第6話 依頼主
「なるほど」
「ん? なんじゃ?」
森を抜けたところでようやく店長は立ち止まり、こちらを振り返った。首を反らせて店長を見るとその顔は笑顔だ。相変わらず僕の首根っこを掴んだままなところに、絶対に逃さないという強い意志を感じるが。
しかし、『
つまりはそういうことだ、僕は被害者だ。
もしも関係のない第三者がこの悲劇を聞けば、誰もが同情して僕の味方をしてくれるのは間違いない。
まあ確かに⋯⋯多少、少し、ほんの僅かに僕にも非があるかもしれないが、それは不運が重なった結果であって、弱りきった心の隙に付け込まれただけであり、誰も責めることはできないだろう。
そう、全ては『神具』まで使って純朴な僕を騙した店長が悪いのだ。おかげでこの三年間は大変な日々だった。
まず契約で縛られていた半年間だ。この間僕は、神罰を恐れて店長の言いなりでいるしかなかった。
店の掃除や宣伝活動、果ては食事の準備⋯⋯三食出すと言ったのに何故僕が料理もしなければいけないのか、「金も食材も我の物なのだから、それはもはや我の料理と言っても過言ではなかろう?」とは店長の弁。
過言だと思う。言わなかったが。
実際罰は下っていないからセーフだったのだろう。
理不尽だと思った。
依頼人が見つかれば店長の指示通りに動き、どんな仕事でもやった。
事前に依頼内容を聞いて大変そうな依頼は避けて、できるだけ楽そうな依頼の人ばかり店に案内していたのは秘密だ。
休日すらも店長に振り回され、無駄に魔物を狩りに行くのに付き合わされたりした。一度ドラゴンを狩りに行くと言い出した時は、もはや笑うしかなかった。
僕は泣きながら店長と一緒にドラゴンを狩った。笑いながら泣いていた。人間やればできるものだと思ったがあまり喜びはなかった。
おかげで釣りに行く暇もなく、僕は禁断症状により一度高熱を出して寝込んだ。店長が看病してくれたが、店長のせいで倒れたので何か釈然としなかった。
そんなこんなで永遠にも思えた半年が過ぎ、まったく解放する気がない店長から逃げようと考えていた時に、なんとはなしに立ち寄った魔導具店で――
そこからの日々は大変だったが、充実した日々だったとも言える。『神具』の契約から解放されたことで、仕事にもやり甲斐が生まれた。何せ宣伝で王都を回る際、サボることができるようになったからだ。
僕は依頼人を探さずほとんどの時間を釣りに費やし、店長にバレて怒られた。給料を減らされてはいつまで経ってもまーちゃんが買えないので、泣く泣く楽な依頼を厳選する作業に戻った。
しかしこの辺りから店長も呆れたのか、自由な時間をそれなりにくれるようにはなったので、結果的には良かったと言える。
休日も僕のやりたい事にも合わせてくれるようになったため、店長を釣りに誘い悲しい思いもしたが。
まあとにかく大変だったのだ。辞めたくなっても仕方ない。そう、仕方ないのだ。
だから――
「店長、そろそろ自分で歩くので離してもらえますか?」
「む? そうか」
僕がそう言うと店長はようやく手を話す。
立ち上がり、一つ息を吐く。そうして笑顔を作り
「ふッ! ぐぇっ」
逃げ出そうとした瞬間再び店長に首根っこを掴まれた。
馬鹿な、未来が見えているのかこの人は。
「わかりやすいのぅノイルは」
馬鹿な、ポーカーフェイスには自信があるのに。
「やはり、我が連れていってやるとしよう」
「あ、おかまいなく」
ニコニコと笑う店長にそう言ったが、どうやら聞く耳持たないらしい。颯爽と振り返り彼女は告げる。
「さて、依頼人が待っておるし、少々飛ばすぞ」
僕は諦めて、返事をする代わりに首の辺りを身体強化するのだった。
◇
店長が全力で飛ばしたおかげで王都へはすぐに辿り着いてしまった。
馬車で一日程の距離はあった筈なのに凄いよね。もう浮いてたもん僕。身体強化で守ってなかったら首がもげてるよ。
相変わらず引きずられたまま、門兵の人に奇異の目で見られつつ居住証をみせて門をくぐり、再び僕は王都へと戻ってきた。
イーリスト王国――王都イーリストは広大な湖、アリアレイクの上に建設された都市である。
