第8話『デートの代価』


 ◆ ◆ ◆


「――えー、ほんとに!? つっちーやばくないそれー?」


 休み明けの月曜日。

 三時間目と四時間目の間の十分休憩にて。

 

 俺は次の授業の支度をしながら、友達と談笑しているやよいの様子を伺った。

 今朝も、やよいは玄関で俺のことを待っていた。

 交わした会話は、土曜日のショッピングのことだ。


 やれあの服は可愛かっただの、あの料理は美味しかっただのと、一人でペラペラと喋り続けていた。

 しかし、休憩スペースでの出来事については一切触れなかった。

 

 登校中に話すことではないと思ったのか、それとも別の理由があるのか。

 あいつの考えていることはよく分からない。

 

 というより、あいつの言動をそのまま受け取ることができなくなった。

 人面獣心というか、口蜜腹剣こうみつふくけんというか。

 俺に対する一挙手一投足に、裏がある気がしてならないのだ。


 俺に気がある振りをしておいて、実は……みたいなことを想像すると、素直に好意を受け取ることさえできない。

 

『この動画、超面白い!』


 その点、朝木さんは安心だ。

 こうして文章で笑っているときは、実際に口元が緩んでいる。

 俺の席から朝木さんが見えるから、それは確かだ。


 顔が見えなくても、画面の向こう側では、朝木さんが可憐に笑っていると思うと、フリック入力をする指も早くなろうというもの。

 ここのところ、夜寝る前に朝木さんとラインをするのが習慣になりつつある。

  

 けれど、もうそれでは物足りなさを感じつつあった。

 もっと声を聞きたい。顔を見たい。匂いを感じたい。

 そこで俺は、さりげなく前振りをしてみた。


『今トレンドになってるこの映画、伊車和巳いぐるまかずみが出てるらしいね』


『本当に!? わたし伊車くんめっちゃ好き!』


 今話題の若手俳優の名前を出すと、朝木さんは見事に食いついてきた。

 この俳優が出演していた映画は、一つだけ観たことがある。 

 確か、高校野球がテーマで、この伊車某はピッチャー役だったはずだ。

 その程度のうろ覚え知識を振りかざし、俺は順調に朝木さんとの会話を重ねていく。

 そして、満を持して進言した。


『よかったら、この映画今度観に行かない? 今週末とかどうかな?』


 送った瞬間、猛烈な後悔が襲ってきた。

 まだ早かったかもしれない。早まったかもしれない。

 ろくに喋ってもいないのに、デートに誘うなんて、俺は何を考えていたんだ。


 近場でご飯を食べるとか、ちょっとした買い物に行くとか、もっと段階を踏むべきだった。

 ああ、でももう後の祭りだ。一度送ったラインは取り消せない。

 俺は運を天に任せ、祈るような気持ちで画面を見続けた。

 返信が来るまでの十秒間は、永遠のように長く感じられた。


『いいよ!』


(よっっしゃ!!)


 思わずガッツポーズしかけたのを、慌てて自制する。

 やった。やった、成功した。女の子をデートに誘えた!

 何だ何だ、やればできるじゃないか俺。

 何でもっと早く本気を出さなかった?

 さすが俺だ。やはりできる男だ俺は!

 

『初デートだね! 楽しみ!』


 その途端、有頂天になっていた俺は冷や水を浴びせられたような気持ちになった。

 こんな可愛い彼女がいるのに、どうして俺はやよいとショッピングなんて行ったんだろう。

 いや、ショッピングじゃない。あれはデートだ。

 ごまかしはやめろ。自分をだますな。

 あれはリサーチだの、親がいるだのと理由をつけ、罪悪感から目をそらしてきた。

 俺は最低の卑怯者だ。


(ごめん、朝木さん。俺は今日から改心します)


 だが、何でもかんでも謝ればいいというものでもない。

 謝られたら、許さなくてはならなくなる。許さずにはいられなくなる。

 たとえそれが、謝って済むことではなくてもだ。


 知らぬが花だ。俺が黙っていればいいことだ。

 黙って抱え込むことが、俺にとっては一番の罰になるのだから。


 ☆ ☆ ☆


 大成功に終わったデートの余韻は、月曜日になっても消えていなかった。

 今も目を閉じれば、庸光と歩いたショッピングモールの光景が浮かんでくる。


 庸光の声。庸光の顔。庸光の匂い。

 一日かけて、脳裏にしっかりと刻み込んだから。

 ひたすら妄想に浸っていたら、気がつくと一日が終わっていた。


 でも、物足りない。想像だけじゃ我慢できない。

 もっと庸光を感じていたい。

 

 帰りのショートホームルームが終わり、下校時間になった。

 三々五々、教室を出ていくクラスメイトたちの流れに逆らい、私は庸光の席へ行った。


「庸光! 一緒に帰ろ! 駅前にパフェ屋さんがあって、すっごく美味しいんだって! よかったらこれから――」


「……悪い。俺、行けない」


 ―――え?


