第87話 ランクS


 イーリスト王国、国王レイガス・リウォール・イーリストは、寝室でゆっくりとその身をベッドから起こした。

 豊かな金の髪に鋭く深い輝きを宿した青い瞳。

 鍛え抜かれた身体は既に人生の半ば以上を過ぎたにも関わらず衰えを感じさせず、寝衣姿であってもその身からは一国の王としての威厳が溢れている。


 イーリスト王家には、連綿と受け継がれてきた一つの教えがある。


 民を護れぬ者に、王たる資格なし。


 これは決して心得などではない。

 代々イーリストの王となった者は、己を常に鍛え、武芸を修め、有事の際には自らが国民の前に立ち戦える程の力を有してきた。

 当然レイガスも例外ではない。


 そして、イーリスト王家には代々受け継がれてきた特殊な魔装マギスが存在する。

 王家の血を引く者のみが発現することの出来る魔装の名は、《守護結界プロテクション》。

 その名の通り、王都全体を包む程の結界を張る魔装だ。

 この結界は、敵意や悪意を持つ者を阻み通さない絶対の守りである。


 《守護結界》を発現させ、それを十全に扱う事が出来る者に王位を継承する資格は与えられ、王は生涯その力を衰えさせはしない。


 故に、レイガスは老いてもなお、Bランクの採掘者マイナーにすら引けを取らぬ程の実力を有していた。


 そんな強者である彼が、少し疲れたように小さく息を吐く。

 時刻は深夜だ。ベッドから身を起こしたままの姿勢で、レイガスは明かりもつけず月明かりのみに照らされた寝室を見回した。

 豪奢できらびやかな部屋――ではない。

 質実剛健なレイガスは、過度な装飾を好まないためだ。とは言っても、王の寝室だけあり、そこには充分高価で品の良い調度品や家具が並んでいる。

 そんな室内の一角、月明かりが差し込む窓辺に、その姿はあった。


「⋯⋯こうも幾度も容易く侵入を許しては、城の警備体制を見直さざるを得んな」


「なに、気にする必要はなかろう。別に悪くはないぞ?」


 あろうことか王の寝室への侵入者は、何とも軽い口調でそう言うと、纏っていた灰色のマントを取り払った。

 現れたのは、月光に照らされた――純白の美女。芸術品のように整ったその容貌に快活な笑みを浮かべている。


 レイガスが初めてその姿を目にしたのは、もう二十年も前の事だ。しかしその目を見張る程の容姿は、少しも変化していない。

 長命の魔人族とはいえ、全く老いていない。


 自分はこれ程老け込んだというのに。


 レイガスは皺の寄った自身の手を一度見ると、微かな笑みを浮かべた。


「戻ったのか」


「うむ、貴様に礼を言わねばならぬと思ってな」


「その様子だと、上手く行ったようだな。神天聖国――『浮遊都市ファーマメント』はどうなった?」


「破壊してしまったのぅ」


「何だと⋯⋯?」


「すまぬな。貴様の望みはあれの無力化じゃったが、そうも言っておられぬ状況でな。仕方なしに破壊したのじゃ。まあこれでこの国があれに脅かされる事もなくなったわけじゃから、問題はなかろう?」


「⋯⋯そうだな」


 仕方なくで⋯⋯破壊できるようなものではなかろう⋯⋯。


 レイガスは内心の動揺を表には出さないように頷いた。

 イーリストが――世界が今まで一体どれ程あの強大な存在に苦汁を飲まされてきたと思っている。

 世界三害都市、なのだ。世界三害都市の、一つなのだ。


 それを、たった四日足らずで――いや、普通に移動すれば三日はかかる距離だったのだから、『浮遊都市』を陥落した時間はもっと短いだろう。破壊した後にゆっくりと戻ったのならば、一日もかけてはいないということになる。


