第102話 混沌


 『六重奏セクステット』の皆を『私の箱庭マイガーデン』の中に招待する事が決まったあと、流石に限界だったのか僕の身体がひとりでに動く事はなくなり、おそらくあれは魔法士ちゃんだったと思うが――その気配も感じなくなった。

 

 そして、店長にマナの縛りを解いてもらい、とりあえずテセアを待たせ過ぎだということで、一旦店長と僕は『私の箱庭マイガーデン』の外へと出たのだが、既に日が落ちた通りでは、何故か例のダサい服を着たエルと地味な外套を頭からすっぽりと被ったソフィ、そしてテセアが談笑していた。


 テセアが一人寂しく待っていたわけではなかったことにほっとした反面、この二人が当然のように僕らを待っていた意味がわからない。

 だがまあ、もはやエルの行動に僕はいちいち驚くことはなくなっていた。嫌な慣れである。

 そして、ソフィはエルが居るところに大体居る。

 二人ともおそらく目立たない為の格好をしてくれているだけましだと思うことにしよう。


「やあ、ようやく出てきたね。まったく⋯⋯ミリス、あまり街中で『神具』なんて使うものじゃないよ」


「巡回の衛兵の方に怪しまれていました。マスターが話をつけなければ危ないところだったかと」


「おお、すまぬ。少し中で盛り上がってしまってのぅ」


 ほら、店長も当たり前のように会話を始めるし、気にしたら負けなんだ。

 僕は笑顔を向けるエルと、頭を下げるソフィを見てそう思った。

 彼女たちが来てくれたおかげで助かったようだし、感謝はすれど突っ込むのはやめておこう。今日エルに助けられるのは二度目だしね。


「ありがとうエル、ソフィ」


「礼はいらないよノイル。ボクはキミのために生きているからね」


「あ、はい」


 人生無駄にしてない?


「お役に立てて嬉しく思います。だ⋯⋯ノイル様」


 ソフィはいつになったら言い間違えなくなるんだろう。

 

 微笑む二人に合わせてとりあえずクールな笑みを浮かべていると、テセアが隣に歩み寄ってきた。僕が中に居た間にエルたちが片付けてくれたのか、彼女が食べた物のゴミは綺麗になくなっている。まあ、元々散らかしていたわけではないが、本当に二人はテセアに良くしてくれていたようだ。


「おかえり」


「ただいま。ごめんテセア待たせちゃって」


「ううん、エルさんとソフィちゃんがすぐに来てくれたから。それより、シアラ達はまだ出てこないの?」


「テセア、姉と呼んでくれていいんだよ?」


「エル、話進まなくなるからやめようか」


 良い笑顔で話に割り込んできたエルを軽く嗜める。あまりテセアに変なことを吹き込まないでほしい。彼女は純粋なのだ。本当にそう呼び始めてしまう可能性もないとは言い切れない。

 そうなったら、おかしな世界が出来上がってしまう。


「ふむ、ならば我も姉と⋯⋯」


「店長、黙って」


 おかしな世界が広がっていくでしょうが。

 僕は顎に手を当てた店長の言葉を止め、改めてテセアに――


「でしたらソフィは⋯⋯」


「ソフィはソフィだよ」


 向き合えずに、ソフィに優しい笑顔を向けた。彼女は嬉しそうに微笑みを返してくれる。

 ちくしょう、話が進まねぇ。

 何でだ、ツッコミが追いつかない。普段より忙しい。


 そう考えた僕は、原因に気がついた。

 ミーナが居ない。

 この二人のストッパーとなる存在が居ないのだ。

 どうりで僕の負担が大きいわけである。テセアにはまだ厳しいだろうし、店長は当然言うまでもなくあっち側の人間だ。

 今ここに僕の援護をしてくれる存在は居ない。


 クソ、今まで三人は大体一緒に居たから気づかなかったが、ミーナの存在は大きかったのだ。彼女が居なくなって始めてその大切さに気づいてしまった。僕ってやつは本当にどうしようもない人間だ。マブダチが恋しい。


