第7話『芽生える不安』


 ○ ○ ○


『――で、春留さあ、本当に昼宮と付き合ってるの?』


「う、うん。一応……」


『真面目だねー。適当に振っちゃえばいいのに』


「そんなのダメだよ……可哀想だし……」


 わたしは自分の部屋のベッドヘッドにもたれながら、カーテンの裾をいじった。

 今電話している楓ちゃんは、小学校からのお友達だ。

 お互いの初恋相手も、初めてチョコを渡した相手も、初彼氏も全部知ってる。

 わたしの親友を一人挙げろと言われたら、間違いなく楓ちゃんの名前を出すと思う。

 

 けれど、通話を初めて一時間半。

 そろそろ夜十時を回ろうというのに、未だにわたしは本題を切り出せずにいた。

 本題というのは、ショッピングモールで見てしまった光景のことだ。


(やよいちゃん……と、昼宮くんだったよね。多分)


 かなり離れてたけど、やよいちゃんはスタイルがいいからすぐ分かった。

 まだ知り合って一ヶ月だけど、かっこいい女の子だと思う。

 男子に人気がある女の子は、大体女の子からは嫌われがちだけど、やよいちゃんは別だ。

  

 誰とでも楽しそうに話すし、ちゃんと話も聞いてくれる。

 凄いと思うのは、観察力だ。


 ほんの数ミリ髪を切っただけでも必ず気づくし、褒めてくれる。

 体調が悪そうなら気遣ってくれるし、誰かの失言で傷ついた人がいたら、すぐにフォローを入れてる。


 何より、人を喜ばせることがすごく上手だ。

 アクセに凝ってる子ならアクセを褒めるし、肌ケアを頑張ってる子なら肌を褒める。

 そういう子だから、男女どっちからも好かれるんだと思う。

 

 けれど、どうしてだろう。

 そんな完璧で理想的な女の子なはずのやよいちゃんが、何故かわたしは怖かった。

 

 どんなにいいお友達でも、一つは直してほしいって思うところがある。

 でも、やよいちゃんには一つもない。


 絶対嫌なことは言わないし、人気者であることを鼻にかけたりしない。

 時には自虐で笑いを取ることもあるし、いじられ役に回ることもある。


『いい子すぎてムカつく!』みたいなことを思っちゃう子にさえ、気に入られるような女の子だ。

 まるで、全部計算してるみたいなバランス感覚の良さが、何となく不気味に感じるのかもしれない。


 ああ、嫌な子だな、わたし。

 あんなにすごい女の子のあら探しをするなんて。

 完璧すぎて不気味なんて、やよいちゃんが聞いたらどんなに傷つくだろう。


『――春留、春留!』


「へっ!? な、何?」


『アンタ昔っからボーッとしてっけどさあ、今日ひどいよ? ゲームでもしてんの?』


「し、してないよ! ただ、ちょっと考え事してて……」


『あー、はいはい。それが本題ね? ほら、さっさと言ってみな』


「うう……」


 どうしよう。言っちゃっていいのかな。

 昼宮くんがまるで二股かけてるみたいに思われちゃうかも。

 

「……これ、誰にも言わないでね?」


 でも、言わないことには相談はできない。

 わたしはそう前置きしてから、一部始終を伝えた。


「――で、帰ってきたんだけど……どう思う?」


『いや、そのやよいって子ヤバいでしょ。相当だよ』


 十分後。

 楓ちゃんの答えは単純明快だった。


「で、でもね。本当にいい子なんだよ。やよいちゃんが片思いしてた昼宮くんと付き合っちゃったのに、応援してくれるって……」


『バカねー。うちと春留くらいの関係ならともかく、春留とその子ほぼ初対面みたいなもんでしょ? そんな相手に惚れた男持っていかれたのに、応援する女がどこにいんのって話』


 聞けば聞くほど、楓ちゃんは正論を言っているように思える。

 でも、やよいちゃんはきっとそんなことをする子じゃないんだ。

 わたしはいよいよムキになってやよいちゃんの潔白を証明しようとした。


『大体、応援するってほざいてた口で昼宮誘ってイオン行ってたんでしょ? いい度胸してるねーって感じ』


「二人きりじゃなくて、やよいちゃんの親も一緒だったんだって。だから、デートってわけじゃないと思うけど……」


 やたらと食い下がるわたしが面倒になったのか、楓ちゃんは電話口でため息をついた。


『……まあよく分かんないけど、ぶっちゃけアンタも別にその子責められる立場じゃないよね。

 ――昼宮に告ったの、ただの罰ゲームだし』


「……うん」

 

 頭の隅に追いやっていた事実を思い出し、わたしは再び暗い気持ちになった。

 きっかけというほどのこともない。

 

