第9話『過去に誘われ』
◆ ◆ ◆
「……俺、別に腹減ってないし、お前一人で行ってこいよ」
「はあ? 何言ってんのいきなり」
金曜夜六時。
リビングのソファーに寝転がる俺を、美佐は呆れ果てたように見下ろした。
綺麗めのジャケットに膝丈のワンピースと、フォーマルなファッションだ。
何年かぶりのお呼ばれに、相当な気合を入れているのが伺える。
美佐がやよいからのお誘いを受け、今晩はやよいの家で夕食を食べる予定だった。
「なんか今日は家に居たいんだよ……あるだろ、そういうとき」
「もうやよいさんのお家でご飯用意してるんだよ? こんな直前になってドタキャンとか失礼すぎるでしょ。もっと考えなよそこらへんさあ」
「やめろよそういうガチな正論かましてくんの……」
この一週間で、大体朝木さんとの付き合い方にサイクルができてきた。
学校では相変わらず接触は避けているが、休み時間はずっとラインしっぱなしだ。
もちろん、家に帰ってからもラインはしている。
大体、お互いに夕飯を食べ終わる夜七時から九時まで。
今からやよいの家に食べに行ったら、間違いなく八時は回るだろう。
オーバーした一時間分、朝木さんとのラインの時間が減るのが嫌だった。
それに、やよいだって俺に避けられていることは気づいているはず。
なのに、いきなり夕飯に招待するなどと言い出したからには、腹に
そういう意味でも……というかこっちがメインで嫌だった。
せっかく朝木さんと上手くいき始めているのに、またぞろあいつに引っ掻き回されては敵わない。
あの陰謀屋のことだ。本当に俺が好きかどうかも怪しい。
実は朝木さんに個人的な恨みがあって、俺はそのダシに使われているという可能性もある。
……まあ、それは穿ち過ぎか。
しかし、先週のショッピングは、朝木さんへの嫌がらせの一環であるということに疑いの余地はない。
彼氏がいる男を遊びに誘うということは、そういうことだろう。
まあ、それにほいほい乗っかっておいてこんなことを抜かすのもどうかと思うけど……。
いや、俺はもう悔い改めた。反省した。
とにかく、今はやよいとは顔を合わせたくない気分なのだ。
すると、美佐はこんなことを言ってきた。
「やよいさん、なんか兄貴に話あるみたいだったよ」
「俺に? 誘われたのはお前なのに?」
「兄貴に話しかけづらいから、うちを経由したんでしょ。そのくらい分かんない?」
いちいち癪に障る話し方をする奴だ。
しかし、そういうことなら
この際、腹を割って話してみるとしよう。
「……分かったよ。行くよ。着替えてくるからちょっと待ってろ」
俺は不承不承に頷いた。
◆ ◆ ◆
「はいはーい、入って入ってー」
「お邪魔しまーす!」
「……お邪魔します」
先週の土曜のこと、そこからこれまでの一週間のこと。
それらに思いを巡らせつつ、覚悟して訪れた月ノ瀬亭だったが、意外にもやよいはあっさりと俺たちを招き入れた。
「やよいさん、コスメ何使ってるんですか? お肌めっちゃ綺麗~」
「んー、お風呂上がりに教えたげる」
「きゃー! 楽しみー!」
すっかり推しの握手会に来た限界オタクのようなテンションの美佐。
物心ついた頃から、あいつはずっとやよいにあこがれていた。
本人に言わせるなら、やよいこそが理想の女子なのだとか。