 しかし、ここで何故ミーナが居ないのか訊ねるという愚行はおかさない。僕だってそんな事をしたら間違いなくエルが面倒な反応をする事くらいはわかる。

 そもそも、ミーナが居ないこと自体は別におかしくはないのだ。彼女にも彼女の都合があるだろうし、毎回エルに付き合ってはいられないだろう。


 彼女抜きでこれからやらなければならない事を考えると、何だか気が重くなってしまった。

 今は眠っている『私の箱庭』の中の三人も含めて、『六重奏』の皆を紹介しなければならないのだ。はっきり言って不安しかない。

 店長の怒りは収まっているようだが、果たして穏便に済むのだろうか。


「はぁ⋯⋯」


 僕は一つ息を吐くと、とりあえず癒やしを求めて、不思議そうな表情をしているテセアの頭を撫でるのだった。







 『白の道標ホワイトロード』の店内で、目を覚ましてちゃんと服を着たノエル、フィオナ、シアラを含めた皆が見守る中、応接用のソファに座った僕へと、向かいに腰掛けた店長が『私の箱庭』を手渡す。

 目覚めた三人と店長はまたひと悶着起こしそうな雰囲気だったが、僕の中の魂達の話をすると皆目の色を変えた。

 三人とも能面のような表情になり、フィオナが「⋯⋯は? 女性も居たんですか?」と訊いてきたのは何か怖かったが、とりあえず店長から矛先はずれたらしい。ずれた矛先が僕へと突き刺さっているのはもう諦めよう。


 幾度か見た事はあったが初めて触れる口の広い小瓶を両手で受け取る。手触りは普通の瓶と何ら変わりはないが、『私の箱庭』は僕が触れた瞬間、一度淡い輝きを放った。

 どうやら、これで僕が持ち主となったらしい。譲渡されなければ所有者以外触れることの出来ぬ『私の箱庭』を、僕はやや緊張しながらソファの間のテーブルの上へと置いた。


 あとは僕がコルクを外し、招待する相手を心の中に思い浮かべるだけでいい。

 そうすれば、『六重奏』の皆が――僕の身体を一時的に離れる。

 まあ⋯⋯上手くいけばの話だが。


 僕は一度、大きく深呼吸をした。


 現実ここではない場所で、僕は皆に会っている。それも、一度や二度ではない。何度も――そう、何度も顔を会わせた事はあるはずだ。その時の事を僕は覚えてはいないが、心の何処かには残っている。『私の箱庭』の中も現実とはいえないかもしれないが――そこで直接顔を合わせれば、僕は思い出すのだろうか。皆と過ごした時間を、かけがえのない思い出を。


 忘れてはならないはずなのに、どうしても思い出せない夢があった。

 どうしようもなく満たされる楽しい夢だったはずなのに、記憶には残らず、それが失われていくことに酷い寂寥感を覚える不思議な感覚。

 幼少の頃から度々起こっていたあの現象の正体がずっと気になっていたが、今ならはっきりとわかる。夢の中で、僕は『六重奏』の皆に会っていたのだろう。


 隣に腰掛け、僕の状態を《解析アナライズ》で確認しているテセアに視線を送ると、彼女はゆっくりと頷いた。

 皆が、強く現れているということだろう。

 僕はもう一度息を吐く。


 そして、鮮明に思い浮かべる事のできる皆の姿を意識しながら、呼びかける。


「――――招待」


 呟いた途端、複数の光が『私の箱庭』へと吸い込まれ、僕は身体から何かが抜き出されるかのような感覚を覚えた。それと同時に――全身が羽根のように軽くなり、僕は困惑する。溢れかえりそうな程の力が湧き上がり、自身を巡るマナが信じられない程に増加したのがわかった。

 自分の身体が、まるで別物に感じられる。


「これは⋯⋯」


 思わず、自身の両手をじっと見つめてしまう。一体、何が起こった⋯⋯?


