第92話 あの日の続きを妹と


 ぼんやりとした意識の中、薄っすらと目を開ける。

 薄暗い部屋の中、真っ先に視界に入ったのは見慣れた天井だ。

 それを確認した時、僕は自然と笑みを浮かべていた。無事に帰ってきたという安心感の中、身体の状態を確かめる。

 手、指、脚――どこにも異常は感じない。


 しかしまあ、今回は本当に疲れた。

 相変わらず《白の王ホワイトロード》の眠りは身体を癒やしてはくれないらしい。

 睡眠も取らず駆け回り、ぼこぼこにされ『神具』で超回復し、死力を尽くした。

 

 そんな僕の身体は、起きたばかりだというのに悲鳴を上げ、睡眠を催促してくる。

 けれど、気分は悪くはなかった。


「ただいま、まーちゃん」


 とりあえず愛する人に声をかけ、ゆっくりと一度身を起こし、辺りを確認する。

 今回は、一体どれくらい眠っていたのだろうかと考え――


「⋯⋯⋯⋯」


 僕は固まった。


「⋯⋯うん⋯⋯何やってんの⋯⋯?」


 恐らく時刻は夜だろう。

 そんな僕の部屋の中に、沢山の人がいたからだ。

 明かりもつけず、じっと僕を見ている。


 ホラーかな?


 然程広くない部屋の中、いつの間にか敷かれている畳の上に座り込んだ『白の道標ホワイトロード』と『精霊の風スピリットウィンド』の皆を見て、僕はそう思った。


 いや、うん。

 わかるんだ。多分僕の身を案じて様子を見ていてくれたんだろうことはわかる。

 非常にありがたい話だ。こんな僕の為に皆が時間を割いてまで側に居てくれた事には、感謝しかない。

 けど、起きたのに何で声かけないの? 何で薄闇の中で黙って見てるの?


 怖いよ。


 あと人口密度すごい。

 この部屋そんなに広くないからね。ぎちぎちだね。君たち窮屈じゃないの?


「あの⋯⋯」


 何か言ってよ。


「はぁ⋯⋯だから言ったでしょうが、どうせその釣り竿だって」


 僕がただただ困惑していると、部屋の一番奥で壁にもたれて座っていたミーナが、心底疲れたような声を発した。

 そして僕を改めて見ると、僅かに微笑み、肩を竦める。


「おはよう。こいつらはあんたが起きた時、誰の名前を一番に呼ぶか確かめようとしてたのよ。ミリスがそろそろ起きるっていうから、皆して部屋で待ってたわけ」


 彼女は簡潔に今のホラーな状況の説明をしてくれた。

 なるほど。アホかな?

 いやごめん、こんなこと思っちゃいけないんだろうけど、アホかな?


 まずどうしてそんな話の流れになったのかわからない。僕が寝ている間に一体何があったんだ。知りたくはないけど。

 しかもそれ僕が誰の名前も呼ばなかったらどうしてたの? 何で僕が目覚めてすぐ誰かの名前を呼ぶ前提なの?

 いや呼んだけどさ。


「はぁ⋯⋯おはようミーナ。説明ありがとう」


 僕は一つ息を吐き、とりあえずミーナへと挨拶を返した。

 瞬間、一斉に彼女へと視線が集まった。僕とミーナはびくりと身を震わせる。


 何? 何なの?


「何? 何なの?」


 ミーナは顔を引き攣らせながら僕と全く同じリアクションを取る。

 当たり前だ。普通の人ならこうなる。


 そして、扉前に待機していたレット君とクライスさんが、音を立てずにさり気なく退出していったのを僕は見逃さなかった。

 レット君は僕が目を覚ましたのを確認できたから良しとしたのだろう。一刻も早くこの空間から抜け出したかったに違いない。

 クライスさんは多分「俺は空気の読める男、さ」とか思ってる。空気が読めるのなら共に居て欲しかった。


「浅ましい⋯⋯無理やり先輩に自分の名前を呼ばせるなんて⋯⋯本当に浅ましいメスですね」


「皆で決めたよね? 誰かの名前が呼ばれるまでこっちからは声をかけないって。だから私我慢してたのに⋯⋯ね? 何でズルするの?」


「ミーナ、流石に今のは擁護できない。後で話し合おう」


 フィオナ、ノエル、エルに責め立てるように矢継ぎ早にそう言われ、ミーナは狼狽した様子で立ち上がった。


「いやだから! 一番に呼ばれたのはあの釣り竿だったでしょうが!」


 そうだね。僕ちゃんとまーちゃんの名前呼んだよね。何でなかったことになってるの? 僕の恋人をなんだと思ってるの?


