見てはいけない夏の向こう側

ミナミフユミ

第1話



今年の夏は異常気象です。


ラジオから聞こえる去年も一昨年も聞いたそのフレーズに、異常が続けばもはやそれは普通なんじゃないかと、俺はこの異常な状況の中やけに静かな頭で考えていた。


「………なに考えてるの?」


彼女のはだけた右肩と、床に飛び散る赤いシミとナイフ。金縛りのように張り付いて動かない両脚に汗が滲んで、ジリジリと湿度が二人の間を満たしていく。


「なんだと思う?」


久々に出した声はカラカラに乾いていて、でもそれは、しばらく水分を摂っていないことだけが原因じゃないことにはとっくに気づいていた。


「見ちゃったんだよね。じゃあ二択にしてあげるから、どっちか選んで。」


どっちもロクな選択肢じゃないことを知りながら、ただ彼女の目をじっと見た。



「一つ目は、私と共犯者になる。」


「……………」



「二つ目は……………私とキスする。」



「…………」



高鳴る緊張感の中、ゆっくりと近づいた足音が、汗ばんだ匂いを連れて止まった。








ことの始まりは数時間前、二限の授業を終えた俺はいつもみたいに第一食堂でスタミナ定食を注文して、少し脂っこい唐揚げを掻き込んだ。

いつもと違ったのは、二号棟の影にある細長い塔の扉が今日は少し開いていたということ。


バイトまでまだ少し時間があった俺は、好奇心に掻き立てられまんまとその扉に吸い込まれていった。


外の喧騒から隔離された、昼間なのに冷たい風が吹き込む螺旋階段は、真ん中にコンクリートの柱があるせいで数段先までしか見えなくて、まるでモンスターでも急に現れそうな不気味さを兼ね揃えていた。


進むたびに入口が遠のいて、逃げ道がなくなる感覚。もし何かが現れて、下まで走って逃げ降りたとして、入口の鍵を閉められていたらどうなるのだろう。

殺人鬼か化け物か幽霊にやられるか、滅多に人なんか通らないこの場所で干からびてしまうのかもしれない。


そんな事を考えていたら、心臓の鼓動がドクドクとやけにはっきりと感じられた。

でもここまで来たら戻りたくない。

早く終わらせてしまいたい足が駆け足気味になり、恐怖心に追い立てられて一気に頂上まで上り詰めた。


「……っはぁ、は………、、だよな……。」


息を切らしてたどり着けば、一番上には人が数人座れそうなちっぽけな空間があるだけ。


映画の見過ぎだな………と自分を自嘲してみれば、天井から話し声が聞こえた気がして顔をあげた。

そこには人一人が通れそうな四角い扉。


再び息づいた鼓動に任せて、ゆっくりノブを回せばガコンとなった音に肩が跳ねた。


ゆっくりと頭を入れてみればそこには、


夏が広がっていた。







厳密にいえば、〝夏〟と大きな文字で書かれた垂れ幕。


「……………なんだこれ。」


「なにやってんの?」


床に置いてあるラジカセから流れるラジオの声の中、ふいにかけられた声に振り向けば、膝上のジーンズスカートに長めの前髪が似合う女性が背後に座っていた。


「鮎川……?お前こそ何やってんのこんな所で」


「さぁ?」


目線に困ってゆっくり梯子をあがれば、小窓から大学のグラウンドが見えた。


「ここ何なの?」


見渡せば、垂れ幕の他に雑多なガラクタがたくさん置かれている。多分学校祭で使われたであろう法被や衣装、床に飛び散った絵具やアルミホイルで作ったナイフなどの小物達、この垂れ幕もいつかの夏祭りに使われたに違いなかった。



言いながら部屋を探索しようと幕の後ろに入ろうとすれば、後ろから袖を掴まれた。


「そっちはダメ。」


「……………なんで」


「やめた方がいい。」


「何があるの?」


「柊木くんバイトの時間じゃないの?」


「そうだけど。……てか何で俺のバイト時間まで知ってんの?」


鮎川とは三つ講義が一緒という程度の繋がりで、挨拶はするものの話したといえば、今年の春に各サークル合同で行われた花見で隣になった時ぐらいだった。

本当はそのあと連絡先を聞こうとしていたのに、酔っぱらった悪友の悪ふざけで機会を逃して、結局いまは同じ講義の時に後ろから見える位置に座るくらいしか出来ていなかった。


「……………下降りようよ。」


「なにがあるの」


「……だめ、見ない方がいい。」


「………なんだよそれ」


「戻れなくなっても、いいの?」


「……………」


真顔で見つめられて、汗が一筋背中を流れる。

戻るってどこにだ。彼女の瞳が怯えたように揺れて、その奥には得体の知れない何かが潜んでいるような気分になった。


そうしたら床に飛び散る赤い絵具もおもちゃのナイフも、それっぽく見えてきて、もしかしたら俺はとんでもない場所に入り込んでしまったのかと後悔が走り始めた。


だが、ダメだと言われれば言われるほど見たくなるのが人のサガというもので。

この塔に入ってきた時も、今この瞬間も、俺は俺自身の好奇心に負けっぱなしだった。



「あっ!」


隙をついて幕の向こう側へぐんっと身体を乗り出せば……………




窓と机が置いてあるだけだった。


「なんだよ何もないじゃ………」


言いかけて肩を下ろしかけた目が捉えたのは、壁に貼られた一枚の紙。



「……………講義、表?」


よく見れば一週間の時間割が書かれた紙が画鋲で簡単に止めてあり、よく見れば内容はどれも自分が受けているものばかり。というより、俺のとっている講義表とまったく一緒だった。


「…………なにこれ、どういうこと?」


デスクの上には筆記用具と双眼鏡もあって、向かいの窓から覗けば、俺がいつも空いた時間に座っているベンチがちょうど見えた。


「なぁ鮎川………」


振り向けば、顔を真っ赤にしている彼女が見えた。





今年の夏は異常気象です。


ラジオから聞こえる去年も一昨年も聞いたそのフレーズに、異常が続けばもはやそれは普通なんじゃないかと、俺はこの異常な状況の中やけに静かな頭で考えていた。


「………なに考えてるの?」


彼女のはだけた右肩と、床に飛び散る赤いシミとナイフ。金縛りのように張り付いて動かない両脚に汗が滲んで、ジリジリと湿度が二人の間を満たしていく。


「なんだと思う?」


久々に出した声はカラカラに乾いていて、でもそれは、しばらく水分を摂っていないことだけが原因じゃないことにはとっくに気づいていた。


「見ちゃったんだよね。じゃあ二択にしてあげるから、どっちか選んで。」



どっちもロクな選択肢じゃないことを知りながら、ただ彼女の目をじっと見た。


「一つ目は、私と共犯者になる。」


「……………」



「二つ目は……………私とキスする。」



「…………」



高鳴る緊張感の中、ゆっくりと近づいた足音が、汗ばんだ匂いを連れて止まった。










「どっちも同じだろ。」



2020年の夏は、去年より体温が一度上がることになりそうだ。

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