第4話 詐欺


「え、それはただ、釣具を返品するだけで貴様の問題は解決すると思うのじゃが⋯⋯」


 ティーカップを片手に、ソファに深く腰掛けたミリス・アルバルマは、呆れたような声を上げた。


「アルバルマさんは、自分の命を手放せますか?」


「ミリスでよい」


 結論から言うと、どうやら彼女は美人局ではなかった。

 ここは僕が想像したような店ではなく、詐欺でもない、至って健全なお店だったのだ。置き看板にも偽りはなく、普通になんでも屋だった。

 早とちりは良くないと、僕は一つ学べたので良しとしておこう。


 そして、今僕が置かれた状況を説明し、何かこの苦境を上手く切り抜ける方法はないか相談した結果、先程のようなやり取りになったのだ。

 顔の前で手を組み、真剣な眼差しを向ける僕に対して、アルバルマ――ミリスさんは困惑したような表情を浮かべる。


「それより意味がわからぬのじゃが」


「つまり、僕にとってこれらは命と同等だということです」


「いや、でも金がないと帰れぬのじゃろう?」


 僕は指を鳴らす。


「そうなんですよ」


「⋯⋯⋯⋯」


 ティーカップを口へと運び、湯気を立てるお茶を一口飲む。仄かな苦味が口の中に広がり、爽やかな香りが鼻を通り抜ける。

 僕はカップを置くと、息を吐き、天を見上げた。


「ままならないものですね⋯⋯人生って」


「貴様、変わり者と言われるじゃろう?」


 失礼な。


 僕は自分自身をダメな人間だと評価しているが、それと同時に常識のある人間だとも思っている。確かに釣りのことが絡むと少しばかり自制が効かなくなることもあるが、基本的には常識人のはずだ。自信はないが。

 あれ? 常識人だよね僕?


「とにかくじゃ、金がなくて帰れない、宿にも泊まれない、魔物を狩るのも嫌。じゃが釣具を手放す気もないと」


「ついでにお腹も空いてますね」


 お茶を飲んだら今まで忘れていた空腹を思い出した。お茶菓子も出して欲しい。

 ミリスさんはティーカップを置くと、腕を組んで目を閉じる。何か思案しているようなので、僕は空腹を紛らわせるためにもう一口お茶を飲んだ。お茶菓子が欲しい。

 さり気なく、「お腹が空いたな⋯⋯」ともう一度呟く。催促しているわけではないが、お茶菓子が欲しかった。


 ミリスさんが目を開ける。お茶菓子だろうか?


「貴様、アホじゃろう」


 出てきたのは辛辣な言葉だった。


「否定できないですね」


 否定出来なかった。

 白い脚を組み替えながら、ミリスさんは続ける。


「まあ、ならば働いて稼ぐしかないのう」


「こんな僕に仕事はありますか⋯⋯?」


 沈んだ声で尋ねる。自分でも僕は常にダメ人間だと思っていたが、他人からはっきりとアホと言われると流石に傷つくものだ。事実だからどうしようもないのがまた辛い。

 そういえば妹にもよく、「兄さんは私が居ないと何もできないね」と言われていた。どっちが年上かわからない。

 当時はそうだなーと笑っていたが、今思えば悲しい話である。


 もうこの際、ミリスさんがお金を貸してくれないだろうか。いつか返すから。きっと、多分。


「貴様は何が得意じゃ? ⋯⋯ああ、釣り以外でな」


「え⋯⋯」


 釣り以外と言われてしまうと、返答に困ってしまう。


「そうですね⋯⋯『魔装マギス』なら、一応いくつか・・・・使えますけど⋯⋯」


「ほほぅ! いくつか、か」


 僕の釣り以外の唯一まともな取り柄を聞くと、ミリスさんは瞳を輝かせ、身を乗り出した。そのまま少しの間僕をじっと見つめると、ソファに深く座り直し、顎に手を当て何事か思案している。


「おもしろいのぅ⋯⋯」


 やがて、小さな声でそう呟くと、顔を上げて僕を見た。


「どんな仕事が良いのじゃ?」


「選べる立場ではないので⋯⋯あ、でもできるなら、楽な仕事が良いです。可能ならただで寝る場所を確保できて、三食昼寝付きで休憩は長くて給料は多めが良いです」


 ささやかな要望をありったけ詰め込んでみる。


「貴様舐めておるじゃろう」


「いえ」


 はい、すいません。


「まったく⋯⋯」


 ミリスさんは呆れたようにそう言うと、ゆっくりと立ち上がり、不敵な笑みを浮かべた。


「良かろう、貴様の望みを叶えてやるぞ」


「え、マジですか」


 今かなり無茶苦茶な要求を出したと思うのだが、本当にそんな仕事を見つけてきてくれるのだろうか。

 どうしよう、ミリスさんから後光が差して見える。美しい容姿とも相まって、まるで天使のようだ。跪いたほうがいいだろうか?


