四章

第94話 ショッピング


 商業区東は、多種多様なお店が建ち並ぶ商店街となっている。採掘者マイナーでもない限りは、ここで必要な物は大体揃える事ができ、商業区の中でももっとも活気のある区画だと言えるだろう。

 『白の道標ホワイトロード』があるのもこの商業区東ではあるが、その中でも地図でも持っているか場所を知っていない限りはまず辿り着かないような、入り組んだ路地の奥にひっそりと建っているため、一歩通りに出れば人に溢れているにも関わらずお客は非常に少ない。


 そんな店としてはどうなのかという立地に建っている『白の道標』だが、王都で生活するにはかなり良い位置にあるといえる。

 賑わっている商店街はすぐそこなのに、静かで騒がしくなく、騒音に悩まされる事もない。

 商売の事を考えないのならば、便利で誰もが住みたがる場所だろう。

 商売の事を考えないのならば。


 まあ僕にとっては大変都合が良いし、店長もお金には困っていない。絶対に移転させたりなどしないつもりだ。

 店長も今の店と環境は気に入ってるらしいし、無いとは思うが万が一そんな事を言い出したら、僕は全力で反対するだろう。


 そんな事を考えながら、僕は服屋の窓から人で賑わう通りをぼんやりと眺めていた。

 女性服の専門店であるこの店は、フィオナのおすすめのお店らしい。色とりどりの様々な服が並べられている小規模な店舗は、照明から店内を飾る調度品、壁紙に至るまで拘りが感じられる落ち着いた雰囲気の洒落たお店だ。多分。


 僕の感性では、何か凝ってるなくらいしか思わなかったが、テセアとシアラは気に入ったようなので、多分お洒落なんだろう。

 ファッションリーダー? もう引退したよ。


「あ、これかわいいかも」


「うーん⋯⋯でも、ワンピースの服はテセアちゃんには合わないかもしれません」


「え? そうかな⋯⋯?」


「ああ、似合わないという意味ではなくて、サイズが難しいんですよ」


「入りそうだけど⋯⋯」


「テセアちゃんくらいに大きいと、胸のサイズに合わせないといけません。でも、そうなると太って見えたり、裾が上がってしまいますから。袖丈や肩も合わなくなってしまいますし⋯⋯」


「ふーん、そうなんだぁ」


「ウエストをベルトや紐で締めたりもできますけど、そうするともっと裾が上がってしまうんですよね。それを前提でサイズを選ぶと、やはり他が合いませんし⋯⋯下着で胸を押さえたり、他の服と組み合わせる、という事もできますが、それ単体だけだと少し難しいですね。オーダーメイドという手もありますが、時間もお金もかかってしまいます」


 服って難しいんだなぁ⋯⋯。

 少し離れた位置で話しているテセアとシアラ――それから何故か当然のようについてきたフィオナの会話に僕は全く加わる事ができなかった。もっとも、シアラは自分の胸を無表情でぺたぺたと触っているだけだが。


 もう、フィオナがファッションリーダーだよ。

 まあ彼女がファッションリーダーならば、その先輩である僕も、ファッションリーダーを名乗る事ができるんじゃないかな。

 というより、もはや僕の中に服への情熱は残っていなかった。着られれば何でもいいよ。


 一応言い訳をすると、最初は僕も真剣に選んでいた。テセアに似合いそうな物を彼女とシアラの反応を聞きながら物色していたのだ。

 フィオナも特に口を出さず微笑んでいた。


 しかし、だ。

 あまりにも僕とテセアに服に対する知識がなかった。サイズなど、しっかり合わせないといけないような物なども、何も考えず選んでいた。

 シアラは胸のサイズがテセアとかなり異なるため、感覚が違いすぎた。


 そこで動いたのが、フィオナだ。

 あまり口出しするつもりはなかったのだろうが、このままではマズイと考えたのだろう。笑顔が徐々に引き攣っていた彼女は、次第に僕らに助言し始め、女性の服選びが複雑だと知った僕は、大人しくファッションリーダーを彼女に譲った。丸投げしたのである。

 僕には難易度が高すぎたのだ。


 今では遠巻きに彼女達を見守り、時折窓から外を眺めているだけである。女性だらけの店内で、僕がここにいる意味があるのかはわからない。まあお願いしたフィオナが張り切ってくれているので、問題はないだろう。

 彼女は今日も僕がプレゼントした例の服を着ているが、あれはフリーサイズの物である。大体の身長さえわかっていれば、些細なサイズなど関係ない素晴らしい代物だ。だからダサいのだろうけど。