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯ゴミ」


 シアラが冷たい声でそう言った。

 一瞬僕に対して言ったのかと思ってドキリとした。しかし、彼女の視線はミーナへと向けられている。まーちゃんをゴミだと言ったわけではなさそうだ。

 ミーナに対してゴミと言ったのなら、それはそれで問題でしかないが。


「ミーナ様⋯⋯」


「な、何よ⋯⋯」


 エルに寄り添うように座っていたソフィが、ミーナをじっと見つめ、静かな声を発した。

 ミーナがごくりと喉を鳴らす。


「てれれー⋯⋯」


「それはもういいのよ!」


 何故かソフィが謎のメロディを口ずさみ始め、ミーナが畳を踏みしめ、それを遮った。

 そんな騒がしいやり取りが行われている中、僕はにこにことこちらを見ていた店長に声をかけた。


「店長」


「うむ、何じゃ?」


「僕辞めますね」


「ダメじゃ。一生手放さぬ」


 ちくしょう。

 どさくさに紛れてみたら笑顔で恐ろしい返事が返ってきやがった。どうやったら辞められるんだ。僕の人生はもうダメかもしれない。


 まあでも――


「ノイル⋯⋯」


 僕は『封魂珠』を釣り上げた事を、これからも後悔はしないのだろう。

 先程からこちらへと、泣きそうな顔を向けていた彼女の姿を改めて見て、心の底から良かったと思えたから。 


「テセア、外はどう?」


「ッ⋯⋯」


 堪えきれなくなったかのように、テセアが突然僕の胸へと飛び込んできた。

 めちゃくちゃ痛い。身体がめちゃくちゃ痛い。

 無理をしまくった僕の身体は、その衝撃に悲鳴を上げたが、ここで声を上げて倒れたりはしない。僕は空気の読めるクールな男だ。

 ぐっと堪え、クールに微笑んだつもりだったが、店長が笑いを堪えているから、多分クールに振る舞えていない。笑える顔をしているんだろう。ムカつくから後で辛い物食わせてやる。


「ありがとう⋯⋯!」


 しかしテセアは気づいていないようなので良しとしよう。

 僕は額に汗が浮かぶのを感じながら、彼女の頭を撫でるのだった。


「お兄ちゃん⋯⋯!」


 お兄ちゃんって何だろうと思いながら。







 ある日目を覚ましたら妹が一人増えていた。

 世界広しといえど、こんな体験をする者はほとんどいないと思う。

 僕が眠っている間に、テセアはアーレンス家の一員となっていた。一体どうやったのかは知らないが、そうなっていた。

 しかし、驚きはしたが別にそれについて不満や文句はない。元々テセアは妹のように思っていたし、実際にシアラとは姉妹なのだから。

 『浮遊都市ファーマメント』を出てからのテセアの身分なども考えなければいけないとは思っていたので、彼女自身がそれで構わないと言うのなら、問題はないだろう。


 シアラに父さんに説明したのか聞いたら、手紙を出すのを忘れていたと興味無さそうな返事が返ってきたので、僕が出そうと思う。

 普通忘れる事ではないから、多分どうでもいいと思っているのだろう。シアラに任せていたらおそらく一生手紙は出されない。


 まあ、父さんへの説明など適当で済む。あの人なら爆笑しながら普通に受け入れる筈だ。この機会に久しぶりに、本当に久しぶりに手紙を送るのもいいだろう。


 さて、今回僕が眠っていた時間だが、なんと十日ほども眠っていたそうだ。新記録である。

 かつてない程に力を出し尽くした為、当然といえば当然だが、それだけの時間が経過していれば、僕が起きた頃には後処理は全て終わっていた。何とも素晴らしいことだ。


 まず『浮遊都市』だが、完全に消失してしまったらしい。内部に保管されていた『神具』も日記も、何もかも全て。

 テセアやアリスが身に纏っていた白布と、脱出の際使用した小型飛空艇も、時間の経過と共に消えてしまったそうだ。

 それについては、やはり創造主に対して申し訳なく思う。できる事ならば、彼の生きた証として――いや、よそう。


 自分勝手かもしれないが、やはり僕は『浮遊都市』が消滅して良かったと思うから。

 テセアにとって、それが一番良い事だと思うから。

 だから、これで良かったと思うことにする。


 それに、彼の生きた証はまだ世に残っている。『浮遊都市』にあったものは消えてしまったが、魂珠シリーズは時折各地で発見されているのだから。


 ⋯⋯もしかすると、『神具』というのはかつてこの地に生きた人類の、誰かに使って欲しいという強い残留思念により、その存在を保っているのかもしれない。創人族がそうであるように、彼も魂珠シリーズが流行らなかった事を無念に感じていた。


