第12話 僅かなやる気


「うわぁ」


 カリサ村は長閑な農村だった。人口は五、六十人程だろうか。腰ほどの柵で囲まれ麦畑が広がり、木造りや土壁の家がぽつぽつと建ち並んでいる。


 中央には広場があり、その中心には井戸があった。

 村から離れた位置には森が見え、そこを通過するように川が流れている。

 魔物等の襲撃に多少不安は覚えるが、この辺りには強力な魔物など棲息していないし余程のことがない限りは大丈夫だろう。


 特筆すべき点はなく娯楽の少なそうな村ではあるが僕は嫌いではない、むしろ好きだ。

 何より近くに川があるのがいい。何故なら釣りができる。こんな村に住んでのんびり暮らすのも悪くはないだろう。いや、実際のんびりしてるのかはわからないけど。


 そんな僕好みのカリサ村だが、現在は少々異様な姿へと変貌していた。


「うわぁ」


 再び僕の口からそんな声が漏れる。

 何故なら牧歌的な村のそこら中、辺り一体に、これでもかとばかりに、ゼリー状の青色をしたスライムの体液が散らばっているからだ。


「な、何これ⋯⋯」


 僕の腕の中でノエルが唖然としたように声をあげる。

 わかるよ、気持ち悪いよねこれ。何だよスライム美容液って、こんなの使ってる女性には申し訳ないけど触れたくないよ僕。

 

 本当は嫌だったが村の入り口に馬車を停めていた僕は、仕方ないので魔装を解除してスライムカーペットの上に降りる。


 うわぁ。


 ずにゅるん、と深く埋まり、盛大に顔を顰めた。スライムカーペットじゃないやスライムプールだこれ。

 そのままノエルを抱え村の中へと歩みを進める。


 歩く度にぶにゅるんとした感触が襲ってくるので僕の足取りは重い。

 腰辺りまでスライムに埋もれているため、靴の中にもズボンの中にも当然スライムは入り込んでおり、ぐちゃぐちゃと歩く度に掻き回されて言うまでもなく気持ち悪い。

 もうちょっとしたスライムの海だよこれ。釣りは出来そうもないけど。


「じ、自分で歩けるよ?」


「いや、気持ち悪いから止めたほうがいいよ。それとも嫌だった?」


「い、嫌っていうかこれ⋯⋯」


 申し訳なさ気に言ったノエルにそう尋ねてみる。

 僕は女性には紳士であることを心がけているので、ノエルを所謂お姫様抱っこというやつで抱えて運んでいたのだが、やはり僕では嫌だっただろうか。

 彼女は歯切れ悪そうにやや頬を染めて僕から視線を逸らした。


 何か恥ずかしそうだ。

 ああそうか、ノエルも女の子だ。憧れていたものがあるのだろう。まったく僕は抜けている。気が付かなくて申し訳なく思った。


「泳ぎたかった?」


「⋯⋯⋯⋯意味わかんないんだけど」


 じと目で睨まれた。

 おかしいな。女の子だしスライム美容液に憧れていて、全身で感じてみたかったのだと思ったのだが。まあただのスライムの体液で泳ぐなんて止めておいたほうがいい。ばっちいだけだ。それにマブダチがこんなの使ってたら嫌だ。


 そんなことを考えつつノエルに睨まれながら歩いていると、村の広場へとたどり着いた。


 そこでは店長がスライムプールで泳いでいた。


「おお、ノイル! やっときたのぅ」


 びちゃびちゃと音を立ててこちらに泳いできた店長に僕は冷めた視線を向ける。


「店長、ばっちい」


 僕は抱えているノエル共々、スライムの体液をぶっかけられた。

 店長は笑い、ノエルは悲鳴を上げていた。







「いやぁこの度は、助かりました」


「本当に、もうどうなることかと⋯⋯」


 よく使い込まれたテーブルを挟んで僕らの向かい側に座る朴訥とした村長夫妻は、店長と僕へ感謝の言葉を述べていた。

 場所はスライムの被害が比較的に少なかった村長夫妻の家の中だ。やはり村長家は格が違った。いや、たまたま位置的に無事だっただけで、他の家とそう変わらないけど。


 村はスライムの体液が広がり、正直もうどうにかなっているがしばらくすれば元に戻るだろう。スライムの体液は適切に保存しなければ、すぐに蒸発してしまうからだ。


 それまでの一時の間はスライムプールを楽しめばいい。僕は嫌だけど。

 現に村の子供達は元気に遊び回っている。微笑ましいね。遊び終わったらちゃんとお風呂に入るんだよ。ばっちいから。スライムって糞とかも平気で食べるから。


「いや、大したことはしてませんよ」


「大したことっていうか、ノイルは何もしてないでしょ」


 したよ? 応援とか。


 僕が謙虚に応えると、隣に座るノエルに呆れたようにツッコまれた。

 彼女はスライムを洗い流すために村長宅でお風呂を借りたため、今はまだ乾いていない髪を梳いている。


「いやいや、この村を救いに来て下さっただけでもありがたい」


「ええ、本当に」


 何だこの夫妻。

 もしかして善属性か? ノエルと同じ属性だとは恐れ入った。僕この村に越してきてもいいですか?


