第5話 就職


「こ、こんなの無効でしょう!」


「ほぅ?」


 詐欺師ミリスさんは腕を組むと顎を上げ、挑発的な笑みを浮かべた。文句があるなら言ってみろと言わんばかりの態度。その威圧感に怯みそうになるがここで引くわけにはいかない。


「大体、ミリスさんはまだ依頼を達成できてない! 僕はここで働く気はないですから」


「貴様からの依頼は仕事を紹介・・して欲しいということじゃったろぅ? ほれ、我はちゃんと紹介してやったぞ。そこから先どうするかは我の仕事ではない」


「ぐぬ⋯⋯」


 汚い、汚いぞ。

 確かにその通りだが、僕が言ったのは仕事に就かせて欲しいという意味なのだ。わかっているくせにそんな屁理屈を⋯⋯!

 こんなことならもっとしっかりと確認しておくべきだったと後悔する。


「そ、それでも! ここは僕が提示した条件を満たしてないじゃないですか!」


「何を言うか。部屋を提供する上に三食昼寝付きで、給料も多目に払ってもよいと言ったはずじゃが?」


 ここだ、ここを責める。

 先程彼女がわざと触れなかった点だ。


「長い休憩時間と楽な仕事という条件もつけた筈です! あなたはさっき、依頼人を見つけてくるまで休憩は無しだと言った!」


 自分で言っていてなんだこのなめくさった要求は、僕がこんなこと言われたらそいつを殴っていると思ったので、後で僕は僕を殴らなければならなくなったが背に腹は代えられない。

 ここを指摘されるのはミリスさんにとっても不味いはずだ。


 僕が勝ち誇ったように指を突きつけてそう言うと、ミリスさんは馬鹿にしたように鼻で笑い肩を竦める。


「何を勘違いしておるのか知らんが、我は休憩はお預け・・・と言っただけじゃ。お預けした分の休憩時間はいずれちゃあんと与えるつもりじゃぞ?」


「くっ⋯⋯! でも、楽な仕事という条件も⋯⋯」


「楽な仕事? 楽な仕事とは具体的には何じゃ? 貴様はその定義を示さなかったからのぅ。それに貴様にとって楽な仕事、とも言わなかった。我の基準で考えても問題はなかろう? ここの仕事は楽じゃぞ? 滅多に客もこなかったしのぅ。ま、今までは、じゃがな」


 そんなの言わなくったってわかるじゃない!

 汚い、本当汚い。

 しかも、今まではって何だ。これからどうしていくつもりだよ。そのままでいてよ。

 まずい、まずいぞこれは⋯⋯完全に旗色が悪すぎる。


 たじろぐ僕にミリスさんはゆっくりと歩み寄って来た。

 紅玉色の瞳が怪し気な輝きを放ち僕を見つめる。その威圧感に僕が思わず後ずさりすると、背中がカウンターにぶつかった。

 これ以上後ろへと下がることができない僕にミリスさんはさらに距離を詰め、互いの距離が拳一つ分ほどになると、顔をずいっと耳元に寄せて来た。彼女の滑らかな髪が頬をくすぐる。

 

「残念じゃなぁ⋯⋯何かを依頼する時はもっとしっかりと、具体的に内容を決めておくべきじゃ。そうすればこんなことにはならんかったのにのぅ? まあ諦めろ。なに、大丈夫じゃ、我が満足したら解放してやるからのぅ」


 どこか淫靡な響を持って囁かれる言葉。耳にかかる吐息。彼女が放つその蠱惑的な雰囲気に、ぞくりと、背筋に寒気が走った。冷や汗が頬を伝い、ごくりと唾を飲み込む。

 本能が危険だと全力で警鐘を鳴らしている。


「い、依頼料は取らないって⋯⋯」


「我は金は取らぬと言っただけじゃ。報酬はしっかりと払ってもらうぞ?」


 何とか絞り出すように声を出して抗議すると、ミリスさんはそう囁いて僕から離れた。

 ほっと胸を撫で下ろし、早鐘を打つ心臓を落ち着かせる。


「で、でも、まだ僕は名前を書いただけで⋯⋯それだけじゃ、その、えっと⋯⋯僕が同意した証明はできない筈だ⋯⋯」


 僕はあまりこういうものに詳しくはないが、名前だけでは不十分なはずだ。名前なら誰でもかけるし、多分そうだ。お願いだからそうであってほしい。もはやほぼ詰んだ状態ではあるが僕は諦めの悪い男だった。

 僕の最後の抵抗を聞いたミリスさんは、憎らしい契約書を持ち上げて実に愉快そうに笑う。


「それはそうじゃな。じゃが問題ない。これは『神具』じゃからな」


「⋯⋯は?」


 イマナンテ?