「それが、ノイル本来の力ということじゃろうな」


「え?」


 正面に座っている店長が、僕を興味深そうに見たあと、考え込むように顎に手を当てた。


「妙なマナの流れをしておるとは思うておったが⋯⋯ふむ、やはりそうか」


「⋯⋯最初に会ったときに言ったと思うけど、ノイルのマナは、複数に分散されてたんだよ」


 テセアが戸惑っている僕の身体を検めながら、店長の言葉を引き継ぎ今の状態を説明してくれる。


「ずっと自分の中の魂達に無意識にマナを分け与えてたんだと思う。本来身体を巡る筈のマナが七等分にされてたんだから、ノイルは常にマナが不足してたの。だから今、身体の調子が凄く良くなったように感じるかもしれないけど、それは元に戻っただけ」


 そこで一つ息を吐くと、彼女は僕へと僅かに微笑んだ。


「ふふ、信じられないって顔。だけど、それがノイルの本当のマナ量だよ。そしてマナが戻ったってことは――」


「皆は、この中に⋯⋯」


「うん、そう」


 どうやら、皆は僕の身体から抜け出したらしい。それに伴い僕に訪れた変化は顕著なものだった。テセアの言った通り、とても信じられる事ではない。『封魂珠』を釣り上げる前の僕にとってはこれが普通だったのだろうか。もう遠い記憶すぎて、思い出すことができない。

 しかしそういえば、あの日僕は父さんに背負われて帰路についたんだったか。シアラと出会ってから少しの間は、寝込んでいたような気も⋯⋯いや、そんな事は今はどうでもいい。というより、僕の元のマナが多いだの少ないだのは、どうでもいいんだ。


 『六重奏』の皆に――僕はこれまで散々助けられてきたのだから。


 マナを分け与えるくらいお安い御用だ。好きなだけ使ってくれていい。どうせ僕には、宝の持ち腐れだっただろう。


「待ってください。それじゃあなんですか⋯⋯先輩のマナに常時満たされていたと⋯⋯? 身体の中に宿っていただけには飽き足らず、そんなに羨ましい事を⋯⋯?」


 うん、フィオナ。だからそこはとりあえず今は置いとこう。どうでもいいから、そんな事本当どうでもいいから。お願い。

 背後でワナワナと震え始めたらしいフィオナへと、僕は視線を向ける事ができなかった。

 背中に圧を感じながら、振り向く事なく口を開く。


「フィオナ、それは別に――」


「よくありません!!」


「あ、はい」


 耳を塞ぎたくなるほどの悲鳴にも似た大声に、僕は身を震わせて顔を顰めた。耳が、耳がきーんってする。


「ああっ! ごめんなさい先輩! つい⋯⋯ですが、マナは先輩そのものと言ってもいいんですよ? それを⋯⋯そんな先輩に常に包まれているような、そんな⋯⋯そんなのもう! 性交と同じじゃないですか!」


「違うよ?」


 明確に違うよ。

 僕には何かしていたという感覚はなかったけど、絶対に違うということはわかるよ。

 というか何で性交と同じになってしまうの?

 フィオナさんあなたちょっとおかしいよ。


「うむ、そうじゃな」


 僕がどう落ち着かせたものかと悩んでいると、思わぬところから援護があった。向かいに座った店長だ。彼女はしたり顔で脚を組み、指を立てる。いいぞ、マナに関しては一家言ある店長ならば、よくわかっていない僕より上手く説明できるかもしれない。


