第84話 姉妹
服、というものをご存知だろうか。
誰もが当たり前のように着用している、人類が生み出したとても素晴らしいものだ。
防寒性のあるものや通気性の優れたもの、様々なタイプやデザインがあり、格好いいものから可愛いもの、はたまた奇抜で個性的なものまで実に多様な種類が存在する。
衣服を着飾る事で、人は身を守り、お洒落をし、生きている。
知性ある者の生活には欠かせない大切なものだ。
しかしそんな素晴らしく大切な衣服は、逆に着ていなければ大変不名誉な称号を与えられてしまう。
そう、変態――と。
一歩間違えれば文明社会の中では犯罪者にすらなってしまう。
何か事情があって全裸でいるのだとしても、大抵は許されない。悲しい話だ。
衣服は人類の暮らしを豊かにしたが、同時に裸で生きる自由を奪った存在なのだ。
今や人は服を着なければ、人と認められないのだ。
少し、理不尽な話だと思う。
どこまでいっても人は動物だ。自然のまま、生まれたままの姿で生きる権利があってもいいのではないか? 僕はそう思う。
けれど、それでもやはり服というものは――素晴らしい。
人類の生み出した物の中でも、一番だ。
「最高だ⋯⋯」
何という安心感だろうか。
久しぶりにいつもの服を着用した僕は、強い感動を胸に抱き、両手を広げ天を仰いだ。
「ノイルは⋯⋯どうしちゃったの?」
「大丈夫、大体いつも通りだから」
「⋯⋯⋯⋯裸でも、良かった」
何か言っているテセア、ノエル、シアラの方に、僕は爽やかな笑顔を向ける。
「ノエル、本当にありがとう」
「えへへ、どういたしまして。⋯⋯もっと見たかったけど」
何をだろうか? いや、今はそんなことはどうでもいい。
僕の服と装備一式は、彼女が持ってきてくれていた。服だけを残して居なくなった事から、皆必要だと判断してくれたらしい。
何と気が利くのだろうか。もしかして天才か。僕の周りは気遣いの天才たちばかりだったのか。
そういえば、僕はこれまでこれ程服に頓着していなかった為、特に何も言わなかったが、ノエルの服装も『
以前は村の女の子らしい服装だったが、今はノースリーブのインナーに上からフード付きのロングコートを羽織ってショートブーツを履いている。動きやすさも求めたのだろうか、スカートも止めたらしい。『白の道標』で働くために新調したのだろう。もちろん他の服もあるだろうが今はこの服装の時が多い。
コートの色合いは落ち着いたものだが、どこか店長の物と似ていた。
改めて見てみると、もしかして二人で選んだのだろうか。
おいおい、このファッションリーダーを差し置いていつの間にそんな事をしたんだい?
え? お前いつも大体同じ服しか着てないだろって? 全然ファッションリーダーじゃないだろって?
わかってないなぁ。
人は誰しも衣服の素晴らしさに気付いた瞬間、ファッションリーダーになるんだよ。
「その服、いいね!」
だから僕は今更だが、クールな笑顔で親指を立て、ノエルにそう言っておいた。
そして、続けざまにシアラにも親指を立てる。
「シアラの服も、いいね!」
最期に、テセアへと親指を立てた。
「テセアは、外に出たら一緒に服を買いに行こう!」
服の素晴らしさに気づいた今の僕なら、テセアに最高のファッションコーディネートをしてあげられる気がする。
「う、うん⋯⋯た、楽しみだけど、本当にどうしちゃったの?」
どうもしてないよ。
ただ思ったんだ、服っていいねって。
「ノイルはたまにこんな感じになるの。可愛いよね」
「⋯⋯わかんない」
にこりと微笑んだノエルに、テセアは困惑しているようだった。まあ僕は可愛いとは対極に位置する存在だから仕方ない。
もっと冗談はわかりやすく言わないとダメだよノエル。
変な事言って困らせたらダメだ。
