第70話 創造主の日記
『
基盤内には『浮遊都市』の操作を行う部屋や、地上へと降りる為の小型飛空艇のような乗り物が配置された部屋もあるらしいが、そこに入る為の鍵はアイゾンが常に肌見離さず持っているらしい。『神具』が保管されている部屋も同様に鍵がなければ立ち入ることはできなかった。
四代目神子が脱走した一件依頼、アイゾンは警戒心を強くしたらしく、重要な施設への立ち入りは、彼が同行している時のみしか許可されないそうだ。
やはりここから脱出する為には、今一度アイゾンと対峙する必要があるだろう。
神だと勘違いしていることを利用して、鍵を渡すように言えばなんとかならないだろうか?
いや、ここの創造主である存在が部屋に入れないから鍵を渡せというのもおかしいか。
同様に、僕とテセアを解放しろという命令を出すのも違和感がある。アイゾンが信仰する存在ならば、いちいち彼にそんな事を言う必要などないだろう。怪しまれるような発言は控えなければならない。思ったよりもこの立場は都合がよくなさそうだ。
大聖珠内に入る時も少々渋っていたように、無条件で全ての言う事を聞くわけでもない。アイゾンは、自身の理想の神を信仰しているのだ。そこから外れる行動を僕が取った場合、奴はすぐにでも手のひらを返すだろうという確信がある。テセアから聞いた話の中で、僕がアイゾンに抱いた印象は、自分勝手な理想像を神へと押し付けている、ただの自己中心的な狂信者だからだ。
もしも僕が本物の神であったとしても、奴の理想にそぐわなければ、神だと認めやしないだろう。
アイゾンとは、そういう男だ。
となると、無理矢理アイゾンから鍵を奪い、ここから脱出するしかない。
問題は今の僕はマナを使えない事と、アイゾンがどれほどの戦闘力を持っているのか、ということだ。奴は次々と若く優秀な肉体へと乗り移り、生き続けている。決して低くはない力を有しているだろう。
少なくとも僕から見ても優れており、正確に相手の力を測ることができるテセアが、今まで実力行使で『浮遊都市』から逃げ出せなかった事を考えると、アイゾンはテセアよりも強い――いや、かなりの強者なのは疑いようがない。『神具』の管理も奴が行っているのならば、それらも警戒心する必要がある。
戦闘は――避けた方がいいだろう。何か作戦を考えなければならない。
せめてマナが扱えるようになればいいのだが⋯⋯もう少し、後少しで力が戻る気配は感じる。しかし、あまり時間をかけるとすぐにぼろが出てしまうだろう。
マナや魔装を扱わない前提で、作戦を立てなければならない。
難しいな⋯⋯と、僕は頭を悩ませながら、顎に手を当ててテセアに案内された部屋を見回した。
「⋯⋯ここって何の部屋?」
シンプルな部屋だ。いや、僕はこの都市でこれまでシンプルな部屋しか見ていないのだが。
広く、やはり円蓋となっている部屋は、中央に謎の球体が浮かんでいる以外には何もない。
謎の球体が浮かんでいるだけ、これまで見た部屋よりもマシなのかもしれないが、一見しただけでは何の用途の為の部屋なのかはまるでわからなかった。
僕の隣に立ったテセアが、自身が身体に巻き付けている白布を摘ん引っ張る。かなり危うい感じで胸元が露出されるが、本人に気にした様子はない。かなり特殊な環境で育ったからだろうか、テセアは羞恥心というものをあまり持っていないらしい。
まあ妹そっくりなので、僕のノイルくんがノイルさんへと成長したりはしないが。
地上に降りたらそういうことやっちゃだめだよ?
