第14話 どうしようもない男


「ノイルとミリスって結局どういう関係なの?」


 鬱蒼と木々が茂る森の中を歩きながら、ノエルが僕にそう聞いた。


「上司と部下だよ」


 正確に言えば主と奴隷だが。


「それだけには見えないけど?」


 前を歩くノエルが振り返り、僕をじと目で見る。

 今朝の誤解は僕の涙ながらの説明で一応解けた。解けたのだが、ノエルの僕らへの評価は下がった気がしてならない。

 

 僕らは今、カリサ村近くの森の中に居た。

 スライム大量発生の原因を調査するためだ。


 店長は別行動で、再度のスライム襲撃を警戒しながら村周辺を調査している。ノエルは案内役として僕に同行した形だ。

 正直役割は逆が良かったが、僕では大量のスライムが出た場合店長ほど簡単には処理できないので仕方がない。


「私には関係ないけどさ⋯⋯」

 

 まあノエルが文句を言いたくなるのもわかる。せっかく厚意で家に泊めたのに、泊めた相手が許可もなく勝手にふしだらな行為をしていたら、僕なら殴ってる。助走を付けて。

 僕らはふしだらな行為をしていたわけではないが、ノエルとしてみれば思い出の部屋を穢された思いなのかもしれない。店長が裸だったのは彼女が服を掴んで寝ていたからという理由があったのだが、言い訳にはならないだろう。


「恋人でもないのに、あれはおかしいと思う」


 そう言ってノエルは再び歩き出す。


 僕だっておかしいと思うよ? たださ、あの人はおかしな人なんだ。僕はおかしなことに巻き込まれているだけなんだ。


「ミリスはともかく、ノイルがちゃんとしなきゃダメだよ」


 僕⋯⋯だと⋯⋯?


 ははっ、いやいやまったく何を言っているんだいノエルは。僕は常識のある人間だよ? 

 だからこそ変人である店長とも何とか付き合っていけるんだ。店長が変である分、僕がまともだからバランスが取れているんだよ。


「僕はちゃんとしてるよ? 店長が変なんだ」


「私から見たら、ノイルも十分変だから」


 なん⋯⋯だと⋯⋯。


 腰に手を当てて呆れたように振り返るノエルを見て、僕はがくり、とその場に膝をついた。


「え⋯⋯そ、そんなにショック⋯⋯? ていうか自覚なかったの⋯⋯?」


 あるわけない。僕はダメな奴だが常識人ではあったはずなのだ。

 確かに属性は汚属性だが、変ではないと信じていた。


「店長よりはマシだよね⋯⋯?」


「え、同じくらい⋯⋯⋯⋯」


 せめてもの希望も打ち砕かれ僕は地面に蹲った。嘘だ、そんなわけがない。僕が、この僕が店長と同レベルだなんて。一体僕のどこがあの人くらい変だって言うんだ。信じない、信じないぞ僕は。

 地面を殴りつける。


「クソッ! 僕の⋯⋯! 何処が変だと言うんだッ⋯⋯!」


「え、そういうとこだけど⋯⋯⋯⋯」


 僕は地面に倒れ伏す。

 なんてこった、もう立ち上がる気力も沸いてこない。つまり、そういうことか?

 今まで僕は店長と同じ目で周りから見られていたということなのか? そんなの耐えられない。すごく滑稽じゃないか、一体この先どうすればいいんだ。


「もう⋯⋯しょうがないな」


 倒れたまましくしくと涙を流す僕の前に、ノエルが屈み込んだ。顔を上げた僕にノエルが優しく微笑みながら手を差し出す。


「ほら、そんなに落ち込まないで。私は二人とも嫌いじゃないから」


 ノエルに手を引かれ、僕はのそのそと立ちあがった。彼女は僕の服についた草や葉を空いている方の手で取ってくれる。


「ほら、こんなに汚れて⋯⋯はい、綺麗になった」


 何故だろうか。ノエルに優しくされる度に、僕の情けなさがどんどん上がっていってる気がする。これではまるで面倒で手のかかる子供のようだ。

 おかしいな、ノエルは僕よりも年下のはずなのに、彼女から母性を感じる。

 一体彼女の中で僕の評価はどうなっているのだろうか。完全に下に見られている気がするので、ここからは少し大人な振る舞いを心がけるべきだと思った。


「ね、ちょっと休憩しようよ」


 そう言うと、彼女は僕の手を引いて歩く。すると森が開け、目の前には川が流れる場所が広がった。

 木々の間を流れる川には木漏れ日が差し込み、川辺には大きな岩や石、苔の生えた倒木が転がっている。


 うわぁい! 川だ川だ! 何が釣れるのかな?


