第93話 なんでも屋の店員ですが、正直もう辞めたいです③


「お、きたきた」


「ハァイ! んマイフレンド!」


「よお、いらっしゃい」


 歓迎会がお開きとなったその後、僕は『獅子の寝床』を訪れていた。入店した僕に、レット君とクライスさんが笑顔で声をかけ、ガルフさんはレット君へと炎酒を注ぎながら迎えてくれた。

 クライスさんの隣では、今回歓迎会には不参加だった師匠がパイプを燻らせながら、僕へとウィスキーの入ったグラスを軽く掲げている。


 僕は一つ息を吐き、レット君の隣の席に腰掛けた。


「こんばんわ、ガルフさん。師匠、今回は本当にありがとうございました」


「おう、無事で何よりだ」


「うむ」


 ガルフさんに挨拶して、今回助けに来てくれた師匠に頭を下げてお礼を言う。

 すると、ガルフさんは労うように僕の前にウィスキーの入ったグラスを置き、師匠は細い煙を吐き出し微笑んだ。


「しかしすまねぇな、俺も知ってりゃ何かしたんだが⋯⋯」


「いやいや、気にしないでください。普通『浮遊都市』に拉致られたとかわかりませんよ⋯⋯」


 やや肩を落としたガルフさんに、僕は慌ててそう言った。気にする必要などないのに。異変を察知して、店長たちに負けず劣らずのスピードで駆けつけてくれた師匠が凄すぎるのだ。


「そう言ってくれるだけで嬉しいですから」


「今日は奢りにしとくからよ。好きなだけ呑んでくれや」


「⋯⋯ありがとうございます」


 男らしい笑みを浮かべて、ガルフさんは僕にそう言ってくれた。

 何といい人なのだろうか。第一印象は関わりたくない人だったのに。会うたびに僕の中での株が上がっていく。もはやマブダチだ。


「ノイルん、歓迎会はもう終わったのか?」


 レット君が炎酒をぐびぐびと飲み干し、僕へとそう尋ねてきた。


「うん、何とかね⋯⋯ていうか、途中で抜け出さないでよ」


 レット君とクライスさんは、歓迎会の途中で気づけば居なくなっていた。彼らの居た席に残されていた「獅子の寝床に行ってる。来れそうなら来てくれ」という書き置きを見て、僕はここに来たのだった。

 師匠まで居るとは思わなかったが、師匠は師匠なので別に驚きはない。


「悪ぃ悪ぃ。でも、ありゃ無理だわ」


「んー、俺達が居られる空気ではなかったねぇ」


「まぁ⋯⋯そうだけどさ」


 歓迎会は始めのうちは平和だった。和気藹々と、皆で楽しく食事をしていた⋯⋯と思う。

 度々僕の飲み物やフォークが、気づけば別のものに変わっているという怪奇現象が起きていた気がするが、それ以外は普通だったはずだ。店長も機嫌良さそうにチーズ炙ってた。


 おかしくなり始めたのは、フィオナが突然手を合わせて笑顔で「じゃあ、席替えをしましょうか」と言ってからだ。

 何の脈略もなく、何の意味があるのかもわからないその提案に、エルが真顔で同意してソフィを膝から下ろし、ノエルがエールの入ったジョッキを飲み干した。ミーナは無言で離れたテーブルへと一人移り、おすすめを注文し始め、何故か僕の身体にはシアラから伸びた黒い鎖が巻きつき、皆の突然の行動にテセアはぱちくりと瞳を瞬かせていた。