水の都とも呼ばれ、イーリスト城を中心に円状に広がる都市は、外側へと大まかに分けて貴族区、商業区、居住区の順に広がっており、各地に水路が走る美しい都市だ。
防衛の点でも優れ、都市へ入る為には東西南北にそれぞれ設けられた巨大な橋のいずれかを通る必要があり、入都審査がある。まあよほど問題児でもない限りは許可されるが。
外壁は高く厚く、正門を抜けた先にはさらに跳ね橋が設置されており、そこを通りようやく入都できる。
敵に侵入されたとしても、迷路のように広がった道路や水路を突破して城へと攻め込むには、都市の構造を熟知していなければ簡単にはたどり着けない。
美しさから観光地としても有名な王都イーリストだが、その構造の複雑さに辟易してしまう者も多いという。
実際僕もそうだった。未だに普通に道に迷うし。
故に、慣れていない者には地図が必須であり入都審査の際、求めれば地図を購入することもできる。
僕は初めて訪れた時、落ち込んでいた上に地図など見てもよくわからないので購入しなかったが。今思えばよく商業区にたどり着けたものである。
運が良いのか悪いのか、そのせいでなんでも屋などで働くことになってしまったが。いや、運悪いなやっぱ。
まあ都市は栄えており、人が常に行き交っているのでよほど治安の悪い場所に迷い込まない限りは迷っても誰かに聞けばどうにかなるだろう。
そういった都市の特性上、衛兵も多く巡回しているので助けを求めることもできる。
居住区と商業区で分けられているとは言っても、居住区では水路に浮かぶ小舟や道路で露店が開かれている。正式に店舗を建てて営業をするのなら商業区に土地を買う必要があるが、露店程度の小さな商売ならその限りではないからだ。
買い物をするために、わざわざ広い王都を商業区まで移動するのは大変だからね。
もはや逃げる気などない僕が未だに店長に引きずられているのも、『白の道標』は商業区にある為歩くのが面倒だからだ。どうせだからこのまま店長に連れていってもらおう。魚も持ってるし。
通行人には奇異の目で見られてしまうが、幸い僕にプライドはない。
勘違いはしないで欲しいのだが、僕は何も移動するのも嫌だというほど怠惰な人間というわけではない。流石にダメな僕でもそこまでではない。
では何故今こんなにもやる気がないかというと、酷い扱いを受けているから意味のない無言の抗議をしているのもあるが、何よりもこれからのことを考えると歩く気力すら沸いてこないからだ。
というのも、店長は仕事だと言っていた。
彼女は基本的に自ら依頼人を探しに行くことはない。
殆ど趣味でやっているようななんでも屋なので、普段は下手くそな絵を描いたりして何かしらの暇つぶしをしている。
じゃあもうこの店潰れてもいいじゃんと思ったが、本人曰く自ら選ぶのではなく、予想できない依頼が飛び込んで来るのが面白いのだそうだ。一期一会を大切にしているらしい。
じゃあもう僕も宣伝とかしなくていいじゃんとも思ったが、あまりに依頼がないのも暇なのと、自分で選ばない限りは別にいいらしいので僕の仕事が減ることはなかった。
まあ今は代わりに宣伝活動をやってくれている後輩がいるが、彼女は現在何を勘違いしたのか、『白の道標』を世界的に有名な店にしようと宣伝活動の旅に出てしまったので、彼女が持ってきた依頼だというわけでもないだろう。
「⋯⋯フィオナってまだ帰ってきてないですよね?」
「うむ、まだじゃな」
僕が逃げたのと入れ替わりで帰ってきた可能性にかけて一応確認してみたが、やはり帰ってきていないようだ。
つまり今回の仕事は依頼人が『白の道標』を訪ねて来たということになる。
それが何を意味するか⋯⋯おそらくはかなり厄介な依頼内容だということだ。
僕が見つけてくる依頼は基本的に迷子探しや買い物の荷物持ち、ペットの散歩代行など、はっきり言ってお手伝い程度の内容を選んでいる。だから普段の仕事は危険はないし、死ぬほど辛かったりもしない。
だが、依頼人が『白の道標』を直接訪ねて来た場合は別だ。