 そんな物を贈ってしまった事を、少しだけ申し訳なく思いながら、僕は再び外の通りを眺めた。

 そして、ある事に気づく。


「⋯⋯⋯⋯」


 ノエルと店長が、向かいの喫茶店でお茶をしていた。例のダサい服を着て。

 僕と目があったノエルが、にこにことこちらに手を振ってきた。店長はマイペースにお茶を飲んでいる。


 何であんなとこに居るんだろう⋯⋯。


 僕は今日休みをもらっているが、まさか店を閉めてついてきたのだろうか。いや、別にあんな店閉まってようが殆ど変わらないけどさ。

 ついてきたならついてきたで、何でこんな微妙な距離を保ってるんだろう。いや、合流されても目立ちすぎるから困るけどさ。


 とりあえず、僕は一度クールな笑みを浮かべ、視線を逸らした。


 見なかった事にしよう。


 僕はそう思いながら、服を選ぶ三人を眺めるのだった。







 一通り服を選んだ後、僕らが向かったのは下着屋ランジェリーショップだった。

 フィオナ曰く、この店は大きいサイズでも可愛い物を多く取り扱っているらしく、おすすめだそうなのだ。

 といわれても僕は当然女性の下着には詳しくないし、今まで下着専門店など入った事もないので、もはや全てを彼女に委ねていた。


 というか、女性の下着って専門店もあるとか凄くない? 今までなんとなくそんなもの程度にしか考えていなかったが、一体どれだけ種類やデザインがあるんだろう。

 いや、もしかすると世の中のどこかには男性の下着専門店もあるのかもしれないけれど。


 店内は先程の店と同じく、大きくはないがやたらと洒落ている。様々な下着が展示されており、もう本当に何が何だかわからない。

 別に誰も着用していないのならただの布なのだが、大分居心地が悪い。僕の異物感がすごい。


 この店に関しては、僕入る意味あったのかな⋯⋯。

 流石に下着まで選ぶつもりはないし、三人だけで良かったんじゃないかな。

 複数の女性に連れられてきた僕を見る他のお客さんは怪訝そうな目をしてるし、ちょっとその辺でお茶してきていい?


 そう思いながら、三人と共に店内を回っていると――


「あ」


「げっ」


 随分と可愛らしいフリルのついた下着を手に持って眺めていた、ミーナに出会った。


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯」


 彼女は僕ら――特に僕を盛大に顔を引き攣らせながら見ると、そっと下着を棚に戻す。

 そしてやや頬を赤く染めて、がっくりと肩を落とした。


「⋯⋯何でここに居んのよ⋯⋯」


「⋯⋯何かごめん」


 僕はとりあえず謝っておく。彼女の性格からして、多分あまり見られたい光景ではなかっただろう。非常に気まずかった。


「それはこちらの台詞です。あなた、ブラが必要なんですか?」


「必要よ! ぶっ殺すわよ!!」


「⋯⋯⋯⋯パッド入り、虚しい努力」


「な、み、見んな!」


「ふーん、こういうのもあるんだね」


「や、やめなさいってば!」


 フィオナがとんでもなく失礼な事を言い放ち、シアラとテセアがミーナの見ていた下着を手に取り眺め始める。おそらくこの中で悪気がないのはテセアだけだ。


 僕はそっとその場を離れようと振り返り――


「やあノイル、偶然だね」


「こんにちわ、だ⋯⋯ノイル様」


「流石におかしくない?」


 満面の笑みを浮かべたエルと、頭を下げるソフィに思わずそう訪ねた。


 偶然? ねえ?

 これ本当に偶然?


「あ、エル! あんたわかってたわね!」


「何の事かなミーナ? ボクはただ買い物をしていて、下着が欲しくなったからこの店に入っただけだよ」


「どうせ精霊に聞いて待ち伏せしたんでしょうが! こんな事ならついてくるんじゃなかったわ! 楽しく買い物出来ると思ってたのに!」


 ほら、偶然じゃないじゃん。

 エルに涙目でそう訴えるミーナを見て、僕はそう思った。


「考え過ぎだよ。そんなことよりノイル、これを見てくれないかな」


 エルは笑顔でミーナにそう言うと、手にもっていたもはや下着の意味があるのかわからない際どすぎる布切れを、例のダサい服を着た自身の身体に当てる。


「どう思う?」


 何が?


「ボクがこれを着たら、興奮するかな?」


 アホかな?


 そう思った瞬間、僕の視界が少しひんやりとした柔らかなもので塞がれた。

 これは、シアラの手だな。

 何も見えなくなった僕は、その感触に妹に目を押さえられたのだと理解した。


「⋯⋯⋯⋯兄さんの目が、穢れる」


 シアラさん、それは流石に失礼だと思うよ。


「死にたいんですか? 先輩に汚らしいものを見せないで下さい」


 フィオナ、とりあえず銃は下ろそう。ここ店内だから。お店に迷惑かかるからさ。見えなくても銃を向けたのくらいわかるんだ。残念な事に。


「酷い事を言うね」


 エル、君の行動も大分酷いよ。


 ねえ? 僕もう本当にその辺でお茶してきてもいいかな?

