第69話 六重奏
「さて、それでは今の状況をまとめてみましょう」
魔法士が両手をパンと合わせ、小さな丸池を囲むメンバーへと笑顔で声を掛けた。彼女たちがいる空間は、いつものように真っ白で池以外が存在しないものではなくなっており、青空とどこまでも続く草原が広がる空間へと様変わりしていた。
池からやや離れた場所には、『
『
「先ずは嬉しいニュースから」
「自分の席に戻りなさいよ」
「先ずは嬉しいニュースから」
じとっと睨めつける狩人の言葉を完全に無視して、魔法士は両手を広げる。
その様子を他の面々は呆れた様子で見ていた。
「ノイルさんが! ついに! つーいーにー! 現実でも私たちの存在を認識してくれましたー! はい! 拍手!」
満面の笑顔でそう言った魔法士は、そのままはちきれんばかりの勢いで手を叩いた。
周りもそれに続いて拍手をする。魔法士の高すぎるテンションに呆れてはいるが、皆どこか満足そうだ。
一頻り手を叩いた魔法士は、もう一度両手を大きく広げた。
「ここでの記憶までは、残念ながら思い出してはいないようですが⋯⋯見てください! この景色!」
新しくなった世界、その空気を存分に味わうように、大きく息を吸った魔法士は、両手を胸の前で組み、蕩けるような表情を浮かべる。
「これは、ノイルさんからの贈り物です。私たちが少しでも快適に過ごせるように、と⋯⋯あぁ素敵⋯⋯愛されているのが伝わってきます」
もう一度大きく息を吸った魔法士は、しかし次の瞬間には目を細めて『白の道標』に似た建物を睨み、小声で呟いた。
「まあ、家があの女の店そっくりなのは⋯⋯まあ⋯⋯うん、まあ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯仕方ないでしょう」
「あんた絶対納得してないでしょ」
「あ、畳の敷かれた部屋は私の部屋なので、皆さんは一歩も入らないでくださいね?」
狩人のツッコミを無視して、魔法士はころっと表情を変えると、首をかしげながら皆に微笑み掛けた。
これには流石に狩人が立ち上がる。慌てたような表情で、魔法士へと食って掛かった。
「そ、それってノイルの部屋じゃない!」
「うん、そうだね。それが?」
しかし、一瞬の間もなく魔法士ににこりとそう返され、狩人はややたじろぐ。
「ぐぅ⋯⋯そ、そんなのだめよ!」
「何で? 何でかな? 何でなの? 何がだめ?」
この間の一件が尾を引いているのか、魔法士が狩人へ向ける殺意にも似た威圧感は普段よりも一層鋭いものだ。元々打たれ弱い狩人は、いつもより言葉少なく責められているにも関わらず、直ぐに涙目となってしまうが、その瞳から涙が零れ落ちることはなかった。
「だ、だめったらだめだもん!!」
「はい、じゃあ私の部屋なので、皆さん入らないようにお願いしますね」
「だめだっていってるのにぃ!!」
魔法士が三度狩人の言葉を無視するまではだが。
ぼろぼろと涙腺を決壊させた狩人は、意気消沈した様子で椅子に座り直すと、ぶつぶつとごく僅かな声で、しかし周囲にはしっかり聞こえるように、恨みがましく呟く。
「いいもん⋯⋯後でちゃんと決めるもん⋯⋯決めるんだから⋯⋯許せないもん⋯⋯私だって⋯⋯」
「はい、それで次は悪いニュースですが――」
そんな狩人の精一杯の小さな抵抗すらも、魔法士が両手を合わせた大きな音に掻き消される。彼女は指を一本立て、神妙な面持ちで告げた。
「⋯⋯今回ノイルさんが厄介事に巻き込まれてしまったのは、私たちのせいでした」
「私たちというか、あなたのせいよね?」
優雅に脚を組んだ癒し手の言葉に、魔法士がぴくりと固まった。
しなやかで長い脚を組み替えながら、癒やし手は言葉を続ける。
「私たちが表層化するとノイルちゃんが『神具』判定になるのならば、誰かさんが強く表に出ようとしたのが、ノイルちゃんが拉致された原因よね? ねぇ? 誰かさん?」
