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振り向かない源蔵の背中が決して自分の意思は曲げないと物語っており、響はそれ以上この話をしても無駄だと諦め足取り重く店のガラス戸まで歩いていく。からからと寂しさを際立たせるような戸車の音に、ガラス戸を開けた手を離し後ろをついてきている源蔵のほうへ振り返ったが、響が言葉を発するより先に源蔵が言う。
「未練たらしいぞ」
その言葉に口を一文字に結んだ響。暫しの沈黙の後、口を動かしているのかいないのか分からないほどに小さく開いてポツリポツリと呟いた。
「ここは。僕が僕で居る事の出来る唯一の場所だったんだ。だから……」
だからなくさないで欲しい、そう続けようとした響の言葉を源蔵の明るい笑い声が遮り、肩を少し強めの、瞼を瞑ってしまうほどの力で励ますように叩く。
「何、年寄臭い事を言っているんだ。若いのがそんなことでどうする。お前さんにはまだまだ先がある、先があるという事は数えきれないほどの居場所が出来る可能性があるという事だ。無くなるものに未練をもっていてはいかん。先に進めなくなるぞ」
源蔵の言葉に黙り込んで下を向いた響。
そういう爺さんはどうなんだ、そんな言葉を吐き出そうとした響の肩をつかみ、体の向きを道路の方へと向けた。そしてそのまま手に力を込めて背中をガラス戸の向こうの道路に押し出し源蔵はさらに大きな声で笑って言う。
「否定するも肯定するもお前さん次第だ。相応か不相応か、決めるのはお前さんなのだろう?」
源蔵の笑い声が耳の中にこだまするように反響する。どんな言葉を返しても結局は笑い飛ばされてしまうようで、そして、自分自身一つの事柄以外の言葉は全く頭に浮かんでこない。頷くこともせず、源蔵に背中を向けて最後の別れの挨拶すら言葉にしないで響は、初めはゆっくりと、そして徐々に足早に美晴堂書店を去っていた。
源蔵に背中を見せて帰ってきた響は、ドアに凭れるようにして座り込む。肩で息をし鞄を叩きつけるように床に投げつけ、行き場の無い寂しさとなぜか湧き上がってくる怒りをそのまま爆発させた。大きな音とともにあたりに散らばる本と紙、視界がぼんやりと、背筋がぞくりと、そして鼻の奥がつんと痛くなった。
「先があるだって? 先があるだけじゃないか、可能性はあくまでも可能性。この先に有る可能性があるなら、無い可能性だってあるんだ」
小さな滴は頬を伝わり顎に到達して地面へと落下する。次第にその量は増え、とめどなく流れる涙を拭くことをせず、瞳を閉じて暗闇の中で考え込んだ。
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