
彼女はこれまで、ノエルやフィオナへのハンデとしてそうしていたはずだ。そもそも、店長の能力ならば、わざわざ馬鹿正直に相手の攻撃に対処する必要はない。本気なら、魔針を飛ばしそれで終わりである。店長と対峙した場合は、基本的に彼女の攻撃への対処法がないので、一方的に攻められることになるのだ。
しかし、ここまで店長は二人に必ず先手を譲り、攻撃する事を許している。つまり、これは彼女にとってあくまで遊びなのだ。僕を抱えて戦った方が楽しいから、そうしているだけである。
そんな頭のおかしい圧倒的強者である店長が、ハンデの一つをなくすということは、シアラを僕を抱えたままでは厳しい程の相手として――
「シアラの魔装はでかいからのぅ。どうしてもノイルに当たってしまうようでは本気が出せんじゃろ」
認めているわけではなかった。
うん、まあなんとなくはわかってたけど。
要するに、シアラに全力を出させるために僕を一旦置いとくことにしたのね。そっちの方が楽しめると判断して。
店長は僕の頭を一度撫でて離れると、シアラと一定の距離を保ち仁王立ちする。
「代わりに、じゃ。我はここから一歩も動かぬ」
そして、新たなハンデを自ら背負った。
この人さぁ⋯⋯本当この人さぁ⋯⋯。
僕は相変わらず身体を動かす事ができないため、顔だけを二人の方に向けて様子を見守ることしかできないが、店長と向き合っているシアラの表情は穏やかではない。無表情ではあるが、僕にはかなり不快であることがわかる。
まあ、これ程馬鹿にされてしまえば怒って当然だろう。
「⋯⋯⋯⋯後悔――」
「するわけがなかろう」
シアラの言葉を店長が遮って愉快そうに両手を広げた。
「驕るでない。お主たちはここまで戦っても、我に傷どころか汚れ一つつけることができておらぬではないか。これが我とお主達の差じゃ。全く不甲斐ないのぅ、これならばノイル一人の方がずっと我を楽しませられるぞ? 最近身体が鈍っておる事がわかったからのぅ。楽しく遊びながら良い運動ができると思ったのじゃが、まだまだ足りぬな。お主達では到底足りぬ。ノイルが付き合ってくれれば良いのじゃが、嫌がるからのぅ。代わりになるのを期待しておったのじゃ。まあ、少しは成長しておるようじゃが、所詮はこの程度。未熟も良いところじゃ。せっかく目の前に極上の餌をぶら下げてやったというのにのぅ。つまりはまあ、お主達の想いというのはその程度、という事じゃな。我に及ばぬはずじゃ。もっと必死になったらどうじゃ? これ程の差を見せつけられて、悔しくはないのかのぅ? 今のままでは、お主達は何もかもが我の相手にはならぬ。口で言うだけならばさぞ容易いじゃろうな。ノイルを自分のものにしたいという願いをのぅ。しかし、それを実現させるための力も想いもお主らには足りぬのじゃ。その点我は、力も想いも充分に持っておる。じゃからノイルは我のものなのじゃ。そしてそれは一生変わる事はない。今のままではお主達が我とノイルの領域に足を踏み入れる事などないじゃろう。ノイルもお主達程度相手にしておらんのじゃ。ノイルは我しか見ておらぬ。我ら二人の世界に、お主達は一生届かぬのじゃ。ま、届いた所で、ノイルは未来永劫我のものじゃがな」
いや、僕まーちゃんしか見てないから。
そもそも、強さとか関係ないでしょう。
争いとは無縁の平和な世界を僕は望んでるんだよ?