「安心せい、『白の道標ホワイトロード』は一度受けた依頼は必ず達成する。それが売りじゃ」


「でも、僕お金持ってないですよ」


「構わぬ。路頭に迷っている人間から金を取るような真似はせんよ」


 やだ、かっこいい。惚れてしまいそうだ。

 靴を舐めることも辞さない覚悟があった僕とは正反対だ。


「奥から厳つい男たちとか出てきたりしません?」


「貴様は何を言っておるのじゃ」


 上手い話には大体裏がある。この期に及んで一応店の奥の扉を見ながら最終確認する僕に、ミリスさんは訝しげな目を向けたていたが、やがてふっと力を抜いたように微笑むと、腰に手を当てた。


「とりあえずもう遅い。行く宛もないのなら今夜はここに泊まるがよい。部屋は余っておるしな。夕飯も馳走してやるぞ。仕事は明日、紹介してやる」


「いいんですか?」


「もちろんじゃ」


 捨てる神あれば拾う神あり。

 僕はもう天に見離されたと思っていたが、どうやら違ったようだ。神はここに居た。

 ミリスさんは伸びをしながらカウンターへ向かうと、一枚の紙と羽ペンを手に取り、僕の前へと置いた。上等そうな紙だ。


「一応、これに署名しておいて貰えるかの。依頼書のようなものじゃ」


「はい!」


 一も二もなく書類へと名前を書く。赤いインクなのと、依頼書だと言う割には依頼主の名前欄以外が白紙なのが少し気になったが、そんな細かいことはどうでもいい。

 ようやく見えた光明に、僕は飛びつく。ミリスさんは穏やかに微笑みながらそれを見ていた。


 僕が署名を済ませると、ミリス神はさっと紙を手に取りポケットにしまう。


「よし、それでは荷物を上の空き部屋に置いてくるのじゃ、その後夕飯でも食べに行くとしよう」


「はい!」


 僕はもはや、言われたことに従うだけの何かに成り下がっていた。


 その日の夜は楽しかった。

 悩みも無事に解決し、夕食は美味しい。僕は奢ってくれると言われれば、遠慮しないのが礼儀だと思っているので、店に入って席に座ると好きな物を好きなだけ注文した。

 タダで食べるご飯は最高だ、酒も進む。


 一時はどうなることかと思ったが、親切な人に出会えて良かった。ミリスさんは変わり者だが、とても良い人だ。美人局とか思ってごめんなさい。

 仕事をしなければならないことを考えると憂鬱だが、ミリスさんはきっと僕の要望通りの仕事を紹介してくれるだろう。


 そう思わせてくれる雰囲気が彼女にはあった。

 ならば許容範囲内だ、明日から頑張ろう。

 ミリスさんと和やかに食事しながら、僕はそう決意するのだった。







 目を覚ますと、そこは知らない部屋だった。

 ぼんやりとした頭で辺りを見回していると、昨日あったことをだんだんと思い出してくる。

 ああ、そうか、僕は王都に着いてそれから路頭に迷い、このお店『白の道標』のお世話になったのだったな。


 徐々に覚醒してくる頭で現状を理解する。閉じられたカーテンの隙間からは光が差し込んでいる。僕はもそもそとベッドから出ると、着替えを済まし、部屋から出た。

 『白の道標』の二階はミリスさんの私室といくつかの部屋がある。

 一階へと降り、顔を洗う。カウンターの奥にあった扉の先は厳つい男たちの待機室ではなく、洗面所や炊事場、二階へと続く階段などがある居住スペースだった。


 僕はもう少し、肩の力を抜いて生きたほうがいいのかもしれない。これ以上抜いたら軟体動物になってしまいそうだが。


「ミリスさんはもう店のほうにいるのかな?」


 顔を拭いて気持ち寝癖を手櫛で整えた後、僕は『白の道標』へと続く扉へと向かい、店内へと入る。


 ミリスさんはやはり既に起きていたようで、ソファに深く座り優雅にお茶を飲んでいた。

 こうして黙って座っていると、その容姿も相まって実に絵になる光景だ。

 僕が入ってきたことに気づくと、ミリスさんはカップを置いて片手を上げる。


「うむ、起きたようじゃな」


「はい、おはようございます。あの、昨日はありがとうございました」


「構わぬ、むしろあれだけ図々しいと、逆に気持ちが良い」


