3・呼称


 僕が久留守先輩との交際契約をスタートさせたのが昨日の放課後。まさか久留守先輩とお付き合いできるとは。確かに告白はしたがほとんど成功するとは思っていなかったし。でも、うん。改めて考えてみると、あんなに綺麗な人が長くて一年であっても彼女になったんだ。


「どうしたんだよさくら」

「僕をさくらと呼ぶな。桜人だ」

「悪い悪い。でもさっきから呼びかけても反応しないのが悪いんだぜ」

「それは悪かったけど、何か用でもあるのか羽地」

「いやな、反応がなかったのも含めておまえ、少し気持ち悪い顔してるぞ」

「ほっとけ」


 どうやら念願の彼女が出来て浮かれすぎてしまっていたらしい。お昼ご飯を食べながら呆けてしまうとは。


「で、どうしたんだよ。何かいいことでもあったのか?」

「よくぞ聞いてくれたな羽地」

「あ、なんか急に興味が失せてきたんだけど」

「おい」

「悪い悪い」


 続けてくれ、とニヤリとした顔をする羽地。まったく調子のいいやつだ。しかしまあ、今の僕はすこぶる機嫌がいいからな。この程度な些事、気にすることもない。


「なんとだな、僕、ついに彼女ができたんだよっ」


 噛み締めるように僕は言った。中学からの付き合いであり、僕が当時から彼女を欲していたことを知る羽地なら、僕のこの喜びようを理解してくれるだろう。いや、寧ろ腐れ縁として共感の後に祝福をしてくれる筈だ。


「桜人……、脅しは、よくないぞ?」

「お前は僕をどんな人間だと思っているんだッ」

「いや、だってなぁ。桜人だぞ。まさか彼女ができるなんて思ってもいなかった」

「酷い奴だな。祝福の言葉一つくらいくれてもいいだろう」

「あ、ああ。めでたいとは思うがな、あまりにも驚愕で……」


 酷い言われようだ。


「だってなぁ桜人。お前、中学の時になんて『君江くんって優しいと思うけど、なんか彼女欲しいオーラが出過ぎててね。少し引いちゃうよね』って女子から言われてたんだぞ」

「初耳だ。というか、知ってたのならアドバイスをしてくれよ」

「いやそれは無理だ。男子の間ではお前が中学の間に付き合えるか否かで賭けがあったからな。まあ、結局参加した奴全員が無理に賭けたから成立はしなかったんだが」

「お前を含めて僕の同級生はクズばかりなのか」

「ちなみだが、今度その賭けの高校生篇を開こうとしていたところだ」

「お前がぶっちぎりのクズだな!」


 なんて奴なんだ、羽地謙太。なんで僕はこんなクズと絡んでしまったのか。


「それで桜人、お前の告白を受け入れてくれた変人は誰なんだ?」

「恋人だ」

「わかったわかった。で?」


 興味があるのかないのかわからないやつだな。もうさっさと言ってしまおう。昼食の後は眠くなるんだ。


「久留守千夜先輩だよ」

「久留守先輩っ!? お、お前、本当に脅してないんだろうな!」

「声が大きい!」


 訝しげな視線を多数感じる。というか刺さっている。


「だって、お前、久留守先輩だぞ。よりにもよってそこかよ」

「僕だって信じられないけど、成功しちゃったんだよ」


 そう、久留守先輩はちょっとした有名人だ。まあ漫画のように校内1の美少女とまではいかないが、校内においてかわいいと男子の間では常に噂されている。だからこそ僕も名前と顔を知っていたのだ。


「頼むけど、あまり触れ回ってくれるなよ」

「それはいいが、意味ないと思うぞ」

「ん?」

「ほら」


 羽地が指差したのは教室後方の出入り口。僕はゆっくりとそこに視線を持っていく。その途中で教室にいた人間の視線が同じ場所に向いているのに気がついた。不思議に思いながらも視野にその姿が映り始め、はっきりと認識する頃には、僕の表情はどうなっていただろうか。


「く、久留守先輩……」


 僕のその呟きが届いたのか、久留守先輩は僕に気がつき、こちらにやってきた。凄いな。他クラスどころか他学年の教室になんの躊躇いもなく入ってきたぞ。僕なんて授業でも他クラスに入るのは厳しいのに。

