第65話 テセア
「シアラ? 誰、それ?」
目の前で彼女が不思議そうに首を傾げ、呆然としていた僕ははっと気を取り直した。
そうだ、こんなところにシアラが居るわけがない。それに、改めて見てみると、確かに驚くほどに――いや、他人の空似というレベルでもない程に似てはいるが、まず、髪が短い。シアラは背中程まで長く髪を伸ばしているが、目の前の彼女は肩の辺りまでの長さしかない。そして、左目の下に、シアラにはない泣きぼくろが存在する。他にもよくよく見れば、本当に僅かで微妙な違いでしかないが、相違点はある。
そして、これが一番の見分けやすさになると思うが――胸が大きい。身長や全体的なスタイルに殆ど差はないだろうが、その一部分だけは誰にでもすぐにわかる大きな違いだ。
シアラではない。間違いなくシアラではない。
けれど、これ程似通っていると――
「私はテセア。テセア⋯⋯スゲハルゲン」
「スゲハルゲン⋯⋯?」
元白装束の彼女は――テセア・スゲハルゲンは、少し言い淀むかのように自己紹介をした。
スゲハルゲンといえば、確かアイゾンのファミリーネームと同じだ。
「⋯⋯そうだよ、私はあいつの娘⋯⋯一応ね」
忌々しそうに、心底嫌そうな顔でテセアさんはそう言った。アイゾンの子だというのにも驚いたが、その娘がシアラとそっくりだというのが何だか嫌だ。いや、彼女は悪くないけど。何か嫌だ。色々と疑問も生まれてくる。
「僕は――」
「ノイル・アーレンス、でしょ?」
「え?」
僕が名乗ろうとすると、テセアさんは悪戯っぽく笑ってそう言った。どうして僕の名前を知っているのだろうか。当然だが僕は彼女との面識などない。となると考えられるのは――
「もしかして精霊と友達?」
「違うけど? どういうこと?」
ふむ、精霊でストーカーされていたわけでもないらしい。だとすると、一体どういう事だろうか。さっぱりわからない。僕が一人頭を悩ませていると、テセアさんは一つ息を吐いてそれまで被っていた白布を僕へと手渡す。
「まあ、とりあえず、私と居る時はこれ着てよ。あなた、今自分がどんな格好なのか忘れてない?」
「あ、はい」
確かに、先程から僕はノイルくんをもはや隠してすらいなかった。もう散々見られているし今更だとは思うが、レディの前でノイルくんを自由奔放なままにしておくのはよろしくないだろう。まあテセアさんもそれ程気にしているわけでもなさそうだけど。
多分これからまじめな話をするんだから全裸は良くない。色んな疑問は一旦置いておいて、僕は渡された白布を被る。丈は合っていないけど、全裸よりはマシになったと思う。いや、脛辺りまでを露出した白布を被った男がマシな格好なのかは微妙だが。より変態っぽさが増した気がしないでもないが。
もっとマシな服はこの都市には存在しないのだろうか。テセアさんもこの白布を身体に巻き付けたような格好だし、靴も履いてはいない。白布しかこの都市には存在しないのか。全裸に慣れていた僕は、全裸ではなくなったことで改めて地上の服が恋しくなった。
「ぷふっ⋯⋯まあ裸よりは⋯⋯ぷふっ」
ほら、白布を渡したテセアさん自身が笑っちゃってるじゃん。まあいいそんな事よりもだ。
僕は口元に両手を当ててぷるぷると笑っている彼女に問いかける。
「僕を知ってたんですか?」
「ぷふっ⋯⋯今更敬語、やめて⋯⋯ぷふふ⋯⋯リュメルへ⋯⋯ぷふふぅ!」
笑わないでよ。僕も好きで全裸の神を演じてたわけじゃないんだから。
「あの⋯⋯」
「はー、ああ、ごめんごめん⋯⋯ぷふっ」
テセアさんは一頻り堪えるように笑った後、目尻の涙を指で拭いながら僕に向き直った。いや、まだちょっと笑ってるけど。
「知ってたわけじゃないよ。ただ――《
黒縁の眼鏡が出現し、彼女はそれに両手を当てて僕を至近から観察するようにまじまじと見る。
「うんうん⋯⋯ノイル・アーレンス。普人族で年齢は二十歳。身長百七十七センチ、体重六十三キロ強。好きな物は釣り。家族は父親と⋯⋯妹が一人? 見えづらいなぁ⋯⋯血縁関係はないってこと⋯⋯? ネイル魔導学園卒業資格あり。現在の職業⋯⋯なんでも屋? ふぅん⋯⋯。
テセアが一つ息を吐き、眼鏡が消える。そして、彼女は僕へと笑いかけた。
