第2話 釣り遠征


「ですから店長、僕辞めたんですよ」


 ズルズルと、鬱蒼と茂った木草の中を引きずられながら、僕は弱々しい抗議の声を上げる。

 ビチビチと、腕の中では店長が池の中に潜り捕ってきた大きな魚が暴れていた。


 そんなに魚が欲しいのならくれてやる。と言わんばかりに渡されたが、違う。別に魚がただ欲しくて釣りをやっているわけではない。

 やはり、店長に釣りの魅力を伝えるのは不可能なようだ。


 僕の首根っこを捕まえて、そのまま森の中を上機嫌な様子で歩く店長は、こちらを振り返ることもなく応える。


「うむ!」


 うむって何だろうか。


「そもそも、僕今日休みなんですって」


「うむ!」


 うむって何だろうか。

 答えとしてはまあ間違っていないはずだが、行動と噛み合っていないせいで、おかしなことになっている。

 もしかして、有無を言わさぬってことなのだろうか。

 だとしたら、こうやって休みの上に辞めたがっている従業員を、無理矢理引きずって職場に連れ戻すのも理解できる。

 理解はできても納得できないが。


 そもそもそんな意味じゃないだろうって? わかってる。


 でも、あながち間違ってもいないはずだ。だって店長はどうやら僕を辞めさせる気はないようだし、休みなどお構いなしらしい。


 びしょ濡れになった上に現在進行形で引きずられているせいで、泥だらけになってしまった自分の身体を見る。惨めな姿だ。

 おまけに酷く臭う。原因は考えるまでもなく未だに元気に暴れている魚を抱えているせいだ。

 愛する人まーちゃんとの逢瀬を邪魔された上にこの仕打ち。


 確かに僕は無責任に仕事を辞めようとしたし、礼を失した辞め方だったと思う。

 少なからず罪悪感も抱いていた。多分。 

 けれど、これはないだろう。この仕打ちはあんまりだ。


 自己正当化したいわけではないが、こんなの辞めたくなっても仕方ないだろう。

 どうしよう泣きそうだ。まーちゃんに慰めて欲しい。


 しかし、まともに抵抗することもできず、他の女に引きずられる情けない僕を、まーちゃんは慰めてくれない。

 このままでは見限られてしまう。


 力だ……力が欲しい。店長を倒せるだけの力が。


 ……まあ、力が手に入ったとしても、僕はとある出来事からの反省で女性には優しく接すると決めているので、あまり意味はないのだが。

 虚しい、そして悲しい。


「そういえば、どうして僕の居場所がわかったんですか?」


 意味のないことを考えていても仕方がないので、気になっていたことを店長に聞いてみる。

 僕は慎重に行動したはずだ。日の出より早く起き、事前に準備していた書き置きと、お金を自室に残して、白の道標ホワイトロードを出たのだ。

 素早く行動できるよう、大切に扱っていた釣具達まで諦めて、最も大切なまーちゃんだけを持って。


 そしてここは僕の秘密の場所だった。こんなにも早く店長に居場所がバレるなんておかしい。おかしいのだ。

 

 しかし、店長は事もなさげに答える。


「我にノイルの居場所がわからぬ訳がないじゃろう」


 え、怖い。

 ストーカーか何か?


 この人は一体僕の何を知っているのだろうか、僕の身体に何かしたのだろうか。マーキングでも付けてるの?

 足取りなど残さないようにここまで来た筈なのだが、まるで意味がなかったらしい。

 店長の超人ぶりは知っているが、これは流石に怖い。


 僕は一度身震いすると、考えるのを止めた。

 考えれば考えるほど恐怖が襲って来るからだ。


「店長には敵いませんね」


「そうじゃろうそうじゃろう」


 とりあえずお世辞を言っておく。

 実際は言葉通りの降伏宣言でしかないし、ただ怯えから本音が出ただけなのだが、態度には決して出さないようにした。

 強い者には逆らわない、理解できない存在とは敵対しない、それが僕だ。そういうことにしよう。

 店長が怖くて必死に何か言ったわけではない。決して。


 上機嫌な店長は、僕をどんどん引きずっていく、数少ない従業員に対しての扱いが不当すぎるが、口が裂けてもそんなことは言わない。

 というより言えない。


「はぁ……」


 小さく息を吐く。

 まったく、店長も普通にしていれば、見目麗しい素敵な女性のはずなのに、どうしてこうなのだろうか。

 変わり者が多いと言われる魔人族の中でも、店長は特殊だと思う。


 魔人族とは、人族の中でもマナの扱いに秀でた者たちのことである。

 生物ならば皆、生まれながらに持っているマナというエネルギー。魔法や様々な用途に使われるその力を、他の人族よりも多く持っており、反面身体能力はやや低いのが特徴だ。

 もう一つ特徴を上げるのならば、耳がやや尖っており、容姿端麗な者が多いことだろうか。


 この魔人族だが、どこか浮世離れした考え方をする者が多く、悪い者たちではないのだが、基本的に変人だという不遇な評価を他の人族からは受けている。


 僕は幼い頃、これを聞いた時は随分と失礼な話だと子供ながらに思ったものだが、実際に魔人族と出会ってみると、その評価は正しかったのだと言わざるを得なかった。

 何より、当の魔人族達が気にもしていないどころか、むしろ喜んでいる節があるので、失礼でもなんでもなかったのである。

 そんな魔人族の中でも、店長は一際変わり者だ。


 まず何のこだわりなのか、話し方がおかしい。外見とも声とも酷く乖離している。

 自分のことを我と呼び、のじゃだの、だのぅだの、どこの年寄りもしくは王だというツッコミを入れたくなる話し方をするのだ。

 今は慣れてしまったが、最初は違和感が凄かった。


 以前、何とはなしに年齢を尋ねた際、足を思いっきり踏まれたので正確な年齢はわからないが、まだそれなりに若いだろうに……いや、魔人族は長寿なので、外見からは判断できないけれど。

