第23話 「何とかしてあげる」


 ノエル・シアルサは自室へ戻るとミリスをベッドへとそっと寝かせ、毛布をかけた。

 そして、ベッドに突っ伏すようにしてへなへなとへたり込む。その顔は赤く染まっていた。

 気恥ずかしさからそのまま顔を埋める。


 ちょっと大胆すぎたかなぁ⋯⋯。


 ノイルへと抱き着いていた時のことを思い出し、じたばたと声を押し殺して悶える。

 平然とした振りをしていたが、ノエルにとっては先程の行為はかなり思い切ったものであった。


 カリサ村は大きな村ではない。そこで暮らしてきたノエルには今まで出会いなど無く、憧れはしていたが色恋沙汰などとは無縁であった。このまま自分は独り身なのかと不安を覚えていた程である。


 しかし、そこにノイル・アーレンスが現れた。


 いい加減なように見えて肝心な時には頼りになり、ふざけているようで優しく、ちゃんとしていれば格好いいのに、抜けていて放っておけない。

 どこか――父に似た所のある青年だった。


 ノイル本人が聞けばそれは気の迷いだと一笑に付すかもしれないが、ノエルはそんな彼に惹かれていた。


 本来なら、ノエルはもっとゆっくりと仲を深めていったかもしれない。王都へと通い『白の道標ホワイトロード』を訪ね、きっとやる気なく働いているであろうノイルと他愛のない話をして、徐々に距離を縮めるのだ。


 村へと招待して手料理を振る舞うのもいいだろう。彼の趣味である釣りに着いていくのもいいかもしれない。そうしていつかは気持ちを伝え、結婚し、カリサ村で穏やかに暮らす。この村は娯楽は多くないけれど、ノイルは嫌いではないはずだ。


 この家に住み、子供を授かって⋯⋯二人は名前が似ているから、最初の子は名付けに苦労しないだろう。ノルというのはどうだろうか。この名前なら女の子でも男の子でも問題ない。子育ては大変だろうが、ノイルは何だかんだ言って自分の子に深い愛情を注いでくれるはずだ。

 案外、子煩悩な父親になりそうだ。もしかしたら子供に嫉妬してしまう日が来るかもしれない。


 落ち着いたら二人目、三人目と家族を増やし、近所でも評判の仲良し家族になるのだ。子供が出来たら夜の営みは減るかもしれないが、ノイルが自分を求めてくれるならいつだって受け入れるし、彼の望むことは何だってしてあげたい。

 そうして歳を重ねて、ノイルに看取られながら幸福に包まれつつ、人生を終えるのだ。彼には申し訳ないけれど、きっと先に逝かれてしまうことに自分は堪えられないだろうから。


 少々行き過ぎた想像ではあるが、それがノエルの理想であった。


 ゆっくりと顔を上げて、彼女はベッドの上の宝石のように美しい美女をじっと見つめた。

 少しでもノイルと触れ合えたからだろうか、今は穏やかな寝息を立てている。


 ミリス・アルバルマ――彼女の存在が、ノエルの望んだ未来は訪れないことを示していた。


 その瞳に強い決意を抱きながら、ノエルは三日前――ノイルが眠りへと落ちてしまった後起こった出来事を思い出す。







 ノイルの額へと軽く口付けをしたミリスは、そっと彼の身体を地面へ横たえると立ち上がりノエルへと振り向いた。


「の、ノイルはどうしたの?」


「心配ない。眠っておるだけじゃ」


 突然動かなくなってしまったノイルを心配する彼女の問に、ミリスは鷹揚と腕を組み答えた。

 その顔はどこか優越感に浸っているようで、何故かノエルは少し面白くないと感じてしまった。


「そっか⋯⋯えっとその、ミリスも本当にありがとう」


「うむ」


 だが、そんな気持ちに蓋をしてノエルはミリスに感謝を伝える。カリサ村が救われたのはノイル同様彼女が力を尽くしてくれたからだ。ならばその態度に多少引っ掛かりを覚えようとも、恩人に対して礼を失するようなことはしない。


「それで⋯⋯さっきのは?」


「《白の王》、我とノイルが生み出した魔装マギスじゃ。まあ言うなれば、二人の愛の結晶じゃな」


 得意気な笑みを浮かべてそう言ったミリスを見て、ちくり、とノエルの胸は痛んだ。


「そ、そうなんだ⋯⋯」


「素晴らしい魔装じゃ。その性能もさることながら、何より満たされる。ノイルと一つとなるのはのぅ」


「⋯⋯⋯⋯」


 ノエルは自分でも気づかぬ内に俯いてしまう。牽制しているのだろうか。ミリスの言葉はどこか自分とノイルの関係が、誰も割って入れぬ程に深いものであると言っているように感じる。

