第3話 白の道標


 そう、買いすぎたのだ。


 豊富な品揃えについつい手が止まらなくなってしまい、元々多くはなかった所持金とにらめっこしながら、長い時間をかけて吟味し、有り金を使い果たして釣具を手に入れた時には、既に日が沈みかけていた。


 薄暗闇が広がりつつある王都で購入したばかりの釣具を抱え、僕はどうするべきか悩んだ。もうお金はないし、このままでは宿に泊まることもできない。

 とりあえず釣りをしながら考えるかとも思ったが、これほど立派な都市ならば、そこらで勝手に釣りをするのは禁止されているかもしれない。釣り人としてマナーは守らなければならないのだ。

 

 今すぐ釣りがしたいのに……。


 入念に下調べをしてから訪れるべきだったと、自分の愚かさに嫌気が差してしまう。


 それから、今日どうするべきかという問題ももちろんあるが、それよりも王都から帰る手段を見つけなければいけなかった。


 当然だがお金がなければ馬車には乗れないし、準備もなしに徒歩で帰るには少々遠すぎる。目的地が同じ人に頼み込んで乗せてもらうのはありかもしれないが、伝手もない上にそんなに親切な人がいるだろうか。望みは薄そうだ。


 ――物乞いでもしようか。


 幸いにも僕にプライドはないが、上手くいくかもわからないので、流石にそれは最終手段として取っておくことにする。


 魔物を狩って素材を売ればお金は手に入るだろうが、一度王都を出る必要があるし、再び入都するためにはお金が必要だ。しかも王都周辺の安全は定期的に確保されているので、それなりに遠出しなければならない。何より魔物狩るとかやりたくない。

 となれば、日雇いでも見つけて働き、お金を稼ぐのが現実的か。


 嫌だ、働きたくない。でも、どうしようもない。

 何故僕がこんな目に遭わなければいけないのか。魔導学園を卒業したら一度帰ってこいと父に言われていたのを無視して、釣り遠征へと来てしまったからなのだろうか。

 僕が故郷へ帰るのを楽しみにしていた、可愛い妹を裏切ってしまった報いなのだろうか。

 

 やるしかないか……働きたくなくても。


 しばし葛藤しそう結論した僕は、明日から王都で仕事を探すことに決めた。

 今すぐ行動するべきなのだが、もう暗いし今の精神状態ではとてもそんな気にはなれない、とりあえず今日は寝る場所を探さなければ。

 

 宿に泊まることもできない僕は、一晩明かせる場所を求めて、とぼとぼと足取り重く彷徨い歩いていた。

 ぽつぽつと明かりが灯り始めた王都は、昼間とはまた違ったどこか幻想的な美しさだったが、今の僕はそんな景色を楽しむこともできない。

 もう自分が何処を歩いているのかも分からなくなっており、途方に暮れるしかなかった。


 そんな時だ、『白の道標ホワイトロード』を見つけたのは。

 狭い路地の奥、行き止まりにひっそりとその店はあった。

 外観は店名とは程遠く、酷く寂れた店という印象だ。


 二階建てのそれほど大きくない建物。

 営業しているのか、それともしていないのかぱっと見ただけではわからない。

 辛うじて何かの店だとわかるのは、入り口に取り付けられた店名と、両開きの扉の脇に置かれた置き看板があるからだ。


「なんでも屋? あなたのお悩み何でも解決。料金は応相談、後払いも可……相談料は無料」


 置き看板に書かれた文字を読む。文字の隣には下手くそな人の顔が描かれており、ウィンクして星を飛ばしている。禍々しい、当たったら人を殺せそうな星だと思った。


 詐欺か何かだろうか。

 物凄く胡散臭い。


 しかし……相談料は無料か。

 営業中の札(こちらも手書き)が扉に掛かっているし、現状を相談してみるのも悪くはないだろう。もしかしたら、何かしら仕事を紹介してもらえるかもしれない。

 詐欺だったとしても取られるお金はないし、最悪逃げればいい。逃げ足にはそれなりに自信がある。


 この日の僕は、もはや自棄だった。

 両開きの扉を開けて、店内へと足を踏み入れる。


 おら! 客だ! 客が来てやったぞ!


 怪し気な店なので、相手のペースにならないよう心の中は強気でいくのは忘れない。

 カランコロンと来店を知らせるドアベルの音が鳴り響く中、僕は『白の道標』の店内を見回した。


 店内は思っていたよりも広く、外観と違い片付いており小綺麗な印象を受ける。

 まず目につくのは、間にテーブルを挟み向かい合う革張りのソファだ。おそらくは応接用だろう。奥にカウンターがあり、そちらには一人がけのソファ、さらに奥には扉が見える。

 温かみを感じる木張りの室内には柔らかそうな絨毯が敷かれ、趣味の良い観葉植物が置かれていた。


 ただし、上品に纏まった印象を全てぶち壊すかのように、壁には外の置き看板同様に下手くそな絵が額縁に入れられ、ズラリと飾られている。

 何をモチーフにしたのかすらわからない絵が並ぶ様は、はっきり言って不気味だった。


 しかし、何よりも僕の目を引いたのは――


「ようこそお客人、我が城へ」


 鈴を転がすような声。


「さて、貴様の悩みはなんじゃ?」


 カウンターの向こう。そこに、宝石のような美しさの魔人族が座っていた。

 目を見開く僕に、たおやかな笑みを向ける女性。

 言葉が、出てこない。

 

 僕は、僕は――


「へ?」


 次の瞬間には、脱兎もドン引く勢いでその店から逃げ出した。

 背中から美女の間の抜けた声が聞こえたが、一切気にしない。


 美人局だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!


