第13話 邪推


 カリサ村に臨時設置されたスライムプールは、そろそろ店じまいの時を迎えていた。

 今では溶け残った雪のようにぽつぽつとその姿を残すだけになっている。夕陽に染められた村には、やがて夜の帳が降ろされるだろう。


 村長宅で改めて依頼を引き受けた僕たちは、今日はもうスライムプールが開かれているしまた新たなスライムが襲ってくる可能性も考え、一日様子を見ることに決めた。

 本格的な調査を始めるのは明日からである。


 それから村長宅を後にしたのだが、そこで僕は村の子供たちに絡まれた。

 何故僕だけがと思ったが子供には何かわかるものがあるのだろう。僕の精神年齢を同レベルだと敏感に感じ取ったのかもしれない。


 とにかく僕は子供たちに捕まり、スライムプールに引きずり込まれた。せっかくお風呂に入ったのに何をするのだと思ったが子供には怒れない。仕方なくばっちいとは思いつつも子供達と戯れた。何とも大人な対応である。


 スライムプールで泳いで追いかけっこをしたり、参戦してきた店長と一緒にスライム合戦をしたり。何故だが僕の味方は一人もいなかったので、無邪気な子供たちと信じられない速さでスライムを投げつてくる良い笑顔の店長にぼこぼこにされたが。傍から見たらいじめだと思われそうだ。

 遠巻きに僕らを見ていた村人たちも笑っていたのでこの村の治安が心配になった。


 ノエルは村人たちへの挨拶と説明、そのまま自宅の片付けへと向かってしまったので、スライム遊びには参加しなかった。居てくれたら僕はスライム合戦をもっと楽しめたかもしれない。いや、ノエルも普通に敵側になりそうな気がする。悲しい話だね。


 そんなこんなで僕たちは向こう三十年分はスライムを堪能した。もう一度遊びたいかと聞かれたら嫌だと即答するが。

 すぐに乾きはしたが、あのどろどろぐちゃぐちゃの感触はあまり味わいたいものではない。


 子供たちと手を振って別れた僕と店長は、現在ノエルの家にお邪魔していた。

 カリサ村には宿などないのでノエルが家を提供してくれたのだ。


 木造の平屋の内装は村長宅と然程変わらず、炊事場やお風呂などがあり、質素ではあるが人が生活していくには十分な機能を備えている。

 ノエルは一人暮らしのようなので、余っている部屋を貸してくれるらしい。

 とはいっても、余っているのは一部屋のみだったため、店長はノエルの寝室で眠ることになった。


「ふむ」


 風呂上がりの僕はノエルが提供してくれた部屋を見回し、顎に手を当てる。

 窓にはカーテンがかけられ、その側にはベッド、机と椅子、収納と至って普通の部屋だ。


「ふぅむ⋯⋯」


 僕はベッドに腰掛けつつ、一人でうんうんと頷く。近くの机へと手を伸ばし、すっと指で撫でた。

 ふむ、埃はなし、と。

 ノエルは昼間、おそらくスライムの片付けと、主にはこの部屋の掃除をしていたのではないかと思う。

 

「ノエルは未亡人だった⋯⋯?」


 一人暮らしだと聞いたときから家族は居ないのかなとは思っていたのだが、この家を見る限りでは誰かと一緒に暮らしていたように思える。

 では、誰と暮らしていたのか?


 多分だが、一緒に生活していた相手は一人だ。ならば両親ではないだろう。

 そうすると、考えられる可能性は一つ――そう、恋人だ。


「なんてこった⋯⋯」


 僕はベッドに仰向けに倒れ腕を額にのせた。

 ノエルはこの村で可愛がられて育ったのだと思っていたが、どうやら違ったらしい。


 僕の推測では、ノエルはおそらく元良いところのお嬢様だ。可愛らしいから多分そうだ。現在十七歳のノエルは成人と共に、愛し合っていた恋人と結婚しようとしたのだと思う。しかし、そこには障害があった。そう、その⋯⋯あれだあの⋯⋯身分の違いとかなんかその辺の⋯⋯深い事情だ。とにかく、許されざる恋だったのは間違いない。


 親の反対を受けたノエルがどうしたか――そう、駆け落ちだ。なんかこういう展開だと恋人たちは大体駆け落ちするからきっとそうだ。


 駆け落ちした二人は長い旅の末に、この村にたどり着いた。苦労したのだろう。きっとぼろぼろだったに違いない。

 傷ついた二人を見た村長夫妻は温かくこの村へと迎え入れた。面倒事に関わりたくはないと普通は思うだろうが、あの二人は善属性だ。格が違う。


 カリサ村での暮らしを始めたノエルと恋人は慎ましいながらも充実した、幸福で穏やかな生活を送ったのだろう。

 子供の居ない村長夫妻は二人をまるで娘夫婦のように思っていたのかもしれない。

 ノエル達は束の間の安寧を享受していた。


 しかし、だ。村で暮らし始めて半年⋯⋯いや、一年⋯⋯二年かもしれない。とにかくしばらく経った時、二人を不幸が襲った。そう――恋人が⋯⋯⋯⋯古傷が開いたとか。なんかそう⋯⋯どうすることもできない感じで、亡くなってしまったのだ。