 一切身動きのできなくなった僕は、とりあえずチーズ炙ってた店長に頼んで鎖を破壊してもらい、トイレに行った。

 戻ってきたらレット君とクライスさんがいなくなっていた。悲しかった。


 しかも何故か皆一人一人別々のテーブルに着いていたので、僕は普通に元の席に戻った。そのテーブルでは店長がチーズ炙ってた。


 その後も色々とあり⋯⋯まあとりあえずはお開きとなったのである。

 後日炭火亭には謝罪に行かなければならないが、テセアは終始楽しそうにしていたので良しとしよう。


「しっかしよく一人で来られたな」


「ああ⋯⋯ノエルは寝ちゃってたし、シアラとテセアもあんまりお酒強くなかったみたいでさ、店長とフィオナに任せてきた」


 フィオナは着いて来たがっていたが、彼女は常に《ラヴァー》という呪いのアイテムに自ら縛られている。本当に止めたほうがいいと思う。


「んエルシャンはどうしたんだい?」


「ミーナが連れて帰りましたよ」


 んエルシャンも着いて来ようとしていたが、ミーナがそれを止め、「会うのはあいつらなんだから別にいいでしょうが! そもそも男友達と会う時間くらいあげなさいよ!」と渋るエルを説得してくれた。流石はマブダチである。


「シアラとテセアってのが、新しく増えた女か?」


 ガルフさんが自分もウィスキーの入ったグラスを持ち、中の氷を揺らしながらそう聞いてきた。間違ってはいないが、言い方ってあると思う。変な意味にしか聞こえないですよそれ。


「はい、僕の妹です」


「妹、ねぇ⋯⋯」


「一人はまあ、妹だな。もう一人はあれだ」


「やっぱあれか」


 どれだよ。

 レット君とガルフさんは二人でよくわからない事を言い始めた。

 どうやらこの二人はそれなりに酔っているらしい。二人とも頬が若干赤く染まっている。

 まあ、僕が来る前から飲み続けていたのなら酔いもするだろう。


 クライスさんのグラスに注がれているのは水のようだ。あまりお酒には強くないのかもしれない。

 師匠? 師匠は酒に呑まれたりしないよ。師匠だもん。


「あれって⋯⋯テセアもちゃんと妹だよ」


 あれがどれなのかはわからないが、テセアだって正式に妹となったのだ。付き合いの浅さなど関係ない。これからは家族の一員として接していくつもりである。

 そう思いながらウィスキーを一口飲み、視線を戻すと、ガルフさんとレット君は何故か僕を非常に残念なものを見るような目で見ていた。


 わかってねぇなぁこいつ。とでも言いたげである。


「わかってねぇなぁ⋯⋯ノイルんは」


 言われた。

 レット君は一つ息を吐いて僕の肩に手を置くと、炎酒のおかわりを催促する。

 ガルフさんは無言で彼の差し出したグラスに炎酒を注ぎ始めた。


「わかってないって何が?」


「何もかもだよ」


 酷くない?

 僕たちマブダチだよね。

 救いを求めてガルフさんに視線を向けると、彼は諦めたように首を振った。

 

「んでも!」


 うわびっくりした。

 クライスさんが突然両手を広げて立ち上がり、そしてまた座った。

 何なんだ一体。


 彼はカウンターに肘をつき顔を支えると、僕へと白い歯を輝かせウィンクを飛ばす。


「周りの事がわからなくとも!」


 喋る度にバチバチとウィンクを飛ばしてくる。


「自分の事くらいはぁ〜わかってるんじゃ〜んないかい!」


 最後にビシッと僕を指差し、クライスさんはそう言った。何が言いたいのか全然わからない。何だこの人は、やっぱり酔ってんのか。

 僕が何と言えばいいのかわからず困惑していると、クライスさんはゆっくりと大仰な仕草で、自分の左胸の前に両手でハートの形を作る。


「君は今、誰が一番好きなんだい?」


「は?」


「君の周りの女性で、誰が一番好きなのかな?」


「え、まーちゃ⋯⋯」


「んノンノンノン! 彼女は抜きで考えてみよう、かっ!」


 ついに椅子の上に立ち上がり、両手を広げ天を見上げながらクライスさんはそう言った。

 そして、しばらくそのまま静止すると、何事もなかったかのように着席する。

 僕は色んな意味で困惑した。


 とりあえず、クライスさんの聞きたいことは理解できた。まーちゃんを抜いた僕の周りの女性の中で、今僕が一番誰がその⋯⋯好きなのかを聞きたいらしい。

 普通に聞かれても困る内容なのに、ここまで大げさにやられると、もはやこの話題から逃れることはできなさそうだ。

 レット君とガルフさん、そして師匠までもが僕の答えが気になるかのように、こちらを見ている。


 この状況、どうしよう。


 僕は頭を悩ませる。何と答えるのがベストだろうか。どうやったらこの状況を誤魔化す事ができるのだろうか。

 いや、そもそも――僕自身は彼女たちをどう思っている?


 ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯答えは、見つからなかった。


 何とも情けない話だが、僕は自分自身の気持ちすら、よくわかっていないらしい。

 今この質問の答えを出すのは、無理だ。

 だから僕は、何も言えなくなってしまった。


「⋯⋯ミーナは、どうだ?」


「え?」


 黙り込んでしまった僕に、低くよく響く声が、静かにかけられた。

 顔を上げると、師匠の深緑の瞳がこちらをじっと見つめていた。


「いや、すまん」


「い、いえ⋯⋯」


 突然どうしたんだ師匠。


「あん? そういや、前も師匠はミーナ姉ぇを推してたよな?」


「ああ、そういえばそうだな⋯⋯」


 僕がそう思っていると、レット君が炎酒を飲みつつ頭を捻り、ガルフさんが顎に手を当てる。

 

「何でだ? 師匠」


「娘、だからな」


 !?


「ぶぅっ!!」


 師匠のとんでもない発言に、レット君が炎酒を吹き出し、それをクライスさんが歯を輝かせ親指を立てながら浴びる。そして、次の瞬間にはカウンターにごとんと突っ伏した。

 僕は呆然とその一連の流れを見ていた。


 娘⋯⋯? 娘、とは⋯⋯?


 ガルフさんが震える声で呟く。


「く、『黒猫』が⋯⋯師匠の娘、だと⋯⋯」


「ああ」


「ゲホッガハッ! は、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 しばらく咳き込んでいたレット君が、耳を塞ぎたくなるほどの大声を張り上げた。

 その声に、クライスさんがむくりと起き上がる。


「どういう事、でしょうか?」


 そして、濡れた顔をハンカチで拭うと、平時とは比べ物にならない程の紳士な態度で、師匠へと問いかけた。師匠も師匠だが、クライスさんもどうしちゃったのこれ。

 何でこんな落ち着いてるの?


「言ったままの意味だ。ミーナは我の一人娘だ」


 衝撃の事実を語った師匠は、何でもないかのようにパイプを燻らせている。

 これ、多分嘘とか冗談じゃない。


 つまり、師匠は正真正銘ミーナの父親だということだ。

 確かにそう言われてみれば、艶のある黒毛とかそっくりだこれ。


 待って、待って。

 ちょっとごめん。

 頭が整理できない。


「ミーナには、我が王都に居ることは黙っていてもらえるか?」


「あ、はい」


「妻にも過干渉だと呆れられたのだが、やはり心配でな。側には居たいが、バレたくはない」


「あ、はい」


 師匠の、師匠のイメージがどんどん壊れていく。クールでミリテリアスでダンディな男のイメージが崩れていく。

 ただの子煩悩過ぎてこっそり娘を影から見守ってるお父さんだもんこれ。

 子離れできてないお父さんだもんこれ。


「それで、だ。ノイルん」


「あ、はい」


「ミーナは、どうだ?」


「いい子じゃ、ないですかね⋯⋯」


 いつだって格好良く見えるはずの師匠――キャラットさんの顔から目を逸らし、僕はそう言うのだった。







 衝撃の事実からしばらく経ち、僕らは未だ『獅子の寝床』で飲み続けていた。

 もう既に動揺はなくなっている。冷静になって考えてみれば、師匠がミーナの父親だから何だというのか。師匠は師匠なのだ。その事実は何があっても変わらない。

 確かに驚いたし少しイメージは変わったが――


「ノイルん、ミーナは⋯⋯いい子だ」


「あ、はい」


 やっぱり無理かもしれない。カミングアウトしてから師匠はぐいぐいミーナを推してくる。

 師匠が僕を気に入ってくれているからだろうが、ミーナ本人が僕を気に入らないと意味がないんですよ?