「だから、そういうとこだって⋯⋯」


 思わずノエルの手を振り払って駆け出した僕の後ろから、ノエルの呆れたような声が聞こえた気がするがそんなことよりも川だ。

 中々いい場所だと思う。何が棲息しているのかはわからないが、針を垂らせば何かしらの出会いはあるだろう。新しい釣り場というのは実にわくわくする。


 惜しむらくは僕は今釣り道具を持っていないことだ。今回の仕事にまーちゃんを連れてこようかとも考えたが、愛する人を危険に晒すような真似はできない。今彼女は王都で僕の帰りを待ちわびていることだろう。


「いい場所でしょ?」


「うん、今釣具を持ってないのが残念でならないくらいだ」


 川辺に立ち、顎に手を当てて眺めている僕の隣にノエルが歩いてきた。


「釣り好きなんだ? あ、そういえば最初会ったとき魚持ってたもんね」


「大好きだね。あれは⋯⋯別に僕が釣ったわけじゃないけど⋯⋯」


「ふーん」


 そう言いながらノエルは近くの岩に腰を下ろすと、隣を軽く叩く。


「ほら、ノイルも座って。お昼にしよ」


 僕は空を見上げる。木々の隙間から覗く太陽は既に高く登っており、時間的にはなるほどお昼ご飯には丁度いい頃だろう。

 何より僕は休憩は大好きだ。まだスライム問題の方はまったく進展がないが、ノエルがそう言うのなら否やはない。

 川の流れる音を聞かながら休憩するというのも乙なものだ。そう思いながら、僕は荷物からサンドイッチを取り出すノエルの隣に腰かけた。


「はい」


「ありがとう」


 ノエルから彼女お手製のサンドイッチを受け取り口へと運ぶ。うん、美味い。まあ僕の舌は大抵の食べ物は美味いと認識してしまうのだが、ノエルが作った物なら僕以外でもそう思うだろう。彼女は良いお嫁さんだったはずだ。今は亡き旦那さんが少し羨ましく思えた。


「そういえば、ずっと気になってたんだけど」


「ん、なに?」


 自分の分のサンドイッチを両手で持ち、頬張りながらノエルが尋ねてくる。


「あの人って、『白の道標ホワイトロード』には居ないの? ほら、あの空色の髪のすっごく綺麗な人。関係者だよね? 私、あの人からお店を紹介されたんだけど⋯⋯」


「ああ、フィオナかな」


 僕がサンドイッチを食べ切ると、ノエルがおかわりを渡してくれた。それを食べながら僕は考える。

 なるほど、何故ノエルがあまりひと目につかない場所にある『白の道標』を見つけられたのか気になっていたけど、どうやら後輩であるフィオナの仕業らしい。

 彼女は真面目に宣伝活動に勤しんでいるようだ。余計なことしなくていいのに。


「フィオナさんっていうんだ」


「うん、彼女は一応『白の道標』の従業員なんだけど⋯⋯今は旅に出ててさ」


「旅?」


「カリサ村に来たならわかると思うだろうけど、その⋯⋯宣伝活動? そんな感じ」


「ふーん、そうなんだ」


 ノエルは納得したように頷く。

 しかしこれはマズイな。フィオナは優秀な子だ。ノエルが『白の道標』に来たように、これからも依頼人が増える可能性が高い。

 彼女は優秀な子ではあるが少し独特な感性を持っているので、何故か僕のためにと言って宣伝の旅に出たのだが、僕はそんなこと望んじゃいない。むしろ仕事が増えるとか迷惑な話である。どうにかしてフィオナを止めなければ。

 でも、僕は今彼女の居る場所すら知らないからなぁ⋯⋯。


「それで、ノイルとはどんな関係?」


「ん?」


 僕が頭を悩ませていると、ノエルが再びおかわりを渡しながらそう聞いてきた。

 それを受け取りながら答える。


「後輩だよ。僕よりずっと優秀だけどね」


「本当にそれだけ?」


 訝しむようなノエルに頭をひねる。何かおかしな点があっただろうか。


「そうだけど?」


「ノイルってさ、何か女性関係にだらしない気がするんだよね」


 じとっとした目で探るように見られながらそう言われてしまった。ノエルはふいとそっぽを向き、サンドイッチを頬張りながら続ける。


「ミリスもだけど⋯⋯その、フィオナさんともなんか爛れた関係を築いてそうな気がする」


 何を言うんだ、非常に心外である。僕は女性関係には気を使っているのだ。それに既に僕の心の中には愛する人まーちゃんが居る。そもそも店長と爛れた関係など築いていない。断たれた関係は築きたいが。

 これははっきりと言っておく必要があるだろう。


「店長とのことは誤解だって⋯⋯あと、僕にはもう恋人がいるから」


「え、そうなんだ?」


 驚いた様子で僕を見るノエルに、胸を張って応える。


「うん、まーちゃんって言うんだ。彼女は最高だよ」


「ふーん、まーちゃん⋯⋯ね、本名は?」


「魔釣り竿」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 わくわくした様子だったノエルは、まーちゃんの名前を聞いて微妙な表情になると黙ってしまった。どうかしたのだろうか?