見下すように、艶やかに癒し手は魔法士を責めた。そして、珍しく責められている魔法士を見て、落ち込んでいた狩人がこっそりと瞳を輝かせる。何か言いたそうにうずうずとしていたが、下手なことを言わないほうが良いと判断したのか、綻ぶ口元を押さえ、しかしバツが悪そうな顔を浮かべている魔法士を楽しげに見ていた。
思い当たる節があり過ぎる魔法士は何も言い返せず顔を逸していたが、やがてぽつりと呟いた。
「⋯⋯⋯⋯だって、あの女がデートとか言うから⋯⋯」
癒し手はふんと小さく鼻を鳴らした。
「確かに、私もそれには思う所はあったし、ノイルちゃんは『
「⋯⋯はい」
「ぷぷっ怒られてる」
しおらしく肩を落とした魔法士に、ついに堪えきれなくなってしまったのか、狩人が吹き出してそう言った。
そして、明らかに調子に乗った様子の狩人は、薄い胸を張る。
「まったく! あたしはちゃんと我慢できたわよ!」
そんな狩人に魔法士は白けた目を向けていたが、鼻高々な狩人は気づかない。
「大体、あの女が今更デートって言ったからって何よ! そんなの今更じゃない。そ、その⋯⋯もっと許せないすごいこともしてるんだし、それに比べればデートなんて可愛いもんじゃない。むしろ、私はその程度の要求で安心したのに、まったく魔法士ったら! まったくもう! 自制しなさいよ! じ、せ、い! まったくぅ!」
そう言い切ったところで、狩人の得意気だった表情が引き攣った。
魔法士だけではなく、癒し手さえも彼女へと冷めたような瞳を向けていたからだ。
「な、何⋯⋯何なの⋯⋯なによぅ⋯⋯」
先程までの威勢はどこへいったのか、狩人の表情は一気に不安げなものへと変わり、声がか細くなる。
魔法士が呆れたように小さく息を吐き、狩人はびくりと肩を震わせた。
「いいよね⋯⋯狩人ちゃんは」
「な、何がよ⋯⋯」
「バカで」
「ひどい!」
魔法士は涙目になった狩人を見て、もう一度息を吐いた。
「はぁ⋯⋯いい? あの女は今までね、一度だってノイルさんにまともなアプローチなんかしなかったの」
「それが突然ね、デートなんて普通な事を言い出したのよ?」
「⋯⋯??? 普通だからいいんじゃないの?」
魔法士と癒し手に優しく諭すように言われても、狩人は二人の言っている事が理解できず、きょとんと首を傾げる。
そんな狩人に、魔法士と癒やし手は呆れたように顔を見合わせた。
「⋯⋯普通だから嫌なんだよ」
「より深まった愛情を真っ当に向けられると、厄介よねぇ⋯⋯」
「そうなんですよ⋯⋯狙っての行動ではないんでしょうけど」
「それだけに、困るわよねぇ⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯わかんないってばぁ⋯⋯」
深刻な様子で話し合い始めた魔法士と癒し手に、完全に蚊帳の外にされた狩人は、何度も二人の顔を見比べた後、じわりと目に涙を溜めてぽつりと呟いた。
完全に脱線して話し込み始めた二人と、困惑したようにおろおろとしている一人を呆れた様子で眺めていた馬車は、大きく嘆息し、仕方なしとばかりに口を開く。
「あー⋯⋯もうあいつらは無視して、話進めんぞ」
「ああ」
「そうした方が良さそうだ」
守護者と変革者の二人が馬車の声に応え、三人はそれぞれが釣り糸を垂らしたまま話し合い始める。当然池を挟んでの会話のため、デートの話も飛び交っているが、それについては三人はもう諦めているらしい。
「ノイルが今置かれている状況を脱するには、
「ああ、だが今ノイルはマナが使えん」
「そして、それは自分を使ったことによる反動じゃない。とっくにその制限は外れている」
変革者が、自らの胸に手を当てて目を閉じる。
実のところ、ノイル・アーレンスが未だにマナを扱えない状態であるのは、《変革者》による反動ではない。原因はもっと別のところにあった。
