第5話『不穏の播種』


 ☆ ☆ ☆


「……定期、どこ行っちゃったのかな」


 ぼそり、と朝木が落ち込んだ様子でつぶやく。

 勉強会の帰り道。

 じょじょに暗さを増していく桜並木を、私は朝木と並んで帰っていた。

 

 見上げると、群青色の空に薄桃色の桜がよく映える。

 夜桜の持つ蠱惑的な魅力は、古来より多くの人々を魅了してきたのだろう。


 高校から出る下校用のバスは、うちの高校の生徒しか乗ることができない。

 また、乗車時には専用の定期券を提示する必要がある。

 そのため、定期を失くすとバス通学の生徒は、こうして自力で市営のバスに乗って家まで帰らなくてはならないのだ。


 四月下旬とはいえ、六時を回るとさすがに辺りは暗くなってくる。

 朝木の最寄りのバス停までの道は、街灯や民家も少ない。

 こんな道を女の子一人では歩かせられないと、私が朝木を送り届ける役割を買って出たのだ。

 ちなみに、他のクラスメイトたちは、親睦会という名目で学校近くのファミレスに行っている。

 もちろん、提案したのは私だ。


「今度は皆で行きたいね」


「え?」


「クラスの皆でさ、テストが終わったら打ち上げみたいな感じでサイゼ行こ! カラオケとかもよくない?」


「え、えっと……わたし、カラオケは苦手だから……」


「ならサイゼだね。あそこのサイゼ、店員さん優しいから思いっきり騒げるんだよ」


「そ、そうなんだね……」


 こちらが楽しげな話題を振っても、さっぱり朝木は乗ってこない。

 よほど、私といるのが嫌なようだ。

 いや、気まずいと表現するべきだろう。

 職員室前での会話が本音なら、朝木は私に強い引け目を感じているはずだから。


 あからさまに私から距離をとって歩き、横目で私の一挙手一投足を観察している朝木。

 ここまで警戒心むき出しだと、かえってやりやすい。

 世間話はこのへんにして、そろそろ本題に入るとしよう。


「春留ちゃんさ、いつからあいつのこと好きだったの?」


「えっ? あ、えっと……いつからかな。多分、一目惚れ……かも」


「一目惚れー!? マジで、あいつに!? うわー、信じらんない! そんな人いるんだ!」


「ほ、本当だよ! 何となく、優しそうな人だなって……」


 もっともらしいことを並べているが、百パーセント嘘だ。

 なぜなら、庸光に聞かれたときと答えが違うから。

 ならば、こいつの本音はどちらなのだろう?


 言うまでもない。昨日、庸光に答えていた、要領を得ない方だ。

 普通、人を好きになったきっかけがあやふやなことなどあるだろうか?

 長年の付き合いがあって、いつの間にか友情が愛情に変わっていた、というのならまだ分かる。


 だが、庸光と朝木はまだ出会って一ヶ月も経っていない。

 しかも、告白したのは朝木の方からだ。

 ならば、好意を自覚したタイミングは明確でないとおかしい。

 

 このことから導かれる推論は一つ。

 朝木は庸光のことが好きではない。

 それも、かなりの確率で。


(私の庸光をそそのかして遊んでるってこと? マジで殺したいんだけどこのクソビッチ)


 ミシミシとこめかみに青筋が浮かぶのを感じるが、無論表情には出さない。

 軽い気持ちで人の男に手を出すとどうなるか、この尻軽に教えてやらなければ。


「ま、あいつも変なとこあるけど良い奴だからさ、仲良くしてあげてね! 私も二人のこと応援するからさ!」


「や、やよいちゃん、ごめん!」


 いきなり、朝木が大声を出して頭を下げた。

 

