記念にたった一冊選んで持って行けと言う源蔵の言葉に悲しさが湧き上がってきたが押し留めて店の本を見る。始めは、あの童話全集にしようかと思ったが、あの本はすでに売れてしまっていてこの店には無くあきらめ別の本をと探し始める。レジの辺りから入り口付近までやってきた響に源蔵が決まったか? と聞いてきた。欲しい物、持っておきたい物、読みたい物、いろんな視点で探していたが、一冊だけと言われるとどれもなんだか違う、どれも欲しいそんな気がして迷ってしまう。どうしたものかとその場にしゃがみこんだ響の瞳に一冊の本が映り込んだ。重ねられた本のさらに奥、普通なら見逃してしまいそうで、その本を探していたとしても目に留まらないようなそんな場所に本はあった。

 芥子色の革製の表紙には本の周りを縁取るように蔦薔薇が焼印されていたが、本の題名は全くない。一体何の本だろうと手に取り、首をかしげながら開いた一枚目は真っ白で目次もなく、さらに頁をくってみれば中途半端な位置から何やら黒いミミズのような文字が連なっていた。日本語ではない、其れは分かったが英語でもないような表記でさっぱり分からない。

 一言で表現するならば怪しい本。

 普段であれば(なんだこれ)と直ぐにもとあった場所に戻すだろうが、何故か響はこの本で無いと駄目だと思ってしまった。見た目以上にずしりと重たい本を両手で抱えるようにして振り返り、後ろで本の並びを整えている源蔵に、この本にすると言えば源蔵が近寄ってくる。

 本を手に取りじっくりと眺めながら源蔵は眉間に皺を寄せながら首をかしげてどこにあったと聞いてきた。本のあった場所を指差せば、源蔵はそこに行って更に首をかしげる。

「何、どうかしたの? これじゃ駄目?」

「いや、そう言うわけじゃないが、こんな本は見たことが無いと思ってな。この店の本は全てわしが目を通し、価格を付けて店頭に出している。こんなに特徴のある本なのにわしは覚えが無い、その証拠に値段の札も入ってない」

 源蔵に言われ本を覗き込んでみてみれば、確かに源蔵手書きの値札が本には挟まっていない。まだ源蔵が目を通して居らず値札をつけていないものは全て源蔵の後ろに積み上げられた段ボール箱、または源蔵の居るカウンター内にあって、店に売り物としては出ていないはずだった。

「わしも歳には勝てんということか」

 小さく呟いた源蔵はそれが自分の失態であると思ったようで、響はどう声をかけたものかと少々考え込む。いい言葉が思いつかないまま、売り物でないものを貰って帰ることは出来ないと響が言えば、源蔵は首を横に振って本を響に差し出し別にかまわないと言う。

「それがいいのならそれを持って行けば良い。わしは値札のついている本とは言わんかっただろう? この書店にあるものから一冊、其れもわしのミスでそんなところにあっただけでわしの店のものには違いないからな」

 少々迷いながらも源蔵から本を受け取って、本当にいいのかと確認の為に聞けば、源蔵は男に二言は無いと仁王立ちして頷き、響は重量のある本を抱えていつもの指定席まで戻って、自分の鞄へと嬉しそうに本を仕舞い込む。

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