仕方ない、ここは僕が――
「⋯⋯⋯⋯私の、
「え⋯⋯?」
その言葉に、テセアは目を見開く。
「⋯⋯⋯⋯姉さん、なんでしょ?」
二人の間に立っていたノエルが、気を利かせたように二人の側から離れ、僕の近くへと移動した。
シアラとテセアは、その瓜二つの顔で改めて向かい合った。一人はいつもの無表情で。一人は呆然としたような表情で。
「⋯⋯⋯⋯あまり、興味はないけど」
こらこら。
「⋯⋯⋯⋯私は、シアラ。あなたの、妹」
はっきりと、未だ信じられないといった様子のテセアの瞳を真っ直ぐに見つめ、シアラはそう言った。
テセアの身体が震え、俯く。
「わ、私は⋯⋯」
そして、小さな震える声が、彼女から漏れた。
「わた、しは⋯⋯!」
再び上げられたテセアの顔は、くしゃくしゃに歪んでいた。ぎゅっと強く両手を胸に当てた彼女の瞳から、涙が零れ落ちる。
「テセア⋯⋯! あな、たの⋯⋯姉⋯⋯!」
「⋯⋯⋯⋯うん」
「ずっと⋯⋯! ずっと会ってみたかった⋯⋯!」
「⋯⋯⋯⋯うん」
「生きてたらいいなって⋯⋯! 元気でいてくれたら⋯⋯そう、思ってて⋯⋯!」
「⋯⋯⋯⋯うん」
「外にでたくて⋯⋯! そうできたらあなたを捜したいなって⋯⋯! ずっと⋯⋯!」
「⋯⋯⋯⋯頑張ったんだ。姉さん」
シアラが――優しげな笑みを浮かべた。
「っ⋯⋯!」
テセアの震える手が、シアラへと伸ばされる。しかしそれは、触れるのを恐れるかのように、幻が消えるのを恐れるかのように、シアラの目の前で止まる。
「⋯⋯⋯⋯私は、ちゃんとここに居る」
シアラはその震える手を取ると、胸へと当てた。自らの存在を、確かめさせるように。
「⋯⋯⋯⋯姉さんの、目の前に」
そして、テセアをそっと抱き締めた。
「ぁ⋯⋯」
か細い声が漏れ、テセアの顔がくしゃりと歪む。身体から力が抜けたかのように、彼女は膝を落とした。
シアラの――妹の胸へと顔を埋め、押し殺したような泣き声を上げる。
「ふ⋯⋯ぅ⋯⋯ぐ⋯⋯ぇ⋯⋯ぅ、ぅぅぅ⋯⋯!」
「⋯⋯⋯⋯よしよし」
テセアを抱きながら、シアラはその頭を撫でる。
これでは、どちらが姉でどちらが妹かわからない。
それが――十六年振りの、双子の姉妹の再会だった。
「⋯⋯⋯⋯聞きたい事がある」
静かに涙を流すテセアに、シアラは頭を撫でながら声をかける。
「⋯⋯⋯⋯双子なのに、その胸は、何?」
余計な声を。
「⋯⋯⋯⋯ずるい。どんな手を、使った?」
台無しだよ。
僕は目の前の心温まる光景を見ながら、心の中でそう思うのだった。
◇
「さあ、しっかり掴まってて」
球状の小型飛空艇、その操縦席に座ったテセアは、やや緊張した面持ちで僕らへとそう言った。
本当はもっと彼女に時間をあげたかったが、今の僕らの状況では、そうも言っていられない。
外ではまだ皆が戦っているかもしれないのだ。
テセアが泣き止んだ後、改めて状況を聞かされた僕は、ファッションリーダーなどとアホなことを言っている場合ではないと知った。
皆が僕を助けに来てくれた事は嬉しいが、同時にどうしようもなく不安になってしまった。
複数のアイゾンと、機械兵たち。
僕よりも強い皆が――特に店長が負けるなどとは思わないが、聞いた限りでは状況は良くない。僕のせいで皆に何かあったら――
「⋯⋯⋯⋯兄さん⋯⋯」
不安げな妹の声に、僕は自分が思っているよりも表情が強張っていたことに気づいた。
落ち着け。皆なら大丈夫だ。
信じろ。
僕は側に立っていてくれたシアラの頭に、そっと手を置いた。
「ノエル、もしもの時はまた頼むよ」
「まかせてっ!」
シアラの反対に立つノエルも、笑顔で応えてくれる。
大丈夫だ。
《
この力の反動は、僕自身ではなく六重奏の皆が受け持ってくれるらしい。