一体何故なのか、稀に現れる『白の道標』に自ら来る客が持ってきた依頼は過酷なものが多く、とても簡単に達成できる依頼ではないのである。店長は大喜びするが、僕としてはたまったものではない。
なので今回も僕が酷い目に遭うのは間違いないだろう。まったくもって憂鬱であった。
「それで、今回はどんな依頼ですか?」
「先にノイルを迎えに出たのでまだ聞いておらぬ。楽しみじゃのぅ?」
「あ、はい」
上機嫌に聞いてくる店長。依頼内容くらい聞いておいて欲しかったが、どうやら仕事が飛び込んで来たことでテンションが上がって、その内容を確認する前に僕を探しに出たようだ。
待たされている依頼主にとっても、僕にとっても、とっても迷惑な話であった。
「よし、近道するのじゃ」
「いや、ゆっくり行きましょうよ。買い食いでもしながらゆっくり。人生ゆとりを持って行動するのが一番ですって。そしたら依頼人がしびれを切らして帰ってくれるかもしれないじゃ――」
店長を説得していると身体に感じる突然の浮遊感。
「おぶっ」
そして次の瞬間には建物の屋根に叩きつけられる僕。痛い、もっと優しく扱って。
どうやら店長が『白の道標』までの道をショートカットするために僕を掴んだまま跳んだらしい。
「へぶっ、おぶっ、ぶへっ」
ピョンピョンと屋根から屋根へと跳び移る店長と着地の旅に叩きつけられる僕。
酷いや。
身体強化してないと半分死んでるよこれ。しかし抗議しても無駄なので僕はされるがままである。なんだか涙が出てきそうだった。
鼻歌を歌いながら軽快に跳び回る店長は、あっという間に居住区と商業区の間の内壁すらも跳び超えどんどん進んでいく。
都市の防衛機構である複雑な道路や水路も悲しいかな、超人にはあまり意味がないようである。まあこういった所にも対策はしてあるのだろうけど、流石に常時警戒しているわけではないのだろう。
普段からこんな風に移動してる人間なんて居ないだろうし⋯⋯店長はその限りではないが。
「ふぶっ」
浮遊感と落下感をしばらく味わい、最後に地面へと僕は叩きつけられる。ようやく店長が止まったので辺りを確認すると、そこはもう『白の道標』の前だった。
嘘みたいだろ? 現実なんだぜこれ。
「よし、準備はできておるな?」
「あ、はい」
できてませんよ? 僕の心はまだあの森で釣りをしていた時からずっと置いてけぼりだよ?
仕事を辞めて釣りをしていたら辞めた店の店長が釣れて、拒否権もなくあっという間に連れ戻され仕事をやらされそうな人の気持ちがわかる? わからないでしょ? 僕にもよくわからない。
心の準備なんかできてないよ。諦めてるだけだよもう。
そんな僕の心とは対照的に、店長は元気よく『白の道標』の扉を開いた。
「待たせたの! それでは依頼内容を聞こうかのぅ!」
店に入ると開口一番、良く通る声で店長はそう言った。
そのまま僕を引きずりソファへと腰掛ける。
対面では遠慮がちにソファに座った依頼人が目を丸くしていた。
短めに切り揃えられた明るい茶色の髪。それと同じく茶色の瞳をぱちぱちと瞬かせている。
白すぎない健康的な肌に、服装は地味だと言えるが髪の手入れなど、要所要所にお洒落に気を使っていることが窺える。
年齢は十代後半といったところだろうか、僕よりは若いだろう。どこか人懐っこそうな印象のある女性だった。
「あ、どうも」
「え、ど、どうも」
寝そべったままとりあえず挨拶すると、彼女も慌てたように頭を下げる。
店長に視線を向けると一つ頷いて、ようやく僕から手を離してくれた。
起き上がって困惑した様子の依頼人に向き直る。
「ちょっとすいません」
「え?」
一言断ってから僕は店長に言った。
「シャワー浴びたいんですけど」
「む? そういえば随分汚れておるのぅ。我も浴びたいし、一緒に入るか?」
「順番に入りましょう」
呆然とした様子の依頼主。
僕の腕の中で最後の抵抗をするかのようにビチっと、弱々しく魚が跳ねた。
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