と、やよいがくるっと振り返って言った。
「庸光も入る?」
「はっ? ば、ばっか、お前、は、入るわけねえだろ!」
「え? いや、そういう意味じゃないんだけど……」
「兄貴きも」
素で呆れているやよいと、素で俺をキモがっている美佐。
いかん、さっきから空回りまくりだ。
もしかすると、無闇に意識しまくっているのは俺一人なのかもしれない。
やよいはただ、純粋に俺たち兄妹を夕飯に招待したかっただけとか。
「おお、美佐ちゃん久しぶり! 大きくなったなー」
「お夕飯、もう少しでできるから待っててねー」
リビングでは、やよいパパがテレビを見ながら出迎えてくれた。
台所から、やよいママののんびりした声も聞こえてくる。
温かい家庭の雰囲気だ。俺にとっては、第二の家とも言える場所だ。
「おふたりともお久ぶりです! 今日はお招きいただきありがとうございます! ……ほら、兄貴も挨拶して」
「やあ、庸光くん! 先週ぶりだね!」
「あー……その節はどうも、はい」
まずい。
俺はちらっと美佐の様子をうかがった。
予想通り、怪訝そうな目で俺の顔を覗き込んでいる。
「兄貴、何かあったの?」
「えーと、それはだな……」
どう説明したものか。
正直に言うと面倒なことになるし、かと言ってやよいパパご本人の前で大嘘をぶっこくのも気が引ける。
「たまたま近くのヨンエーストアで会っただけだよ。ね?」
「あ、ああ……」
「へ? いや、ヨンエーじゃなくてイオ――」
「ヨンエーだよね? お父さん?」
「あ、はい。そうでしたそうでした。忘れてました」
すると、なんとやよいが助け舟を出してくれた。
助かりはしたが、一体どういう風の吹き回しだろう。
俺と朝木さんの関係を揺さぶりたいなら、ここで既成事実を作るのが得策だろうに。
(どういうことなんだ? えーっと……)
しばし談笑した後、やよいママお手製の料理に舌鼓を打ちながら、俺は頭の中を整理する。
やよいがこれまで俺にちょっかいをかけてきたのは、俺が朝木さんと付き合い始めたのがきっかけで間違いない。
明らかに、その前後でやよいの言動が変化したからだ。
打って変わって俺の顔を立てるようになり、そうかと思えば彼女がいる俺をデートに誘ったりしてみたり。
また、仲良しに見えていた朝木さんを敵視するようになった。
これらを踏まえて、客観的に考えれば、やよいは――俺のことが好きなのかもしれない。
そうであってほしいと願い、そんなはずはないと何度も思い知らされてきた空想だ。
だから、可能性としてさえ俺は考慮することができなかった。考慮したくなかった。
……向こうも、何やら俺に話があるらしい。
いい機会だ。こっちも言いたいことを全部言ってやる。
こんなくだらない権謀術数ごっこはもうこりごりだ。
食事会は和やかに進行し、食べ終わった後はテレビの前で他愛ない話に花を咲かせた。
その間も、やよいは決してあの日のことを蒸し返すようなことはしなかった。
時計の針は刻々と時間を刻み、夜十時を回った頃だった。
パパさんとママさんが二階に上がり、やよいが先に風呂に入りに行った。
リビングに二人残された俺たちは、各々スマホをいじって過ごしていた。
黙々と画面を操作する美佐と対称的に、俺は完全に気もそぞろだった。
いつやよいと話をすればいいんだろう?