「ごめんね、わたし、全然そんなつもりなくて……もし知ってたら、わたし絶対こんなことしなかったから! ほんとだよ!」


 何の話をしているのか、検討もつかない。

 私は首を傾げた。


「何、どうしたのいきなり?」


「本当に知らなかったの! やよいちゃんが……やよいちゃんが昼宮くんのこと好きだったなんて!」


「――――」


 一瞬、思考に空白ができた。

 脳にいく栄養が全て胸に吸収されたバカ女だと思っていたが、案外察しは悪くないらしい。

 無理に隠すことでもないので、私はうなずいた。


「……よく分かったね」


「だって、昨日わたしが昼宮くんと歩いてたとき、すごく怒ってたよね? あのときちゃんと謝りたかったんだけど、言いそびれちゃって……」


 そういえば、別れ際に何やらごちゃごちゃと言っていた気がする。

 あのときは頭が真っ白になって忘れていたが、そんなことを言おうとしていたのか。

 私はしばらく考えて、朝木にこう返した。


「春留ちゃんは何も悪くないから謝らなくていいよ。好きなのに告白しなかった私が悪いんだからさ」


「やよいちゃん……」


「でも、これだけは約束して。あいつ、多分春留ちゃんのこと本気で好きだから。春留ちゃんもその気持ちにちゃんと応えてあげてね」


「うん、分かった! 約束する!」


 健気を装って力なく笑うと、朝木は涙ぐみながら何度も首を縦に振った。

 これで、私からは完全に許されたと思ったのだろう。

 あまりの能天気さに、私まで涙が出そうになった。


 一番詐欺師に騙されやすいのは、素直な人間ではない。

 疑り深い人間だ。

 疑り深い人間は、自らの疑り深さ――言い換えれば思慮深さに自信を持っている。


 故に、『この人は大丈夫だ』と一度信じ込めば、逆に全く疑わなくなるのだ。

 私に詐欺師とのコネがあったら、この女の個人情報を高く売りつけてやるところである。


 これで布石は打った。

 あとは、すくすくと育つのを待つばかりである。

 目には目を。人の心を弄んだ罪は、同等の罰で償わせてやる。


「じゃ、帰ろっか。定期、明日には見つかるよ。私、図書室の先生に聞いといてあげる」


「ほんとに!? ありがとう! やよいちゃん超優しい!」

 

「そう?」


 私は内心ほくそ笑みながら、ポケットの中にある硬質な定期券をそっと撫でた。


 ◆ ◆ ◆


 土曜日。朝十時。

 インターホンが鳴ったのを聞いて、俺は急いで玄関まで走ってきた。

 

 ドアを開ける前に、姿見で服装をチェックする。

 着古した白いパーカーにくたびれたジーンズ。

 足元は中学時代の運動靴で、元の色も分からないほど汚れている。


 一応寝癖は直してきたが、当然ワックスなどつけていない。

 こんな格好の男を見て、デート中だと思う奴は皆無だろう。

 

(朝木さんも家族で出かけるって言ってたし……会うわけないよな)


 朝木さんが住んでいるのは、うちの高校がある市の北端。

 ほとんど県境に面した田舎だ。

 そして、俺たちが今日行くショッピングモールは、隣の市の西端。

 駅からも距離があるため、同級生に目撃される可能性は限りなく低い。

 それでも、妙な胸騒ぎに苛まれながら、俺はゆっくりとドアを開いた。


「……やよい?」


「おはよう庸光! 早く行こ!」


 ドアの前に立っていたやよいを見て、俺は目を疑った。

 

「お前スカート持ってたの?」


「何言ってんの? あったりまえじゃん」


 不服そうに口を尖らせるやよい。

 俺の中のやよいの私服は、適当なスウェットにロングのパンツという色気もへったくれもないファッションしか知らない。

 

 ところが今のやよいは違った。

 オーバーサイズの黒いカットソーに、膝上二十センチのタイトスカート。

 少々華奢な上半身のラインをカバーしつつ、すらりと長い脚を惜しげもなく見せつけるストリートスタイルだ。

 顔の造形も、いつもより整って見えるのは気のせいだろうか。


「お前、ラフな格好で来るって……」


「え? 全然ラフじゃない? 上はユニクロだし、スカートはハニーズだし、ベルトなんかしまむらだよ? 靴も普通のスニーカーだし」


 いや、そんなブランド名でラフかどうかなんて俺には分からない。

 見た目が垢抜けていたら、それはもうラフではないのだ。

 ラフではないファッションとは何か?

 つまり、デートに行ける格好ということである。


「……着替えてくる。俺だけこんなんじゃ恥ずかしいわ」


「いいけど、それよりまともな服持ってるの?」


 痛いところを突かれ、俺は口をつぐんだ。

 やよいはこれ見よがしにため息をつく。


「はあ……しょうがないなあ。じゃ、庸光の服も今日買おう。お金持ってるよね?」


「……三千円くらいなら」


 この三千円というのは、『服に出せるギリギリの金額』という意味であり、決して俺の全財産が三千円というわけではない。

 だが、やよいはジト目で俺のことをにらんだ。


「嘘つき、二万くらい持ってるでしょ」


「ぐっ……!」


「実際二万はいらないけど、最低限デートに行けるコーデ組むなら一万は見といてほしいかな。……出せるよね、そのくらい?」


「い、一万か……」


「あのねー、庸光がダサい格好でデートに行って、一番恥かくのは春留ちゃんだからね? 『うわ、あの子男の趣味悪っ』って目で周りの女の子から見られるんだよ。それでもいいの?」


「わ、分かった。出すよ、出せばいいんだろ」


「よろしい。じゃ、行こっか」


 やよいはいい笑顔でニコッと笑った。

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