 ノエルは哀しみに暮れた。絶望もしただろう。

 しかしそんな彼女の心を救ったのが、村長夫妻だ。善属性だから間違いない。

 そうなるとあの慈愛の眼差しや、気の置けないやり取り、この、長く使われている様子がないのに家具が置いたままになっている部屋も全て説明がつく。つくはずだ。


「気づきたくなかったな⋯⋯」


 ぽつりと呟く。

 まったく⋯⋯自分が嫌になる。普段は抜けているのに、こういう所だけ鋭いのだ。

 ノエルのこれまでの振る舞いを思い返し、やるせない気持ちが沸き上がってくる。


 今の僕の推測が正しいのならば、ここはノエルの愛していた――いや、今も愛しているだろう。その人物の部屋だ。

 本当は貸したくなかったのかもしれない。だが、彼女は優しく気丈な子だ。辛い思いを振り切って部屋を提供してくれたのだろう。


「大切に使わせて頂きます⋯⋯」


 合掌し、目を閉じる。

 僕は明日から、ノエルにもっと優しく接しようと決めたのだった。







 翌朝。

 目を覚ますと何故か店長が隣に寝ていた。いや、ある程度は予想はしていたのだが。

 というのも、これは『白の道標ホワイトロード』で働き始めてからしばらくして気づいたのだが、店長は普段の振る舞いからはあまり想像できないけれど割と寂しがり屋である。『白の道標』や自分がよく見知った場所であれば問題ないのだが、馴染みのない場所や初めて訪れた場所などでは、あまり一人では寝たくないようなのだ。

 

 今回は近くにノエルが居たので大丈夫かと思ったが、どうやらダメだったらしい。付き合いの長い僕のほうに来たようだ。


「こういう面だけなら、可愛らしいんだけどな⋯⋯」


 端正な顔立ちに長い睫毛。形の良い鼻に血色の良い潤った唇。

 穏やかな寝息を立てる店長は、こうして黙っていれば文句のない美人である。普段の言動で大きくマイナス補正がかかるのが残念でならない。


 僕も男なので、初めのうちはこうして店長がベッドに潜り込んでくる度に悔しながらも動揺していたが、今では慣れたものである。

 人間とは不思議なもので、絶対に慣れないと思っていたことも回数を重ねれば結局大したことではなくなるものだ。


「起きるか」


 だからもはや何の問題もない。

 僕は身体にかけていた布団を持ち上げ――


「⋯⋯⋯⋯」


 もう一度かけ直した。


 ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯?

 

 何でこの人は裸なのだろうか⋯⋯⋯⋯?


 流石にだ。流石にこんな事態は初めてである。一体何が起こったというのか、まったく意味がわからない。

 店長が突拍子もないことをするのはいつものことだが、これはいくらなんでも予想外である。


 だが、問題はない。問題はあるが問題はない。何故なら僕はクールな男なのだ。だから問題ないったら問題ない。


 まずは現状の確認だ。朝起きたら隣には裸の店長が寝ていて、僕のほうは昨晩着ていた簡素なシャツとズボンをちゃんと身に着けている。

 辺りに店長の服は見当たらない。となると、どういう事か⋯⋯まったく意味がわからないよ。


 次にどうすればこの状況から抜け出せるかだ。これは簡単だ布団をずらさないように僕がベッドから抜け出せばいい。問題があるとすればノエルへの対応だ。


 彼女は店長が居ないことにすぐに気づくだろう、そして探すはずだ。おそらく僕に心当たりがあるか聞くために、この部屋に来るだろう。それはマズイ。非常にマズイ。

 冷静に考えると僕はまったく悪くないのだが、こういう時責められるのは男だと相場は決まっている。世の中そういうものだ。


 つまりだ、僕がやらなければいけないことは、まずベッドから抜け出し、この部屋から出る。そして何食わぬ顔でノエルに挨拶し、ちょっと散歩にでも行こうぜ! と外に連れ出す。

 この時不審がられないために、爽やかさを装うのを忘れてはいけない。おそらく店長のことを聞かれるだろうが、知らぬ存ぜずで押し通せばいい。店長を探すために外に出る、という口実にするのもいいだろう。


 しばらく外に居れば店長もその内出てくるはずだ。ちゃんと服を着て。

 その時店長がノエルに何処に居たのか聞かれると思うが、そこは僕の十の奥義の一つ、〈変わらぬ家庭の味マナ・ボトル〉を使って店長の口にマナボトルを押し込もう。店長はマナボトルが嫌いなのだ。