 とびきりの笑顔のまま、表情が固まった。

 今、なんて言ったの? 『行けない』? どうして?

 土曜のデートでは、あんなに楽しそうにしてたのに。

 何で? 何で? 何で? 何で?

 混乱のるつぼにある私に、庸光は後ろめたそうに目を背けた。


「ほら、俺……いるからさ。他の女子と二人で出かけるのは、ちょっと」


 庸光の口から、信じられない言葉が飛び出している。

 つい数日前、私とデートしていた人間とは思えない。

 

 どうして急にそんなことを? 何か原因があるはず。

 明らかに庸光の気持ちは、私の方を向きかけていたのに。

 

「だから……やよい、やよい?」


「……あ、うん。分かった。そうだよね、私何言ってんだろ。今の、やっぱりなかったことにして」


「ああ。……じゃあな」


 やっとの思いでそう返すと、庸光は足早に教室を去っていった。

 あとに残されたのは、立ち尽くす私一人だ。

 

(あの女だ)


 それ以外、理由などない。

 あの女が庸光に何か吹き込んだに違いない。

 

 単に、土曜日に私とデートしていたのを見た、と告げたわけではないだろう。

 庸光が好きで告白したわけでもないのに、庸光の不貞を糾弾する資格はない。

 そのくらいの道理はわきまえているはずだ。


(じゃあ何でだろう? 何でいきなり、庸光は私を避けるようになったんだろう?)


 となると、原因があるとすれば私自身か。

 しばらくの間、今回の件に関する言動を思い返してみた。

 私のものだけではない。

 私と話しているときの、庸光の言動や表情も含めてだ。


(……しくじった。あんな些細なことで)


 気づいた途端、私は小さく舌打ちをした。

 朝木だ。厳密には、朝木のことを名前で呼んだことだ。

 庸光が私に警戒心を抱く可能性があるとすれば、これしかない。

 

 だが、まだ挽回の余地はある。

 簡単なことだ。間違いを認めて謝ればいい。

 それだけの話だ。

 何とか私は自分を落ち着かせ、バッグを背負って帰途についた。


 好きな人に嫌われるのは辛いことだ。

 私がどれだけ庸光を好きかが伝われば、こんな誤解はすぐに解けると分かっていてもだ。


 今日一日、視界の端で捉え続けていた庸光の映像を脳内再生していると、ふと奇妙なシーンが流れた。

 三時間目の国語が終わった後の休み時間だ。

 机の下にスマホを隠し、何やら難しい顔をしながら文字入力を行っている。


(……春留ちゃんとのラインかな)


 それ自体は大した問題ではなかった。

 どんなに庸光が熱を上げたところで、春留ちゃんが振り向くことはないだろうから。

 だが、しばらく見ていると、庸光が突然小さくガッツポーズをしたのだ。

 口元をほころばせ、喜びに目を輝かせている。

 

(デートだ)


 私は直感で悟った。

 男がこんなにはっきり喜ぶことなんて、ほかにはまずないだろう。

 春留ちゃんの方から誘うことはありえない。

 庸光から誘って、それが了承されたのだ。


(意味分かんない。何なのあの女、好きでもないくせに、ちゃっかりデートには誘われるってわけ?)


 苛立ちのあまり頭痛がした。

 本当に反吐が出るようなクソビッチだ。

 断ったら悪いかも、とかふざけたことでも考えているのだろうか。

 もし、今目の前に春留ちゃんがいたら、馬乗りになってボコボコにしているところだ。


(落ち着きなさい、私。これからやるべきことがあるでしょう?)


 私は深呼吸をして心拍を抑え、スマホを取り出した。

 連絡先を開き、庸光の下にある名前をタップし、コールする。

 数秒の間が空いた後、電話の主が出た。


『もしもし、お久しぶりですやよいさん!』


「もしもし、美佐ちゃん? 久しぶり。どう? 元気してる? 学校はどう?」


 何度か四方山話よもやまばなしに花を咲かせた後、私は本題を切り出した。


「ねえ、今度うちにご飯食べに来ない? 庸光も一緒に」


 庸光と春留ちゃんのデート先を調べなくてはならない。

 たとえ、どんな手段を使ったとしても。

 

 真っ赤な夕焼けに照らされながら、私は小さく微笑んだ。

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