得と損。
1
前方を見据える様に立ち尽くして動かぬ響の目の前にすっと缶ジュースが差し出され、響の黒目がジュースを握っている手から腕に向かって動いた。腕の先にあったのは源蔵の顔。
「驕ってやる。飲め」
「施しなんていらない。ジュースを買う金位持っている」
差し出された缶ジュースから視線をそらし、口を尖らせて言う響に源蔵は片方の口角を引き上げて少し微笑む。そして、差し出した缶ジュースを自分の目の高さにぶら下げるように持った。
「人の行為というのは素直に受けて得する時と損する時がある。今は得する時だ。例え施しであったとしても、これを手に入れておけばその分の金が浮くだろう。モノは考えようだ。まぁ、このジュースは施しではないがな」
諭すような物言いというよりも、どこか得意げな風に言う源蔵を横目に、響は少々嘲る様に言葉を吐き出す。
「人の親切というやつには裏と表がある。裏があるから表があることの方が多い。見も知らぬ他人に優しくするにはそれなりの理由があるのが普通で、其れを警戒しないで表だけの親切だと受け取る奴はただの馬鹿に過ぎない」
得意げに言ったことを否定され響は源蔵が驚くかと思っていたが、瞳の端に映るその顔は妙に感心したように何度も小さく頷いていた。
「やはり年齢以上の何かがお前さんにはあるようだな。確かに間違ってはいない、その通りだ。だが、無償の利というものもある」
「無償の、利?」
源蔵の言葉に響が首を傾げれば、源蔵はしてやったりといった風に微笑んだ。
「悟っておるようでやはりまだまだだな、お前さんは」
目の前でぶらぶらと揺らしていた缶ジュースのプルタブを源蔵自らが開け、響の目の前で喉を上下させてそれを飲み干した。にやりとした笑いを響に向かって浮かべながら少々髭についてしまったジュースを袖口でふき取る。
「残念だったな。これでお前さんは得をなくした」
「……得だと思ってもない物をなくしたところでゼロがゼロのままであるに過ぎない」
響はあからさまに自分の言い分を態度で否定してくる源蔵の姿に少々気分を害しながら言い放ち、源蔵はその様子を楽しげに眺めて笑い再び自分の持ち場へと戻った。
椅子に腰を下ろした源蔵は突っ立たままの響きに、
「まだ服も乾いちゃいまい。どうせならその童話全集を読み終えるまで居ても良いぞ」
と言う。源蔵の言葉に首を横に振りかけた響だったが、ずしりと重たく両手に抱えられている童話全集を眺めた。
「時には寄り道も、回り道も必要だ」
源蔵の言葉に従うわけではないと言い訳をしながらくるりと体の向きを変えて、先ほどまで居た日曜大工のような椅子に少し源蔵に背を向けるようにして座って本を開く。
それ以降、会話を交わすことなくただ時間が過ぎ、辺りが暗闇に包まれる頃になって源蔵が店の中の照明をつけた。一気に明るくなった店内とガラス戸の向こうの景色、そして振り子時計を見て響は立ち上がる。その様子を見て源蔵が口を開いた。
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