変革者がゆっくりと目を開ける。
「自分をノイルが認識したことで――いや、全員がちゃんと揃った事で、自分たちとノイルには変化が起きている。今は、新たな力に馴染んでいる途中だ。つまり、下準備を整えているところ、だね」
「まあはっきり言えば、俺たちのせいでマナが扱えなくなってるわけだけどな」
「ノイルには面倒ばかりかけてしまっているな」
馬車と守護者の言葉に、変革者は苦笑した。
「確かにそうだ。だけど、ノイルの身体から出ていく方法もわからない。それに自分はまだノイルと離れたくないよ」
「そんなの私もです!」
突然魔法士が三人の会話に割り込み、鼻息を荒くする。癒し手は同意するように嫣然とした笑みを浮かべており、乗り遅れたのか狩人ははっとしたように慌てた様子で挙手をした。
三人の様子に、変革者は再び苦笑する。
「うん、皆同じ気持ちだと思う」
「私が一番だから!」
「わかったわかった、魔法士落ち着いて⋯⋯とにかく、自分たちはノイルと一緒に居たい。だから、彼に負担ばかりかけてはいけない。力にならなきゃいけないんだ」
当のノイル本人が聞けば、「別にそんなこと気にしなくてもいいのに、事故みたいなもんだし」とでも言いそうだが、ノイルの中の住人は皆一様に頷いた。
「それに、今回は自分たちとノイルを引き合わせてくれた恩人のためでもある。全力を尽くそう。今の自分たちなら、全力を尽くせる」
「そうだな、お前が加わって思い出したけど、元々俺たちは、六人揃ってこそ、だったんだよなぁ」
釣り竿を置き、両手を頭の後ろで組んだ馬車が、綺麗な青空を眺めながらにやりと笑った。
「まあお兄ちゃんは大して必要なかったけど」
「おいこら」
そして、魔法士の辛辣な言葉に直ぐに真顔になった。
普段は寡黙な守護者が、その様子を懐かしむようにふっと僅かな笑みを浮かべる。
「まさかもう一度、お前たちと力を合わせることになるとはな」
「ノイルちゃんには、本当に感謝しなきゃね」
癒し手が穏やかな表情で頷き、ノイルが居ない時はより子供っぽい狩人が、屈託ない笑顔で手を上げる。
「はいはい! 私、パーティ名思い出したよ!」
「うん、自分たちは――」
変革者に続き、皆の声が重なった。
「
過去に思いを馳せる様に、皆が微笑みを交わし合う。
「いつからか、
「しかし⋯⋯俺たちはそれぞれが負担を分かち合う事でそれを成立させていたが、ノイル一人のマナでは到底足りん」
「あのメガネっ子が言ってた事が確かなら、やっぱ俺らは存在を保つ為に、ノイルから常時マナを分け与えてもらってるぽいしな」
守護者と馬車が腕を組み、考え込むような表情でそう言った。
テセアの《
人は魂だけで長く存在する事はできない。器と、生命エネルギーそのものであるマナが必要不可欠だ。『封魂珠』は別のエネルギーがマナの代わりとなっていたようだが、そこから抜け出してノイル・アーレンスという器へと入った彼らにも、マナは必要であった。
『六重奏』の皆の肉体はとうに朽ち果て、その際マナも失っている。自らのマナを持たない彼らは、ノイルのマナを借りる事で存在を維持し続けているのだ。
「あぁ⋯⋯薄々感じてはいましたけど、ノイルさんってやっぱり私たちの時代でも、特別と言えるくらい優れた人ですよね。あとお兄ちゃんメガネっ子って言い方キモイよ」
「う、うるせぇな!」
魔法士が両手を胸の前で組み、陶酔した表情でそう言った。
少々彼女のノイルへの評価は行き過ぎているが、事実彼が常に『六重奏』の面々――六人もの人数にマナを分け与えているのであれば、本来のマナ量は図抜けていることになる。
ノイルはシアラを先祖返り、と考えていたが、実のところ自分自身がそうであるのを彼は知らない。
そもそも、自身の魂から発現したわけでもない魔装を、十全に扱えている時点で異常なのだ。