しかしまあ、ノエルとフィオナの意識がなくて良かった。これを二人が聞いていたら、どんな反応をしていたかわからない。普通に失礼にも程があるし、ノエルはともかくフィオナが暴走していたかもしれない。
どう考えても驕ってるのはあなたですよ店長。
「殺す!!」
ほらシアラがブチ切れた。
シアラは店長に向かって殺意を剥き出しにし、地を蹴った。同時に、その背には巨大な漆黒の翼が出現し、一度大きく羽ばたいたかと思うと、猛烈な勢いで直進する。
「ほぅ」
腕を組んだ店長が、感心するかのように笑った。
僕はシアラの魔装は、店長に対しては相性が悪いと思っていた。巨大な魔装は、彼女にとっては大きな的にしかならないからだ。
しかし、それはシアラも充分に承知しているらしい。《
推進力を得たシアラは、すぐに翼を解除し、その勢いのまま拳を大きく振りかぶった。巨大な鎧の腕を纏った拳が、店長に振り下ろされる。
上手い戦い方だが、
しかし――
「確かに、逐一魔装を発現させれば、綻びの位置も変わるがのぅ」
シアラの拳は、店長に届かない。
彼女は指一本で、自分よりも遥かに巨大な拳を受け止めていた。そして触れ合う一瞬の間さえあれば、あの人は位置を特定しマナの綻びを突ける。
漆黒の腕は、いとも容易く破壊された。
「そこッ!」
「ぬ?」
だが、それはシアラの想定内だったらしい。
破壊された漆黒の腕、その中から更に幾本もの黒い鎖が伸びた。
腕を消される事前提の、二段構えの間隙のない攻撃だ。
通常でも対処は困難。ましてや店長は一歩も動かないという謎の枷を自らつけている。
もしかしたら、と僕は思った。
「強度がいまいちじゃ」
店長が、拳で鎖全てを打ち壊すまでは。
ねえ、四方から伸びた鎖の不意打ちを何でこの人は全部砕けるの?
しかも、片手でさ。普通手って鎖より柔らかくない?
「さて」
「潰れろ!!」
鎖を全て破壊した店長は、上を見上げる。
そこには、巨大な漆黒の脚が目前まで迫っていた。
どうやら僕が鎖に目を奪われていた間に、シアラは高く飛び上がり次の攻撃に移っていたらしい。二段構えではなく、三段構えの攻撃だったようだ。
普通ならば、成すすべもなく踏み潰されてもおかしくない。
「悪くはなかったぞ」
相手がこの人でなければ。
店長は、シアラの攻撃に既に対処済みだった。鎖を打ち落としている時には気づいていたのか、それとも一瞬で反応したのかはわからないが、鎧の脚は店長に届く寸前に魔針により破壊された。
「ッ!?」
咄嗟に再び飛び上がろうとしたシアラだが、攻撃の勢いは殺し切れなかった。彼女は店長に足首を掴まれる。
こうなれば、もう逃れることはできない。
瞬時にマナを流し込まれ、がくりと意識を失い、落下したシアラを店長が抱きかかえた。
「ふむ、こんなものかのぅ」
僕はもう何も言えなかった。
いやまあ、声出ないんだけどさ。
何も言えないよこんなの。
フィオナも、シアラも、そしてノエルも、決して弱くなどない。
店長が規格外過ぎるだけだ。知ってはいたが、改めてその人外さを思い知らされた気分である。
「運動にはならんかったが⋯⋯まあそこそこ楽しめたから良しとするかのぅ」
あ、はい。
店長はシアラをそっと地面に寝かせ、こちらへと歩いてきながらそう言った。
「のぅ、ノイル。やはりたまにでよいから付き合ってはもらえぬかのぅ」
嫌です、はい。
側にしゃがみこみ、じっと顔を覗き込んでくる店長から、僕は目を逸らした。
「ぬぅ⋯⋯何故嫌がるのじゃ」
今の戦い見てて嫌がらない人っていないと思いますよ僕は。ぼこぼこにされるだけだもん。
「まあよい」
少しの間頬を膨らませていた店長は、ふっと笑みを浮かべると――
「さて」
何故か僕の上に馬乗りになった。
嫌な予感に冷や汗がどっと噴き出す。
必死に頭を振って抵抗の意志を示すが、そんな僕の顔を店長は両手でそっと挟み込んだ。
そっと掴まれたはずなのに、ぴくりとも動かせないのが不思議でならない。
店長が当然のように顔を近づけてくるのも不思議でならない。
この人は、何をするつもりなのだろうか。
本当やめて、やめてくださいお願いします。
ねえもう帰ろうよ。皆を連れてすぐに帰るべきだよ。外ではテセアが待ってるんだって。本当こんなことしてる場合じゃいやぁぁぁぁぁぁ犯されるぅぅぅぅぅぅぅぅ!
