やってきた場所は来客用の部屋。

 普段、私の出入りはあまり歓迎されない場所だった。

 どうしようかと迷ったが、それでもドアの間からもれ出てくる声が気になり、ゆっくりとドアノブを回し静かにドアを開く。

 声の異質さのせいだろうか。ノックをしたり、音を立ててドアを全開にしたりするのはためらわれた。

 気付かれないようにと細く開いたその隙間から私は覗く。

 真っ暗な部屋の中で唯一の灯りは、天蓋付のベッドサイドに置かれた小さなスタンド。

 ぼんやりとしたオレンジ色の小さな光は、揺れ動く影とともに怪しい情事を私の瞳に映し出した。

 長く、傷みなど無いまっすぐな黒髪は風もないのにベッドの上で激しく揺れ動き、跨った男に腕を支えられるようにして上体が反らされる。

 口から吐き出される甘い強請りの言葉。

 小さく途切れ途切れに絞り出される声は確かに聞き覚えのある自らが知る声。

 甘い強請りに応え、女の下に組み敷かれつつ自らも快楽を求めて下半身を大きくうねらせ女に打ち付けている男も、息詰まりながら女と共に淫声を吐き続ける。

 その声も私にとって聞き覚えのあるものだった。

 私の、見開いた瞳にまるでズームされるかのように映し出される女のうつろな瞳と男のいやらしい笑み。

 光に照らし出される肌と肌、噎せ返るほどの熱気と男女の香り……、そして卑猥な水音。


 天使のように優しく清らかな母。

 物知りでぴしりと筋の通った堅物な家庭教師。


 ……そんなもの、今の私の瞳の中のどの部分にも何処にも居なかった。


 薄暗い部屋の中、家政婦たちの居ないその場所で2つの影が絡み合い乱れる様は、そこに「獣」が存在するのだと「私」に知らしめた。

 そして、みしりと何かが「私」の心の中で踏みつぶされる音がした。

 自分の中で何かが壊れていくような異様な音が響いて、見ているのかいないのか、分からない視界の中で獣の交尾が続く。

 見たくない嫌だとさっさと逃げ出してしまえばいいものを、何故か私は立ち去ることが出来ず目の前で行われている儀式を見つめ、音と声を聞き入れ、その場が静寂に包まれるまでそこに居た。

 頭の中は全くといっていいほど動いていない。

 静まり返ったこの場所で聞こえてくるのは「獣」の寝息。

 ゆらりと体を左右に揺らしてその場を離れた私の視界は酷く鮮明だった。

 透明過ぎる景色は私の中で何かを拒絶しているよう。

 思考の全てが停止した世界の鮮明な映像は、拒絶が一体何なのか分かっていながらもそれを理解しようとはしていない、けれども本能的に理解をしてしまっているのだと自身に思い知らせていた。


 次の日、変わらぬ天使の笑顔を浮かべ爽やかな朝の挨拶をしてくるそれに、私は瞳を細く口元には嘲りの笑みを浮かべ、偽りの天使の言葉に同じく爽やかな朝の挨拶を返す。

(この乱れ、汚らしい女に用はない……)

 何かが私の中で呟いた。

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