「マナと肉体の交わりは別物じゃ。まあ、あの感覚はお主たちには一生わからぬじゃろうがな」


 おいこら

 火に油を注ぐだけかいこら。


「所詮ノイルの中におった者たちはマナを与えられていただけじゃ。我のように一体化するわけでもなければ性交と同じとは言えぬのぅ」


 おいこら。

 いい加減怒るぞこら。

 《白の王ホワイトロード》も性交ではないぞこら。


「私はわかるなぁ」


「ぬ?」


 と、店長の後ろに立っていたノエルが笑顔でそう言った。店長が仰け反るようにしてソファの背もたれに頭を乗せ、ノエルを見上げる。

 嫌な予感しかしないのは僕だけだろうか。


「私の新しい魔装マギス――《深紅の花嫁ブラッドブライド》は、ノイルの血を貰えば貰うだけ強化されるんだけど」


 色々おかしくない?

 何その魔装。どうしてそうなったの?

 僕の血限定なの?


「血を貰うときね、一緒にマナも入ってくるの」


 ああ⋯⋯あの全身から何かを抜かれているような感覚は、そういう⋯⋯ねえ何でそんな魔装になったの?


「だから、わかるなぁ。ノイルのマナと交わるって感覚⋯⋯私の中にね、ノイルが入ってくるの」


 他意はない。きっと他意はないはずだ。

 くそ、何か変な意味に聞こえて仕方ない。僕がおかしいのか。


 僕は唇に手を当ててこちらを見ているノエルと、視線を合わせられなかった。彼女は一体どうしてしまったのだろうか。というか、完全に暴走していたように見えたが、しっかりと記憶はあるらしい。そういえば、酩酊した時もノエルは記憶が飛ばないタイプだった。


「⋯⋯それは我とは違うが⋯⋯なるほどのぅ。全て計算尽くで能力を折り込んだわけか⋯⋯まったくお主は」


 珍しく店長が疲れたような息を吐き出し、肩を竦める。ノエルは相変わらず微笑んで僕を見てくるので、なんとなく空いている方の手で首筋を押さえた。


「フィオナ、大人しくしてて」


 そして、ついでに後ろで僕の首へと顔を近づけていたフィオナにそう言っておく。

 《ラヴァー》の効果が発動し、フィオナは愕然としたような表情で僕から離れた。


「そんな⋯⋯! 私にも先輩の血をください!」


「あげません」


「じゃあ、私としてください」


 何を?

 絶対に訊かないけどさ。


 僕はフィオナを放置して、テセアとは反対側の隣で、何故か下半身に手を伸ばしてくるシアラの方を向いた。先程からずっと無言の攻防を続けていたのだが、一向に諦める気配がないのでもう何度目かのノイルくんへの襲撃を防ぎ、首筋を押さえていた手も使って彼女の両手を押さえる。

 この子は何をしているのかな? お兄ちゃん心配になるよ。


「⋯⋯⋯⋯どうして、止めるの兄さん? これは、兄妹のスキンシップ」


 お兄ちゃん心配になるよ。


 僕はシアラの手を掴んだままじっとこちらを見つめてくる彼女のさらに先、カウンターの辺りでソフィと話しているエルを見た。先程からちらちらと聞こえているのだが――


「最悪⋯⋯縛り付けてでも⋯⋯」


「致し方ありません」


「そうだ。ソフィ、今日買ったあれもあるかな?」


「はいマスター、ここに」


 彼女たちの会話もおかしな事になっている。

 ソフィが取り出したのは、下着屋で見たあの際どすぎる布切れだった。

 ソフィに何て物持たせてるの。


「どうやらもはや手段は選んでいられないようだからね。ボクも一刻も早く、より深くノイルと繋がらなければならない」


「頑張ってください、マスター」


 ⋯⋯⋯⋯さーて、収拾がつかなくなってきたぞ。

 助けてミーナ。


「⋯⋯テセア、とりあえず僕、先に入るね。後で皆呼ぶから」


「⋯⋯ うん、そうしたほうがいいと思う」


 僕は若干引いているテセアにそう言って、逃げるように『私の箱庭』の中へと入るのだった。

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