第2話 一触即発


「……聞こえたわよ。アンタが普通科一位のクロエ・ランダードなんだってね」


 王立騎士団養成所の神聖なる学び舎にて。

 今まさに一触即発の空気が漂っていた。


「……ひ、ヒトチガイジャナイデスカ?」


 ダメ元でとぼけてみる。


「人違い? それじゃあ、そこの腕の中で気絶している妹さんと、仲睦まじく名前を呼び合ってたのはアンタ以外の誰かしら?」

「あそこにいる青髪の男です」

「噓つけぇ! だいたいこの場に青髪の男なんていないじゃない!」


 くそっ、他人のフリをしてやり過ごすのは失敗か!

 何か他の手を考えないと!


「なんだなんだ?」

「決闘か?」


 そうこうしているうちに。

 面白いもの見たさに、何も知らない生徒たちが集まってくる。


 ……これはちょっとマズい流れかもしれない。


「――ちょっといいか。俺達はまだ見習いとは言え誇り高き騎士なんだ。その力は人々を守るために振るうものであり、決して自らの欲望のために戦っては……」


 ……待てよ?

 俺は顎に手をあて、今しがた思い浮かんだ可能性に考えを巡らせる。


「……何でそこで黙るのよ。戦っては……の続きは?」

「………………いや、猛獣に騎士道を説いても無駄な気がして――」

「よーし、決めた。まずはグーで殴るわ」


 そう言ってチョキで目潰しして来た。

 あぶなっ!?


「君、言ってることとやってることが滅茶苦茶だな!」

「アンタに言われたくないわよ!」


 なんてやり取りをしつつ、さっきので少し距離を取るのに成功した。

 思ってもみなかったチャンス――ああいや、だいたい全部俺の計算通りなので、このまま様子を見つつ、まずは会話で穏便に済ませてみよう。

 駄目そうならこのまま逃げる。


「……そういえば君、魔導騎士科だろ? 俺は普通科で、君より順位が高いとはいえ、学科が違うから関係ないはずだ。順位が高いとはいえ!」

「おっと、それは煽りと受け取ってもいいかしら……?」


 ……しまった。

 初めて成績一位になれたから嬉しさでつい連呼してしまった!


 しかしまだ挽回できるはずだ。

 このまま『俺以外の奴に怒りを向けさせる』ように会話を誘導してやる。


「――あー、ともかく恨むなら魔導騎士科で一位の人を恨んでくれ。ほら、あそこにいる青髪の男なんてなんとなく一位取ってそうじゃない?」

「しかもさらっと他の奴を犠牲にするわね! だいたいアンタはこの場に居もしない青髪の男に何の恨みがあんのよ」

「じゃあどうしたら見逃してくれるんだ!」

「そんな事しなくたって、他の一位と一緒にアンタも消し炭にしてあげるわ」


 作戦失敗。

 彼女はハナから該当する人物を消して回るつもりらしい。

 青髪の男とかに罪を擦り付けるのは無理みたいだ。


 このまま逃げようかな……と後ろを見やると、俺は自分の考えの甘さに後悔する。

 辺りには野次馬が円のように群がっており、とてもじゃないが一瞬で逃げれるほどの隙間はなかった。

 退路は完全に断たれている。


 まさか妹を抱えたまま、窓から飛び降りる訳にもいくまい。


 ――どうする? 戦うか?


 ……いや、ダメだ。

 俺は腕の中で眠る(泡を吹いて)シロナを見て、すぐに思い直す。

 いくら猛獣とは言え、女の子相手に剣を向けるのは忍びない。


 それに、


「…………そうだよな」


 どのみち今戦ったら、気絶してる妹をかばえないからな。

 怖がりなシロナもかわいいマジ妖精と思いつつ、俺は再度対話による和解を試みる事にした。


「――いいか、聞いてくれ」

「今度は何よ」


 いい加減うんざりし始めた彼女をよそに。

 俺は精一杯の笑顔を作って話しかけた。


「君は凄い人間だ」

「――な、なによ急に……」

「普通の人間なら、二位という数字はなかなか到達することの無い高みだ。けど君は、その高みに甘んじる事はなく、他の人間を蹴落としてでもストイックに一位を目指している。それは誰にでも出来る事のない、素晴らしい姿勢だと俺は思うよ」

「そ、そう言われると何だかむず痒いわね……」


 ――いけるぞ好感触だ!

 押してダメなら引いてみろ。

 怒りの矛先を変えるのが無理なら、そもそも怒りという感情を変えてしまえばいい。

 つまりは褒めて褒めて褒めまくって、相手を良い気分にしてやるのだ!


「そもそも俺なんて、本来は一番とは無縁の人間だったんだ。けれど君は一位を外して悔しがってるって事は、一番と縁の深い人間なんだろ? やっぱり凄いじゃないか!」

「え、えへへ……そうかしら」


 思ったよりもチョロいな。

 素直な性格だからこそ喜怒哀楽が激しい子なんだろうか。

 これはチャンスだ。

 このまま一気に畳みかける!


「そんな君だからこそ、敬意を表して言いたい事があるんだ」

「も、もう……。そんなに褒めても何も出ないわよぉ」


 すっかり頬を緩ませきった彼女に対し、俺は最後の仕上げと言わんばかりに高らかに叫んだ。


「そもそも別に二位でもいいじゃないか。二位だって立派だよ。いっぱい頑張った! エライ! 二位万歳!!」

「……やっぱアンタ煽ってんでしょ」


 マズい、雰囲気が変わった!

 一番にこだわることなく、たまには肩の力を抜いて妥協するのも大切……みたいな事を言いたかったけど伝わらなかったか!


「いやそのまま言いなさいよ」

「……あ、声に出てた?」

「思いっきり。アンタって見かけ通りアホなのね」


 怒りを通り越して呆れはじめている彼女をよそに、俺はあーでもないこーでもないとかけるべき言葉を必死にひねり出していた。


「……まあいいわ」


 そう呟くと、彼女は再び悪役の似合う笑みを浮かべる。

 

「アンタも薄々気づいてると思うけど、アタシはプライドが高いの。一番じゃないと気が済まないってよりは……アタシより優秀な人間に嫉妬するのよね」


 ああ、自覚はあったのか。

 ……なんて失礼な事を考えつつ、俺はにじり寄ってくる彼女から妹を抱きかかえながら後ずさる。一歩引くたびに彼女の額の青筋が増えた気がした。


「——それはそれとしてアタシはアンタみたいなアホ面晒したシスコン野郎を見ると虫唾が走るから死ぬほど嫌いなのよしねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

「なんだそりゃぁぁぁぁぁ!?」


 うがあああああ、と彼女は喚き、ダァンと勢いよく床を踏み鳴らした。

 同時に彼女の髪が、衣服がふわりと浮かび上がり、足元に円形に敷き詰められた複雑な紋様——単式の魔法陣が浮かび上がった。


「——げ、魔力の解放!? ほんとにやるつもりなのかよ!!」

「心配ないわ。ちょっと魔術が暴発して誤射するだけよ。後で教官にはそう言い訳しておくわ」


 等と加害者は申しており……。

 物騒なことを言いながらさらに近寄ってくる。


 彼女の歩みに合わせて、足元の魔法陣も引きずるようにして移動する。

 ……一応、これでも本気じゃないんだろうなぁ。


 魔術を使用するには“魔力の解放”と呼ばれる手順が必要だ。


 ……俺は魔術に関してサッパリなので詳しいことは分からないが、全能神エーテルとやらに接続して、その権能の一部を借りる事で魔術は発動するらしい。

 その接続する行為が魔力の解放と呼ばれるのだが……妹のシロナ曰く、ものっそい疲れるらしい。


 しかし、ごくまれに魔法陣を二重、三重と数を増やしていく事で接続の強度を高める魔術師がいるという。

 彼らは単式——つまり通常の魔法陣なら息をするように起動・維持できるため、恐らく目の前の彼女の本気は複数の魔法陣を顕現するに至るのだろう。恐ろしや。


 そんな凄腕の魔術師は、見習い騎士の集まる養成所では相当珍しいはず。


「……ていうか思い出したぞ。魔導騎士科で有名な“くれないの悪魔嬢”、“爆裂☆誤射姫”って君の事だろ。関わってはいけない危険人物の一人」

「あら、アタシってば有名人? そういうアンタも家名とその黒髪を見てピンと来たわ。ライト・ランダードって、あの“暴走卿”、“騎士団史上最悪のヤベー奴”と名高いクラン・ランダード卿の隠し孫でしょう?」

「そのヤベー奴の記録を君は塗り替えそうだけどな……」


 お互いに睨み合い、その場に緊張が走る——。

 いつしか周囲にはまるで決闘の観客ギャラリーのように生徒たちが集まり、固唾を呑んで見守っていた。


「う——ううん。……はっ、お兄様!?」


 そんな手に汗握る緊張の中、愛しの妹はマイペースに目を覚ました。


「あっ、ちょっとタンマ。……よかった! 目が覚めたのかシロナ!」

「お兄様!? なぜわたくしはお兄様に抱きかかえてもらっているのでしょう! 嬉しいのですがそういう事は心に決まった方と……ってキャァァァァァァァァァァァさっきの怖い人!?」

「ああもう、マイペースな兄妹でムカつく!」


 俺はシロナを地面に降ろすと、危ないから離れているように言う。

 シロナは静かに頷くと、周囲で眺める生徒たちの方へ、とてとて走っていった。


「……ったく。アンタ——あの“暴走卿”が存在を隠すほどだから、そりゃもう滅茶苦茶ヤバイ奴だって噂だったけど……ちょっと想像と違ったわ」

「え、俺そんな風に思われてるの?」


 そういえば訓練中も妙に避けられてた気がするな。

 おかげで友達は誰もいないのさ。

 ちょっと泣きたくなってきた俺に対し、彼女は言葉を続ける。


「まあいいけど。アンタの妹は安全圏に離れたし、そろそろ腹を括ってもらおうかしら」

「…………」


 覚悟を決めるしか……ないのか。

 きっと、何を言っても戦いは避けられないのだろう。

 それならいっそ——


「——シロナ!」

「はい!」

「……卒業祝いは、また後で取っておいてくれ」


 それだけ言うと、俺は目の前の魔導騎士である紅髪の少女を睨みつける。

 ……魔術師との戦いで重要なのは、魔術の行使より先に動く事。


 いかに強力な攻撃方法を持つとは言え、生身は本職の前衛より劣る。

 俺と彼女の身体能力の差。そこが付け入る隙になるはずだ。


 俺は、彼女が動くより先に勢いよく地面を蹴った!


「誰がマトモに付き合うかよ。とーう!」

「あ、コラ待ちなさい!!」


 すなわち戦略的撤退!!

 俺はすぐさま窓から飛び降り、全速力で訓練場を駆け抜けて一目散に逃げだした。

 その場の全員が唖然とするなか、シロナだけはくすりと笑っていた。


◇◆◇


「信じらんない! あの状況で逃げ出すフツー!?」


 は一触即発の空気の中、今しがた臆病にも逃げ出したクロエとかいう男に怒りを抱いていた。

 ……ムカつく奴だ。


 マイペースでヘラヘラしてて、妹の目の前でカッコいい所を見せてやろうって気にもならない意気地なしだった。

 こんな奴が普通科とはいえ卒業試験で自分より上の順位にいたのかと思うと腹が立つ。


 ……そして、ちょっとしたことで感情を乱す、アタシ自身の性格にも。


「……はぁ」


 興が削がれた。帰ろう。

 それと、後で場所のずれた成績表も直しておこう。

 そう思い、魔力の解放状態を解いて一息。

 そのままアタシはその場を後にしようと踵を返して——


「——少しよろしいでしょうか」


 不意に声をかけられて立ち止まる。

 興味を失ったように散っていく人混みの中から、小柄な少女が現れた。

 さっきの騒ぎでやや乱れた銀髪に、第50期生を示すエムブレム。

 ああ、この子は確か——


「シロナ・ランダードって名前だっけ? アンタも災難よねぇ……あんな臆病な兄を持つなんて」

「ふふ……ありがとうございます。確かにお兄様はアホでデリカシーがなくて無自覚で人の神経を逆撫でする上に突然暴走する困ったお方ですが——」


 ひどい言われようである。

 おおよそ間違っていないが、愛する妹にこんな事を言われたらあの男は発狂するんじゃないだろうか。


「――しかし、お兄様はただの臆病ではありませんよ! その証拠に! あちらの窓をご覧ください!!」


 突然ドヤ顔を始めて、元気よくさっきの馬鹿が飛び降りた場所を指さす。

 ……正確には、窓の外か。


「何があるってのよぉ……?」


 怪訝な顔をしながら、言われた通り窓の外を見た。

 やや日の傾き始めた大空を、緩やかに雲が流れている。


 ……別に変わった所はなにもない。

 しいて言えば、もう姿が見えない時点で逃げ足が速いってこと位かしら。

 校舎の四階から見下ろす景色は割と綺麗で、広々とした訓練施設の全貌を眺められるほどの見晴らしが——。


「……ちょっと待って。ここって四階よね?」


 おかしい。変だ。

 アイツは……クロエとかいう少年は普通科の見習い騎士だ。


 普通科——この場合は、剣と鎧を装備した、一般的なイメージの騎士を目指す。

 つまり彼は、一般的な騎士と同じ“金属鎧”と“長剣”を、訓練の為、常日頃から身に付けている事になる。


 


 いったいどれほどの身体能力、そして打たれ強さを秘めているのだろうか。


「クロエ・ランダード……」


 気づけばアタシはその名を口にしていた。

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