「これ作る部屋」
「これって⋯⋯これ?」
僕も自身が被っている白布を軽く持ち上げる。危うくノイルくんが露出しそうになったが、別に見せつけたかったわけじゃない。サイズが合っておらず、この格好に慣れていないだけだ。
「そう、これは⋯⋯布。《
うーん、適当。
相変わらず、この都市は何かいい加減さが漂っている。
そういえば、ここを造ったとされる創造主だが、正確にはリュメルヘルクという名前ではないらしい。
確かに始めに居たこの基盤内部の大広間というべき場所の壁に、僕には読めない文字で大きくリュメルヘルク、と書かれてはいたが、テセア曰く、それはこの都市の名前であって、創造主の名前ではないそうだ。
だが、アイゾンはそれを神が自らの名前を記したのだと解釈した。本当は違うのだが、自分がそう思い込みさえすれば、奴にとってはそれが真実なのだろう。
「まあでも、この布は凄いよ。『浮遊都市』の中だけなら、飛べるしね」
「え」
テセアは愉快そうに笑うと「真似して」と言って両手を胸の前で交差させた。僕は困惑しながらも同じポーズを取る。
「じゃあ次は軽くジャンプ」
「あ、はい」
言われるがままにテセアと一緒に軽く跳ねると――身体が宙に浮いたままになった。
ふわふわとした感覚を味わいながら、僕は驚きに目を見開く。
「今度は、脚をパタパターって」
「あ、はい」
足をバタ足のように動かすと、身体はどんどん浮き上がっていく。あまりの自体に頭はあまり働かないが、なるほどこれは――まるで空中を泳いでいるような感覚だ。
店長の持つ『
飛んでる姿はちょっと間抜けだけど。
しかしアイゾンの奴、何故僕が着るものが欲しいと言った時に、この白布を勧めなかったのか。これでいいじゃないか、『浮遊都市』で作られたのならば、神が作った物だし。
⋯⋯いや、都市の創造主だと思われているのならば、この布の存在を知っていて当然か。これの存在を認識している上で、何か着る物と言ったから、白布以外だと解釈したのだろう。
「ここでは、これ以外は身に着けない決まりなの」
浮き上がった僕と同じ高さまで飛んできたテセアがそう言った。
「しかも、一枚しか与えられないから、あいつらは裸にこの布を被ってるだけなんだよ。馬鹿みたい」
変態だな。つまり好き好んで今の僕と同じ格好をしているわけか。変態だな。
そんな奴らと一緒は嫌だ。僕は急いで部屋の中央にある球体へと向かった。
空中を飛んでいるため、後ろからついてきているテセアにノイルくんが丸見えだとは思うが、丈が圧倒的に足りていないのが悪い。
球体の前で交差した両手を解くと、僕の身体はゆっくりと着地する。
テセア曰く布作るやつ、をペタペタと触りながら、僕は彼女に訪ねた。
「これ、どうやって操作するの?」
「指でうずまきを描くみたいに触ってみて」
言われた通りにすると、球体の下からシュルシュルと布が出てくる。どうやら指を動かしている間は布が排出されるらしく、僕は程よいサイズになった辺りで手を止め、布を拾った。そして、腰へと巻きつける。
少し大きめのタオルを巻いたような姿になった僕は、テセアから借りていた白布を脱ぎ、両手を広げた。
「どうかな?」
上半身は裸のままだが、先程よりは変態っぽくないだろう。
決して身体を見せつけているわけではない。変態っぽくないかの確認だ。
テセアは自信満々の僕を見て苦笑する。
「うん、悪くない悪くない」
まあこれで、最低限の体裁は整えられただろう。全裸の頃から比べたら百倍マシだ。
僕はテセアに借りていた白布を渡す。
「⋯⋯」
すると、彼女は何やら僕が被っていた白布をじっと見つめ、くんくんと匂いを嗅ぎ始めた。
僕は死にたくなった。
「え⋯⋯臭い?」
絶望しながら恐る恐るそう尋ねると、テセアは慌てたように白布から顔を上げる。
そして、ぶんぶんと両手を振った。
「あ、違う違う! 違くて⋯⋯その、匂いが気になって⋯⋯」
僕は死にたくなった。
「え⋯⋯臭い?」
「そういうことじゃなくて! えっと⋯⋯『
テセアはぎゅっと白布を抱き、やや頬を染め、上目遣いでこちらを見る。
「ごめん⋯⋯その、臭くないよ。むしろ⋯⋯好き、かも⋯⋯」
白布に半分顔を埋めたテセアは、照れくさそうにそう言った。そんなことを言われてしまうと、やはり甘やかしてしまいたくなる。テセアとシアラが揃えば、一体どれほど愛らしい姉妹になってしまうのだろうか。