 神出鬼没、難攻不落の『浮遊都市』の打倒は世界の悲願であった。これまでいくつの国がそれを成すために行動し、失敗してきたことか。

 それをこうもあっさりと。嘲笑うかのように。


 こんな事ならば、もっと早くに彼女を頼るべきであったか――いや。


 それは不可能だろう。この超越者は自由気ままだ。依頼を出したところで、気が乗らなければ決して受けてはくれない。彼女は縛られる事を何よりも嫌う。

 しかし――国としてではなく、二十年来の友人として頼めば、あるいは受けていてくれたのかもしれない。

 友人と思われているのならば、だが。


 彼女と自由に話せるのであれば、レイガスはあらゆる悩みを解決してくれと頼み込んだかもしれない。

 けれど、彼女とコンタクトが取れるのは、彼女の側に何か用がある時だけだ。それ以外の必要以上の干渉は、機嫌を損ねる事になる。


 今回は、偶然互いの利害が一致しただけだ。


 彼女の大切な存在が『浮遊都市』に囚われたおかげで、神天聖国という驚異を取り除くことができた。

 本当は彼女が無力化した後に、『浮遊都市』を手中に収めるつもりではあったが、まあいい。

 むしろ、『浮遊都市』がどの国の手にも渡らず消滅したのは、僥倖だったと言えるだろう。

 各国の力関係が大きく崩れる事もなくなった。


 いや、力関係など既に大きく崩れている、か。

 我が国には、『浮遊都市』を落とせる程の怪物が存在するのだから。

 必ず味方をしてくれるというわけではないが、彼女がイーリストに滞在してくれているのはこの上ない幸運だ。


 しかし、大切な存在、か。


 もしかすると、彼女より注視すべきなのはそちらかもしれない。その人物の行動次第では、彼女は敵にも味方にもなり得る。

 四日程前、数年振りにレイガスの前に現れた純白の美女の纏っていた圧倒的な怒気。

 下手をすれば、あれがイーリストへ向けられる事があるかもしれない。そうなれば――この国は終わりだ。


 だとすれば――


「レイガスよ」


 その声に、レイガスは思考を止めざるを得なくなった。


「ノイルに手を出そうというのなら、我は貴様を殺すぞ」


 静かで、それでいて有無を言わさぬ声。

 並の者であれば、声だけで意識を失いかねない。心胆寒からしめるなどという言葉では生温い。

 しかしレイガスは、動じるわけにはいかなかった。

 一国の王としての矜持というものがある。


「その者は、我が国へと害を及ぼすか?」


「あり得ぬな」


「ならば、余は関知せぬ。其方がそれ程に想う人物に、興味はあるがな」


 本当は、レイガスはノイル・アーレンスという存在を知っている。ここ数日で調べさせた情報では――


「もう一度、言っておく」


「⋯⋯⋯⋯」


「貴様からノイルに干渉することは許さぬ。調べるだけなら構わぬがな。ノイルの自由を奪うような事があれば――」


「安心しろ、これ以上は何もせぬ」


「それが賢明じゃ。我も貴様と敵対したくはないのでのぅ。今回は世話になったしな」


「『神具』一つで『浮遊都市』を落とせたのなら、安いものだ」


 先程とは打って変わった朗らかな笑みに、レイガスも僅かに笑みを浮かべ応えた。

 今回の一件でレイガスはイーリストの保有していた『発見器サガシモノ』という『神具』を彼女に渡した。

 一度だけ自分の求めるものの位置を告げてくれる『神具』だったが、それと引き換えに『浮遊都市』も消滅したのならば、文句などあるわけがなかった。

 それに、『発見器』は唯一無二の『神具』というわけでもない。当然数は極少数ではあるが時折発見されるものだ。十分すぎる程の見返りだろう。


「して、今回の功績についてだが――」


「我は褒美など要らぬぞ」


「わかっておる。だが、それならば誰を讃えれば良い?」


 突然イーリスト国内で『浮遊都市』が消滅した理由は必要となるだろう。下手に知らぬ存ぜぬを押し通せば、調査され、結果誰がそれを成したのか露見してしまう可能性がある。

 彼女の存在が他国に知れ渡ってしまうのは危険であり、そうなればノイル・アーレンスも目をつけられる事になる筈だ。それは彼女も望まないだろう。

 ならば、『浮遊都市』を落とした存在をはっきりとさせておけばいい。

 その功績を讃え、褒美を与える相手が必要だった。


「ふむ⋯⋯『精霊の風スピリットウィンド』で良いじゃろう。あやつらも共に戦ったからのぅ」


「ほう、『精霊王』――エルシャン・ファルシードのパーティか」


 その事実は、レイガスは初耳であった。

 彼女の動向は調べさせていたつもりだが、あまりにも行動が早かったため、抜け落ちていた情報だ。仲間と共に『浮遊都市』へと向かったという情報は得ていたが、そこに『精霊の風』が加わっていたとは。