「こういうこと」
僕はぽんと手を打つ。
「なるほど⋯⋯魔装か」
「そう、私の《解析》は、見たものの情報を読み取れるの。近づけば近づくほど読み取れる情報は増える⋯⋯けど、あなたはわからないことが多いね。まあ、何でもわかるわけじゃないから仕方ないけど」
「最初に、その魔装で僕を見てたってこと?」
「こっそりね」
僕の問いに、彼女は指を立てて唇に当て、片目を閉じて答える。そして、奥へと歩きだした。
僕はテセアの後を追う。大聖珠入り口から入った場所は、小部屋のようになっており、奥にはまた入り口と同じ様に扉が設けられていた。
扉脇の球体を指で操作しながら、テセアは僕へと話しかける。
「あなた――ノイルが神じゃないなんて私にはすぐにわかった。というより、私は神なんて信じてないから」
「神子、なのに?」
「うん、私こんなとこ大っ嫌いだもん。何が神天聖国よ」
テセアが忌々しげに吐き捨てるようにそう言って球体をやや強めに叩くと、扉が音もなく開いた。彼女は後ろ手を組んで、僕へと振り返る。
「だから、ノイルに依頼しちゃおっかな。私をここから連れ出して――なんでも屋さん?」
「店長に言って」
僕は可愛らしい笑顔を向けるテセアに、そう言うのだった。
◇
「それじゃあ、会議を始めようか」
『
店内には現在、ミリスを除いた『白の道標』と『
普段であればエルシャンが取り仕切ることにフィオナ・メーベル辺りが異を唱えていたかもしれないが、今はそんな事ができる状況でもない。彼女はソファに腰掛け、真剣な表情で自身の《
そんなフィオナに、エルシャンは努めて冷静に尋ねる。腸が煮えくり返る程の怒りを常に感じてはいるが、それは彼女も同じだろう。今は冷静に状況を整理し、対処しなければならない。何故ならば、今回ノイル・アーレンスを拉致した愚か者は、怒りに任せて叩き潰せるような相手ではなさそうだからだ。
「フィオナ、彼の居場所は?」
「⋯⋯⋯⋯わかりません」
歯噛みするように悔しげにフィオナはエルシャンの問いに答える。
「そうか、『
「でも、その時はミリスの『
フィオナの隣に座ったノエル・シアルサが、ミリスから預けられた『願望鏡』をじっと覗き込みながらそう言った。その表情は極めて険しいものだ。『願望鏡』に映し出されているのは、非常にぼやけ、ノイズが走るように乱れた映像だけだった。一応ノイルを映し出してはいるようだが、これでは詳細はわからない。
「だとすれば、『憩い場』以上に強力な『神具』の中に、ノイルは捕らわれているということになる」
エルシャンはホワイトボードに三つの円を描き、その中に文字を書き込みながら言葉を続ける。
「未確認の『神具』が使用された可能性もあるが、それよりも確率が高いのは、三害都市と呼ばれる『神具』の都市だ。『
エルシャンはそこで一度言葉を切ると、三つの円の内の一つをペンで指し示した。
「ボクとミリスは、今回ノイルを拉致したのは『浮遊都市』だと思っている。『隠匿都市』は無法者の集まりではあるが、義賊と呼ぶ者も多い。加えて彼らは自分たちが現れた証を必ず残していく。『海底都市』の者が活動するのは海の中だけでの事だ。それに、はっきりと見えなくとも『願望鏡』に映し出されたのは辺り一帯が白い場所に居るノイル――『浮遊都市』の特徴は、白い都市、だ。そして、何らかの手段で遠方にあるものを取り寄せる事ができるのはわかっている。これまでイーリストどころか全ての国や人が対処できてはいない。ミリスすら止める間もなくノイルを連れさる事ができるのは、『浮遊都市』だけだ。敵は奴らとみて間違いないだろう」
「エル、精霊からの情報は?」
他二つの円を消すエルシャンに、カウンターに寄りかかり腕を組んだミーナ・キャラットが尋ねる。
「今のところは、ないね」
「協力者は?」
「『月下美麗』は採掘跡を攻略中で、『双竜』は神出鬼没でつかまらないねぇ。『
エンシャンの代わりに答えたクライス・ティアルエが、やれやれといったように肩を竦める。いつも通り飄々としてはいるが、その目は真剣なものだった。ミーナが舌打ちする。
「ちっ⋯⋯半端な戦力は要らないしね」