僕は無意識の内に、テセアの頭へと手を伸ばしていた。
「あ⋯⋯えへへ⋯⋯やっぱノイルの撫で方も⋯⋯好きかも」
自慢じゃないが、僕はシアラの頭を撫でるのが得意だからね。ツボを心得ているんだ。双子であるテセアも気に入ってくれたようである。
僕はすっかり、テセアを兄としての目線で見てしまっている。やはりどうしても、シアラと重なって見えてしまう時があるのだ。
テセアはテセア、シアラはシアラなのだが、ここまで似ていると接し方も似通ってしまう。
まあ、テセアが嫌がるようであれば、すぐに改めよう。
僕はそう思いながら、テセアの頭から手を離した。
彼女は一度名残惜しそうに頭を触ると、気を取り直したように部屋の奥へと向かう。
「こっちに来て。この部屋に来たのは、見せたいものがあるからなんだ」
「見せたいもの?」
僕はテセアの後に続いて歩きながら尋ねる。
「うん、この都市の真実がわかる物だよ」
「え?」
彼女は部屋の奥――一見すると何の変哲もない壁の前で立ち止まり、そっと壁に指を触れた。
十回程円を描き、そのまま指を壁に押し込むようにすると、壁の一部が凹んだ。その様子を見て、僕はそれが隠されたスイッチなのだと悟った。
思ったとおり、次の瞬間には僕らの前の壁が音も無く上へと開き、隠し部屋らしき場所への入り口が現れる。
「ここは、アイゾンも知らない秘密の部屋」
そう言いながら、隠し部屋へと入っていくテセアに続いた。
隠し部屋は、こじんまりとした一室だった。
円蓋にもなっていなければ、壁が丸みを帯びているわけでもない。本当に、ごく普通の部屋だ。
壁や床はこれまでの様に白くはなく、何と木製である。いや、本当の所はわからないが、僕の目には木造の一室にしか見えない。
簡素なベッドが置かれ、一組の机と椅子が置かれただけの部屋だが、明らかに今までと比べて生活感があった。
この都市においては、異質すぎる部屋だと言えるだろう。
そして、卓上ランプに照らされた机の上には――一冊の本が置かれていた。
「ここはね、この都市の創造主の⋯⋯寝室、になるのかな。『浮遊都市』で生活せざるを得ない状況になって、急遽増設された部屋みたいだよ。都市の雰囲気とはかけ離れてるから、隠し部屋にしたみたいだけど」
僕が驚きながら辺りを見回していると、テセアが机の上の本を手にとって、こちらを振り返った。
「それは?」
「創造主の日記」
「ええ!?」
「といっても、ただ気が向いた時にだけ書いてたものみたい」
思わず声が大きくなってしまう。彼女が言っている事が真実であれば、大発見にも程がある。世界中の研究者たちが、喉から手が出るほどに欲しがる一品だろう。
そしてテセアには――
「全部は読み取れないけど、大体のことはわかるよ」
そう、《
例え解読困難な物であったとしても、彼女の能力が通用する範囲であれば、理解することができる。
僕はごくりと唾を飲み込んだ。
これは、今の世界のあり方や常識すらも揺るがす一冊かもしれない。その書に書かれている内容次第では、今まで信じてきたものが一気に塗り変えられるだろう。
本当に、僕はそれを知ってもいいのだろうか。
この世界に『神具』を残した存在。その一端に触れる行為に、僅かな躊躇いと恐怖を覚える。
「どうする? どんな事が書かれているか、知りたい?」
戸惑う僕の内心を見透かしたのか、テセアは僕をじっと窺うように見つめ、そう尋ねてくる。
神なんて信じてない、と彼女は言っていた。
それはおそらく、この書を読んだからこその発言だったのだろう。
正直に言えば、何も知らないままの方が平穏に生きていられると思う。
この不可解な都市、それを創造した存在――神の真実。
知ることに確かに恐怖はある。けれど、僕は知らなければならない。
だって――たった一人だけ、この世界で真実を知っているなんて、寂しいじゃないか。
僕はテセアへと笑いかけ、頷いた。
「教えてくれるかな」
なに、どんな内容であれ、所詮僕は僕だ。何を知ったとしても、大して変わりはしないさ。
「⋯⋯わかった。それじゃあ」
テセアは一瞬僅かに目を見開くと、少し嬉しそうに微笑んだ。
そして、手にとった本――創造主の日記を開く。
「都市、というものを初めて創造してみたが――」
彼女は《解析》を発動させ、日記を読み始めるのだった。
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