「む?」
え?
店長の唇が直前まで迫った瞬間、僕の手がひとりでに動き、間に割って入った。僕と、そして店長が珍しく驚いたように目を見開く。
一体何が起こったのか、僕は自分の右手をまじまじと見つめてしまう。
何故なら、僕は自分の意思で手を動かしていないからだ。
必死に動かそうとはしていたが、ぴくりとも動かなかったはずの手が、勝手に動いたのである。
――ノイルさんに、触るな!
頭の中にそんな声が響いたような気がした瞬間、再度僕の身体が勝手に動いた。
馬乗りになっている店長を、振り払うかのように大きく右腕が振られる。
店長が僕の上から跳び退り、腕を躱すのと同時に距離を取る。
僕が困惑していると、解放された身体がひとりでに起き上がった。動いているのに、動かしているという感覚はない。まるで、誰か別の人が動かしているかのような⋯⋯あっ。
もしかして、六重奏の誰かが⋯⋯?
だとしたら、先程頭に響いた声は――
「ほぅ⋯⋯貴様がノイルに宿る内の一人かのぅ⋯⋯?」
ゾッとする声に、考えを巡らせていた僕の意識は目の前の人物へと戻った。
先程のご機嫌な様子からは打って変わり、今はこちらを凍りつくかのような瞳で睨んでいる。
「我のノイルの身体を、操るとはどういう了見じゃ? そのような事が、許されると思っておるのかのぅ?」
いや、状況が状況だったしありじゃないかなぁ⋯⋯別に僕に文句はないよ。正直めちゃくちゃ助かったしね。
だからあの⋯⋯ちょっと落ち着きましょう。
どうやら一応立てはしたけど、あまり自由に動かせるというわけでもないみたいだし。
自身の身体の動きのぎこちなさを見る限り、かなり無理やり動かしているようだ。細かい動きなどはできないだろう。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯ノイル、お主に『
暫しこちらに鋭い眼差しを向けていた店長は、一度目を閉じると、再び開き静かにそう言った。
けれど、僕にはその言葉の意味が理解できなかった。
何故急に『神具』を渡すなどと言い出したのか――
「『
腕を組んだ店長のその発言で、僕は彼女が何をしようとしているのかわかり、衝撃を受ける。
店長は僕の中の魂を、『私の箱庭』の中に呼び出せと言っているのだ。
果たしてそんなことができるのかはわからないが、元々『神具』の中に閉じ込められていたのであれば、ひょっとすると可能性はあるかもしれない。
『私の箱庭』の中に招待できるのは、持ち主がはっきりと姿形やその存在を認識している相手だけだ。僕の中に入っている魂は、まとめて僕として判定されるようだが、所持者が僕の場合はどうなる?
そして、『六重奏』の皆が自ら出てこようとすればどうなる?
テセアの『
《変革者》を発現させて以来、僕の中の皆の存在は、更にはっきりとしたものになっている。
かつての僕ならば招待できなかったかもしれないが、今の僕は『六重奏』の皆の姿もわかっていて、その存在をしっかりと認識できているのだ。
やってみない事にはどうなるかはわからないが、店長の発想を試す価値はあるだろう。
癒し手さん、守護者さん、魔法士ちゃん、馬車さん、狩人ちゃん、変革者。
皆の顔が、頭の中に浮かんだ。
「話を、つける必要があるからのぅ」
僕の身体が再びひとりでに動き、店長の言葉に頷いた。どうやら、『六重奏』の皆も異論はないらしい。
それならば――
「大丈夫じゃ、殺しはせぬ」
⋯⋯⋯⋯穏便にね。
僕は恐ろしい事を言った店長と、勝手に動きファイティングポーズを取った自分の身体を見て、そう思うのだった。
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