第2話『違和感の積み重ね』


 ◆ ◆ ◆


 朝木さんと別れてから十分後。

 家の前までたどり着くと、俺はパンパンと頬を手で叩いた。

 こんなデレデレのニヤケ面、家族には死んでも見られたくないからな。

 特に、妹の美佐みさなんかには。


 ちら、と俺は隣の家――月ノ瀬宅の様子を伺い見る。

 やよいの部屋は二階の最奥。

 窓に明かりはない。どうやら、まだ帰ってきていないようだ。

 何故かほっとしながら、俺は玄関の扉を開けた。


「ただいまー」


「兄貴おっそい! 遅くなるならちゃんと連絡してくんない!?」


「あー悪い悪い。気をつけますって」


 帰るなり、キンキンした怒声に迎えられ、俺は思わず首をすくめた。

 リビングの方から、ドカドカと足音高くおかっぱ頭の女の子がやってきたのだ。


 服装はグレーのパーカーに太もも丸出しのショートパンツとレギンス。

 くりっとした目にちんまりした体格。

 手足は小枝のように華奢で、転んだだけで折れてしまいそうなほどだ。


 話し方といい体つきといい、ほんの数分前に話し込んでいた朝木さんと同種の生物とはとても思えない。

 あまりの落差に、俺は小さくため息をついた。


「何、今の。めっちゃムカつくんだけど」


「何でもない。それより飯は?」


「焼いたお肉とキャベツの千切り」


「またかよ……そんなら俺が自分で作ったわ」


「はあ? 嫌なら食べなくていいけど?」


「分かった分かった。食べるよ」


 我が家は両親の帰りが遅いので、俺と美佐で早く家に帰った方が夕飯を作る約束だ。

 しかし、言ってはなんだが美佐は料理が上手ではない。

 そして、それを自覚しているのか、作るのは毎回同じ『焼いた肉』だ。

 違いがあるとすれば、肉が鶏ももか豚バラかといった程度。


 味付けも塩コショウを雑に振っただけなので、実に味気ない。

 まあ、変に工夫してとんでもないものを作られるよりはマシだが。


 荷物をリビングのソファに放り出し、食卓につく。


「いただきます」


「召し上がれ」


 お互い、ほとんど呪文めいた棒読み。

 だが、これをやらないと親に小言を言われるので、半ば習慣になってしまっている。

 湯気を上げる焼き豚バラ肉を口に含むと、食べ慣れた塩コショウの味がした。


「まったく……出されたものに文句言うとかありえない。そんなんじゃ絶対彼女できないからね」


「悪かったって言ってんだろ」


 お決まりの嫌味に、適当な生返事をする俺。

 ふと俺は気づいた。


(あ。そういや俺彼女いるじゃん)


「……え。何ニチャニチャしてんの。気持ち悪」 


 にまーっと口元が緩んだところを、対面の美佐に気味悪がられる。

 しかし、俺はもうこんなお子ちゃまの言葉に振り回される必要はないのだ。


「いや、ちょっと思い出し笑いしただけだよ」


「ふーん……まあいいけど。それよりさ、やよいさんどうしたの?」


「は? 何が?」


「一人でぼーっとしながら歩いててさ。ちょうど玄関先で鉢合わせしたから声かけたのに無視されちゃったの。おかしくない?」


「やよいが?」


 俺はぎょっとした。

 いつも朗らかで元気なあいつが、美佐の挨拶をスルーするはずがない。

 

 もしかして、俺が朝木さんのことを自慢したせいか?

 でも、俺といたときは特別おかしな様子もなかったんだが……。


 しかし、他にそれらしい理由もない。

 とりあえず、俺のせいだと思っておこう。


 ……ふっはっはっはっは! 何だか知らんがざまあみやがれ!

 モテるお前に男としての魅力を否定され続けて、どれだけ苦痛だったことか!

 俺の苦しみの百分の一でも味わってみな!

 心の中で大笑いしている俺に、美佐がすっと目を細めた。


「……兄貴といいやよいさんといい変だよ二人とも。何かあったの?」


 こういうときの美佐は厄介だ。

 女性特有の直感とでも呼ぼうか。

 かすかな違和感同士を繋ぎ合わせ、思わぬ方向から真実にアプローチしてくるのだ。


 こいつのこの妙な勘の良さに、何度泣かされたことか分からない。

 だから、しっかり対策済みだ。


「あー。ちょっと喧嘩したんだよ。それできついこと言っちゃってさ。後で謝っとくわ」


 嘘ではない。

 だが、完全な事実でもない。

 そんな絶妙なラインをなぞる説明をすれば、こいつでも誤魔化されてくれる。

 予想通り、美佐は心底呆れたようにため息をついた。


「はあ……ほんとクソ野郎だね兄貴って。何でこんな奴にあの人は……」


「何だって?」


「何でもない。とにかく、ちゃんと謝っといてよ? 兄貴みたいなのに優しくしてくれる女の人なんて、やよいさんしかいないんだからね!」


「へいへい」


 やれやれ、ひやっとさせやがって。

 だが、所詮は美佐も中二のガキだ。

 舌先三寸でだまくらかすことくらいお手の物である。


 ……しかし、謝るっつってもどう謝ればいいんだ?

