第72話 ヤンキー


「私が神を信じてない理由、わかった?」


「うん⋯⋯これを知ってたらね」


「⋯⋯もう一つだけ見せたいものがあるんだけど、いいかな? 時間、いる?」


 頭と心を整理する時間が必要だと思ったのだろう、テセアは僕を気遣うようにそう尋ねた。

 だが、元々そこまで信心深くない僕は、驚きはしたがショックは大きくはなかった。

 だから彼女へと笑顔を向ける。


「大丈夫、問題ないよ」


「⋯⋯わかった。この日記の最後のページなんだけど――」


 テセアは再び創造主の日記をパラパラと捲り、あるページを開き僕へと差し出した。

 彼女から渡された日記、その最後のページには、僕にも読む事ができる文字が並んでいた。



 私はここに生まれ、ただ利用され生きてきた。

 何の喜びもない、何の意味もない、虚無な人生だった。

 子を産むのも、本当は耐えられない程に嫌なことだった。


 けれど何故だろう。

 生まれてきたあなた達に感じたのは、あの男に対するような憎しみや嫌悪ではなく――愛おしさだった。

 

 私はあなた達を産んで初めて、道具ではなく人になれた気がするの。

 あなた達には、幸福な道を歩んでほしい。

 私とは違う、笑顔に満ちた人生を。


 だけど、ごめんなさい。

 ごめんなさい。


 私一人では、二人共連れて逃げ出すことはできない。

 一度はあなたを置いていく事を、どうか許して。

 必ず助けを呼んで戻るから。


 あなたを選ばなかったわけじゃない。

 あなたは取り上げられ、《解析アナライズ》を一刻も早く教える為に、この子だけが私の元に残された。

 本当は、あなたも連れて逃げたかった。


 あの男は《解析》を必要としている。

 あなたが十分に成長するまでは、酷い扱いはされない。

 その間に、必ずあなたも助け出してみせる。

 必ず戻るから、少しだけ待っていて――――テセア。







 自らの血で綴ったのであろうそれは、リリアさんからテセアへの、メッセージだった。

 置いていかざるを得なかった我が子への――母からの言葉だ。

 筆記具すらなかったのだろう。文字はお世辞にも綺麗なものとはいえず、歪んでいる。

 けれど、その歪な文字はテセアヘの愛情がしっかりと感じられるものだ。

 

 しかし、彼女と娘の再会が果たされることはなかった。


 やるせない思いで僕がそっと日記を閉じると、テセアは憂いを帯びた僅かな笑みを浮かべた。


「私はこれを読んだ時、初めて自分の名前を知ったんだ。あいつは私を神子としか呼ばないからね。ノイルには関係性がわかりやすいと思って、スゲハルゲンって名乗ったけど⋯⋯あいつから与えられたのは、実際には地上の知識だけ」


「地上の知識?」


「うん、《解析》は本人が一番理解しやすいように翻訳される? ていえばいいのかな。正式な名称や用途以外は表現が使用者によって変わるみたいなの。だから、ある程度の知識がないと、他者には伝わりづらい情報になるみたい」


 なるほど⋯⋯情報を見る魔装ということは、見え方も本人の知識や感性次第で変わってくるわけか。

 与えられる情報は同じでも、伝わり方は違うと。

 一般的な知識や教養があれば、それに照らし合わせた上での表現になるということかな。

 確かに情報を聞き出すだけならば、ある程度の知識や常識を与えた方がいいのだろう。

 しかしそんなことをすれば――


「まあ、知識を与えられていく内に、私はこの環境が異常で歪なんだって気づいたんだけど」


 当然そうなる。

 テセアが『浮遊都市ファーマメント』に閉じこめられ、ここ以外の世界を知らないにも関わらず、神天聖国に染まり切らなかった理由がわかった。

 人は周囲の環境に大きな影響を受ける。何も知らないままならば、テセアはそれが普通なのだと思い込み生きていたかもしれない。この隠し部屋だって、神子として当然の役割だと思いアイゾンに報告していたはずだ。


