スピンオフ作品
偽りの楽園
第1話 バカンス
灼熱の太陽。雲一つない青空。穏やかな潮風。砂浜に打ちつける波が生み出す微かなオゾンの薫りが
ビーチにこれ以上ないほど似合う真っ青なルチネル・スパークリングワインのグラスを、純木製のパラソルテーブルからとり口にする。
だがそれを味わう間もなく、周囲は明灰色の球面の壁へと姿を変える。いや、本来の姿を取り戻したのだ。
アロー社製ワンピースの水着とマテリア・サングラスのセレブ感と、投影ルームの素っ気なさの対比が希美代には耐えられなかった。不機嫌な顔で天井のマイクに向かって声を出す。
「どういうこと? ジル」
全天型スピーカーからジルの優しく穏やかな声が響く。
「申し訳ございませんお嬢様。緊急事態です」
「緊急事態? 何があったの?」
「救難信号です」
「ちっ」
忌々しそうに舌打ちをする希美代。
荻嶋希美代はアンドロイドでありながら終生の愛を誓い合ったパートナーのジリアンと、人知れず一人と一機だけのヨットクルーズの旅に出ていた。
誰も来ない航路で、と自分からマルチグラスと首っ引きで航宙図を引いたのだが、ジルは一部宙域に危険な臭いをかぎ取っていた。原因不明の遭難事件が多いアステロイド宙域が含まれていたのである。しかもただの遭難ではなく、跡形もなく行方知れずになるケースだ。さらには遭難船を発見したとの連絡後消息を絶つものもあって、時折3DTVや胡散臭い動画で怪奇特集が組まれるほど不審な宙域であった。人々はそこを「現代のバミューダ」と呼んだ。
そんな宙域で救難信号を傍受したという。
希美代はパーカーだけを羽織って狭い操縦室へ向かった。
「それで、どこの誰から? 船籍は?」
「それが、ただ“メイデイ”“メイデイ”とだけ」
「何それイタズラじゃないの?」
「こんな辺境にまで来てイタズラをする人がいるとは思えません」
不機嫌さを増した顔の希美代が毒づく。
「分かってるわよっ」
「あ、映像きます!」
ジルはコンソールを操作することなく前部モニターを点けた。
そこには古めかしい宇宙服を着た疲れ切った様子の男性が、上目遣いに映っていった。
「こちらジルコニア号。確認のためそちらの座標と現在の状況を教えて下さい」
「――在、遭難から二週間が経過。誰もいない。ここには誰もいない。孤独だ。とうとう探査船唯一の乗組員となってしまった」
「何これ一方通行?」
俯いた男は上目遣いにカメラを見る。
「ハッチの爆散で急速減圧がおき、船外作業中だった私以外は死んだのだ。即死だった」
つい声をかける希美代。
「そちらはあとどれくらい…… って聞こえてないのか」
まるでそれが聞こえていたかのように宇宙飛行士が答える。
「残された食料は三日、水は四日。そして酸素は――」
諦観の表情で目を閉じる宇宙飛行士。
「四十九時間」
さすがの希美代の表情も固くなる。
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