 というか、もうなんかアウェーな感じだけど。奇異な視線が僕に注がれまくりだけど。しかしそんなこと気にすることもなく、久留守先輩は僕に話しかけた。あ、また視線が。


「探したわよ君江くん」

「久留守先輩、どうしたんですか?」

「お昼ご飯を一緒に食べようと思ったんだけど、もう食べちゃったみたいね」

「あ、すいません」

「いいのよ。昨日のうちに連絡先を交換しておかなかったわたしが悪いわ」

「あの、場所変えてもいいですか?」


 昼寝をしようと思い早く食べたから、時間はまだまだ残っている。その時間をこの視線の中で過ごせるほど、僕の心は出来ていない。


「いいわよ。じゃあ、昨日の場所でいいかしら」

「はい」



 ***



 昨日の場所、つまりは僕と久留守先輩が契約を結んだ校舎裏に来た。が、下まで降りるとめんどくさいから、外階段に隣り合って座っている。

 僕はもう食べてしまったが、僕を探していた先輩はそうではない。先輩はお弁当を広げて食べていた。


「すいません、気が利かなくて」

「気にしなくていいのよ。わたしも四時間目に思いついたから。『お昼を一緒に食べるのって、恋人らしい』って」

「そうですね」

「あら君江くん、なんか元気ないわね」

「この後のことを考えると少し」

「注目を浴びてたものね」

「久留守先輩が来たんですから当然ですよ。一応僕、この関係のことはあまり広めたくなかったんですどね」

「それは無理よ君江くん。わたし昨日帰ってから色々計画立てたの。その計画には学校でやることもあるから、見られちゃうもの」

「そうですか……。わかりました」

「嫌、かしら」

「大丈夫ですよ」


 まあ、一緒に帰っていればそのうち周知の事実になっていただろうしな。多少早まっただけだ。ただまあ、知られるのも徐々にではなくて、一気にだからな。はあ、インパクトが強すぎる。もっとなだらかにやり過ごそうと思っていたのだが。


「早速計画を実行に移してもいいかしら」

「な、何するんですか?」

「そんなに身構えなくていいわよ。とりあえず、名前で呼び合いましょうってだけだから」

「名前ですか?」

「ええ、桜人くん」

「ああそういう。なら僕は、千夜先輩ですかね」

「もう達成しちゃったわ。ふふ、少し照れ臭いわねって、お互いがなって一悶着あると思ったのだけど」

「どんな想定をしてるんですか」


 久留守先輩もとい千夜先輩はどんな少女漫画から知識を得て来ているのか。あるいは結婚するという姉からの入れ知恵なのか。

 しかしどちらにせよ、僕、この先大丈夫だよね? 久留守先輩の期待に添えなくて三日後に別れるとかならないよね。もしなったら、今日の一連の流れを見ていた連中も多いから、そこから更に広がって、僕の三日坊主ならぬ三日交際が怒涛の勢いで広がるぞ。泣くぞ。


「でもいい名前ね、桜人くん」

「そ、そうですか?」

「ええ、桜人くん。口にし易いし、なんだかしっくり来るわ。桜人、桜人くん。いいわね」

「ちょ、恥ずかしいんでやめてくださいよ」


 いきなりそんなに名前を連呼しないで! ドキってしちゃったから。


「そう? 桜人くんはどうかしらわたしの名前。呼びづらかったら戻してもいいわよ」

「千夜先輩。千夜先輩。千夜先輩。大丈夫ですよ」

「良かった。わたし、この名前好きだから、呼んでくれて嬉しいわ」


 自分の名前が好きなのはいいことだ。しかし僕だけが一方的に照れるというのは悔しいな。


「やっぱり名前で呼び合った方が恋人らしいわ」

「そうですか? 僕たちくらいなら、苗字呼びのカップルも普通にいると思いますが」

「そうかもしれないけど、名前呼びの方親密度が高い気がするじゃない」

「そうですね」


 そこに至るまでの過程がだいぶショートカットされた上に、実際に取られた過程も理由も酷い気がするが。過程こそ重んじるべきなのでは?


「そろそろ時間ね。じゃあ放課後ね」

「またです先輩」


 僕は上の階へ、先輩は下の階へ。お昼休みを終わりに近いので、早めの解散となった。しかしそこで僕は一つ思い出す。


「連絡先交換してない……」

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