 その方がアイゾンにとって都合が良かっただろう。

 なのにそうしなかったのは、奴がマヌケというよりはやはり異常者だからなのだと思う。


「あいつはこれまでの人も、私も、この神子という役割を喜んで担っていると思い込んでるから」


「知識を与えた所で、何も問題ないと思ってるわけだ」


 アイゾンの中では、神天聖国こそが至高であり他の世界を知ろうが叛意など持つはずがない、と。


「そういうこと。四代目――お母さんが何で逃げ出したのかも、未だに理解してない。二度と同じ事が起きないよう、重要な場所の鍵は管理するようになったけど、私もある程度の自由は許されてる」


「つけ入る隙は十分にありそうだね」


 何とか不意をついてアイゾンの持つ鍵を奪い、ここから逃げ出す。神だと思われている僕と、警戒されていないテセア。簡単ではないだろうが状況は悪くはない。

 僕が日記を机の上へと戻すと、テセアが期待のこもったような眼差しをこちらに向けていた。


「私一人じゃ厳しかったけど、ノイルが来てくれて⋯⋯良かったって言っていいのかな」


 巻き込まれた僕に未だ気を遣っているのだろう。テセアは少し表情をくもらせた。僕はそんな彼女の頭に手を置く。


「いいよ、テセアに会えたしね。僕はここに来るべきだった」


「そっか⋯⋯それじゃあ頼りにしちゃうね。なんでも屋さん」


 はにかんだ彼女に、僕も笑顔を向けて頷く。

 本来仕事を受けるか判断するのは僕ではなく店長だが、今回は特別だ。なんでも屋に勤めて初めて、僕自身がやりたいと思った仕事なのだから。


「一番良いのは戦う事なくここから抜け出して、改めて戦力を整えることだろうけど⋯⋯『浮遊都市』の情報を持っている私が居れば、今までのようにはいかないはずだから。でも、最悪戦闘になってもノイルの『白の王ホワイトロード』なら力尽くで脱出することもできる、と思う。だから――」


「あ、ちょっと待って」


「ん?」


 顎に手を当てて考えをまとめ始めたテセアに、僕は申し訳ない気持ちで声をかけた。もちろん全力は尽くすつもりだ。尽くすつもりなのだが――


「僕、今マナが使えないんだよね。原因ってわかるかな?」


「はぇ?」


 テセアの頭へと伸ばした手と反対の手で頬をかきながらそう伝えると、彼女はぽかんと口を開けた。


「ていうか、『白の王』はマナが使えても、僕一人じゃ使えない」


「ふぇ?」


 続けて気の抜けたような声を発したテセアは、はっと気を取り直したように《解析》を発動させ、僕をじっと見つめた。

 難しい顔で目を細め続けていた彼女はやがて諦めたように《解析》を解き、一つ息を吐いた。


「だめ⋯⋯わかんない」


「だよね⋯⋯」


 テセアにわかるのであれば、最初に僕を見た時に異常に気づいたはずだ。

 僕はテセアの頭から手を離して拳を握った後もう一度開き、自身の掌をじっと見つめた。

 《変革者》の反動にしては、いくらなんでも長すぎる。確かに《変革者》は規格外の魔装マギスだが、それ以上に反則な《白の王》でもここまでの反動はない。

 だとすると、何か別の原因なのだろうか⋯⋯。思い当たる節がない。

 まあどちらにせよ、もう少しだけかかりそうだ。


「⋯⋯『白の王』がマナを使えても一人では使えないっていうのは、どういうこと?」


「ちょっと特殊なんだよ。確かに性能はすごいけど、二人で扱う魔装なんだ」


「そんなこと、できるんだ⋯⋯」


 できちゃったんだよこれが。まああの人頭おかしいからね。

 しかし改めて考えてみると、だ。


 僕自分一人で扱える魔装なくない?