 全部終わったら呼んでくれればいいからさ。

 ダメかな? ダメか、そっか。


「そういえば、だ⋯⋯ノイル様」


「ん?」


 この頭がおかしくなりそうな状況の中で、ソフィがマイペースな声を発した。

 彼女はいつも通り、何か気になる事があった時にそうするように、ただ純粋な様子で尋ねてくる。


「ノイル様は、大きいのと小さいのでは、どちらがお好みなのでしょうか?」


 とんでもない事を。

 しん、と辺りが静まり返った。

 何も見えない僕は、一気に空気が変わった事を肌で感じ、背中には嫌な汗が流れる。


「以前、ミーナ様でご立派になっておられましたし、やはり⋯⋯」


「あー! あー! ソフィ! ソフィ!」


 ミーナが慌てたような声を上げ、ソフィの言葉を遮る。


「何でしょうか?」


「止めて」


「ですが、重要な⋯⋯」


「止めて」


「⋯⋯かしこまりました」


 切実な声でそう言われたソフィは、それ以上は何も言わなかった。

 しかしまあ⋯⋯どうすんのこの状況。


 僕の目を覆ってい手が、ゆっくりと離れる。

 まず視界に入ったのは、真剣な瞳をこちらに向けているエルと、不思議そうに首を傾げているソフィ。


「先輩?」


 その声で恐る恐る振り返ると、そこには微笑を浮かべるフィオナと、何か期待するような瞳で僕を見ているシアラ。そして、真っ赤に染まった顔に手を当ててミーナが俯いている。


「先輩は、大きい方がいいですよね?」


「⋯⋯⋯⋯兄さんは、大きくない方が好き?」


 答えられるかよ。

 黙秘だ、黙秘する。

 だってこんなのどう答えようが間違いだからね。

 正解なんてないからね。敢えて言うなら黙秘するのが正解だよ。


 しかし、だ。

 この状況では逃げる事もできないだろう。いくら僕が脱兎に一目置かれる存在だとしても、前後を僕よりも強い人たちに挟まれていたら、逃走などできない。

 沈黙を貫くにも限界がある。


 何だこの詰んだ状況は。

 どうしてこうなった。どうすればいいんだ。

 誰か教えて。誰か助けて。


「えっと⋯⋯」


 僕は何とかならないかと、辺りに素早く視線を走らせ、ある事に気づいた。

 あれ? そういえばテセアは何処に行ったんだ?


 そう思った瞬間――


「見て見てノイル! これどうかな?」


 下着の並ぶ通路の奥、そこにある更衣室のカーテンが勢い良く開かれ、テセアが現れた。

 黒いレースの下着姿で。


「店員さんが見繕ってくれたの! 似合うかな?」


 彼女、行動力あるよね。


 僕たちがわちゃわちゃやっている間に、店員さんに声をかけて選んでもらったらしい。

 笑顔のテセアの隣では、女性の店員さんがやや困惑したような表情を浮かべてこちらを見ていた。

 なんか、すいません。


「テセアちゃん! 何をやっているんですか!」


「え? せっかくだからノイルに見せたくて⋯⋯」


「見せちゃ、ダメ」


「家族なら、ノイルになら別にいいでしょ? 周りも女の人だけだし⋯⋯」


「ダメ」


 フィオナとシアラが、テセアを再び更衣室の中に押し戻す。

 テセアはやはり、一応常識は知っていても羞恥心というものが少し足りていないらしい。家族ならば下着姿を見せても問題無いと思っていたのだろう。まあ実際別に問題はないが、服みたいにあえて見せるようなものではないんだ。


 今後生活していけばその内身につくだろうとは思うが、お兄ちゃん少し心配になるよ。


「何、今の⋯⋯」


 ミーナがテセアの何かに戦慄したかのようにぽつりと呟いた。


「テセアには、ボクたちがこれから色々と教えてあげなければならないね、ノイル」


 確かにそうなのだが、エルは何でテセアが自分の妹であるかのような言い方をするのだろう。この世は不思議である。


 まあ、とりあえずテセアのおかげで何とかこの場を乗り切る事ができそうだ。

 僕がそう思い、ほっと一息吐いた瞬間――


「ご立派になってはいませんね。やはり、そういう事でしょうか」


 僕の下半身へと視線を向けながら、ソフィが唇に手を当てて考え込むようにそう言うのだった。 

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