通常、魔装は自らの身体や心の動きにある程度は意識せずとも付随するものであるが、自身とは別の魂から力を引き出しているノイルの場合にはそれが全くない。
故に単純な魔装であれ、それを扱う難易度は跳ね上がっている。その上で操作が複雑な《守護者》すらも思いのままに操れるのはかなりの離れ業なのだが、彼は自身の魔装である《白の王》ですらミリス・アルバルマとの合作であるため、普通の感覚を知らないのだった。
何か馴染むな《白の王》くらいの感覚である。
溢れんばかりの才能を持ち生まれたノイルは、しかし数奇な運命により幼少時代に『六重奏』の皆を身体に宿したため、魔装を発現こそすれどそれを上手く扱えない事と、無意識に皆に分け与えている故のマナ量の平凡さから、自身の才能を低過ぎる程に過小評価してしまった。
非凡でありながら、平凡な男へとなったのである。
しかしそんなノイルの才能に、当然『六重奏』の皆は勘付いており、それはテセアの発言により確たるものになったが、故に魔法士は歯がゆさも感じていた。
一頻り再確認したノイルの素晴らしさに浸った後、目を伏せる。
「⋯⋯どうしたら」
自分たちの存在が、やはりノイルの枷となってしまっている。分け与えられているマナをノイルへと返せば、彼は本来の能力を取り戻し、『六重奏』の力を十全に引き出せるだろう。
けれど、それは自分たちの消滅を意味する。それではもはや力を貸すことなどできない。
そもそも、マナを返還する方法もノイルから離れる方法もわからない。何より離れたくなどなかった。
どうにかこの状態のままでノイルが『六重奏』の力を扱えるやり方がないかと頭を働かせるが、解決策は浮かんでこない。
「そこは、彼女に期待するしかないわね」
癒し手が、仕方なさそうに不満を顕にして呟いた。
彼女、と言われて魔法士は直ぐに一人の人物が頭に浮かんだが、あまりの受け入れたくなさに、顔をこれでもかとばかりに顰める。
一方狩人はぴんとこなかったらしく、こてんと、首を傾げた。
あざとい動きだ、と魔法士は更に顔を顰める。まあもっとも、魔法士は本気で狩人を嫌っているわけでもないのだが。あざとかった。
「彼女って誰のこと?」
「⋯⋯ノエル・シアルサ」
癒し手の代わりに、魔法士がぼそりと答えた。
実は魔法士の中でも真っ先に思いついた案である。彼女の魔装のフォローがあれば、ノイルが『六重奏』を扱うこともできるだろう。
今はノイルの側には居ないが、絶対にやって来ることは間違いないのだ。ならば彼女に協力してもらった上で、自分たちの力をノイルに使ってもらう。
それが、唯一の方法である。
唯一の方法ではあるのだが――魔法士は、ノエルが嫌いだった。ノイルに近づく女は基本的に嫌いなのだが、その中でも一際嫌っている存在だ。
――あの手の女が、一番厄介なんだよね⋯⋯。
心の中でそう呟く。
しかし背に腹は代えられない。気に入らないが、本当に気に入らないが、割り切る他なかった。
ダン! と突然自分の太腿を激しく殴りつけた魔法士に、狩人が真っ先に怯え、馬車が天を仰ぎ、癒し手は複雑な表情を浮かべ、守護者は呆れたように首を振った。
そして、変革者が困ったような笑みを浮かべながら場を纏める。
「まあ⋯⋯もうすぐ力が戻る。そうしたら、自分たちは全力を尽くそう。余計な感情は抜きにして、純粋にノイルを助けよう」
ダン! ともう一度音が響き、辺りがしんと静まり返った。魔法士が一度大きく息を吐き、すっと顔を上げ、狩人が小さく「ひっ」と悲鳴を上げた。
「⋯⋯⋯⋯雑念は振り払えたか?」
誰も口を開こうとしない中、仕方なしとばかりに守護者が魔法士に問いかける。
「ええ、大丈夫、いけます」
口の端から血を流し、にこりと魔法士は微笑み、狩人は縮こまりながら涙を流すのだった。
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