第85話 下僕の戦い
「なん、だ⋯⋯ありゃあ⋯⋯」
『
ありえねぇだろうが⋯⋯。
彼女が目を奪われたのは、白い巨人――ではない。突如上空から飛来し、それと互角以上の戦いを繰り広げている純白の鎧に、だ。
創人族であるアリスは、『浮遊都市』が変形した姿を見た瞬間、こう思った。
戦ってどうにかなる相手じゃねぇ。
アリスは誰よりも、巨大な機械兵の性能を正確に見抜いていた。長年魔導具を創り出してきた彼女の物に対する目利き――慧眼は図抜けている上、創人族の中でも才覚に溢れたアリスの優れた直感は、告げていた。
これは、世界を滅ぼす力すらある――と。
彼女の中に生まれた恐れは、《
人は理解できぬものを恐れるが、はっきりとその絶望的な力を理解してしまったからこそ、アリスは恐怖に呑まれてしまいそうになった。
彼女の精神が強靭でなければ、何もかもを諦めてしまっていたかもしれない。
それ程に、打つ手が無いと感じていた。
あの『精霊王』ですら、あれの前ではお話にもならない。
次元が違い過ぎる。
現存する人類では、手の届かない領域。
そう、思っていた。
しかし――
「打ち返しやがった!?」
両足の側面から二枚ずつの光り輝く翼を伸ばした純白の鎧は、迫った白の巨人の拳を、鮮やかな紅玉の剣を振るい弾き返す。
あり得ない、一体どれ程のサイズの差があると思っている。比べるのも馬鹿馬鹿しい。
白の巨人からすれば、純白の鎧は豆粒よりも小さい。
だというのに、その相手に対して矮小としか言えぬ身には、同等以上の力を有しているというのか。
アリスからしてみれば、巨大な機械兵よりも余程純白の鎧の方が理解が出来なかった。
攻撃を弾かれぐらついた白の巨人を翻弄するかのように、純白の鎧は周囲を高速で飛行し、紅玉の剣を振るっていく。
決して折れず、頑強なはずの機械兵に、傷をつけていく。
「あいつは一体⋯⋯」
何なんだ――
「決まっているでしょう?」
困惑するアリスの問に応えたのは、彼女にしがみつかれているフィオナだった。
「あんな事が出来るのは、世界でただ一人――ノイル先輩しか居ません」
「はあ!? あれがノイルだとぉ!?」
そんな事を信じられるわけがなかった。
アリスから見たノイルは、とてもそれ程の強者には思えない。強者には強者特有の空気がある。あの男から感じたのは、むしろ真逆だ。典型的なダメな奴の空気だ。
確かに土壇場になれば多少マシなようだったが、『精霊王』はダメ男好きだと勘違いしたくらいだ。
それに、あれ程の力があるならば、アリスだけを逃さずとも余裕でただの機械兵など倒せただろう。
あの強大な力を持った純白の鎧が、ノイルである筈がない。
「⋯⋯⋯⋯と、ミリスさんですね」
じゃあ二人じゃねぇか。
「じゃあ二人じゃねぇか」
アリスは思ったままを口にした。
フィオナの表情が悔しげに歪む。ゴーグルは既に外している所を見ると、加勢に向かう気はないのだろう。
というより、わかっているのだ。自分では邪魔にしかならないと。
この女はムカつくが、馬鹿じゃない。馬鹿だが、馬鹿じゃない。
フィオナの震える両拳からは血が滴り落ち、噛み締めた唇からも血が流れた。
「おーおー、嫉妬びんびんって感じだなおい。しっかし⋯⋯」
なるほどねぇ。
あの化物女と協力してるなら、多少は納得がいく。
何せ一瞬でアリスの乗った小型飛空艇を斬り落とし、機械兵の軍団を一人相手にして生き残ったのだ。『浮遊都市』が変形して真っ先に殴りかかったのも見ていたが、あろう事か拳打で僅かにその巨体を動かしていた。
あれは人の領域を外れている。そんな女の協力があるのであれば――いや、それでも信じがたいが、事実あれ程の力を得ている。
「あいつがねぇ⋯⋯」
アリスはノイル・アーレンスという男の評価を改めた。
大部分があの化物女の力である事は間違いないだろう。しかし、誰もが化物女と協力してあれだけの力を発揮できるわけではない。
純白の鎧が魔装なのだとしたら、やはりその力の核を成しているのはノイルだ。
どういった原理で二人で魔装を扱っているのかはわからないが、魔装は本人の才覚や気質が大きく影響する。