 空前絶後のダメ男かな?


 普段使う魔装は僕の中に居る友人たちの力を借りたものだし、切り札である《白の王》も店長ありきの魔装だ。

 僕の力は誰かを頼ることでしか成立しない。

 他力本願という言葉が似合う男コンテストがあったら、余裕で殿堂入りだ。

 他者の力を頼ることにおいては、他者の追随を許さない。


 しかしそんな情けなさすぎる僕に、テセアは失望した様子などなかった。直ぐに再び顎に手を当てて思案し始める。


「うん、そっか⋯⋯それならやっぱり戦闘になるのは避けなきゃね。大丈夫、ノイルの立場を上手く使えば、何とかできるよ」


「ごめん、できる事はやるから」


「何でノイルが謝るの」


 絶対に連れ出すと言っておいてこの体たらくを申し訳なく思ったのだが、テセアはそう言って苦笑するだけだった。


 強い子だ。

 僕がテセアの立場なら、バカ! もう知らない! と無責任に喚き散らすかもしれないのに。


 だけど安心してほしい。

 あの言葉は嘘にはしない。するつもりはない。

 マナは扱えないが、今の僕は珍しく本気だ。


 そうして僕がテセアと共に作戦を立てようとした時だった。


 突然、隠し部屋の扉が音もなく開かれた。

 僕とテセアは目を見開き、開かれた扉を振り向く。


「あー、んだよこのクソみてぇなセンスの欠片もねぇクソ都市は。クソにクソ塗り固めて作ったクソかよ」


 すごいクソって言ったね。


 テセアしか知らないこの部屋に突如現れたのは、碧が混じった豊かな銀髪をツインテールにした見た目は愛らしい女性だった。

 僕らと同じように白布を身体に巻き付けており、ボリボリと尻をかいている。

 くりっとした紺碧の瞳はガラが悪そうに細められており、何ていうか、ガラが悪い。


 ヤンキーかな?