 これで全然俺関係なかったら、自意識過剰にも程があるぞ。


 ◆ ◆ ◆


「おはよう庸光! 学校行こ!」


「……やよい?」


 翌朝。

 鼻歌を歌いながら玄関を出た俺を待ち受けていたのは、いつも通りのやよいだった。

 俺を見るなり手を振り、輝くような笑顔を浮かべている。


「何だよ、急に一緒に行こうなんて。お前もっと早く出てるよな?」


「いーじゃん別に。それとも何? 朝木さんと約束でもしてた?」


「いや、朝木さんバス通学だから」


「へえー、そうなんだ。じゃ、行こっ」


 こうして会話してみても、やよいの態度に異常はない。

 昨日美佐に聞いた様子とはまるで違っている。

 朝木さんの名前が出ても、何ら変化なしだ。


 やっぱり、俺のせいで落ち込んでいたわけではないのか。

 ならそれに越したことはないが……。

 一応、謝るだけ謝っておくか。


「なあ、やよい。昨日はごめん。あんなあてつけみたいなことして。感じ悪かったよな」


「え?」


 一瞬、やよいが不可解な表情になった。

 ぱっと笑顔になりかけたところを、寸前できょとんとしてみせたような……。

 思い過ごしだろうか。


「何のこと?」


「美佐が昨日、お前がすげえ落ち込んでるとこ見たって言うから。俺のせいかと思って」


「……あ、あー! あれ? あれはね、落ち込んでたんじゃなくて、恥ずかしかったんだよ」


「恥ずかしかった?」


「そ。ずーっと庸光のこと童貞童貞って馬鹿にしてたのに、高校入ったらあんなにあっさり彼女作っちゃって。私見る目なかったなーって」


「お、おう。分かればいいんだよ」


 いつか言わせたかったことを、あっさり向こうから言われてしまい、俺はへどもどした。

 冷静に考えて、俺めちゃくちゃ性格悪くないか?

 

 やよいは何度も告白されたのに、自分の意思で彼氏を作らないでいた。

 でも俺は、前触れもなく朝木さんに告白され、それに飛びついただけだ。


 努力なんて何もしていない。俺は何も変わっていない。

 そんなことでイキり散らすなんて、相当ダサい奴だ。

 俺は正直に打ち明けることにした。


「あのさ、やよ――」


「やよいちゃんおはよー!」


「あ、つっちーおはよー! ごめん、また今度ね」


 折悪しく、やよいの友達がやってきて、会話は中断されてしまった。

 友達の方とは特に面識もないので、俺は潔くぼっち登校に勤しむこととする。

 離れ際、二人のやり取りが耳に入ってきた。


「ねえやよいちゃん知ってる? うちのクラスの春留ちゃん、彼氏できたらしいよ?」


「え、嘘! 誰誰!?」


「いや、まだ分かんないけど、昨日うちの高校の人と一緒に帰ってたの見たって人がいて」


「うわー、でもそれ絶対そうじゃん! さすが春留ちゃんめっちゃリア充~」


 白々しく初見の振りをしているやよい。

 新しい友達が持ってきたビッグニュースに乗っかってあげているのだろう。

 もしくは、当事者だと知れるのが面倒なのか。

 いずれにせよ、大した役者ぶりだ。


 しかし、俺の中に奇妙なしこりが生じた。

 ……何だろう。何か気になる。

 友達の前で演技をしているという以上に、今のやよいには不自然な点がある。


 よくよく考えてみて、俺ははっと思い出した。

 今朝、やよいは朝木さんのことを、俺と同じく『朝木さん』と呼んでいた。

 なのに、友達や本人の前では『春留ちゃん』だ。

 何か深い意味でもあるのだろうか。

 

(……ないない。ただの言い間違いだろ)


 あの二人の間に、確執が生じる余地などない。

 まだ出会って一ヶ月も経っていないし、やよいはそんな陰険な奴じゃない。

 竹を割ったような、スカッとした奴なのだ。

 

 俺は自分にそう言い聞かせ、学校への道を急いだ。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る