第95話 ショッピング②
女性の下着とは、何故高いのだろうか。
いや、安い物もあるのだろうけど。
フィオナ曰く、下着は品質に拘った方が良いらしい。まあデリケートな部分に直接触れる物だし、上等な物に越したことはないのだろうけれど、服とそんなに変わらないって凄いわね。
私びっくりしちゃったわよ。
僕は今日だけで随分と軽くなった財布を検めながら、そんなことを思っていた。
テセアと着の身着のまま王都まで来ていたシアラの分の服や靴、小物など、寝間着も含めて十数点。やたら高い下着を十数着と、既に中々の出費である。しかも何かサイズが大きいと下着は更に値が張るらしく、テセアの物はシアラの物よりもお高かった。
生活していく上で困らない最低限の物だけ、というのも寂しいので、あれもこれもと買っていく内に、結構な数とお値段になってしまった。
多分既に僕が所持している衣服よりも多い。
買った物はとりあえず、『白の道標』に届けてくれるようにお店に頼んである。
大量に購入したので、無料で運んでくれるらしい。上客である僕らの頼みを、お店の方はにこにこ笑顔で引き受けてくれた。
フィオナが「私も出しましょうか?」と言ってくれたが、流石にそういうわけにもいかないだろう。それに何故か「義妹のためですから」と言っていたので、尚の事出してもらうわけにはいかない気がした。
まあ『精霊の風』の一件で、エルから貰った報酬はかなりの額だったし、その後直ぐに給料も入ったので懐には余裕がある。かなり予想以上の出費ではあるが、別に使い切った所で問題があるわけでもない。
三食寝床付きの職場に居る限り、所持金が尽きた所で路頭に迷うことはないのだ。
⋯⋯あれ? 僕ってもしかしてかなり恵まれた職に就いてるんじゃ⋯⋯いやいやまさか、何を馬鹿なことを。
仕事内容は酷いし、何より店長の相手という過酷な労働を強いられるんだ。そのくらい条件が良くなければやっていられない。
そういえば⋯⋯店長の言うデートのために、お金はある程度は残していた方が良いのだろうか。いや、別にいいか。どうせ模擬戦に付き合わされたり魔物狩りに連れて行かれるだけだ。
お金など必要ないだろう。
そんな事を考えながら、今は化粧品を選んでいる三人を僕は壁際の椅子に座って眺めていた。
下着屋での一騒動の後、エルとソフィはミーナに強制的に連れ帰られ、今は再び僕ら四人となっている。
大きいのと小さいのの話は、もうヤケクソでどっちも好きと答えておいた。周りの女性客から「逃げた」「逃げたわ」「最低」という声が聞こえ、軽蔑するような目を向けられていた気がするが、もはやそんな事はどうでもいいから話を終わらせたかった。僕にプライドはない。
何故か色っぽい笑みで「キミはエッチだね」とエルに言われてしまったのだけが釈然としなかった。僕は健全な男なだけだ。だいたい、僕がエッチなのだとしたらエルはどうなってしまうというのか。
そう思ったが、口には出さなかった。
そうして、下着屋を出た僕らが次に向かったのが、化粧品店だ。ここも例の如くフィオナのおすすめのお店であり、例の如く僕には何もわかることがない。果たして僕が居る必要はあるのだろうか。もう、フィオナだけでいいんじゃないかな。
まあテセアとシアラは楽しんでくれているようだし、僕自身も店に入る度に置物と化してはいるが楽しんではいるので良しとしよう。
きらびやかだが落ち着いた雰囲気の店内に並ぶ棚やショーケースには、僕には何に使うのかもよくわからない様々な化粧品が展示されており、何だか高級感が漂っていた。そして実際に化粧品という物はお高いらしい。フィオナ曰く、これも安物ではダメなのだそうだ。肌が荒れる事もあるし、例え今は良くとも十年後、二十年後に差が出るらしい。
随分と先を見据えているんだなぁと思っていたら「先輩の為ですよ」と笑顔で言われた。思っていただけで口に出してはいないのに。いつ読心術を会得したのだろうか。
あと、十年後二十年後もフィオナは僕の側にいるつもりなのだろうか。責任という言葉が僕に全力疾走で迫ってきている気がする。いよいよダメかもしれない。
「⋯⋯⋯⋯兄さん」
「ん?」
現実から目を背けるため、一番高級感のあるショーケースに並んだ白い小瓶をあれなんだろうなとぼんやり眺めていると、シアラから声をかけられた。
僕は視線を彼女に向け――
「うわかわいい」
思わずそんな言葉が漏れた。
シアラはどうやらいつの間にか化粧を施してもらったらしく、彼女の可愛さが更に引き立てられている。
僕は化粧というものを、甘く見ていたらしい。
化粧などなくとも、シアラは完成した可愛さだと思っていた。そもそも、フィオナもテセアもシアラも、化粧する必要などあるかと思っていたのだ。
しかし、実際に見てみると、これは凄い。
決して濃いメイクではない。素材の良さを引き立てるためのさり気ないメイクだ。多分。僕にはよくわからない。
でも可愛い。普段も可愛いが、より一段と可愛い。
何時もと変わらない無表情でも、雰囲気が柔らかくなったように思う。
何だこの可愛い生き物は。天使かな?