「⋯⋯人間?」


「釣り竿だよ。正確には魔導具だね」


「⋯⋯⋯⋯そうなんだ。良かったね」


 ノエルはそう言ってくれたが何故だろう、哀れみのような視線を感じるのは。いや、きっと気のせいだな。だって僕とまーちゃんはベストカップルなのだから、哀れまれる理由がないのである。


「それにさ、恋人がもし居なかったとしても」


「居ないけどね」 


 何故かノエルに突っ込まれたが、理由がわからないので気にしないことにする。


「店長はともかく、当のフィオナ本人からも、妹からも女性関係には忠告受けてるし大丈夫だよ」


「あ、兄妹いるんだね。それで、何て言われたの?」


「二人とも、自分以外の女性には心を許すなってさ」


「ふーん⋯⋯? ⋯⋯⋯⋯え? あっ」


 僕の話を聞いていたノエルが突然サンドイッチを取り落としそうになる。彼女は慌てて落下するサンドイッチを受け止めた。ナイスキャッチだ。

 一度ほっとした様子を浮かべたノエルは、恐る恐るといった感じで僕に向き直る。


「⋯⋯それ、以外には? 何か言われてる⋯⋯?」


「えーとそうだな⋯⋯自分からは女性に近づくなって。あと、何かあったら大変だから、女性と話したらその内容を教えてとも言われたかな。まあ、二人とも今は近くに居ないし教えられないけどさ。そもそも僕こんなだからあんまり話さないし。でも、何故か知ってるからいいかなって。それにしても二人とも同じこと言うなんておかしいよね、あはは」


 適当な僕とは違い、二人はしっかりしている。だから僕がちゃんとしている必要もなく、何かあれば二人が何とかしてくれるのだ。

 僕が伝えなくても把握してくれているようだし、まったく楽な話である。そう考えれば僕は幸せ者かもしれない。まあ、妹とはもう随分会っていないけど。


 しかし、笑って話す僕とは対照的にノエルは震えながら自分の身体を抱いていた。寒いのかな? 季節的には問題ないが、森の中ってやや肌寒いしね。


「⋯⋯⋯⋯私、大丈夫かな?」


「え? 何が?」


「本当に何も気づいてないんだ⋯⋯?」


 ノエルが何を言っているのかがわからない。何故馬鹿を見るような目を向けられているのかもわからない。

 今の話に何かおかしなところでもあっただろうか? 顎に手を当て、頭を捻ってみるが思い当たることはない。

 そんな僕を見て、ノエルは何故か頭を抱えた。


「え⋯⋯ミリス⋯⋯囲われ⋯⋯計算? 無自覚? ⋯⋯フィオナさんと妹⋯⋯徹底的に管理⋯⋯⋯⋯しかも⋯⋯自覚⋯⋯え⋯⋯逃げられない⋯⋯逃さない⋯⋯? マインド⋯⋯コントロール⋯⋯⋯⋯?」


 一体どうしたというのか。小さな声で何事かをぶつぶつと呟いている。途切れ途切れに聞こえる声を聞いても何を言っているのかがわからない。

 何だか忙しそうなので、僕は残り一口となったサンドイッチを咀嚼した。うん、美味い。

 お腹もそこそこ膨れたし、もう少し休んだら調査を再開しよう。


 僕がお腹を擦りながらそんなことを考えていると、突然ノエルにそっと両肩を掴まれた。

 何かあったのかと彼女を見ると、ノエルは深刻そうな瞳で口を開く。


「ごめん、私が間違ってた。ノイルは悪くないんだね⋯⋯」


 意味がわからないが、何だか僕の評価が改善されたらしい。悪いことではないはずなのでノエルに合わせておく。


「そうなんだ、やっとわかってくれたか」


「うん⋯⋯ノイルはただ⋯⋯馬鹿なだけなんだね」


 おかしいな。どうしてそうなってしまったのか。この世は不思議である。


 しかしノエルは辛辣な言葉とは裏腹に、優しげな微笑みを浮かべていた。可哀相な人間に向けるかのような慈愛の瞳の中には、同時に強い決意のようなものが窺える。まるで、「私が何とかしてあげるから安心して」と言われているようだ。


「私が何とかしてあげるから」


 言われた。


「ノイルは何も考えなくていいから」


 とりあえず、僕はクールに頷いておいた。

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