第100話 遊び
「店長、一つ訊いていいですか?」
「うむ、何じゃ?」
僕を抱きかかえつつ、血を思わせる深紅のドレスを纏ったノエルの猛攻を、楽しげに片手でいなしながら店長は鷹揚に頷く。
普段のノエルからは考えられない拳打や蹴りから発生する風圧は、当然至近に居る僕まで届いているが、何かもう僕は冷静だった。
はは、凄いなノエルは。まるで嵐のような乱打だよ。一発でも直撃したら死んじゃいそうだ。わけわからない。
一応僕には当たらないようにしているらしいが、これは下手に動かない方がよさそうだ。
どちらにしろ、店長に掴まれてて動けないしね。
「あんた何で狙われてんの」
本当にさ。何やったら三人に命を狙われるの?
あなたにとっては遊びかもしれないけど、ノエルの一撃一撃にはたっぷり殺意が込められてるよこれ。気づいてる? 気づいてるか、そっか。
「うむ、それはのぅ」
店長は自らの横顔に迫ったノエルの鋭く暴力的な蹴りを、じゃれつく子供の拳を止めるかのようにいとも簡単に片手で掴む。その威力に風が僕の髪をかきあげた。
凄まじく遠慮のない蹴りだ。受けたのが僕なら今頃顔の骨がぐちゃぐちゃに砕けている。受け止めた片手ごと。
おそらく今のノエルと近接戦ができる人など、そうそう居ないだろう。『
「ノイルを待っている間の暇つぶしに言うてみたのじゃ」
なんて?
「我に一撃でも入れられたならば、『
『願望鏡』って何?
「あはっ」
僕がそう思った瞬間、ノエルが猛烈な勢いで身体を捻った。苛烈に荒々しく、彼女の身体が回転し、皮がブチブチと引き裂かれるような嫌な音が響き、ノエルは店長の手から脱する。
「おお、やるのぅ」
「えぇ⋯⋯」
店長は感心したように呑気な声を上げるが、僕は愕然とする。
跳び退るように距離を取った彼女の片方の足首は痛々しく裂け、滔々と血が流れていた。
いや、いやいやいや⋯⋯いやいやいやいやいや⋯⋯滅茶苦茶痛そう。
流石に止めなきゃだめでしょこれ。
自身が傷つく事すら顧みないその戦い方は、ノエルのマブダチとしてとても許容できるものではない。
明らかに今の彼女は常軌を逸している。どう見たって正常ではない。完全にタガが外れてしまっている。これ以上は、いくら僕でも傍観などしている場合ではないだろう。
「心配するでない」
「ちょ⋯⋯」
しかし僕が動こうとした瞬間、店長がそれを止めた。にこにこしながら、僕の身体にマナを流し込んで。
途端に身体の自由が効かなくなり、声すら発する事ができなくなる。首から上は動かせるが、出来ることはそれだけだった。
「傷は後で我が治療するからのぅ」
いや、それは当たり前だよおい。
そもそも戦うのをやめろよおい。
ねぇもうやめてぇ、お願い。
愕然とする僕の頭を撫でながら、店長は安心させるかのようにそう言うが、ちっとも安心などできなかった。
「殺しはせぬ」
だからそんなの当たり前のことなんだよなぁ⋯⋯。
そんな台詞がでてくる時点で止めないといけない状況なんだよなぁ⋯⋯。
「それに、あやつらもこのくらいは覚悟の上じゃ。始める前に確認はとったからのぅ。これはそういう遊びじゃ」
こんなもんが遊びのわけがないでしょうが。
普通に命の取り合いしてるようにしか見えないのは僕だけなの? 遊びって知ってる? 楽しいものなんだよ? 楽しいことしようよ。ねえお願い。
「しかし――面白くなってきたのぅ」
「アハハ!!」
あちゃあ、楽しんでたかぁ⋯⋯。
イカれてやがるぜ。
店長がにやりと嗤い、ノエルが甲高い笑い声を上げながら地を蹴った。もはや僕は本当に見ている事しかできなくなっていた。
瞬きの間に距離を詰めたノエルは、その勢いのまま拳を振るう――が、店長は僅かに顔を傾けただけでそれを躱した。美しい純白の髪が打ち出された拳の風圧に踊るように舞う。
しかし、ノエルは攻撃を躱された事を意に介した様子もなく、流れるように身体を捻り、今度は逆の手で裏拳を繰り出した。荒々しいが、その速度は驚異的だ。
けれど、店長には通じない。彼女は指一本でノエルの体重すら乗せた破壊的な一撃を止めていた。攻撃の余波、その風圧で再び僕の髪がかきあげられる。
冗談みたいだろ? 僕を抱き抱えながらやってんだぜこれ。化け物かな?
いやまあ、僕を避けてくれているから、ノエルの狙う場所も限られてはいるんだけども。化け物かな?