 僕のふざけた発言にも気分を害した様子もなく、にこにこと笑顔を向ける二人が眩しい。

 このままでは汚属性の僕は浄化されてしまうため、変属性である店長の髪を梳くのに集中しよう。


 ノエルと同じく風呂上がりの店長は、僕の膝の上で足をパタパタさせている。どうやらスライムプールで泳げてご機嫌らしい。

 スライム塗れだった二人は仲良く一緒にお風呂に入った。もうばっちくない。


 もちろん僕も二人の後に入った。僕もばっちくない。

 今思えば村長夫妻より先にというのは、少々無遠慮だったかもしれないが、二人が薦めてきたのだから大丈夫だろう。

 夫妻もちゃんとその後に汚れを洗い流したようだし。皆仲良く風呂あがりだ。


 何だろう⋯⋯一件落着だな。

 スライムも全部(店長が)倒したし、とても良い雰囲気だ。事件は解決したように思える。万事解決、問題なしだ。

 これは、もう帰ってもいいんじゃないか?


「しかし、この様子ではまた集まってきそうじゃのぅ」


 何でそんなこと言うの? 髪梳くの止めるよ?


 店長が発した不穏な言葉で、和やかだった雰囲気が崩れる。にこやかだった村長夫妻の顔が一気に強張った。

 恐る恐るといった様子で村長が尋ねる。


「やはり⋯⋯そう思いますか?」


「うむ、これは明らかに異常じゃ。このまま解決、とはいかんじゃろうな」


「ああ⋯⋯どうしたら⋯⋯⋯⋯」


 村長夫人が額に手を当て、深刻そうに俯く。

 どうすんだよこの空気。無駄に不安にさせちゃだめだよ。


 仕方ないので解決案を提示してみることにする。


「採掘者協会に依頼しましょう」


「⋯⋯⋯⋯」


「いひゃいいひゃい」


 ノエルに無言で頬を抓られた。

 いやだが待ってほしい。確かに一度引き受けておいて無責任かもしれないが、何も僕はカリサ村を見捨てようというわけではない。

 むしろより確実な方法で村を救おうとしているだけだ。


 『白の道標ホワイトロード』が採掘者協会に依頼を出せばいいのだ。そうすれば問題は解決へと向かうだろう。もしも依頼料が高くついたとしても店長ならば余裕で払えるはずだ。


 所謂、業務委託のようなものである。

 カリサ村から僕らが引き受けた仕事がちょっと大変そうなので、別の業者を雇って手伝ってもらうだけだ。

 『白の道標』は労せず無事依頼を達成したことになるし、カリサ村はその道のプロに問題を解決してもらえる。

 みんな笑顔で僕も笑顔。誰も損しない賢いやり方だ。


 みんなの笑顔のためならば、僕は王都まで喜んで馬車を走らせよう。マナボトルは高価なので、節約するために採掘者協会へと依頼を出したあとは残念ながら村に戻って来られなくなるが、採掘者マイナーが到着するまでの間スライムが再び襲ってきても頼りになる店長がいる。

 僕は王都で皆の無事を願いながら、釣りでもして吉報を待とうじゃないか。


 完璧だ。天才にもほどがある。


「ノイル、我はこの依頼を譲るつもりはないぞ」


「あ、ひゃい」


 ですよね。

 頬を抓られながらそんなことを考えていたら、腕を組んだ店長がきっぱりと言い放った。

 僕はその姿を見て思う。


 もうこれはダメだ、完全にスイッチが入ってしまっている。もはや僕が何と言っても店長は止まらないだろう。こうなったら最後まで付き合うしかない、せっかく名案だと思ったのに。