 事実そうなのだろう。ノイルは恋人ではないと言っていたが、二人の関係はただの仕事仲間という言葉ではとても足りない。否定してはいても、ノイルはミリスを気にかけているように思えるし、ミリスの方は言うまでもない。

 もはや執着と言ってもいい程に、彼に好意を寄せているのは明らかだ。


 私なんて⋯⋯。


 そんな二人の間に付き合いも浅く、ミリス程容姿が優れているわけでもなく、特別な何かを持っているわけでもない自分など割って入れるわけがない。何よりも、二人が深い絆で結ばれているのならそんなことは出来ない。そもそもノイルは自分を相手にしないだろう。

 ノエルは芽生えたばかりの気持ちを押し込めるように、胸をぎゅっと抑えた。


「貴様、ノイルに惚れたかのぅ?」


「え⋯⋯違っ⋯⋯」


 しかし、そんな彼女に対してミリスは配慮することもなくそう尋ねてくる。

 思わず慌てて否定しようと顔を上げたノエルはミリスを見て、言葉を失ってしまった。

 その顔があまりにも愉快そうに歪んでいたからだ。


「な⋯⋯」


「別に構わぬぞ。我は邪魔はせぬ。例え貴様と結ばれようともな」


 あくまで愉しそうにミリスはそう告げる。その言葉には嘘がないように思えるが、何故かノエルは微かな恐怖を覚えていた。

 いや、明らかにノイルに執着しているはずの彼女の態度――その齟齬に、言い知れぬ恐ろしさを感じるのだ。


「ノイルを、好きじゃないの⋯⋯?」


「好きじゃぞ?」


 即答。

 そして、ミリスは両腕を広げた。


「勘違いはするな。貴様と結ばれようとも、ノイルが我のものであることに変わりはない。ただそれだけの話じゃ」


 この人は――――おかしい。


「ノイルは我のものじゃ、未来永劫何があろうともな。ノイルもわかっておるじゃろう。じゃから貴様が何をしようとどんな関係になろうと問題はない。我はノイルの好きにさせてやりたのじゃ。貴様と結ばれたいと望むのならそれも良かろう。それもまた一興じゃ。どうせ本当の意味でノイルの心にあるのは我なのじゃ、邪魔はせぬよ。ああ、しかし我から離れようとするのなら話は別じゃ。まあそんなことノイルはせぬはずだから意味のない仮定じゃがな。どうした? 理解出来ぬという顔じゃな? まあわからぬのも無理はない。他者には理解出来ぬからこそ我らは特別なのじゃ。ノイルが我のものである証じゃな。ああ、じゃからと言って遠慮する必要はないぞ? 貴様も好きなようにするとよい。ノイルに惚れておるのであろう? 隠さずとも構わぬ、実は最初からそうなるじゃろうとは思っておったからのぅ。何せノイルは魅力的な男じゃ。むしろ我は嬉しく思うぞ、我のノイルをちゃんと理解してもらえてな。あれは自分のことを少々過小評価しておるからのぅ。そこも我は愛らしく思うのじゃがな。わかる者にはわかるのじゃから、ノイルはそのままで良いと貴様も思うじゃろう? まぁそんなことよりもじゃ。貴様は何故あれ程ノイルに構ってもらえるのじゃ? はっきり言って羨ましいのぅ。いや、もちろんノイルは我のものじゃが、照れておるのか我にはあまり構ってくれるのじゃ、それがちと寂しくてのぅ。その点ノイルは貴様を気にかけていたようじゃし、何か秘訣でもあるのかのぅ? もしあるのなら我にも教えてくれぬか? ⋯⋯ふむ、教える気はないか、まぁ構わぬ。なに、これからも我とノイルは一生共に過ごすのじゃから、その内に自然と構ってくれるようになるはずじゃからのぅ。慌てずゆっくりと時を待つとしようかのぅ。ああそれでじゃ、貴様に聞いておかねばならぬことがあるのじゃが⋯⋯のぅ? 貴様は我のノイルとどうなりたいのかのぅ? 本心を話すとよい。我はそれを受け入れよう。より親密になりたいかのぅ? 良き思い出としてここで別れておくかのぅ? それとも何か別の関係でも築くかのぅ? どんな選択でも構わぬが、忘れぬことじゃ。ノイルは何があろうと我のものであるということをな。さて、その上で――どうするのじゃ?」


 ノエルには爛々と瞳を輝かせ語るミリス・アルバルマが言っていることが全く理解出来なかった。


 実際彼女が言っていることは滅茶苦茶だ。まず大前提から間違えている。

 ノイル・アーレンスが自分のものであるという主張は絶対不変の事実であることのように語っているが、そこに彼の意思への考慮は一切なく、彼女の中だけで成立している事実だ。

 少なくともノイル本人は微塵もそんなことを考えていないだろう。親密でも長い付き合いがあるわけでもないノエルにすらわかることだ。にも関わらず、ミリスはノイルも当然受け入れているものだと信じて疑っていない。