 あとね、父親に娘を推されるの、割ときついです。

 だからこんな男に娘の良さを語るのは止めて頂きたい。ミーナにはもっと良い人が見つかりますから。僕より良い人なんてそこら中に転がってますから。


 レット君はショックでトイレに籠もってしまったし、クライスさんはお酒に弱すぎて直ぐに寝てしまった。ガルフさんは助けを求めても視線を逸らすし、師匠のミーナ責めから逃れる術がない。このままでは洗脳されてしまいそうだ。


「ミーナは⋯⋯」


「ああ! そうだぁ!!」


 師匠の低く深みのある声でミーナの良さを囁かれ続けていた僕は、ある事を思い出し、話を遮った。これだ、これなら話題を変えられる。


「ガルフさん、便箋とかってあります!?」


「お、おおぅ⋯⋯ちょ、ちょっと待ってろ」


 僕の必死の形相に、ガルフさんは顔を引き攣らせながら店の奥に入っていった。

 僕は彼を待っている間に、また師匠が語りださないよう、喋り続ける。


「いや、そういえば父さんに手紙を出さなきゃいけなかったんですよ。ほら、テセアがアーレンス家に加わったじゃないですか、でもそれまだ父さんには伝わってなくて、ははは。いやー思い出せて良かったなー。僕忘れっぽいから、そのまま忘れちゃうとこでしたよ。もうこの際だから、ここで書いちゃおうと思います! また忘れたら大変ですからね! 僕の父さんは適当だから、伝えなくてもなんとかなるかなーとは思うんですけど、やっぱりちゃんと手紙くらいは出したほうがいいですよねぇ。ちょっとパパっと書いちゃいますね! 父さんだけに! ははっ」


「⋯⋯⋯⋯そうか」


 僕がもはや何を言っているのか自分でもわからないほどに捲し立てると、師匠は僅かに微笑んで頷いた。

 どうやら家族を大切にする行動は、師匠にとって好感度が高かったらしい。

 ほっと一息ついていると、ガルフさんが戻ってきた。


「ほらよ、ペンもいるだろ?」


「流石です! 気が利きすぎですよ旦那ぁ!」


「何だ、そのテンション⋯⋯」


 ガルフさんにクライスさんよろしく歯を輝かせ親指を立てると、彼は若干引きながら便箋とペンを渡してくれた。


 僕はそのテンションのまま手紙を書き始め――直ぐにその手が止まる。


 ⋯⋯⋯⋯書くこと、ないな。


 テセアが妹になった経緯を長々と書くのも面倒くさい。あの人長々書いても読み飛ばすだろうし。


 とりあえず、妹が増えました。とは書いたが、それ以降が続かない。

 もう、これだけでいいんじゃなかろうか。


 妹が増えました。名前はテセアです。


 あの人に対しては、これで十分だろう。


「⋯⋯⋯⋯良し、と」


「いや良くねぇだろ」


 便箋を折畳もうとした僕に、ガルフさんが呆れたようにそう言った。


「奥まで聞こえてたけどよ、本当にそれでいいのか? わけわかんねぇぞ」


「いいんですよ。あの人には伝わるから」


「だが、父への手紙なのだろう。もう一言くらいは、何かあってもいいのではないか?」


「えぇ⋯⋯」


 師匠にまでそう言われ、僕は渋々ペンを持った。本当に書く事ないんだけどなぁ。


「うーん⋯⋯」


 ああ、そうだ。

 僕が今何をしているのかくらいは、書いておくか。


 妹が増えました。名前はテセアです。

 それから、僕は今なんでも屋で働いています。


「ふむ⋯⋯」


 ついでに、愚痴も書いておこう。

 僕はペンを走らせ、こう書き足すのだった。


 妹が増えました。名前はテセアです。

 それから、僕は今なんでも屋で働いています。

 なんでも屋の店員ですが、正直もう辞めたいです――――と。

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