それは、外部からの協力があろうが変わる事はない。
創人族がどれだけ上質なマナストーンを与えられても、本人の能力が足りなければ大した魔導具を生み出せないように。
化物についていけるのは、やはり化物だ。
ミリスが人外の領域に居るのならば、ノイル・アーレンスという男も、その領域へと足を踏み入れている。
「クヒヒ⋯⋯」
アリスの口から、静かな笑いが漏れる。
おもしれぇじゃねぇか⋯⋯。
それでこそ、自分の下僕に相応しい。
ノイルを手中に収める事ができれば、自分は遥か高みに立つことができるだろう。『精霊王』を大きく引き離せる。
始めはクソ『精霊王』を悔しがらせる事が目的だった。そのために適当にノイルを自らの下につけるつもりだった。『精霊王』の無様な姿を十分に堪能したら、後は別に捨ててもよかった。特段、欲しいとは思っていなかった。
しかしあれ程の力を持っている事を知ってしまえば、話は別だ。
しかもノイルを下僕にすればおそらくだが、ミリス・アルバルマという化物も手に入る。
あれはアリスちゃんのもんだ――
それに、だ。
このムカつくクソ女の、絶望に歪む顔も見る事ができるだろう。
アリスはフィオナを嫌っていた。
胸がデカくてスタイルが良く、顔もいい。能力も優れている。
アリスにとっては気に食わない要素しかない。性格も最悪だ。
いつだったか
しかもこの女はアリスに『
脱出する際に、「重いのでその悪趣味な人形は捨ててください」と。
フィオナは至極当然な事を言っただけなのだが、アリスにとって自身の作品を捨てるという行為は、耐え難いものだ。
無理して飛べと言ったが、無理の一点張りだった。
自身では飛ぶ事の出来ないアリスは、苦渋の決断を強いられ、身を裂くような思いで『紺碧の人形』プリティキューティアリスちゃんバージョンに別れを告げる事となったのだ。
絶対許さねぇ⋯⋯。
それはアリスの逆恨みでしかない上に、脱出できたのはフィオナのおかげなのだが、彼女はそういう人間だ。
どうやらこの女はノイルに心酔している。横から奪ってやればどれ程気分がいいだろうか。
最も大切なものを奪われた瞬間、人は最高の顔を見せてくれるのだ。
ムカつくクソ女を絶望に陥れ、言ってやるのだ。「なぁ? 今どんな気分?」と。
「なぁ?」
手始めに、もっと悔しがる顔にさせてやろう。
アリスはとても良い笑顔でフィオナへと声をかける。
「てめぇ、あの女に負けてんな」
「ッ⋯⋯!!」
これだよこれこれ。
堪らねぇなあおい。
アリスは歪んでいた。
形容し難い表情で歯を噛み締めたフィオナを見て、アリスはとりあえず満足する。
気分が良かった。
アリスは歪んでいた。
「⋯⋯⋯⋯そういえば、あなたいつまでしがみついてるんですか?」
フィオナの目がすっと細められ、自身に猿のようにくっついているアリスへと、身も凍るかのような声を発する。
今アリスの命を握っているのはフィオナだ。
しかしアリスは慌てない。この状況で無策に煽るなどという愚かな行為はしないのだ。
しっかりと、自己の保身も考えている。
「お? 何だぁ? アタシを落としてみるか? あ? 言っとくけどなぁ、ノイルはアタシの事知ってんだぞ? 今回の一件でアタシが死ぬようなことになったら、あいつの性格ならどういう反応するだろうなぁ? 苦しむだろうなぁ。落ち込むだろうなぁ。死ぬほど後悔しやがるだろうなぁ。――落とせるか? あ?」
アリスは性格が悪かった。
にやにやと笑いながら、フィオナを余裕の態度で挑発する。
わかっているのだ。フィオナはノイルが悲しむような事は絶対にしない。
そもそも、脱出する際に嫌々ながらもアリスも連れて脱出し、今も振り落とさずしがみつかせている時点で、口では何と言おうがアリスを見捨てられないと言っているようなものだ。
フィオナは、自分に何も出来ない。
「落とせねぇよなぁ? あー、そろそろ腕が疲れてきたなぁ? てめぇがアリスちゃんを抱えろ。おら、早くしろや」
アリスは性格が悪かった。
「⋯⋯⋯⋯思ったんですよ」