このままだと、後は俺たちが風呂を使わせてもらったら解散だ。
不意に、美佐がぽつりと言った。
「兄貴さあ、絶対やよいさんとなんかあったでしょ?」
「……大したことじゃねえよ」
「絶対大したことある。……先週の土曜どっか行ってたよね? そのときでしょ? 違う?」
「…………」
「やっぱり。どうせデート行って怒らせたとかそんなとこでしょ? ほんとダメだねー兄貴は」
当たらずとも遠からず。
我が妹の勘は今日も冴え渡っている。
しかし、それより気にかかることがあった。
「……お前、驚かないの?」
「何が?」
「俺とやよいが、その、デート行ってて」
「別に?」
「……何で?」
「だって両思いでしょ? ならデートくらいするでしょ。フツー」
両思い。俺とやよいが両思い。
俺は美佐の言葉を頭の中でじっくりと反芻した。
そして、慎重に反論する。
「……両思いかどうかは分かんないだろ」
「やよいさん前言ってたよ。『どうでもいい男子とはデートなんかしない』って。ていうか見てれば分かるし。もうバレバレだよバレバレ。やよいさん趣味悪いなーってずーっと思ってたし」
心臓がドクンドクンとうるさく脈動を始める。
何だよ、それ。聞いてないぞ。
ていうか、だとしたら俺のやってきたことって――。
「あれ? そういえばいつだっけ。二週間くらい前? やよいさんすっごい落ち込んでたよね。あれってもしかして、」
「いや、それはだな――」
「美佐ちゃんおまたせー。ごめんね、お客さんなのに最後なんて」
「いいんですいいんです! 全然そういうの気にしませんから!」
ナイスタイミングでやよいが風呂から上がってきた。
弾かれたように美佐が立ち上がり、リビングを出ていく。
と、ドアのあたりで振り返って言った。
「あ、うちお風呂入ったら客間直行して寝させてもらいますので。リビングには来ないので安心してください」
「りょうかーい」
美佐の奴、妙な気の回し方をする。
まあいい。これで邪魔が入らずに話し込むことができる。
人知れず武者震いをする俺をよそに、やよいは冷蔵庫から出した牛乳をグビグビ飲んでいる。
身体のラインが出ない、ゆったりしたルームウェア姿。
無防備にさらけ出された首筋は、ほんのりと上気している。
「――ぷはっ。庸光も飲む?」
「いや、いい」
「ふーん」
牛乳を冷蔵庫に返すと、やよいは俺が腰掛けている四人がけソファの、一人分離れたところに座った。
「なんか、お泊り会みたいだね。こういう感じ」
「まあ、今日は泊まらないけどな」
「そうなの? 泊まってけばいいのに」
「明日はちょっと……」
俺は言葉を濁そうとして、やめた。
「……朝木さんとデートがある。映画観に行くんだよ」
「そうなんだ。どっちから誘ったの?」
「俺の方」
かち、こち、かち、こち。
やけに時計の針の音がうるさく響く。
やよいはソファの上で膝を抱え、どこか遠くを見つめている。
シャワーを浴びたせいだろうか。
髪のパーマが緩み、ほとんどストレートになっている。
学校でよく見る洒落た雰囲気はなくなり、小学校の頃のような素朴な印象だ。
言いたいことは山ほどあった。
だけど、それを切り出す最初の一言が思いつかない。
きっと、やよいも同じ気持ちだろう。
こうして二人でいるのに、やよいが何も喋らないなんて変だ。
深夜に思春期の男女が二人きり。付かず離れずの距離感。
何を意識しているかなんて、馬鹿でも分かるだろう。
そして、口火を切ったのはやよいだった。
「……前にもあったよね、こういうの」
「いつ?」
「小学五年の自然の家。最終日の夜。こうやって焚き火見てたじゃん。二人並んで」
「ああ、あったな」
俺は過去の記憶に思いを馳せる。
トイレに行った帰り、気まぐれにキャンプファイヤーの跡地に寄ったら、そこにやよいがいたのだ。
「あのとき、結構いい雰囲気だったよね」
「そうか? 黙って焚き火見て帰っただけだったろ」
「だって、あの頃の私たちって、顔合わせたら喧嘩してたじゃん。やれお前なんか好きじゃないとか、こっちだって嫌いとかって」
「……確かにな」
忘れるわけがない。
あのときから、俺はあいつへの好意を自覚したのだから。
無粋な言葉を口にするより、ただ焚き火に照らされるやよいの横顔を見ていたかった。
そんな自分に気づいた瞬間のときめきを、忘れるはずがない。
「ねえ、庸光」
ほとんどささやくように、やよいは言葉を紡いだ。
「私、庸光が好き」
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