 店長が高齢者ならば、僕は何も信じられなくなる、なので若いということにしておく。


 行動については言うまでもない。

 池に潜って自ら釣られる人間なんて、居ないし居てほしくなかった。

 僕のささやかな望みは断たれ、記憶にしっかりと刻み込まれてしまったが。


 店長が遊びでやっていたから良かったものの、本気だったら池に僕が引きずり込まれていただろうし、まーちゃんを手放す選択肢など僕にはないからな。


 と、まあ先程の逆に真顔になる程のドッキリを例に、店長の奇行をあげればキリがないのである。

 決して理解できないであろう人物。

 それがミリス・アルバルマなのだ。


 何故僕はこんな人の下で働いてるのでしょうか。

 

 どうせ店長に引きずられるしかやることがないのだし、初めて店長と出逢った時のことでも思い出してみる。






 三年前、魔導学園を卒業した僕は何かするわけでもなく、全財産(大した額ではない)と最低限の荷物を持ってふらふらと王都へと訪れた。

 王都へ行こうと思った理由は、別名水の都とも言われる王都でただ釣りがしてみたかったからだ。

 

 当時持っていた愛用な釣具を持ち、乗り合い馬車へと意気揚々と乗り込んだ僕は、ウキウキしていた。

 この時点ではちょっとした旅行気分だったのだ。

 釣り遠征であり、王都に長居するつもりなどなかったし、まさかそこに住んで職に就くことになろうとは夢にも思っていなかった。

 しかし、不運が重なってしまう。


 まず、乗り合い馬車が盗賊に襲われた。


 釣り遠征ということで気持ちが昂ぶっていた僕は、盛大に水を差された気がして、一緒に馬車に乗っていた戦える人たち、護衛の人たちと共に、盗賊達を追い払うことに成功する。

 勇猛果敢な戦いぶりだったと褒められたが、僕は喜べなかった。

 

 何故ならば、僕の持ち込んだ釣具は無事ではなかったからだ。

 仕掛けや糸だけならばまだマシだったが、愛用していた竿さえも無惨にも折れてしまっていた。

 僕は泣いた。


「こいつを失うくらいなら! 僕が代わりに傷を負えばよかったんだぁ!!」


 そう叫びながら涙を流す僕を、周りの人達も若干引きながら慰めてくれたが、何と言ってくれていたのか思い出すことはできない。

 ただ、王都に到着するまでの間泣き続ける僕の周りからは、気づけば人が居なくなっていた。

 皆が僕を避けていた。冷たい人たちだと思った。


 王都に到着すると、皆僕を一瞥もせずに去っていくがもう悲しみは訪れない。心が麻痺していたからだ。

 とぼとぼと王都に入った僕は、目の前に広がる光景を見て更にショックを受けることになる。


 王都は素晴らしかった。巨大な湖の上に建てられた都市は、各地に大小様々な水路が走り、渡し船が行き交い活気に満ち溢れていた。

 僕は崩れ落ちる。


「こんな……こんな……天国のような場所でぇ……!」


 釣具を持たない僕には、やることが何もなかったのだ。

 衛兵に声をかけられるまで、僕はその場に蹲って声を殺して泣いた。


「君、一体どうした?」


 この衛兵さんのことを、僕は生涯忘れないだろう。顔はもう覚えてないけれど。


「……新しい釣具を買えばいいのでは?」


 ぐすぐすと事情を語る僕にかけられた言葉は、まさに金言であった。


 そうだ、僕はそういえばお金を持っていたのだ。ならば、新しい釣具を買えばいいではないか。安価な物ならば、帰りの馬車代を考慮しても、十分な額はあるだろう。


 こんなに簡単に問題が解決するなんて、僕は本当に馬鹿だ。けれど仕方ない、僕にとってはお金よりも釣具のほうが価値があるのだ。それを失ってしまったショックでお金の存在を忘れても仕方なかったのである。


 僕には衛兵さんから後光が差しているように見えた。


「いいからさっさと行け」


 感謝の言葉を告げて縋り付く僕に、衛兵さんはそう言ったのだが、心底嫌そうにしていたのは何故だろう。僕の顔が汚かったからだろうか。

 きっと、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていたはずだから。


 衛兵さんのおかげで立ち直ることができた僕は、意気揚々と釣具屋を探して王都を散策する。

 王都は言うまでもなく大きな都市であり、釣りにも適している。幸いにも、釣具屋はすぐに見つかった。

 僕は喜び勇んで釣具屋へと駆け込んだ。


 しかし、ここで第二のトラブルが起こる。

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