「⋯⋯⋯⋯ちゅーする?」
かなりご機嫌な様子のシアラは、僕へと両手を伸ばし、そう言ってくる。
うーん、抗い難い。
ここがプライベートな空間なら、今すぐ抱きしめて頭を撫で回したい。
「⋯⋯⋯⋯深いの」
深いのはしないけど。
あと、やっぱり止めておくよ。
「ダメですよ? シアラさん」
シアラのすぐ後ろに、微笑んでいるフィオナが居るからね。
何か怖いんだ。
「あなたは妹、なのでしょう?」
「⋯⋯⋯⋯ちっ」
こらこら。
せっかく最高に可愛いんだから忌々しげな舌打ちなんかしないの。
相変わらず、シアラはフィオナの事が嫌いらしい。上手くやれているかと思えばすぐに空気が悪くなる。
「何ですか? 何か文句でも?」
そして、フィオナも僕とシアラに血の繋がりがないとわかってからは、驚く程に辛辣であった。
どうしたの一体? 何でテセアとそんなに対応が違うの? 怖いよ?
「⋯⋯⋯⋯死ねばいいのに」
「本当に可愛くないですね」
怖いよ。
助けてテセア。
「見て見てノイル! ぷふっぷふふぅっ! こんななっちゃった!」
僕の願いが通じたのか、もう一人の妹は実に楽しそうにこちらに駆けてきた。その顔には奇抜なメイクが施されている。まるで店長の下手くそな絵のようだ。
「ぷふっ、最初は自分でやってみようと思って⋯⋯ぷふふっ。そしたらぷふっ、失敗しちゃったの!」
うわかわいい。
何だこの可愛い生き物。
どうやらテセアは化粧を自分でやってみたらしい。実に好奇心旺盛でよろしいと思う。
しかし、当然経験がなかった彼女は見事に失敗してしまったようだ。いや、その有様を見れば、おそらくは途中から面白くなってわざとふざけたのだろう。じゃないといくらなんでも店長の絵みたいにはならない。
けれど、大変不気味な顔になってしまったテセアは、それでも屈託のない笑みを浮かべていて大変可愛いらしい。
何だこの愛らしい生き物は。天使か。
殺伐とした空間に舞い降りた天使か。
僕はクールな笑みを浮かべると、立ち上がりテセアの頭に優しく慈しむように手を置いた。
「そのままの君で居て」
「え、流石に落としたいかな⋯⋯」
違うよ化粧の事じゃないよ。
テセアは僕の発言に、奇抜な顔で困ったような表情を浮べるのだった。
◇
テセアが奇抜なメイクを落とした後、三人は再び化粧品をじっくりと選び始めた。フィオナとシアラはぴりぴりしているが、まあテセアが間に入っていれば大丈夫だろう。
僕は再びやる事がなくなったので、先程の白い小瓶が並んだショーケースを改めて見てみる。
「こ、これは⋯⋯」
もしかして、これ⋯⋯スライム美容液か?
あの巷で噂の。女性なら誰もが欲しがるというあれか?
商品名が書かれた札を見てみたが、どうやら間違いないらしい。
嘘だろ、これがスライムだと⋯⋯?
瀟洒な小瓶は乳白色の美しい液体で満たされており、気品さえ感じられる。あのどろどろぐちゃぐちゃの、食欲が無くなる色合いの気味が悪いゼリー状の体液の面影は何処にもない。
なるほど、スライム美容液など使う女性は頭がおかしいのかと思っていたが、これなら確かに肌に塗るのも抵抗がないだろう。
厳選に厳選を重ねると、スライムはここまで変化するのか⋯⋯。
「ふぅむ⋯⋯」
これは、いいかもしれない。
今回の皆へのお礼をどうするか悩んでいたが、スライム美容液はどうだろうか?