 だからこそ、一度人の手に渡れば自然に消失する事がなくなるのかもしれない。

 だとしたら、現在発見される『神具』とは、かつてろくに使われなかったもの、またはその機能全てを発揮する機会がなかったものなのか――まあ、こんなものは所詮素人考えだ。僕は一生『神具』の謎など調べるつもりはないし、頭も良くはない。『神具』については、研究家の方たちがいずれ解き明かすだろう。多分。


 そういえば、『浮遊都市』から一つだけ持ち帰れたものがあった。

 リリアさんが遺した、あの一ページだ。

 他のものが消えてしまった中、あれだけは今もテセアが大切に保管している。

 人の想いとは、人が考える以上に強い力を持っているのかもしれないと、僕は思った。


 『浮遊都市』が消滅したという大ニュースは、あっという間に世界各地に広がったらしい。

 しかし何故かそれは、イーリストの大規模作戦により成し遂げられた事となっていた。

 『精霊の風』が中心となり、精鋭達を集め、陥落させた、と。

 その話の中には何処にも『白の道標』やテセアの名前は出てこない。

 まるで、僕らの存在は敢えて隠したかのように。 


 あまりにも僕らにとって都合良く、事実は捻じ曲げられていた。


 もしかしたらエルが気を利かせて動いてくれたのかと思い聞いてみたが、彼女は何故か力なく僅かに微笑んで「さあ、どうなっているんだろうね」としか言わなかった。


 嘘をついたり誤魔化している雰囲気はなかったし、エルが嘘をつく理由がない。本当に、彼女にもわからないのだろう。

 エルが何もしていないとすれば、後は店長だが――いくらなんでもここまでの事を成すのは無理だろう。無理だと思いたい。無理だようん。

 店長だって人間だもの。


 一瞬アリスかとも思ったが、彼女なら間違いなく全部自分の手柄にする筈だ。


 となると、本当にわからない。


 一つだけわかるのは、この件についてはこれ以上詮索しないほうがいいということだ。

 僕の本能が関わるなと告げていた。

 この件を追求して、その先にあるのは間違いなく面倒事だ。それも、汚属性の本能が忌避する程の。


 まあ僕らにとって都合が良いなら別に構わないだろう。

 僕は自分の本能に従う事に決めた。


 皆無事で、これからも僕らは変わらない生活を送ることができる。ならば良しだ。


 ああ⋯⋯正確に言えばアリスは無事ではなかったのだった。

 と言っても、体調を崩して寝込んでいるというだけだが。

 身体の弱い創人族でありながら、今回かなりの無茶をした彼女は、その疲れから熱を出してしまったらしい。

 エル曰く、命に別状はないとの事だが、少しだけ心配だ。


 しかし見舞いに行こうかなと言ったら「絶対に必要ない。ボクからよろしく言っておくよ」と強く言われてしまったので、アリスについてはエルに任せるとしよう。

 まあ、あのアリスなら大丈夫だと思うが、僕より長い間寝込む事になるなんて、創人族とは大変である。

 今度会ったら労おう。彼女が調子に乗らない程度に。


 まあとにかく、僕が眠っている間に全ては終わっていた。拉致された事から始まった今回の大事件は、もう僕がやるべきことはない。というより、もう何もしたくない。僕はしばらく休む、絶対にだ。


 ああ、一つだけ、やるべきことが残っていた。テセアに王都を案内してあげること、だ。

 美味しいものを食べて回り、ファッションリーダーである僕が、服を選んであげるのだ。それが、最後の仕事だ。

 いや、仕事という言い方は正しくないかもしれないな。だって、僕もすごく楽しみにしているから。シアラも連れていってあげよう。


 まあでも、その前に、だ。


 僕は目の前に運ばれてきた、エールの入ったジョッキを持ち上げた。


 とりあえずは、あの日の続きだ。


 ぶち壊されてしまったシアラの歓迎会。

 そして、今はテセアの歓迎会でもある。


 場所はもちろん僕らの『炭火亭』だ。

 残念ながら見つからなかった師匠は不在だが、今回はレット君とクライスさんも参加してくれた。というより、半ば無理やり連れてきた。


 貸し切りにしてもらったらしく、店内には僕ら以外のお客はいない。いくら渡して交渉したのかは知らない。起きたあと数日休養していた間に、準備は整えられていた。


 まあ店長のお金だからいいだろう。いや、もしかしたらエルのお金かもしれない。

 どちらにしろ、僕は一レンスも払っていないから知らない。炭火亭の店主とどんな話をしたのかも知らない。でも、彼は僕らを快く受け入れてくれた。多分。

 そう思うことにする。


 僕は一度、隣に座るシアラとテセアを見た。

 無表情の妹と、満面の笑みを浮かべる妹を。


「乾杯じゃ!」


 そして、店長の声と共に、僕らは杯を打ち合わせるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る