 という印象を抱いてしまった。


「あん?」


 部屋の中に呆然と佇む僕らに気づいた彼女は、やはり一瞬ガラの悪そうな声を出す。が、次の瞬間には豹変した。


「あ、あ⋯⋯ち、違うんですぅ⋯⋯か、勝手に扉が開いたからぁ⋯⋯誰かに教えなきゃって思ってぇ⋯⋯それでぇ、人を探しててぇ⋯⋯」


「うっわ」


 途端にしおらしく、弱々しく、妙にくねくねとしなを作り始めた謎の女性を見て、僕の口からは思わずそんな声が出た。

 ぶりっぶりのぶりっ子だ。

 若干引くレベルのぶりっ子である。


 いや、先程の態度を見ていたから僕は引いてしまったが、何も知らなければこれが素だと思っていたかもしれない。

 恐ろしく堂に入ったぶりっ子だった。


 先程とはまるで別人である。

 あざとさが限界を突破している。

 見た目は美少女なので好きな人は好きかもしれないが、あざとさがすごい。

 でも多分っていうか絶対に素はさっきのクソクソ言ってた姿だ。


 それを考えると――


「きっつい」


「ああ!?」


 僕の口から思わず続いてそんな言葉が出る。失礼かもしれないが、自然と出てしまった。

 彼女はそんな僕に思いっきり眉間にシワを寄せたガラの悪い顔で、恫喝するかのような声を出す。

 しかし、やはり次の瞬間にははっとしたように豹変した。


「あ、ああ! いきなりそんな酷いこと言われたらぁ、怒っちゃいますよぉ、ぷんぷん」


 いやもう無理だろ。

 そのキャラ押し通すにはちょっと無理があるよ。


 握った両拳を頭に当て、頬をリスのように膨らませた彼女を見て、僕はそう思った。


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯ちッ!」


 僕らに無言で冷めた目を向けられていた彼女は、流石に自身でも無理があると悟ったのか、盛大に舌打ちする。途端に表情が愛らしいものからガラの悪いものに変わった。


「ペッ!」


 そして地面へと唾を吐き捨てる。

 もう一回言っていい? ガラ悪い、めっちゃガラ悪い。

 あ、二回言っちゃった。

 彼女はその場に不良よろしくしゃがみ込んだ。


「ペッ!」


 そしてもう一度唾を吐くと、こちらを胡乱げな瞳で睨みつける。


「なんだぁ? てめぇら?」


 あんたが何だよ。何者だよ。

 テセアと顔を見合わせるが、彼女も困惑したように首を振った。どうやらこのヤンキーに心当たりはないらしい。


「アタシを捕まえる気はねぇみてぇだな。ここの奴らじゃねぇのか? あ? 答えろや」


「捕まえる⋯⋯? あなたもしかしてここに捕らえられた人? いつ? 自力で抜け出したの?」


 アイゾンは度々地上から優秀な人間を攫っているらしい。自身がよりよい肉体を求めるため、神子の身に何かあった際の保険、そして、より優秀な肉体を生み出す為に。

 胸糞悪い話だが、テセアに説明された中には捕虜を閉じ込めておくための部屋も存在した。

 もっとも、今は誰も捕らえられていないという話だったが――


「しーつーもーんしーてーんーのーはぁ! アタシだろうがァ!!」


 もう何なんだよこの人。

 問いかけられたツインテールヤンキーはブチ切れ、僕とテセアはその声の威圧感に身を震わせた。


「ったくよぉ⋯⋯あん?」


 そして、彼女は何かに気づいたように僕を鋭い目で睨みつける。

 僕はとりあえず顔を逸らした。


「こっち向けやァッ!!」


「あ、はい」


 ドスの利いた声でそう言われ、僕は渋々彼女と向き合う。片眉を吊り上げて僕をじろじろと見ていたヤンキーさんは、やがて何か思い当たったように目を見開いた。


「てめぇ、あれか!」


 どれ? 当然だが僕には何の心当たりもない。

 こんなガラ悪い人、僕が何よりも避ける人種である。接点などあるはずがない。


「クソ『精霊王』のお気入りかてめぇ!」


「あ、はい」


 あったね。

 そんなところにあったのかぁ。エルの関係者の人かぁ。勘弁して。

 どう見ても一般人ではないしさぁ。『精霊の風スピリットウィンド』のファンでもないよねクソとか言ってたし。勘弁して。


 というより、その二色が入り混じった髪はある種族の特徴だ。

 この世界で唯一、魔導具を創り出す・・・・・・・・ことのできる種族――創人族。


「クヒヒ!」


 何だその笑い方。

 ツインテールヤンキーは、可笑しそうに笑うとゆらりと立ち上がった。


「こいつはおもしれぇ⋯⋯クソ『精霊王』のお気に入りなら、当然アタシの事も知ってるよなぁ? あ?」


 いや、知りません。というかここまでのやり取りでわかるよね? わかってよ。


「⋯⋯知り合い?」


 テセアが小声でそう尋ねてきたので、僕はちらとヤンキーを見る。やはり見覚えはまるでない。なので小さく首を振った。


「いや、しらな――」


「ああッ!? 何で知らねぇんだクソボケゴミカスゲロカスがァッ!!」


 知らないよ。何で知らないかとか知らないよ。


「チッ!」


 ツインテールのヤンキーは再び機嫌悪そうに眉を顰めると、クソでかい舌打ちをして片手を腰に当てた。


「おい覚えとけよクソ。アタシは『創造者クリエイター』。『紺碧の人形アジュールドール』のリーダー――アリス・ヘルサイト様だこら」


 創人族のヤンキー――アリス・ヘルサイト様は僕らを睨みつけ、ドスの利いた自己紹介をするのだった。

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