「⋯⋯これは、世界が未だ成し遂げられていない大事だ。本来なら国と協力するべきだが、そんな時間はない。それでも――ボクはノイルのために『浮遊都市』を陥落させる」
一度目を閉じ、エルシャンはひと呼吸おいた。そして、再び目を開き、『白の道標』の店内に集まった皆に決意を込めた瞳を向ける。
「はっきりと言っておこう。敵は『神具』――つまり神を相手取るようなものだ。それも、一際別格の相手をね。勝てるかはわからないし、あのミリスが怒りのままに行動しない程の存在だ。命の保証はない」
「関係、ない」
エルシャンの言葉に、それまで黙り込んでフィオナたちの対面に座っていたシアラ・アーレンスが鋭い声を発し、ゆっくりと立ち上がった。そしてエルシャンを正面から見据え、平時とは異なる力強い声でもう一度言う。
「関係、ない」
「そうですね。シアラちゃ⋯⋯さんにはまだ思うところがありますけど、私も同意です」
フィオナが目を閉じ、シアラの言葉に頷いた。
「うん、関係ないよね。相手が何だとか、命の保証とか、ね」
ノエルが相変わらず『願望鏡』を見つめたまま、フィオナに続いた。
「だ⋯⋯ノイル様へと少しでも恩を返せる絶好の機会を、ソフィは逃そうとは思いません」
エルシャンの隣に控えていたソフィ・シャルミルが、胸に手を当て、彼女を見つめる。
「んー! ソフィちゃんだけじゃ、んないぜっ! そう思っているのは!」
クライスが一度ターンを決め、白い歯を輝かせた。
「そうね。『精霊の風』全員が、あいつには感謝してるのよ。やらないわけがないでしょ」
ミーナが珍しくクライスに同意し、不敵な笑みを浮かべる。
「いや」
壁に寄りかかっていたレット・クライスターが、身を起こし自分の掌に拳を打ち当て、にやりと笑う。
「恩があるとか、そんなのは関係ねぇ。んなもんがなくったって、ダチのためなら――大切な相手のためなら戦うに決まってんだろ!」
レットの言葉に、その場に集まった全員が頷いた。ミーナだけが頷いた後にはっとバツが悪そうな顔をしたが。全員ノイルを取り返すために『浮遊都市』を敵に回すことに、全く異論はないようだ。
『白の道標』のメンバーはともかく、自分の夫がこれ程思われていることに、未だ怒りは収まらないが、それでもエルシャンは僅かな笑みを零した。
「すまない、一応確認しただけだ」
「問題は、現在の『浮遊都市』の位置が不明、という点ですね」
ソフィがそう言った時、『白の道標』の扉が開かれる。現れたのは、この店の店主――ミリス・アルバルマ。
表情に怒りの色はない。だが、その姿、身に纏う抜き身の刀のような雰囲気に、エルシャンは自分が無意識の内に僅かに気圧されたのがわかった。一瞬の内に、場の空気は彼女に呑まれる。
その場に居るだけで、エルシャン程の実力者に冷や汗を流させる者がミリス以外に存在するだろうか。表に出さないだけで、彼女は今どれ程の怒りを内包しているのか――――頼もしいね。
間違いなく、今回の戦いの切り札はミリス・アルバルマだ。
エルシャンは僅かな恐怖を打ち消し、彼女に問いかける。
「首尾は?」
「場所はわかったのじゃ。疾く準備を整えよ」
「⋯⋯聞いての通りだ。ノイルの居場所が判明した。後は、移動しながら話すとしよう。各々準備を始めてくれ」
エルシャンは皆にそう言った後、行動を始める。
ミリスが『浮遊都市』の位置を特定する為に向かったのは王城だという事を、エルシャンは知っていた。王城には『浮遊都市』の位置を知ることのできる『神具』がある、と。
話をつけてくるとミリスは言っていたが、それが一体誰にかは考えるまでもない。
イーリスト王国、国王――レイガス・リウォール・イーリスト。その人だ。
Aランクの
だが、国の保有する『神具』を、そう安安と使わせてもらえるわけがない。ましてや、ミリスは一介のなんでも屋であり、そもそも国王と関わりがあるほうが異常なのだ。
その実力から当然只者ではないと思ってはいたが――
ミリス、君は一体――何者なんだい?
エルシャンは準備を進めながら、静かに唾を呑み込むのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます