14:45




 密かに待ち望んでいた変化は、遠く西方の空より訪れた。

 時刻は一四四五。小休止から順調に百三十棟をこなし、残すは三分の一となった時点でのことだ。

〈首輪〉に備わっている聴覚センサーが、次第に大きさを増していく周波数を捉えたのだ。パターンはドローンの羽音に酷似――確定。メーカーは不明だが、荷重二十キロ以下の空輸型と推測。時速五十キロで定速移動し、予想進路の先にあるのはこの上級社員居住エリア――

 到着予定まであと三十六秒。カノエは急いで屋内に入り、周囲に展開させていたフライビッツを地上に落とす。こちらの存在を察知させないためだ。情報収集のため、センサー類は機能させ続ける。

 問題はレイモンドだ。既にショッピングモールを出て上級社員居住エリアの外を徘徊しているが、ドローンの正体がわからない以上、見つからないに越したはない。

 やきもきしながらマップ上の光点を見つめるカノエだったが、ドローンの羽音が耳でも捉えられるようになった残り十三秒の時点で生け垣の中に隠れた。これでひとまずは安心だ。カノエは息を押し殺し、フライビッツからもたらされるデータ類を注視し続ける。

 最接近まで三秒、二秒、一秒――

 ――飛来方向はほぼ真西、二七二度。地表面からの高度三十メートルを維持しながら時速五十キロメートルで飛行し、外観から判明した形式はジカリ・エメル社のグライケスシリーズG20。下部に二十リットル級のコンテナを装備中。その他の追加装備及び武装は確認できず、脅威度は低い。

 頭蓋を駆け巡る情報を押しのけるように、新たな情報が〈右目〉の中へ差し込まれてきた。空輸ドローンの目的地についてだ。

 ――東側にあるグラウンドの片隅……?

 彼が集めた情報ネズミの中に社宅群全体へ張り巡らされた警備警戒システムのログが含まれていたのだが、膨大な量のそれらを分析した結果、奇妙なパターンが見つかった。百六十八時間――ちょうど一週間の間隔で社宅群へやって来て、すぐに去っていく飛行物体があるというのだ。時刻、速度、飛行ルート、そのどれもが、今頭上を飛んでいる空輸ドローンと合致している。

「レイ」

 小声で呼び掛けると〈首輪〉を通じて彼に意思が伝わり、数秒と経たないうちに〈右目〉の広域マップの一部分へ濃密なメッシュが被せられる。警備警戒システム下のセンサー類を掌握し、予想着陸地点を中心に網を張ったのだ。

 カノエは固唾を飲み、より一層〈右目〉に集中する。

 ログによれば、空輸ドローンは一週間ごとの定期便。今の段階で上級社員居住エリアにそれらしい痕跡はないが、やはりここには住人がいるということだ。

 羽音が通り過ぎ、ドップラー効果で変調しながら小さくなっていく。速度は未だ変化なし。着陸予定まであと十五秒。

 残り十秒の時点で、メッシュの南側、モノレール駅の外で動体が検知された。二足歩行で、歩幅などの諸要素から八十七パーセントの確率で〈二十三センチの女〉だ――

 するとそのとき、カノエの視界に通知ノーティスが割り込んでくる。何事かと思う暇もなくスキンスーツが先行して動くが、その不意打ちは防げなかった。

「ひゃあぁっ!?」

 脚を駆け登ってきた爪の感触に、カノエはすっとんきょうな悲鳴を上げてしまう。もふもふで温かな毛玉がたちまちのうちに背中のバックパックへ回り込む。

「なっ、何? 何なのっ!?」

 払い落とそうと滅茶苦茶に手を振り回すカノエだが、犯人はすばしっこく掻い潜り続け、まるで埒が明かない。なおも悪戦苦闘していると〈首輪〉付属のスピーカーから猫除け音波が放たれ、それでようやく飛び降りてくれた。

 犯人はもちろんレイモンドではない。例のハチワレだった。

「なぁーん、おぁーん」

 立てた尻尾の先端を小さく折り曲げ、何度も鳴きながらカノエの足にまとわりつこうとするハチワレ。

「ダ、ダメだって。あっちに行きなさい」

 一方のカノエは、両手で追い払いながら距離を取ろうと後ずさる。これ以上ニオイをつけられたら、レイモンドが拗ねて目を合わせなくなってしまうかもしれない。

 後ずさりを続ける傍ら〈首輪〉が挙げてくる情報に目を走らせ、打開策を探る。逃げるか、手懐けるか、黙らせるか――

 だが、状況はカノエ本人の処理能力を上回る速さで変化を始めていた。

 まずは、空輸ドローンが予定通りに配達を完了し、引き返す形で飛び去ろうとしていること。

 第二に、コンテナの回収に向かっていた〈二十三センチの女〉が急に進路を変え、こちらへ向かって来ていること。

 そして三つ目は、レイモンドの動き。彼もまた、カノエを目指して動き始めている。

「ど、どうしたら……?」

 カノエは考える時間を稼ぐため、困惑しながら4LDKの住戸内を逃げ回る。

 いま最も優先させるべきは、上級社員居住エリアの調査だ。ハチワレを振り切ってレイモンドを回収しに向かい、二十三センチの女をやり過ごす。時間はロスするが、使用期限切れには間に合うはずだ。

 しかし最大の難点は、その気になったネコから逃げるのが難しいということだ。スキンスーツの能力を全開にすれば引き離せるかもしれないが、完全に振り切ろうと思えば持久力に持ち込むしかない。百メートル、いや、五十メートルも全力疾走すれば、ハチワレもきっと諦めてくれるだろう。

 しかし、仮にうまく逃げおおせたとしても、ハチワレがこの一帯からいなくならないことには調査を再開できない。それに、二十三センチの女の動きが気になる。もしもハチワレの飼い主ならば、居場所を知るための測位システムを仕込んでいてもおかしくないし、現に今、彼女は確実にこちらへ近づきつつある。歩道橋を渡って上級社員居住エリアに入り、ほぼ最短距離で。ただし、時速四キロ前後とその歩みはあまり早くない。接触まで三十九秒。考える時間はまだある。

『ルルー、どこなの? 早く出てらっしゃい』

 外で転がっているフライビッツが、年老いた女性の声を捉えた。〈首輪〉曰く、推定で六十歳代から八十歳代。かすれて引きつったような声色は、人工声帯を用いていない生のものだ。

 ――こんなところに、どうして女性の老人が……?

 カノエの戸惑いを尻目に、現在得られている情報から〈首輪〉がプロファイリングを加速させる。足音の間隔および音響特性などから身長は一六五センチ前後、体重は八十キロ。また、人工外骨格の動作音をわずかに検知。

 それからいくらもしないうちに光学センサーのレンジ内へ二十三センチの女が入ってきて、外見が判明する。

 身長は約百六十四センチで、体格はやや肥満傾向。人工臓器を使っていない顔には、相応の皺が刻まれている。頭にはペイズリー柄のスカーフを巻き、ゆったりとしたシルエットのワンピースは花柄。その上にエプロンを着け、歩を進めるたびに大腿部へ装着した外骨格がスカートに浮かび上がる。衣類はどれも着古されていてかなりくたびれているが、首に巻いた青いマフラーだけが唯一真新しい。

「ルルー? 来ないならこっちから行くわよ?」

 距離は三十メートルを切り、老女性の声が直接聞こえる。手の中を何度も覗き込んでいるところを見ると、ハチワレことルルーの居場所は何かしらの装置で把握しているようだ。

 そして当事者のルルーはといえば、外を気にする素振りは見せるものの、相変わらずカノエにご執心のようだ。懇願するように何度も繰り返し鳴きながら、カノエの身体を駆け登ろうと隙を窺っている。

 接触まであと十七秒。家のすぐ外、庭先に老女性はいる。物音を立てれば気づかれる距離だ。逃げるにしても隠れるにしても、もはや遅すぎる。

 つまり、カノエに残された選択肢はひとつしかなかった。

 幸いにも、レイモンドとは百メートル以上離れている。仮にこの老女性と敵対しても、彼が危害を加えられることはないはずだ。

 オーバーグラスを掛けてからルルーを抱き上げると、〈右目〉の中に会話支援モード用のウィンドウが展開した。このような突発的な出会いの場は、第一印象ですべてが決まると言ってもいい。不審を持たれることなく、有用な情報を得るためにも。

「そこにいるの?」

〈右目〉の隅には、玄関を覗き込んで中に入ろうとしている老女性の姿が映し出されている。カノエは会話支援モードの指示に従い、偶然拾った風を装うことにした。

「……あっ、あのっ!」

 まずは先に声を掛け、立ち止まったのを確認してから老女性の前に姿を現す。今しがた捕まえたかのように、ルルーの両脇に手を入れて。

「ど、どなた……?」

 両方の目で直に見た老女性は、不意打ちにも等しいシチュエーションもあってか妙に小さく感じられた。突然現れたカノエに怯えているのか、左手の小型情報端末がカタカタと震えている。

「あっ、あ、あややや」

 怪しいものではありません、と前置きするはずが、緊張で声がつっかえてしまう。どうリカバリーしたものかとカノエが視線をさまよわせていると、ルルーが取り繕うように一声鳴いた。

「もしかして、うちの子が何かご迷惑を?」

「め、迷惑というほどでは、その、ありませんけど……」

「ごめんなさいね。ひとりっ子だから、どうしてもワガママになってしまって」

 ルルーを地面に置くと一度は老女性の元に向かうが、差し伸べられた手を一瞥してすぐにカノエの足元へ戻ってきてしまう。

「あらあら、どうしたのかしら。男の子だから、やっぱり若いほうがいいのかも」

 ルルーのおかげか老女性の警戒心が解け、リラックスしていることが〈右目〉の観測でわかる。まずは第一段階クリアだ。

「……わ、わたし、島霧しまぎりアサコと言います。ここには調査で訪れてまして」

「あら、そうなの。だったら、なおさら悪い子ね」

 老女性はその場にしゃがみ込み、ルルーに向かって手を伸ばす。「こっちにおいで、ルルー。お仕事の邪魔しちゃ駄目でしょう?」

 飼い主の呼び掛けに向き直るルルーだったが、やはりカノエから離れようとしない。それどころか、老女性から逃れるかのようにカノエの身体を駆け登る。

「ごめんなさい、アサコさん。ルルーったら本当に困った子ね」

「いえ、そんな。ええと……」

 カノエは指示通りにわざと言い淀み、こう言葉を続けた。「あなたの名前を伺っても?」

「あらごめんなさい。私は『たなかてぃあら』。苗字のほうはわかるでしょう? 田んぼの田に、大中小の中。名前のほうは、輝く冠ね」

「ここには、どれぐらい前からお住まいですか?」

「この社宅が廃用になってからずっとよ。だから、もう……何年前になるかしらねぇ」

 田中たなか輝冠てぃあらと名乗る老女性はため息混じりに言い、ここが攻めどころと見た〈首輪〉が選択肢を赤く縁取りする。

「……何か、あったんですね。みんながここからいなくなるときに」

「ええ、そうよ」

 再びため息を漏らした彼女は、寂しげに笑ってこう言った。「せっかくだから、私の家にいらっしゃらない? 何のおもてなしもできないけど、こんな寂しい場所でお話するよりはいいと思うの。もちろん、あなたのお仕事に差し支えなければの話だけど」

「も、もちろん! 伺わせて、いただきます」

〈首輪〉に従い、カノエは即答した。

 社宅の調査はまだ途中だが、この老女性が本当に元住人だとするなら、そこから得られる情報はまさに値千金だ。精度の高さは、住居から吸い上げた無秩序なそれと比べ物にならない。

「悪いけれど、ちょっと寄り道しないといけないの。いいかしら?」

「もしかして、さっき飛んでいたドローンですか」

A T Pアンチトレーサビリティーパーティーの宅配便よ。食料とか生活必需品を一週間に一度、送ってもらっているの」

 アンチトレーサビリティーパーティーはその名の通り、個人認証チップによるヒトの追跡可能性を拒絶している集団だ。企業の支配から逃れるために脱獄――チップを切除し、辺境部で集落を築いている。特に指導者的な存在がいるわけではないが、労働力を財産と捉えている企業たちからは再収容ハンティングの対象となり、専門部署が存在する程度に目の敵にされている。要するに、おいそれとは口にできない名だ。

「では、輝冠てぃあらさんはATPの構成員ですか」

「いいえ。あの人の置き土産のようなものね。私がずっと、ここに住み続けられていることも含めて」

 老女性は曖昧に笑い、先に立って歩き始める。

「ちなみにルルーは、コンテナの中に紛れ込んでたの」

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