女性なら皆喜ぶと言うし、僕にしては冴えた案ではないだろうか。
レット君、クライスさん、師匠には『獅子の寝床』で飲んだ際、当然の事をしたまでで礼など不要と言われ、酔に酔っていた僕らは熱いハグを交わした。だからこれ以上は彼らに何かする必要はないだろう。友情とは素晴らしいものだ。
問題は、女性陣にどうお礼するかだったが、凄く良い物を見つけてしまったわ。
これにしましょう。そうしましょう。
何だか今日は女性の買い物に付き合っているためか、思考が女性よりになりつつある僕は、迷わず店員さんに声をかけようとして――
「あ⋯⋯」
やはり止めた。
スライム美容液は確かに素晴らしい物だ。多分。
素晴らしい物だが、ノエルにとっては見たくもない物かもしれないと思ったのだ。
彼女は父の死を乗り越える事が出来たように思えるが、未だスライムに関するものには抵抗があるかもしれない。
これを贈られれば不快に思い、苦しむ可能性だってある。
それは、良くないな。
「確認してみるか⋯⋯」
僕は化粧品を選んでいる三人に、少しだけ外に出てくると声をかけた。全員ついて来ようとしたが、直ぐに戻るからと伝え、一人で店の外へと出る。
「ノエル、ちょっと聞きたいんだけど⋯⋯」
「何?」
そして、先程から通りを往復していたノエルに話しかけた。彼女は普段通り笑顔で首を傾げるが、これは何かがおかしいと思う。
だから何で一定の距離を保ってずっとついてきてるんだろうか⋯⋯そういう遊びかな? ストーキングごっこかな?
ふと、何気なく通りの奥を見ると、そこでは店長がアイスの出店の前で瞳を輝かせていた。
どうやら伸びるアイスに興味を惹かれたらしい。多分「おほー!」って言ってる。
まあ、近くに居てくれて都合が良かった。
僕は何故か僕の服の乱れを自然に直し始めたノエルに、尋ねてみる。
「スライム美容液って、どう思う⋯⋯?」
もしかしたら、こう聞かれる事すら嫌だったかもしれない。と、僕は口に出した後に思った。
しかし――
「んー誰かにあげるの?」
ノエルは相変わらず僕の服を直しながら、何でもないかのように尋ねてくる。
とりあえず、大丈夫なようで僕は少し安心できた。
「うん、実は⋯⋯」
「――誰に?」
何か⋯⋯気温下がった?
通りは相変わらず人が多いはずなのに、ノエルがそう聞いてきた瞬間、辺りが静かになったように感じられた。
彼女の顔は伏せられており、表情は窺えない。俯いたまま、ぎゅっときつく僕の服を握っているのが、少し怖かった。
「ね? 誰?」
何故かその声に、背筋に悪寒が奔った。
「ミリス? ミリスかな? 必要ないと思うよ? ミリスはそんな物なくても綺麗だもん。だからあげなくていいよ。ね? やめよ?」
「い、いや⋯⋯」
どうしたのこれ。
僕何かした?
やっぱりスライムはダメだった?
とにかく、僕はごくりと唾を飲み込み、言葉を続けた。
「の、ノエルに⋯⋯」
「えー! 本当!? 嬉しい!!」
途端、ノエルはぱっと顔を上げ、喜色満面といった笑みを浮かべた。
僕は混乱した。
「う、うん⋯⋯それから⋯⋯」
「⋯⋯それから?」
何でそんなに綺麗に表情が消えるの?
怖い。何これ怖い。
「皆、に⋯⋯ですね⋯⋯はい」
「⋯⋯何で?」
「え、あ、その⋯⋯今回のお礼を、と思いまして⋯⋯はい」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯そっか!」
ノエルは汗を流す僕をじっと見つめた後、にっこりと笑みを浮かべた。
僕は全身から力が抜けた。
何か今、発言を間違えてたら危なかった気がする。
いや、ノエルはそんなに危険な存在じゃないから僕の思い過ごしだろうけど、物凄い身の危険を感じた。
「いいと思うよ。お礼なんて必要ないけど、皆喜ぶと思うし。ノイルはそうしたいんでしょ?」
ノエルは僕の服の乱れを再び直し始める。もっとも、彼女がかなり強く握ったため、最初よりも乱れたわけだが、それについて触れるほど、僕は愚かではない。
「あ、はい」
「でも、何で私に確認⋯⋯あ、そっか。もしかして気を使ってくれた?」
「あ、はい」
僕が頷くと、ノエルは顔を上げ、蕩けるような笑みを浮かべた。
「私のこと、考えてくれたんだぁ」
「あ、はい」
「ありがとう。すっごく嬉しい。本当にもうすっごくね⋯⋯」
「あ、はい」
「大丈夫だよ。ノイルがね、私の事救ってくれたでしょ? だから私はもう大丈夫なの」
服の乱れを直し終えたノエルは、最後にぽんぽんと、手で埃を払う。
「これで良し、と」
「あ、はい」
笑顔のノエルを何故か直視できず、僕はこっそり離れた位置の店長を見ていた。伸びるアイスを頬張って、首を傾げている。
期待より味は美味しくなかったらしい。
実に能天気な人だ。
よし、何か落ち着いてきた。
「――私じゃなくてミリスを見てるよね?」
「はいすいませんでした」
しかしその笑顔からは考えられない冷ややかな声に、僕は即座に頭を下げるのだった。
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