 しかも彼女はその狂った前提を事実とした上でノエルに問うのだ。

 ノイルとどうなりたいのかと。彼の心は何が起ころうと自分のものであるから、例えノエルと結ばれようが構わないと。


 酷く常軌を逸した考えだ。

 おそらくミリス以外には到底理解出来ない思考だろう。理解したいとも思えない。


 だが、一つだけわかったことがある。


 ノイルはミリスを気にかけている訳ではない。

 彼女によって本人も気づかぬ内にそうさせられているのだ。計算によるものなのか天然なのかはわからないが、ノイルだけではミリス・アルバルマの手から逃れることは出来ないだろう。


 このままではあのぼんやりとした青年――ノエルの初恋の相手は、本人の意思に関わらず本当にミリスのものになってしまう。

 良い事なのか悪い事なのかはノイル次第ではあるが、彼はきっとそんなこと望んでいないはずだ。


 そう思った時、ノエルの心にこれまで感じたことのないような大きな感情が生まれた。使命感にも近いそれは、彼女を突き動かす。


 ノエルはぐっと拳を握り顎を上げ、自分の答えを待ち侘びている様子のミリスを挑むような瞳で真っ直ぐに見た。そして毅然と口を開く。


「私を――雇って」


「よかろう」


 ノエルの突然の提案に、しかしミリスは迷うこともなく即答する。


「中々おもしろい解答じゃ。それではこれからよろしくのぅ、ノエル・・・


 余裕に満ちた笑顔で、ミリスはノエルへと手を差し出すのだった。







 ノエルは眠っているミリスへとゆっくり手を伸ばす。

 そして、その首筋をなぞると頬へと手を添えた。


「――ノイルはミリスのものじゃないよ」


 優しげな笑み。しかしその声には強い響きが込められている。

 彼女はミリスの頭を一度撫で、静かに立ち上がり自室を後にした。


 足音を忍ばせて向かったのはノエルの父親の部屋――今はノイルが眠っている部屋だ。

 音を立てないように扉を開き、そっと中の様子を窺う。明かりなど持ってはいないが、彼女は今では暗闇を充分に見通せる程に身体強化をものにしていた。


 ノイルが教えてくれた技術、そう考えただけで自然とノエルの顔には笑みが浮かぶ。ベッドで静かな寝息を立てている彼を確認すると、その笑みは益々深まった。


 ここへ来たのはミリスが再びノイルの隣へと潜り込まないようにという理由だが、実のところそれは建前でしかない。

 単純に、ノイルの傍に居たかったからだ。


 そっと部屋へと入りベッドのすぐ傍へと座って腕を乗せ、眠っているノイルをしばらく無言で見つめたあと、ぽつりと呟く。


「ほんと、放っておけないなぁ⋯⋯」


 このままミリスの好きにはさせない。

 そうなってしまえばきっとノイルはダメになってしまう。先程の態度といい、本人も気づかぬ内にミリスに完全に取り込まれてしまうだろう。かといって彼女をどうこうするつもりはない。恩人であることは間違いないし、ノイルの件を除けばノエルはミリスのことは好きだった。


 それに、彼女をノイルから引き離すなどという事は不可能だろう。ミリスは絶対に許しはしないし、彼女にはそれをさせないだけの能力がある。


 しかしそれならば、それならばだ。

 ミリスは近くに居てもらっても構わない、その上で――――自分を愛してもらえばいい。


 彼女のことを気にかけない程に自分に夢中になってもらうのだ。そうすれば二人は友人程の健全な関係になるはずだ。

 ミリスには悪いが好きにしろと言ったのは彼女だ、ならば好きにさせてもらおう。


 だってそうしないとノイルが可哀想ではないか、彼は何も気づいていないのだ。それなのに既にその心は自分のものだと主張し、鈍くて抜けていて優しい彼を取り込むなどおかしい。

 だから自分が救ってあげなくてはいけない。自分だけがノイルを助けてあげられる。ノイルには自分が必要で、自分にも彼が必要だ。

 普段はだらしない彼だから、自分が傍について支えてあげるのだ。


 まったく手のかかる人だ。けれど何故だろうか、そんなところがすごく愛おしい。


「まったく、しょうがないなぁ⋯⋯」


 ミリスの言動が彼女を変質させてしまったのだろうか、それとも元々内に抱えていた気質だったのだろうか。

 いずれにせよ、ノエルは自分の思考もまた異質なものになっていることには気づかない。

 それは酷く純粋で歪な執着にも似た深い情愛だ。


 彼女は慈愛の籠もった眼差しをノイルに向け、蕩けるような笑みを浮かべた。


「何とかしてあげるって約束したもんね」


 ノエルはそれ以降一言も発することはなかった。

 ただ、穏やかに眠るノイルをノエルは微笑みながら眺めていた。

 夜が明けるまで、ずっと――――――。

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