「必要なのは本人の血の署名じゃが、それはもう済んでおる」


 楽しそうに彼女は懐から僕が昨日名前を書く際に使った羽ペンを取り出し、指先でくるくると回す。


「これは『吸血羽ヴァンプフェザー』という魔導具でな。使用者の血液を吸い上げ、インク代わりにするペンなのじゃ。ほとんど使い道もないジョークグッズのような物じゃが、使用者は痛みもない故、血を吸われていることに気づかなかったじゃろう? それを考えると、中々危険な代物かものぅ」


 ミリスさんは得意気に羽ペンの説明をするが、それは正直どうでもいい。問題の品は気づかれずに血を吸うペンのほうじゃない。

 この人はわかっていて僕をからかっているつもりだろうか。それとも、彼女にとっては大した物でもないとでも言うつもりだろうか。そんな訳がない。

 『神具』とは、まさに神が扱っていたとされる道具だからだ。

 なんて物持ってんだよ。


 かつて神々は、普通の人間のように地上で暮らしていた。しかし何事かが起こり、地上を離れ天へと昇ったのだと信じられている。

 これはこの僕でも知っている世界の常識だ。

 そしてその仮説を裏付けるのが、各地で時折発見される『神具』と呼ばれる人智を超えた存在である。


 武器や防具、アクセサリ、薬、生活雑貨など様々な種類が発見されているが、どれも現代では再現不可能とされ超常的な力を帯びているのが特徴だ。

 何故これらが神の道具と思われているのかはその力の源さえ解明できていないからであり、わかっているのは『神具』は今この地上に存在するマナ、魔素、魔力、そのいずれでもなく、それら全てより強力なエネルギーを秘めているということだけである。

 どんな物でも売却すれば目玉が飛び出るような値がつく貴重な品だ。


 そんな希少な物を『吸血羽』を再び懐にしまったミリスさんは、ただの紙切れと同じだとでも言わんばかりにひらひらと弄んでいた。


「こっちはまあ、瞬時に自分がイメージした契約書を作れるだけじゃ。制約もあるから多少有利な条件にはできても一方的な内容にはできぬし、おそらく何度も使えるものではないじゃろう。文字が勝手に浮かび上がるのじゃから絵も描けぬものかと思って試してみたが、どうやら契約書しか作れぬようでのぅ。しばらく遊んでみたが、つまらぬから半ば存在を忘れておったわ」


 契約書(超希少品)を指でピンと撥ねてテーブルに飛ばし、「ま、役には立ったのぅ」とミリスさんは頷いた。


 いや何言ってんのこの人。何やってんのこの人。気でも狂ってんのか。


 使用回数に制限のある『神具』ともなればさらにその価値は跳ね上がる。もはや危険物だ。僕ならすぐに売るなりして手放す。そしてそのお金で世界中の釣具を買い占める。

 しかもその言動だけでも目眩がしそうなのに、昨日『神具』はカウンターの上に割と適当に置いてあったのを思い出して僕は両手で顔を覆った。


「貴重品は大切にぃ!」


 そう叫ぶ僕を尻目に、ミリスさんは優雅に腕を組む。


「さて、わかったであろう? 後は貴様から報酬を受け取るだけじゃな。我は貴様がここで働くことを所望するが、どうするのじゃ? 『神具』による契約を破ってみるかのぅ?」


 顔を覆っていた手を降ろし、僕は力なく最後の確認をする。


「⋯⋯それ、ミリスさんも報酬を受け取らなきゃいけないって書いてありますよね?」


「うむ!」


 うむ! じゃないよね馬鹿なの?