 上手く行く気はしないが、僕が店長に挑めば彼女は遊びだと思って説明よりも僕を叩きのめすのを優先するだろう。そのまま有耶無耶にしてしまえばいい。


 オーケー考えは纏まった。この間三秒程だろうか。自分の頭の回転が恐ろしい。


 僕は今の天才的計画を実行に移すべく、そっとベッドを抜け出す。


「うむぅ⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯」


 抜け出せなかった。

 店長の白くしなやかな脚が、僕の脚に絡みついてきたからだ。そのまま僕の胸の辺りを握る店長。


「なるほど」


 この作戦は失敗だ。


 しかし、だ。こうなれば作戦そのニを実行すればいい。

 すなわち、店長を起こすのだ。

 そして口裏を合わせてここからノエルに気づかれないように、可及的速やかに出ていってもらう。店長が面倒くさがる可能性は大だが、そこは僕の百八の奥義の一つ〈賄賂パーフェクトコミニュケーション〉で説得しよう。

 使いたくはない手だが仕方ない。休日を一つ潰すくらいの覚悟はしよう。


「店長、店長起きてください」


「うにゅぅ⋯⋯⋯⋯」


 うにゅぅじゃない。

 僕は店長の肩を揺する。


「店長、朝ですよ」


「にゅふ⋯⋯⋯⋯」


 にゅふじゃない。


 ちくしょう起きやがらねえ。

 ていうか今ちょっと笑ったよね? 楽しそうな夢見てんじゃないよ。

 何で普段は隙がないくせにこういう時だけ無防備なんだ。今こそ緊急事態でしょうが。

 早くしないとノエルが来ちゃうだろ。


「ノイル、起きてる?」


 ほら来ちゃった。


 ノックの音と共にノエルの声が聞こえ、僕はびくりと身を震わせた。冷たい汗が背中を伝う。

 しかし、しかしまだ手遅れじゃない。ノエルがこの部屋に入ってこなければ問題ない。僕はまだ寝ている。そう、寝ているのだ。だから返事をしない。


「そろそろ起きて⋯⋯って何だ。もう起きてるじゃん。何で返事しないの?」


 入って来たよおい。

 そりゃそうだよね。ノエルはどうやら僕を起こしに来たようだし当然だよね。まいったねまったく。


「や、やあノエル。おはよう」


「おはよう。ねぇノイル、ミリス見なかった? 起きたら何故か服だけしかなかったんだけど⋯⋯」


 咄嗟に店長を隠すため横向きに体勢を変えた僕に、ノエルが昨夜店長が着ていたワンピースタイプの寝間着パジャマを持ち上げながら問いかける。

 件の店長は現在僕の背後から抱きつくようにして眠っている。毛布を頭から被せたので、ノエルの位置からはまだ気づかないはずだ。


「うむぅ⋯⋯」


 馬鹿たれ。

 声を出すんじゃないよ声を。


「ん? 今何か⋯⋯」


「うむぅ!」


 僕は店長の声音を真似て奇声を上げた。


「⋯⋯⋯⋯」


 ノエルが不気味なものを見るかのような視線を僕に向けたが、背に腹は代えられない。

 僕らの間にしばし訪れる沈黙。


「え、何⋯⋯? どうしたの⋯⋯?」


「ちょっと朝の発声をね。うむぅ! うむぅ! うん⋯⋯うむぅ!」


 恐る恐る尋ねてきたノエルに応え、あたかも喉の調子を確かめるかのように何度か奇声を上げる。

 ノエルは一歩後ずさり、ドン引きしているが僕は止めない。


「うむぅ! それより、うむぅ! 店長だっけ? んんうむぅ! 僕は、うむぅ! 知らないなぁ。何処か出かけたんじゃないの? うむぅ! よし、いい感じだ」


「そ、そう⋯⋯その、起きたなら⋯⋯えっと

、ご飯準備するから⋯⋯それ⋯⋯⋯⋯終わったらえっと⋯⋯⋯⋯⋯⋯出てきてね⋯⋯⋯⋯」


「うむぅ!」


 頬を引き攣らせているノエルに奇声で返事する。激しく何かを失っていってる気がするが、なんとか誤魔化せたはずだ。


「なんじゃ⋯⋯うるさいのぅ⋯⋯」


 今起きんなよ。


「え⋯⋯⋯⋯?」


 ノエルが固まった。僕も固まる。嫌な汗がダラダラと流れた。

 そんな僕らを他所に、一糸纏わぬ店長が目を擦りながらゆっくりと起き上がる。


「ふわ⋯⋯朝か。よく寝たのぅ。おはようじゃ」


 欠伸をしながら伸びをする店長。ノエルは能面のような表情になり、その瞳からは光が消え失せていた。


「ノイル、昨日は楽しかったのぅ」


 スライム合戦がね。

 多分これスライム合戦のこと言ってるからね。勘違いしないでよね。


「うむぅ!」


 僕は自棄になり、奇声を上げるのだった。

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