 高校に入って、最初の土曜日。

 中学校の友達と集まったわたしは、大富豪で大負けして罰ゲームをやる羽目になった。

 それが告白だ。


 同じ高校の楓ちゃんが見届人みとどけにんをする約束だったから、嘘を付くこともできなかった。

 だから、大人しそうで接点もない、昼宮くんを相手に選んだ。

 

 好きでもない人に告白するなんて、最低なことだと思う。

 した方は冗談でも、された方は本気で悩むはずだから。

 

「でも、オーケーしてくれたってことは、昼宮くんはわたしが……好きだったってことでしょう? なら、わたしもそれにちゃんと応えてあげないといけないと思う」


『どうだかねー。男なんて春留くらい可愛い子に言い寄られたら、誰だってオーケーすると思うけど』


 冷たくそう言って、楓ちゃんは大きくあくびをした。


『ごめん、うちそろそろ寝る。春留もそろそろ寝れば?』


「うん、ありがとね。話聞いてくれて」


『いいって。春留に罰ゲームやらせたのうちらだし。……あ、そうだ。最後に言っとくけど』


 楓ちゃんは妙に低い声で言った。


『やよいって子、気をつけた方がいいよ。春留のことどう思ってるか分かんないから』


「……分かった』


 またねー、と言い合ってから通話をオフにした。

 わたしはスマホを握ったまま、ベッドに倒れ込んだ。


(昼宮くんもやよいちゃんも何も悪くない……悪いのはわたし)


 何度もそう言い聞かせるけど、心の中のもやもやは一向に晴れてくれなかった。

 どうして、昼宮くんがやよいちゃんと出かけていると嫌な気持ちになるんだろう。

 

 どうしてやよいちゃんは、わたしと目が合ったとき笑っていたんだろう……?


(……知らないから不安になるんだよね、きっと)


 わたしはまだ何も知らない。

 昼宮くんのことも、知っていたつもりのやよいちゃんのことも。

 二人のことを、これからもっと知っていかなくちゃいけない。

 わたしはそう決意した。


 ◆ ◆ ◆


『今日楽しかった! また遊びに行こうね!』


 夜。

 シャワーを浴び、リビングの床に寝転んだ俺は、スマホにそんなラインが届いていることに気がついた。

 言うまでもなく、やよいからのラインだ。

 

(あいつ、最後なんて言おうとしてたんだ?)


 休憩スペースでの出来事が、俺の脳裏に蘇る。

 あのときの、心臓がひりつくような高揚感は、今でも身体にしみついていた。

 

(朝木さんと付き合ってなかったら、か……)


 確かに、俺が今まで好きだと思っていたのはやよいだ。

 でも、朝木さんに告白されたとき、俺は迷いなく首を縦に振った。


 いつも俺を非モテと小馬鹿にし、ささやかな好意を向けても笑い飛ばすばかりだったやよいのことを、俺は本当に好きだったんだろうか。


 だが、今日のショッピングは正直楽しかった。

 これまでと打って変わって、素直に俺に笑顔を向けてくるやよいを、不覚にも可愛いとさえ思ってしまった。

 

 やよいが行いを改めたのが、俺が朝木さんと付き合ったからだとすれば、なんと皮肉なことだろうか。


(バカか俺は。朝木さんに失礼だろ、俺が女の子に告白されるなんて、もう一生ないかもしれないんだぞ)


 理屈では理解していても、心はやよいに傾きかけていたのは否定できない。

 何しろ、物心ついたときから、ずっと気になっていた相手だ。

 今でも家族同然の付き合いをしているが、本当の家族になれたら、と思い描いていたこともある。 


 だが、倫理観を放り捨ててでも、やよいの手を取ろうとは思えない理由もあった。


(あいつ、絶対心の中で朝木さんのこと呼び捨てにしてるよな?)


 そのことがどうしても気にかかった。

 口では春留ちゃんと親しげに呼ばわっておきながら、内心では名字の呼び捨てだ。

 仮に『さん』をつけているとしても、他人行儀な印象は否めない。


 このことを踏まえると、俺をショッピングに誘ったのも、朝木さんへのあてつけではないか。

 さらに言うなら、俺に思わせぶりな態度をとっていることさえも。

 そんな荒唐無稽な疑念が鎌首をもたげてしまい、どうしても一歩踏み出すことができないのだ。


(……なんか、彼女ができてから、かえって面倒事が増えたような気がする)


 前に誰かが言っていた。

 彼女がいないときの悩みは『彼女がいないこと』だけ。

 しかし、彼女ができてからは、彼女にまつわる全てが悩みになると。


 ふと、スマホで天気予報を見てみる。

 向こう一週間、すっきりしない空模様が続きそうだった。

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