 つまり、僕が報酬を支払わなければミリスさんも契約を破ったということになってしまうわけだ。

 共倒れじゃねーか。


「因みに、契約を破ったらどんな罰が⋯⋯?」


「わからぬ、死にはせぬじゃろ。いや、死ぬかもしれんのぅ! 何せ神の罰を受けることになるのじゃ!」


 何でそんなに楽しそうなんだあんた。怖いよ。


「我は別に契約に反することになっても構わぬぞ? 共に神罰に立ち向かうのも面白そうじゃしな。いや、むしろそっちのほうが良いかもしれんな? 間違い無く契約を守るよりも大変なことになるじゃろうがわくわくするじゃろ? もしかしたら抗うことも出来ず即死かもしれぬが、そうなったらあの世への土産話にでもしようではないか。ふふっ⋯⋯ああ、どちらに転んでも面白いのぅ。のぅ? どうするのじゃ? 早く決めてくれぬか? ほら早く、早く! ああ、待ちきれぬのぅ! 楽しい、楽しいのぅ! 最近少し退屈しておったからな、やはりこうでなくては! 人生は刺激がないとつまらぬ! これでこそ苦労して外に出られた甲斐があるというものじゃ! のぅ? まだ決まらぬのか? 決められぬのなら我が決めてやろうか? 貴様が到底払えぬ報酬を要求して共に罰を受けるのじゃ。いや、それでは依頼と報酬が釣り合わず、我だけが罰を受けることになるのか? それは少し興醒めじゃのぅ。我は貴様に少なからず興味を抱いておるからな。やはりどちらの道に進むとしても、貴様と共にというのがベストじゃな。貴様の選択に委ねるとしよう。さあ、早く決めるのじゃ! ⋯⋯ああ! 済まぬ、先程から少し急かし過ぎておるのぅ。我としたことが⋯⋯こうして貴様の決断を待つのも楽しまねばのぅ? そうじゃな、やはり貴様が選ぶ事こそに意味がある。しかしあまり焦らし過ぎるのも良くないぞ? 男は女を待たせすぎるものではない。じゃから早く決めるのじゃ! のぅ! ああ、また急かしてしまったの⋯⋯貴様が決めているところを邪魔するべきではないのぅ。我慢、我慢じゃ⋯⋯」


 うわぁ。


 キメてんのはあんただよ。


 震えながら己の身体を掻き抱き、頬を紅潮させて息を荒くしながら一人で勝手に盛り上がっているミリスさんにドン引きする。

 何この人すげー怖いんですけど。急にどうしちゃったの? 何があなたをそうさせてしまったの? 凄まじい身の危険を感じるんですけど。


「働かせて頂きます⋯⋯」


 もうこんなのこう言うしかないじゃん。怖いもんだって。このまま放置してたらどうにかなっちゃうもん。物理的にも精神的にも、僕もミリスさんも。


「うむ、そうか」


 僕の答えを聞くと、ミリスさんはまるで何事もなかったかのように平静さを取り戻した。その切り替えが逆に怖い。理解出来なくて今度は僕が平静さを失いそうだよ?

 それに何でちょっと残念そうなのかもわからない。そんなに神罰受けたかったの? やばい人だよ完全に。マゾなの?


「まあ我も鬼ではない。契約で縛るのは半年としておこう」


「わぁい」


 長いよ。


「それでよいな?」


「はぁい」


 もうむつかしいことはわからないよぼく。


「む⋯⋯?」


 うわーきれいだなーけいやくしょがひかりのつぶつぶになってきえていくーしんぐってすごいなーしんぴてきだなー。


「⋯⋯契約は果たされたということかのぅ。くれぐれも、半年は縛られているということを忘れるでないぞ?」


 もう一杯一杯だ。どうしてこんなことになってしまったのか。一体僕が何をしたっていうんだ。

 身体の力が抜けずるずるとその場に座り込んでしまった僕の耳に、ミリスさんの機嫌良さそうな笑声が聞こえてくる。


「その様子では今日は仕事は無理そうじゃのぅ。まあ良い」


 僕の前で屈み込んだミリスさんに虚ろな瞳を向けると、彼女は誰もが惚れ込んでしまいそうな笑顔で言うのだった。


「明日からよろしくのぅ? ノイル・・・


「はは⋯⋯」


 力無く笑い思った。


 こういう時は、釣りのこと考えよう⋯⋯。

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