 一体どういう繋がりかと一瞬考え、直ぐに思い当たる。

 そういえば、近頃採掘者の間では『精霊王』が男を囲っていたという噂が流れているという話だった。


 そして、ノイル・アーレンスがかつてエルシャン・ファルシード、ミーナ・キャラットの両名と、同時期に魔導学園に在席していたという情報も得ている。

 なるほど、ノイル・アーレンスという男は中々に面白い状況に置かれているらしい。

 強き女性に好かれる天性の才か、女難の星の元に生まれ落ちたのか。

 聞いた話では、彼女が経営している『白の道標ホワイトロード』には、ノイル・アーレンスと関係の深い女性ばかりが集まっているとか。


 ああ、何とか彼に一度会えないものか。

 こちらからコンタクトが取れぬというのは口惜しいものだ。

 端から眺めれば、さぞ笑えただろう。

 状況を想像しただけで、もう笑える。

 調べただけの情報でも、ノイル・アーレンスという男の性格では上手く立ち回れず振り回されている姿が容易に想像できた。

 普通の人間ならばドン引きするような光景を目にしようが、レイガスは人よりもずっと肝が座っているのだ。

 きっと楽しんで見物できるだろう。

 

 レイガスは質実剛健であり、その容姿から固い印象を受ける。

 実際彼は自分にも他人にも厳しく、人前で滅多に笑う事はない。威厳に溢れた厳格な王だ。

 しかし、国王という重責を外してただの人として見れば、彼はユーモアを愛する人間であった。

 少ないプライベートや家族の前では、良く笑う。面白いものが、珍妙な人間が大好きであった。


「後は『紺碧の人形アジュールドール』のリーダーがおったのぅ」


「ふ⋯⋯」


 あの猫かぶりの娘も居たのか。


「む?」


「いや⋯⋯そうか。ではその二組が協力し、事を成した。という事にしておくか。ふむ、『双竜』も加えておこう。彼らはどうせあまり姿を見せぬ。問題ないだろう。『紺碧の人形』はリーダーだけではなく、パーティメンバーも居たことにすればいい。その他若干名を騎士団からも派遣した事にし、イーリストの保有する『神具』も持たせた――これならば戦力的にも不自然にはならないはずだ」


 レイガスは漏れた笑いを早口で誤魔化し、『浮遊都市』は大規模な作戦の元落とされたという偽りの事実を作り上げた。

 多少粗はあるが、大々的に発表してしまえば余計な詮索をされる可能性も低い。


「この部隊に褒章を与えたとし、率いた『精霊の風』、そのリーダーである者のランクを余の権限で一つ上げ――」


 そこで、レイガスは言葉を止めた。

 エルシャン・ファルシードは既にAランクだ。

 その上となると――


「我は何でもよいぞ」


 このもはや面倒くさそうに壁に寄りかかっている純白の美女――かつてのミリス・アルバルマと同じランクS・・・・・・となってしまう。

 もっとも、彼女の採掘者としての名は別のものだが。


 レイガスは、昔を思い出した。

 初めてミリス・アルバルマ、ただ一人のSランク採掘者と顔を合わせた時の事を。

 まあ、彼女はその時、今日ここに来た際に纏っていた認識阻害のマント――『変わり者ディスガイズ』を身に着けていたため、レイガスには別の顔に見えていたわけだが。


「ふふ⋯⋯」


 今度こそ、レイガスの口からは笑い声がはっきりと漏れた。ミリスが怪訝そうな瞳を向ける。


 ああ覚えている。

 あの時の覇気を。

 自分が失禁したことを。


「いや、ダメだな」


 エルシャン・ファルシードは、まだ当時の彼女には遠く及ばない。

 将来有望ではあるが、規格外のミリスの為に作られたSランクには、まだ届かない。

 褒美は別のものとしよう。


「まあ、その辺りのことは任せるのじゃ。我はそろそろノイルの元に戻るのでのぅ」


 ミリスが『変わり者』を再び身に着けた。


「ああ、悪いようにはせぬ」


 変わらず笑みを浮かべながら、レイガスは窓から外に出ようとする姿の変わったミリスへと声をかける。


「ミリス・アルバルマよ」


「む?」


「もう何度目かになるが⋯⋯其方、正式に王家に仕える気はないか?」


「ふ、何度誘おうが、答えは変わらぬ。我を囲おうとするその肝の太さは嫌いではないがのぅ」


「残念だ」


「窮屈なのは嫌いじゃ。それではのぅ」


「ああ」


 ミリスは最後に微笑むと、月光に照らされながら外へと消える。

 しばしの間ミリスの去った窓を眺めていたレイガスは、やがてゆっくりと身を倒した。

 窓は開いたままとなっているが、構わないだろう。どうせミリス・アルバルマ以外は侵入できやしないのだから。


「其方も変わらぬようで、変わっているのだな」


 そう呟き、レイガスは満足そうに瞳を閉じるのだった。

  

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