 心の中でそう叫びながら一目散に店を飛び出す。

 やはり、やはり詐欺だったのだ。


 きっとあの奥の扉の向こうには厳つい男たちが待ち構えており、美女と話しているといつの間にか取り囲まれてしまうのだろう。

 相談料は確かに無料だが、相談中に出したお茶と茶菓子の料金がこちらになりますとか言われるのだ。あのまま店内にいたら、きっとケツの毛まで毟り取られてしまう。

 払うものを持っていなければ、命を懸けてヤバい仕事をやらされることになるはずだ。

 まったく、上手いやり方だ。下手したら出されるのはお茶どころかただの水かもしれない。

 

 だが甘い! そんなもの僕には通用しない。何故ならば僕は美人には耐性があるのだ!


 自慢ではないが魔導学園で仲の良かった後輩は、非常に女の子らしい美少女だったし、自慢ではないがうちの妹は身内の贔屓目抜きに見ても、世界一可愛い。

 そんな二人と長年過ごした僕は例え経験がなかろうが、優れた容姿を持つ魔人族の誘惑にも負けたりはしないのだ。


 適当な生き方をしている僕を見かねた二人から、自分以外の女性には気をつけるよう忠告も受けている。そもそも僕には釣りという恋人がいるし、こんなベタベタな罠に引っかかるような僕じゃない。


 店から飛び出した僕は、路地を一気に駆け抜け――


「ちょっと待つのじゃ!」


「ぐぇっ!?」


 ようとして首根っこを捕まれた。


「何じゃ! 何故いきなり逃げるのじゃ!」


 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。

 だって、僕はマナによる身体強化まで行って逃亡したのだ。というより、警戒していたので店に入る前から強化を行っていた。

 そんな僕に瞬時に追いつき捕まえるなど、簡単にはできるはずがない。


 見れば、僕は店を出てすぐの場所で捕らえられており、愕然としてしまう。事前に十全な強化を行っていた僕を遥かに越える速度を、咄嗟の身体強化で彼女は出してみせた。

 基本的に、魔人族は他種族よりも身体能力が低いにも関わらずだ。


 それは彼女がマナのコントロールに優れているという証左に他ならず、僕とは比べるまでもない実力者だということである。少なくとも、ではお話にもならないだろう。全力を出したとしてもどうなるかわからない。

 つまり、彼女の手から僕は逃れることができないということであった。


「うおお……!」


 だが、悪あがきは止めない。僕はこういう時は非常に諦めが悪いのだ。

 藻掻く僕にしびれを切らしたのか、ついに彼女は両手で僕を引っ張りはじめた。


「だから何故、暴れるのじゃあ!」


「そりゃ逃げたいからに決まってるじゃないですかッ!」


「意味がわからぬ!」


「こんな怪し気な店に居られるか!」


 店の入り口に手をかけ、必死に抵抗する僕はそう叫ぶ。


「な、何じゃと……!」


 割とショックを受けたのか、彼女の声が若干震えた。しかし引っ張る力はまったく緩まる気配がない。


「僕は出ていくぞ!」


「そ、そんなに怪しいかのぅ……」


 意気消沈したように落ち込んだ声を上げる美人局の人。しかし、引っ張る力はまったく緩まる気配がない。何だか僕だけ必死で馬鹿みたいだと一瞬思ったが、足掻くのは止めない。


「の、のぅ? この店は怪しいのかのぅ……?」


「ええ!」


 自信なさげにおそるおそるといった感じで尋ねてきたが、引っ張る力はまるで緩む気配がないのではっきりと即答した。


「そ、そうじゃったか……」


「だから手を離してくださぃぃッ!」


 何でそんな落ち込んだ感じの声なのに、力が緩まる気配がまったくないのか。あれか、僕など悩みながらでも余裕で対処できる相手だということだろうか。


「そ、それは嫌じゃ! 貴様が今日初めて……というより久し振りの客なのじゃ!」


 知らないよ。


「我は客が来てそれはそれは嬉しかったのじゃぞ! 逃せるわけがなかろう!」


 ほんと知らないよ。


「知らないよ」


 あ、口に出してしまった。


「そんなことを言わず頼むのじゃ! とりあえず店に入ってくれぬか! そうじゃ! 美味しいお茶も出すぞ!」


「いらないです! やっぱり美人局じゃないか!」


「何をわけのわからぬことを! ぬぅ、斯くなる上は! 最早手加減せぬぞ!」


 その言葉と共に、彼女の力が一気に強くなる。僕はとうとう堪えきれずに、入り口にかけていた手が離れ、勢い良く尻もちをついてしまった。


「あ、あぁ……」


「ぬはははは! 我から逃げられるなど思わぬことじゃな!」


 絶望し、震える僕と、勝ち誇ったような笑い声を上げる美人局嬢。

 そして、必死に手を伸ばす僕の目の前で、無情にも扉は閉じられる。


「いやああああああッ!」


「はーはっはっはっはッ!」


 『白の道標』の店内に、悲痛な叫び声と高らかな笑い声が響き渡るのだった。

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