「あははっ! しねぇ!」
攻撃を防がれたノエルは、素早く腕を引き体勢を整えると、シンプルに恐ろしい事を叫び、まるで嵐のような乱打を繰り出した。
苛烈に打ち出される何発もの拳、脚――それら全てを躱し、捌きながら店長は茶を飲んでいるかのようなトーンでノエルに声をかける。
「ふむ、『
何だよ『血染めの舞踏会』って。
何でそんな物騒な名前のものをノエルは参考にしちゃったの?
あとさ、『願望鏡』って何なの? ノエルが店長に一撃入れるために急遽こんな魔装を創造するくらい良いものなの? 何で皆知ってるのに僕はその存在を知らなかったの?
「じゃが、精神に作用するところまで再現してしまったのは失敗じゃな。その程度の速さ、力で、技も何もない単純な暴力など振るわれても脅威にはならぬ。次の課題はその魔装を制御出来るようにすること、じゃな。狂気に染まっても技を振るえるように、身体に叩き込むとするかのぅ」
スパルタかよ。
ていうかあんた、まだノエルに何かしてたのね。もうやめてあげて。これ以上ノエルを変な道に引きずり込むんじゃありません。お願いだから。
まあ確かに⋯⋯ノエルの動きは無茶苦茶だとは思う。
理性を失い、ただ暴れているに過ぎない。力に振り回されているようにも見える。
身体能力は信じられない程に上がっているが、動き自体は随所に無駄が散見され、稚拙だと言ってもいい。
それが脅威にならないという店長の発言は頭がおかしいが、今の彼女を見ているとミーナの戦闘技術やセンスがどれ程優れていたのかがよくわかった。
直接彼女と戦った僕には、なまじ殆ど同じ速度を出せているからこそ、その戦闘力の差が如実に感じられてしまうのだ。例え今のノエルが彼女に挑んだとしても、相手にはならないだろう。
けれどそれは仕方がない。そもそもの実戦経験に差がありすぎる。経験も、何もかもが違う。急に力を手に入れたところで、一足飛びに強者たちと並べるわけではない。
僕は一足飛びで追い抜かれたが。
だから、ノエルはもうその魔装今後使わないようにしない?
いや、決して怖いからとかじゃなくね。
あれだよほら、ノエルには似合わないよ。
ドレス姿は素敵だと思うけどね。
だから店長と特訓とかしないでいいよ本当。
そんなことするより僕と釣りにでも行って穏やかな時間過ごそうよ。
「ま、今のノエルならばこのくらいは大丈夫じゃろう」
僕がそんな事を心の中で提案していると、店長がノエルの大振りな一撃を躱し――僕を宙に放った。
うわぁい、何すんの。
「ノイ――」
「ほれ、隙だらけじゃ」
釣られたように視線を僕へと向けたノエルの懐に、一瞬で店長が潜り込む。そして、がら空きの胴へと掌底を打ち込んだ。
軽く当てただけにしか見えなかったその一撃は、しかしノエルを遥か遠くまで吹き飛ばした。
それと同時に、僕は店長の腕の中へと落下する。
地面に倒れたノエルの身に纏っていた血のようなドレスが消失する。魔装が解けた彼女は何故か白い下着姿だったので僕は慌てて目を逸らした。
店長がこれくらいなら大丈夫と判断して攻撃したのだから、気絶しただけで問題はないはずだが、その格好は大問題だ。
フィオナといい、何で服着てないんだ。
遠目にだが、意識のない彼女の下着姿を見てしまった罪悪感がすごい。
「一人脱落じゃな⋯⋯む? ああ、ノエルとフィオナが服を着ておらぬのが気になるのかのぅ」
うん。
でもこんな時だけ察しが良くならないで?
僕の顔を覗き込み、そう言ってきた店長はにこやかな笑みを浮かべており、僕は最高に気まずかった。だって男の子だもん。
「服を汚したくなかったそうじゃ。まあ、ノイルから貰ったものじゃからなぁ」
汚していいよそんな服。
汚れても問題ないよそんな服。
「無論、我もじゃぞ?」
あ、はい。
「じゃが⋯⋯我は着ていても汚さぬからのぅ」
自信に満ち溢れた顔でそう言いながら、店長は振り返った。そして、両手で持った短銃をこちらに向けて片膝立ちになっているフィオナへ笑みを向ける。
チームワークというものを知らないのか、それともどうしても自身が『願望鏡』とやらを手に入れたいのかはわからないが、彼女たちは一人ずつ戦うつもりらしい。まあ、先程のように争い始めるよりはましだろう。
あと、本当に何故かはわからないが離れた位置で待機しているシアラが、僕の視線に気づくと服を脱ぎ始めた。あの子は何をやっているんでしょうね。お兄ちゃん心配。
「次はフィオナかのぅ?」
「いつまでも余裕でいられるとは思わないでください」
「ほぅ? 何を見せてくれるのか、楽しみじゃな」
「先輩、今助けますから」
あ、はい。
ダサい服を着た悪者に囚われた冴えない男を救うヒーローかな?