 僕はがっくりと肩を落とした。


「はて⋯⋯? あなた方は採掘者ではないのですかな?」


「あ、えっとね⋯⋯この人たちは、えっと⋯⋯?」


 僕らのやり取りを見ていた村長が不思議そうな表情をしている。

 ノエルが慌てたように説明しようとするが、何と言うべきか悩んでいるようだ。


 わかるよ、僕らは何なんだろうね。『白の道標』って何なんだろうね。なんでも屋って何なんだろうね。採掘者という存在がいるのになんでも屋って意味わからないよね。

 ていうかそろそろ手、離さない? 離さないか、そっか。


「我らは『白の道標』、なんでも屋じゃ。ノエル・シアルサから依頼を受け、この村の問題を解決しにきた」


 そんな僕の考えを他所に、店長は胸を張り堂々と言い放つ。

 しかし僕に髪を梳かれながら言っているせいで、何とも締まらない。


「えっと⋯⋯そういうこと」


 ノエルは気まずそうにそう言った。

 まあ気まずいよね、おそらく彼女は村を代表して採掘者へと依頼を出しに王都へ出発したはずだ。なのに、連れて戻ってきたのはなんでも屋を名乗る怪し気な二人組である。


 僕に髪を梳かれる店長と、ノエルに頬を抓られている僕。そりゃ村長夫妻も不思議そうな顔するよ。

 だからノエルはそろそろ手を離さない? 離さないか、そっか。


「心配するでない。『白の道標』は採掘者協会よりも優れておるからのぅ。我らにかかればこの程度の問題など造作も無いことじゃ。大船に乗ったつもりでおるとよいぞ」


「はぁ⋯⋯」


 自信満々に話す店長に、村長夫妻は顔を見合わせたあと頷く。

 現在従業員たったの三名の店が採掘者協会より優れてるとかどう考えても過言なのだが、村長夫妻はそんなこと知らない。

 何だか騙している気分になる。詐欺だろこれ。

 まあ僕はともかく店長は超人だし、今は居ないけど後輩のフィオナは賢く優秀だ。確かにこの二人がもし採掘者だったのなら、かなりの高ランクとなるだろう。


 そう考えるとあながち⋯⋯いや、やっぱり過言だわ。


「わかりました。あなた方にお願いします」


 夫妻が揃って頭を下げる。

 いやいや、無理しなくていいんですよ。やっぱり採掘者のほうが安心できるって正直に言ってくれてもいいんですよ。

 そうしたら僕はちょっとひとっ走り王都まで行ってきますから。遠慮しないで下さいよ。


「先程も助けて頂きましたしな、それに⋯⋯」


「ノエルちゃんが信用した相手なら、私たちは疑ったりはしません」


「二人とも⋯⋯」


 顔を上げた村長夫妻は穏やかに微笑んでノエルを見る。その目は慈愛に満ちていた。まるで大切な孫に向けるかのような表情に、ノエルはぎゅっと胸の辺りを握る。

 きっと、ノエルはこの村で愛されて育ったのだろう。


 何だかいい話っぽくなっているが、僕はあまりついていけていない。だってほら、僕は汚属性だからね。善属性とは相容れないんだ。

 今だってまだ、採掘者協会に頼んだほうがいいんじゃないかなぁとか思ってる。クズだね。

 そりゃノエルも抓んだ手を離さないよ。


 ていうかこれって僕らの責任増してない? もうこんなの失敗できないよ。もしこれで問題解決できなかったら、ノエルの信用にも関わりそうだ。まあこの夫妻はそんなことで彼女を責めたりはしないだろうけど。


「はぁ⋯⋯」


 僕は誰にも気づかれないように、ごく小さなため息を吐いた。


 嫌だな、と思う。

 こんな風に責任を負う仕事なんかやりたくないし、放り出せるなら今すぐ放り出してまーちゃんと釣りデートしたい。

 僕は正真正銘のダメ人間だ。実は良い人なんてこともない。

 厄介な仕事を持ってきたノエルに正直思うところはあるし、それを引き受けた店長には辟易してしまう。

 村長夫妻に信頼の目を向けられるのも居心地が悪い。


 そもそもだ、これは本当に僕たちがやらなければいけないことなのか? 解決出来るなら誰だっていいじゃないか、何故僕がこんなことをしなければいけない?


 まったくもって理不尽だ。


 だが、それでもだ。

 今ここに居る人たちは誰も悪くない。


 僕の顔を抓っているノエルは村を救いたい一心で『白の道標』へと依頼しただけだし、髪を梳かれながら胸を張っている店長もそれを引き受けただけだ。村長夫妻だって悪くない。僕は正直微妙なラインだが。


 もしもこの中に悪人が居たのならば、僕はそれを理由に怒って難癖つけて、もう知らない! バカ! と言って依頼を放棄して逃げただろう。


 でもそうできないなら。


「はぁ⋯⋯」


 僕は今度は大きく息を吐き、店長の頭にぽんと手を置いた。

 何事かと振り返った彼女は僕を見てにやりと笑う。


「ようやくその気になったようじゃのぅ」


 なってないし全力で店長に頼らせて頂くつもりです。あと、抓られたままで多分締りのない顔をしてるのに何を見てそう思ったの?


 僕はただ思っただけだ。さっさと終わらせよう、そしてまーちゃんとデートするんだ、と。


 なに、ドラゴンを狩るよりは流石に楽だろう。

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