「あ?」
「確かに、先輩は優しい人ですから、あなたのような塵が消えても落ち込んでしまうでしょう」
塵という所に思う所はあったが、今はそれどころではない。
非力なアリスでは本当にそろそろ腕が限界なのだ。
「わかってんならさっさと――」
「でも」
僅かに焦り始めたアリスにフィオナは――にこりと微笑んだ。
アリスの背筋を冷たいものが奔る。
「そうなったら私が慰めてあげればいいんです」
「は?」
「落ち込んだ先輩に、私がずっとついていてあげればいいんです」
「ちょ⋯⋯おい、てめ⋯⋯」
ゆっくりとフィオナはアリスの腕を解き始めた。
「だぁぁぁぁぁやべぇやべぇやめろ本当やめろてめぇ洒落にならねぇ!!」
「始めは落ち込んでいた先輩は、私の愛で徐々に癒やされていくんです。そうして、先輩も私への愛を、深めてくれるんです」
「イカれてんのかてめぇ!! んな歪んだクソみてぇな発想がどうやったら出てくんだおぃぃぃぃぃやめろぉぉぉぉぉぉッ!!」
「あなたは私達の愛を深める、生贄になってください」
「こんのクソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
艶やかな笑みで、フィオナはアリスを自身から引き離した。
当然、成すすべもなくアリスは落下する。
笑顔で手を振られながら。
見誤った。
クソ女のイカれ具合を見誤った。
頭がおかしいとかそういうレベルじゃねぇ。
アリスが自身の事は棚に上げて、そう思った瞬間、身体がふわりと浮いた。
「はぁっ! あっぶねぇ! マジあぶねぇ!」
アリスは直ぐに自身の状況を理解し、汗を流しながらそう叫ぶ。
あのクソ女、わかってやがったな⋯⋯!
「大丈夫かい? アリス」
自分がからかわれたのだと気づき、歯を噛み締めたアリスへと、凛とした声が届いた。
アリスは顔を顰める。
「たりめーだろうがクソ」
「助ける必要はなかったかな」
「だー落とすな落とすな!」
がくんと一瞬身体が落ち、アリスは慌てる。
そして、改めて心底嫌っている相手――そのパーティへと目を向けた。
「チッ⋯⋯随分ボロボロじゃねぇか『精霊王』。『黒猫』はやられちまったのかよおい」
いつも通りの澄まし顔だが、エルシャンの服は至るところが破れ汚れており、疲労の色が窺える。
ミーナに至っては、意識を失っているようでソフィに抱きかかえられていた。
クライスとレットに目立った傷はないようだが、疲弊しているのは見て取れる。
空中を跳ねるように――いや、高速の足さばきで浮いている獣人族の男は謎だが、どうやら『
まあ、そらそうか。
むしろこれだけボロボロになっているのが意外なくらいだ。
「ボクの力不足のせいでね。でも大丈夫だ、直に目覚めるよ」
「あーそいつは良かったですねぇ。んで、てめぇは加勢に行かねぇのか? 大事な大事なノイルをよ」
行けるはずかない状態の事を理解した上で、アリスは意地悪くそう尋ねた。
案の定、エルシャンの顔が僅かに引き攣る。
とりあえず、それを見られただけでアリスの溜飲は少し下がった。
「⋯⋯キミは意地悪だね、アリス」
「今更だろうが」
そんなやり取りをしていると、フィオナもアリス達の元へとやってくる。
「てめぇ! やりやがったなこら! このアリスちゃんをびびらせやがって!」
「半分以上本気でしたが?」
「なお悪いだろうがクソ! 死ね! ったくよぉ⋯⋯」
フィオナへと暴言を吐いたアリスは、一つ息を吐いて両手を頭の後ろで組み、改めて未だ想像を絶する戦いを繰り広げているノイル達へと向き直った。
「ん?」
そして、自分たちの方へと向かってくるセンスのない飛行物体が目の端に入り、その中に居る三人を見てにやりと嗤う。
「無事、か。上手くやったじゃねぇかクソ下僕」
そして、小さくそう呟いた。
「んじゃ、後はのんびり観戦させてもらうとすっか。アリスちゃんの下僕の戦いをよ」
クヒヒ、とアリスは独特な笑い声を上げるのだった。
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