中々珍妙な絵面になってるねこれ。ヒーローも下着姿に首輪とごついゴーグル、翼とマニアック過ぎるし。
助けるっていうかあの⋯⋯戦うの止めればいいんじゃないかな。
そうしてくれるのが一番助かるかな。
僕が悪者に囚われたみたいになってるけど、戦わなければ多分すぐに解放されると思うんだよねこれ。僕が間違ってるのかな。
「〈
「ほぅ」
扇情的過ぎる姿のためあまり直視はできないが、フィオナの短銃から何かが放たれたのがわかった。店長が感心したような息を漏らし、高速で飛来した極小の何かを指で弾く。
それは植物の種子に似た極小の弾丸だった。
勢いを止められた魔弾は、僕らの目の前で小さな火炎を放つ。
「面白い技じゃが、我には――」
「〈
店長の言葉を遮ったフィオナの声と同時に、勢いを止められ地に落ちる筈だった魔弾は再び店長へと動き出した。
それだけではない、無数の魔弾がフィオナの構えた短銃から次々と発射される。
「おほー!」
それを見た店長は何故か歓喜の声を上げ、数えるのも馬鹿らしくなる無数の魔弾、その一つ一つを良い笑顔で躱し始めた。
僕を抱えたまま、自身の周りを囲うように飛び回る魔弾の嵐を、まるで踊るかのように避ける。その出鱈目な身のこなしを僕は彼女の腕の中であんぐりと口を開けて見ていた。
何よりやばいのが、抱きかかえられている僕に負荷が全く伝わってこないところだ。ただ躱しているだけではなく、僕への気遣いも忘れていない。もう一切理解ができなかった。というかそんな気遣い上手なら普段からやってよ。
「〈
しかし、この店長の頭のおかしい動きを前にしても、フィオナは動じなかった。立ち上がり片手をこちらに向ける。
「そのくらいは予想済みです。ですが、いつまで躱せますか?」
「む?」
僕この人たちが何やってんのかもうわかんないよ。頭がおかしくなりそうだ。
「マナの量なら私の方が上です。このままじわじわ嬲り殺します」
「なるほどのぅ」
あれ?
どうやら、フィオナは持久戦が狙いのようだ。確かに流石の店長でも、マナが少なくなればこの動きは持続できないだろう。
これ程の攻撃を店長のマナが尽きるまで続ける自信があるらしい。
しかし――
「ならばこれでどうじゃ?」
店長は信じられない事に魔弾を躱しながらフィオナへと接近し始めた。何でもありかよ。
確かに至近まで近づけば、フィオナ自身も魔弾の嵐の中に巻き込む事ができるだろうが、何でもありかよ。
「想定済みです」
こんなの想定する?
僕は宙へと飛び上がったフィオナを見てそう思った。
「ふむ、面倒じゃな」
流石の店長でも、この状態で空中追いかけっこまではする気がないらしい。彼女はフィオナへの接近を止めた。
そして――
「ならば、やはり止めるかのぅ」
「え⋯⋯?」
店長の周りに一瞬で無数の魔針が出現し、それら全てが一斉に射出され飛び回る魔弾を撃ち落とし始める。
フィオナの口から呆然としたような声が漏れた。
「何を驚いておる? 追うのも躱すのも困難ならば、撃ち落とすのは当然じゃろう?」
「そ、そんな⋯⋯! ありえません⋯⋯! いくらあなたでも〈穿つ魔弾〉をそう簡単に⋯⋯」
酷く動揺した様子のフィオナを見上げ、店長は愉快そうな笑みを浮かべる。
「確かに、これ程小さく凝縮した魔力の塊ならば、綻びなどもはや存在しないようなものじゃな。じゃが、それを動かしておる風の方はまだまだお粗末じゃのぅ。それに、じゃ」
「っ⋯⋯!」
「発動までが遅いのぅ」
店長がフィオナへと片手を向けた瞬間、彼女へと無数の魔針が放たれた。それに視線を奪われたフィオナは――
「仲間がおる時は良いが」
「ぁ⋯⋯」
「一人の時はそうそう使えるものではないのぅ」
一瞬で背後に現れた店長に、不意を突かれ、マナを流し込まれると意識を失った。
そのままフィオナは店長に抱えられる。
彼女は気絶する直前悔しそうに顔を歪めていたが、こんなものは、反応できなくて当たり前だ。抱えられている僕でさえ、何が起こったかいまいち理解できていないのだから。
もうなんか物凄い速さで動いたって事しかわからない。
「さて、残るはシアラじゃな」
僕とフィオナを抱えゆっくりと、『切望の空』で浮いていた店長は地面へと下りる。
そこで待つ何故か黒の下着姿となっているシアラを見て、僕は全力で逃げてくれと思うのだった。
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