「いや〜照れますね」


「褒めとらん褒めとらん」


 僕の冗談にミリスさんがツッコミを入れ、はっはっは、と朗らかに笑い合う。

 共に食事をし酒を飲み交わしたことにより、僕等の仲は深まっていた。もうマブダチだと言っても過言ではないだろう。

 何とも清々しい朝だと思いながら、僕は口を開いた。


「それで、昨日の件なんですけど」


「おお、そうじゃな。では手始めに、朝食でも作ってもらおうかのぅ。我は料理は苦手でな」


 ん?


「朝食の後は店内の掃除じゃ。それが終わったらこれを持って『白の道標』の宣伝でもしてもらおうかの。ノルマは特にないが、依頼人を見つけるまで休憩はお預けじゃ」


 そう言って、ミリスさんは僕に下手くそな絵が描かれたボードを渡してきた。そこには外の置き看板と同じことが書いてある。

 戸惑う僕に微笑みかけ、彼女は首を傾ける。愛らしい仕草のはずなのに、どこか恐ろしく感じたのは気のせいだろうか。


「何か質問はあるかのぅ?」


 ?


 質問というか、何を言っているのかが僕にはよくわからない。


「えっと、つまり⋯⋯?」


「何じゃ、察しが悪いのぅ」


 ミリスさんは肩を竦めてやれやれといった様子で頭を振る。


「仕事を探しておったのじゃろう? ここで雇ってやると言っておるのじゃ」


 なるほど、嫌だ。

 これはそう、直感だ。僕はここで働いてはいけない気がする。


「我の店なら、貴様の言っていた条件を全て満たせるからな。ここに住めば良いし、三食食事も出そう。暇があれば昼寝するのも許す。給与についても、我は金には特に困っておらぬから融通してやれるぞ? どうじゃ、素晴らしいじゃろう?」


 確かにとても好条件に思える。思えるが、嫌な予感が止まらない。そもそもなんでも屋なんて最悪じゃないか、どんな酷い依頼が飛び込むかもわからないのだ。

 そして、この人の性格なら僕の意見など無視して依頼を引き受けるだろうという確信がある。


 あと、長い休憩がある。という条件をしれっと飛ばしてる上に、さっきミリスさんは何と言っていた? 「依頼人を見つけるまでは休憩はお預け」とか言っていた。


 僕は騙されないぞ、今ならまだ間に合う。きっぱりとお断りするのだ。この人には一宿一飯の恩があるが、そんなものより我が身が大事だ。


「あの、せっかくですけど⋯⋯」


「おっと、因みに拒否権はないぞ?」


 僕が手早く断ろうとすると、ミリスさんは何かをポケットから取り出し、僕の顔の前に突きつける。


「貴様は『これ』に署名したのじゃからな」


 それは昨日依頼書だと言って渡された紙だった。

 しかし、これが一体何だというのか。僕の名前しか書かれていない紙など、何の意味もない。こんなもの、何の効力も保たないはずだ。


「フフ⋯⋯」


 困惑する僕の心を見透かしたのように、ミリスさんはにやりと笑い、くるりと紙を裏返す。


「なっ⋯⋯」


 愕然と、目を見開く。


「こ、これは⋯⋯」


 そこには僕の下手くそな字とは違い、瀟洒な字でこう書かれていた。



 【依頼契約書】


 ミリス・アルバルマ(以下「甲」という)と依頼主(以下「乙」という)の間で依頼遂行から報酬のやり取りについて、次のとおり契約を締結する。


 【第一条】甲は乙から報酬として、金銭の類を受け取ってはならない。


 【第二条】甲は乙の定めた期限までに、速やかに依頼を遂行しなければならない。


 【第三条】甲は金銭の類以外の報酬を、乙から受け取らねばならない。


 【第四条】乙は依頼内容を途中で変更してはならない。


 【第五条】乙は甲の邪魔をしてはならない。


 【第六条】乙は依頼が遂行された際、金銭の類以外の甲が望む報酬を、支払わなければならない。




「そう、これは契約書じゃ。報酬は、そうじゃなぁ、『白の道標ここ』で働いてもらうことにしようかのぅ?」


 詐欺だと思った。

 出るとこ出てやろうか。

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