けれど僕の友人たちは、まだ戦えると言ってくれている。
「ふぅ⋯⋯」
一つ息を吐き、テセアへと声をかけた。
「行こう、テセア」
しかしその瞬間――
「え!? 嘘? 何で閉まるの!?」
出口がひとりでに閉じ始め、テセアは驚愕したような声を上げる。
それと同時に、僕らの居る部屋、いや――『
「いいから! 行って!!」
シアラがテセアへと素早く駆け寄り、手を彼女と重ねると、二つの球体を勢いよく前へと押し出した。
僕らの乗った小型飛空艇は、急加速し今まさに閉じかけている出口へと向かう。
ぎりぎり、紙一重――僕らは外へと飛び出した。
「一体何が――」
「そのまま進んで!! 離れて!!」
ノエルの声に、シアラとテセアの二人は勢いを止めないまま小型飛空艇を前進させた。
僕らの背後で『浮遊都市』は歪に変形し始める。
「な⋯⋯」
「何、これ⋯⋯こんなの、知らない⋯⋯!」
十分な距離を取った所で、空中で静止した僕らは、変形し続ける『浮遊都市』に息を呑んだ。
《解析》を発動させたテセアが、理解できないかのように声を上げた。
見る見るうちに、『浮遊都市』はその形を整え始める。
大きな――巨大過ぎる機械兵に。
これこそが、『浮遊都市』――その創造主が誇った真の防衛機能なのだと、僕はそれを見て理解した。
都市自体が――戦う能力を持っていた。
確かに、男の憧れかもしれない。
全く余計な機能をつけてくれたものだ。
そしてもう、嫌な予感しかしない。
この肌に感じる激しい嫌悪感は――
『ボウ、ト、クシャ、ドモ、メ、ガァァァァァァァァァァ!!!!』
この男特有のものだった。
「アイゾン⋯⋯!」
どうやったのかは知らない。
予めその魂の一つを『浮遊都市』に移しておいたのか、それとも今際の際に隠し持っていた『転魂珠』でも使用したのか。
どういう手段を用いたのかはどうでもいい。
重要なのは、今僕らの前に現れた山よりも大きい機械兵――そこには確かにアイゾンの魂が入り込んでいるということだ。
『ア、ガガガガガガガガガンガンガリヘヘヘヘヘ』
もっとも、どう見てもまともではないようだが。
それに、確かに圧倒的な巨大さではあるが、その動きは遅い。
通常の機械兵とは比べ物にもならない。
だが――
「こんなの、どうしたら⋯⋯!」
テセアの言うとおりだ。
こんなものを相手にして、一体どうしろというのか、そう思った時――
『!?』
巨大な機械兵、その頭部が何かに打たれたように僅かに押された。
あれは――
「ノエル、きついかもしれないけど⋯⋯」
《狩人》を発動させ、強化された視力でその姿を確認した僕は、ノエルへと声をかけた。
「大丈夫だよ。でも、ちゃんと
彼女は何もかも理解しているかのように、一切迷わず《
「ありがとう、行ってくる」
瞬間、僕は《六重奏》を発動させた。
そして、遥か上空へと
機械兵よりも遥か上、そこに移動した僕の身体を一気に負荷が襲う。
ノエルの魔装の効果範囲を外れたのだろう。
「ぐ⋯⋯」
あまりの苦痛に気絶してしまう前に、素早く《六重奏》を解除し、僕は落ちた。
「ミィィィィリィィィィィィィィィスッ!!!!」
必ず来てくれるだろう、彼女を呼びながら。
何の打ち合わせもしていないのに、その人は現れる。
上空から落下する僕を目掛け、真っ直ぐに。
「ノイルっ!!」
満面の笑みを浮かべて。
そして――彼女は僕をそっと抱きとめた。
優しく、慈しむように。
「ミリス!」
「わかっておる!」
それ以上は、言葉は要らなかった。
「
ただ、僕らの声は重なった。
「《
ミリスが僕へと優しく口づけし――――最強の魔装は発現するのだった。
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