第63話 宗教団体


 それは一瞬だった。

 一瞬の内に、気がつけば店長が目の前から消えていた。いや、彼女が僕の前からきえたのではない。僕が、店長の前から――『炭火亭』から一瞬の内に消えたのだと、目の前に広がる光景を見て、理解した。


 何が起こったのかはわからない。わからないが、どうやら僕は何故だか拉致されてしまったようである。


 ここ最近で二度目だよ、まったく。


 いや、シアラのは未遂だったし、何より別に犯罪ではなかったから違うか。限りなく犯罪に近い手法ではあったが、あれは単に心配した妹が、愚兄を迎えに来ただけだ。シアラに責任は⋯⋯多少あるかもしれないが、殆ど僕のせいなのでまあ良いだろう。ちょっとした悪戯みたいなものだ。


 だが、今回のこれは違う。

 これは完璧な拉致であり、完全な犯罪だ。


 目の前に並ぶ白装束の人物達を見ながら、僕はそう思った。

 やばいよ何だよこの状況、わけがわからないよ。一体僕が何をしたっていうんだ。何故こんな見るからに怪し気な人たちに囲まれなきゃいけないんだ。何をすれば許されるんだ。


 僕が今いる場所は、広々とした床も壁も真っ白な建物の中だった。天井は高い円蓋で、中央から光が射し込んでいる以外には窓などは見当たらない。床には幾何学的な模様が彫り込まれており、その中心に僕は立っているらしい。


 そんな場所で、白装束の集団は微動だにせずに僕を取り囲み、じっと見つめてくる。いや、正確にはこっちを見ているのかもわからない。何故ならば、彼? 彼女? たちは皆頭からすっぽりと、白い布を被ったような格好をしているからだ。頭の先が尖ったそれは、おそらく目の部分だけが丸く切り抜かれている。子供がシーツを被ってお化けだぞーとかやってるなら微笑ましいが、多分身体の大きさから判断するに大人の人たちだ。アホみたいな格好だ。しかしあまりにも不気味過ぎる。

 僕にはこちらを向いているいくつもの二つ空いた穴を見返す勇気はない。穴から覗いているであろう瞳と、死んでも目を合わせたくなかった。完全にやばい人たちだもんこれ。怖い、怖すぎる。おしっこちびりそう。


 取り囲む誰とも目を合わせないように、だらだらと汗を流しながら必死に顔を逸らしていた僕は、そこでようやく自分の身体の違和感に気づいた。

 何か――怪し過ぎる集団にこれだけ取り囲まれているにも関わらず何か――解放感が凄い。

 全ての重りから解き放たれたかのような――遮るものを全て取り払ったかのような――まるで、服を着ていないかのような――着てねぇ。

 服、着てねぇ。何にもねぇ。ねぇ、何これ。


 よくよく考えてみれば、僕はこの気が狂いそうな空間に来る直前まで、エールがなみなみと注がれたジョッキを持っていたのだ。それが無くなっていた時点で、おかしいと思うべきだった。

 あまりの衝撃に、認識能力が麻痺していた。自分が何一つ身に纏っていない、全裸だということにすら気づいていなかった。やばい奴じゃん。僕もやばい奴じゃん。

 今更かもしれないが、僕はそっとノイルくんを両手で隠す事にした。おしっこちびらなくて本当に良かった。


 え? でも何? この人たちは今までずっと一言も発さずに全裸の僕を見つめていたの? そういう罰ゲームなの? 生きてて楽しい?


 僕が羞恥と混乱と恐怖に頭をくらくらとさせていると、突然白装束の一人がどっと膝を着き、僕はびくっと身を震わせる。

 何、何なのよもう。これ以上は本当に耐えられないよもう。

 心も身体も極限まで防御力が低下している僕は、恐る恐る膝を着いた白装束へと顔を向けた。二つ空いた穴から窺えるのは、間違いなく人の瞳だ。この際もはやこいつらが人じゃなければ良いのにと思っていたのだが、世界はやはり僕に厳しかった。


「おぉ⋯⋯おぉ⋯⋯おぉぉぉ⋯⋯!!」


「えぇ⋯⋯」


 見開かれた瞳からは涙が溢れ、白装束は感極まったような声にならない声を発し――その場に倒れた。どうやら気絶したらしい。気絶したいのは僕の方なんだけど。気絶っていうか、死にたい。シンプルに、死にたい。


「え、何⋯⋯ほんと何⋯⋯」


 それがきっかけとなったのか、白装束たちは次々と膝を落とし、倒れていく。皆一様に声や身体を震わせ、感動に打ち震えるかのように、だ。僕の全裸が見るに堪えなくて気絶するのならまだ理解できる。僕だって突然こんな男の裸体を見せられたらゲロ吐くし。だが、明らかにそうではない。まるで――そう、僕をこの上ないものとして崇めているかのような反応だ。

 全裸の、僕を。全裸の、僕を。


 視線を向けるだけで、僕に見られた白装束たちはどんどん倒れていく。神か何かかな?


 いや、もういいよ。全員倒れてよ。その間に僕は何か着るものを探して逃げるから。ていうかそのシーツみたいな布奪って逃げるから。どうせこいつらは人を拉致する犯罪者集団なのだ。ならば僕も容赦などしない。


 もはや自棄になった僕は両手を広げる。羞恥心など捨て置いた。そもそも元々プライドはない。

 そして、できるだけ威圧感を込めた声で、円蓋から降り注ぐ光を浴びながら、神々しさを演出し、厳かに言い放つ。


「――私が、神だ――」


「おぉぉぉぉぉ⋯⋯⋯⋯!」


 残っていた白装束たちは殆どが倒れ伏す。まさか本当に効くとは思わなかった。何なんだこの人たちは。今の僕はマナすらまともに扱えないというのに。明らかな全裸の変態だというのに。


「さて⋯⋯」


 僕は残った白装束の二人を見る。一人は一際背の高い白装束で、もう一人は特徴のない白装束だ。おそらく白装束たちのリーダ的な存在なのだろう。周りよりも一歩前に立っている。並んで立つこの二人には僕のハッタリが通じなかったのか、他のアホな人たちとは違い、しっかりと意識があるようだ。


「――私が、神だ――」


 一応もう一度試してみるが、やはり気絶しない。いや、それが当たり前なのだが。

 しかしこうなっては厄介だ。今すぐ逃げ出したいのだが、マナを扱えない僕は普通に弱い。凄く弱い。果たしてこの二人を振り切って逃げ切れるだろうか。


 少し考えた末、僕はファイティングポーズを取った。そして、そのまま軽快なステップを刻む。全裸だが、もはやそんなことはどうでもいい。僕は一刻も早くこの場から逃げ出したいのだ。そうしないと頭がおかしくなる。


 しかし当然ながら、僕は戦うためにファイティングポーズを取ったんじゃない。僕はそんなに好戦的じゃないし、無謀な男でもない。これはそう、作戦なのだ。ただの神ではダメだった。ならば、違う神で攻めるのだ。

 軽快なステップを刻みながら、僕はクールに言い放つ。


「――我は、武の神――」


「いえ」


「あ、はい」


 背の高い白装束に低く響く声で言われ、僕はステップするのを止めて、大人しくノイルくんを両手で隠した。

 流石に無理があったようだ。もしかしたら怒らせてしまったかもしれない。こうなったら〈土下座キッス・ザ・グラウンド〉で黙らせる他ない。

 そう思い、僕が膝を着こうとした瞬間――


「え」


 白装束の二人が、僕よりも早く片膝を着き、頭を垂れた。


「貴方様こそ、我らの神――唯一神リュメルへルク様! ああ、遂に我らの前に顕現なされたのですね⋯⋯! その神々しく崇高で荘厳な神聖な御姿を⋯⋯このアイゾン・スゲハルゲンはずっとお待ちしておりました⋯⋯! 我らの深き信仰を、どうかお受け取り下さい⋯⋯!」


 僕が目を白黒させていると、背の高い白装束が、良く通る声で、崇拝するかのようにそう言った。その肩は喜びからか、震えている。

 僕も震えた。もう一人の白装束も震えているようだが、多分僕が一番震えている。もちろん恐怖にだ。


 何がどうなって僕がその⋯⋯何? リュメ⋯⋯何? リュメ⋯⋯リュメリ⋯⋯? ごめんちゃんと聞いてなかったかも。いやどうでもいい。どうでも良くないが、そこはどうでもいい。とにかく、名前はとにかく。一体何故僕がその何とかって神と勘違いされてるのかは知らないが⋯⋯一つだけ言えることはこれはあれだ。


 危ない宗教団体だ。


 危ない宗教団体が崇める神と、勘違いされているのだ。勘違いで拉致されたのだ。

 冷や汗がだらだらと流れてくる。いや、ここでそれはただの勘違いだよ。というのは簡単だ。簡単だが、そう言った時、彼らは一体どんな反応をするのだろうか。そもそも、信じてもらえるのだろうか。

 ダメだ、とても大人しく帰してもらえるとは思えない。


 イーリスト、いや、様々な神がかつて人と同じ様に暮らしていたと考えられているこの世界において、一神教などという考え方をする者たちの心当たりは、一つしかない。

 『浮遊都市ファーマメント』と呼ばれる『神具』に住み着き、『浮遊都市』を創造したという神を崇める国家――【神天聖国リュメルへルク】。


 ああ、そうか。

 さっき彼が言ったのは、リュメルへルクか⋯⋯詳しくは知らなかったが、自分たちが崇める神の名がそのまま国名になっているわけだ。

 もっとも、神天聖国はイーリストはもちろん、どの国からも国家とは認められていないが⋯⋯。


 神天聖国への認識は、大体どの国も同じだ。


 頭のおかしな厄介で危険な空賊団である。


 『浮遊都市』とはその名の通り、空に浮かぶ都市だ。一体どういう原理で飛んでいるのかは知らないが、『神具』に常識は通じないので深く考えても仕方ないだろう。


 普段は厚い雲に隠れており、一定の場所に留まらず常に移動し続けているため、まず発見することが難しい。そんなどの国も欲しがるような『神具』の中でも桁外れな存在に、いつしか勝手に住み着いたのが神天聖国と自称する彼らである。

 それだけならばまだ良いのだが、彼らは自らが崇める神が創造したものは全て自分たちのものであると主張し、他国が保有している『神具』を無理矢理奪い去っていくのだ。


 『神具』をどれだけ保有しているのかは、国力へと大きく影響する。貴重な『神具』を奪われる側はたまったものではない。しかし抵抗しようにも、神天聖国がどうやって『神具』を盗んでいるのかがわからないそうなのだ。気がつけば手元から消えているらしい。『浮遊都市』の力ではないかと言われているが、詳細は明らかになっていない。僕はたった今目の当たりにしてしまった気がする。


 もちろん全ての『神具』を問答無用で奪えるわけではないらしく、神天聖国が奪う事が出来るのは宝珠シリーズと呼ばれる、ガラス玉のような見た目をした『神具』だけだそうだ。彼ら自身も宝珠以外の『神具』には大して興味がない。

 つまり、その宝珠シリーズこそが、彼らが崇める神――リュメルへルクが創り出したものなのだろう。


 とはいえだ、何の取引もなく、一方的に奪うだけの神天聖国は、世界中から蛇蝎の如く嫌われている。しかし『浮遊都市』という圧倒的アドバンテージを持っている彼らは、それでも好き勝手に振る舞うのだ。というより、地上に住む者たちを滅茶苦茶見下している。人とすら思っていないのかもしれない。

 そんな世界三害都市の一つに認定されているのが、『浮遊都市』――【神天聖国リュメルへルク】だ。


 はい、やばい人たちです。


 そして僕はそんなやばい集団の神となってしまったようです。妹の歓迎会をやっていただけなのにどうしてこうなった。

 おまけに僕は今全裸で、マナも使えないときてる。しかも逃げようにも、ここはおそらく空の上だ。

 はは、笑える。


「助けて店長⋯⋯」


「店長⋯⋯? 申し訳御座いませんリュメルへルク様。貴方様の御言葉を理解できぬ、愚かな私に罰をお与え下さい」


 僕の情けない呟きが聞こえていたようで、えっと何だっけ⋯⋯アイゾンさんだっけ。とにかく彼が顔を上げてそう尋ねてきた。


「え、あ、いや⋯⋯気にしな⋯⋯気にするな」


 僕は慌てて、威厳のある演技をする。とりあえず、バレないようにすべきだ。僕が神じゃなくただの地上に住む人間だと知ったら、多分普通に殺される。


「おぉ⋯⋯! 何といと慈悲深きお方か⋯⋯!」


 いや、うん。

 その程度許さない奴なんて逆にいるのか教えて欲しい。

 白布の顔の辺りを濡らし、両手を組んで祈りを捧げるようにこちらを見ているアイゾンさ⋯⋯さんなくていいな。アイゾンを見て僕はそう思った。


 まあとりあえずだ。僕は腕を組んでごく自然に切り出した。


「アイゾンよ、何かその⋯⋯着るものはあるか?」


「おそれながら、その尊く清き御身を包む衣など、この世界に存在するはずがありません。リュメルへルク様は、そのままが最も穢れない美しき姿かと」


「え、あ、うん」


 リュメルへルクも昔この世界住んでたんだよ? 彼は常にフルチンだったの? いいの? そんな神で?


「じゃなくて⋯⋯その⋯⋯最低限の物で構わない」


 フィオナのおかげで培われた演技力を僕はいかんなく発揮する。


 服が! 欲しいのだ!

 お願い! だから! 服を! 下さい!


「でしたら⋯⋯百年程お待ち頂ければ、ご用意できるかと。リュメルへルク様にとっては僅かな時だとしても、お待たせしてしまうことにはなりますが⋯⋯」


「あ、はい」


 どうやら服はもらえないらしい。

 もう一人の白装束にも目を向けるが、未だ肩を震わせ膝を着いたままだ。

 僕は天を仰ぐ。

 そして今度は聞かれないよう心の中で思うのだった。


 助けて店長。

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