ままならない二人
第2話 極秘情報
「あ、宮木、今朝の7月レポート見た? ヴェデルニコフ
艶のある濃い栗色の髪を肩まで伸ばしている五十畑は、びしっとしたチャコールのスーツを着ている。その姿はいかにも仕事ができますと言った風情で、目つきも厳しい。その一方で、今年29歳にしてはどこか面差しに幼さを感じさせる可愛げがある。五十畑は十数人の社員たちの声が反響してざわつく先進的デザインのエレベーターホールで見かけた宮木につかつかと歩みより、少し早口で声をかけたところであった。
宮木はその声に気づくと、ホロタブレットから面倒臭そうに目を離す。
「あ、見てなかった。あとで見とく」
面倒そうにゆっくりと答える宮木。ネイビーの
「やっぱり……」
きびきびとした動作でエレベーターの上昇ボタンを押す五十畑は、呆れ顔でため息をつく。このやり取りをみる限りでは、この宮木と呼ばれた女性はさほど勉強熱心でもなさそうだ。いや、それでも五十畑が覚えている限りでは、中学生の宮木はそうでもなかったと記憶している。高校に入った頃から少しずつ心の中から熱量が失われ、彼女の心を無気力がじわじわと浸食していったのではなかったか。
高校卒業後、別々の大学に進学してやっと腐れ縁が断ち切れたと思ったら、まさか自分の勤める会社に中途採用されてくるとは予想だにしていなかった。しかも、よりにもよって同フロアの近接部門に宮木が配属されると知った時は、周りが心配するくらい五十畑は機嫌を損ねてしまった。それからというもの、彼女の顔を毎日見る度に五十畑は思い出したくもない事まで思い出してしまう。その思い出のせいでいつも胸の奥に巣食うちくちくとした苛立ちを隠せない。しかも最近は仕事絡みで接触する事も増えた。当然のことながらランチを一緒にする気などさらさらないが、いつの間にやら宮木にいい様にほだされ、いつの間にやらたびたび一緒に飲みに行くようになってしまっていた。それもなんだか悔しい気がして、だけど宮木と話していると何だか懐かしくて気楽でリラックスできて、彼女に対し複雑な気分がいや増している五十畑であった。
「いいじゃない、急ぐものじゃないってそんなの。あたしゃ仕事のできる五十畑と違うんだから。それにこっちは新しい筋繊維が全然一歩も全くさっぱり進捗なくってさ」
ホロタブレットを抱えて小さくため息をつく宮木。まだ午前中なのに少し疲れた表情でエレベーターホールの柱に背中を預ける。はたから見ると2人は相当に親しげにみえる。
「少しくらいは急ぐものなのっ。それに、そっちはずっと足踏み状態なの?」
腰に手を当てて宮木をほぼ正面から睨む五十畑。こうしてみると五十畑は宮木より1cmほど上背がある。
「ああ、会議は踊るってやつかなあ。まあ別に実際踊っちゃいないよ。でもあたしはシカマ人化工業(※4)でいいと思うんだけどさあ」
また宮木のため息。
「なにそれ? 選定の段階で引っかかっているの? しかもあんた正気? 飾磨IC(※5)系じゃない?」
宮木の顔を覗き込むように見下ろし更に呆れたように眉間にしわを寄せる五十畑。
「なにせ使うものがモノだけに慎重に、ってこと。あらゆる可能性を排除しちゃいけないでしょ」
疲れた顔を五十畑に向ける宮木は淡々と答える。新しくメールが来たらしく、宮木はまたタブレットを凝視し、これをいじりながら五十畑の話を聞き流す。いつの間にか広々としたエレベーターホールには2人しかいなくなっていた。2人の靴音と声だけが反響する。
「どうせあのCdv(※6)が例のごとく決めあぐねているだけなんでしょ。決断力無いんだから、全く」
鼻で笑うようなため息を吐く五十畑。どうも五十畑はそのCdvと因縁があるようだ。
ここで突然、タブレットを眺め俯いたままの宮木が今までと違うあの調子の小声でボソッと呟く。無力感と緊張感と皮肉がない交ぜになった不思議な声色だ。それにまるで周りに誰もいない事を見計らったかのようなこのタイミング。
「別件だけどさ、連中結局
五十畑からは見えないがその眼鏡の奥の眼つきは先ほどまでとは違い、ほんの少し真剣みを帯びて、ほんの少し悪戯っぽくもあり、ほんの少し悲観的な色を湛えてさえいた。
「ちょっと、それどこで……」
目を丸くしてやはり小声で息をのむ五十畑。宮木は時に侮れない情報や知識をもたらす。
「さあね」
事実なら、五十畑としては情報の
するとタブレットを抱きかかえた宮木は突然違う話題を口にする。先ほどと同じ小声だが、さっきとは打って変わってこれまで通りの少し軽い口調だ。
「こないだのニュース見た? っだよ、72億ドルを生前贈与とかさ。どうかしてるよ。人間に出せよその金。社会に還元しろよ。いや、あたしにくれよ、なぁ。あれが72億ドル手にして何をどうするんだっての」
宮木は明らかにふて腐れたように五十畑に話しかける。
「その件だけじゃなくてまだまだ社会的にも混乱は大きいのよね。まあ、うちの立場で言えた義理じゃないけど、本当にこんな事件が起きないようにしないと…… でも確かそのまま立ち消えになったんでしょ? その贈与事件」
他の社員5,6人とエレベーターに乗り込む。男どもの蒸れた体臭にに眉をひそめ息を止める五十畑。彼らから少しでも距離を保とうとするとどうしても宮木に接触する。少しでも男どもから離れたくて宮木をぐいぐい押すが、
「そそそ。被贈与側のアンドロイドが受け取りを辞退したから訴訟にすらならなかった……と 。これって直接ではないにしろ、結局あれの人格を認めたってとられかねないよね。法的には人格も人格権もないのにさ。単にあれの所有者財産保護プログラムが働いただけってのが実際でしょ」
世間話をするような口調と表情でエレベーター内の階数表示を眺める宮木。行先は84階なので間もなく到着だ。
「ええ、ほんと変な話」
同じく階数表示を眺めながら無表情に呟く五十畑。
「仕事でやってっから我慢してっけど、正直やってらんないわ機械に心があったりしたらさ。どうする? 自動運転中に左折するところでパイロットが『今日は海に行きたい気分なので右折します』とかさ。」
「だから、私はもう絶対にそんな機械…… ……ああもう、何でもない、何でもないの」
五十畑の眼がすっと細くなり何か言いかけたがしかめっ面になり頭を振る。それに気づいた宮木は複雑な表情を浮かべる。いくつもの感情が入り混じったその表情の中には若干の悲しさも含まれているようだ。
「ああ…… そうだね」
意味をなさない五十畑の言葉に応え宮木がぽつりと寂しそうにつぶやく。その微かな声は五十畑には届いていない。
「とにかく、あんたの言うような事なんて起きない。感情のセットもチューニングも今では十分な精度でされているし、今はロボット工学三原則プログラム(※9)をXや前モデルの
気を取り直して話を続ける五十畑は現状システム肯定派のようだ。
84階に着いて2人だけでエレベーターを降りると、宮木がエレベーターホールそばの人けがない休憩コーナーを指差す。五十畑はそこで先ほどの情報の続きが聞けると思い、珍しく素直に宮木のあとをついていく。
2人は円筒形のテーブル前に向かい合って立ち、飲み物を注文する。するとテーブル上に丸い穴が開いてスーッと液体で満たされたカップがせり上がる。
ところが、肘をついた宮木の口から語られたのは五十畑の期待に全く
▼用語
※1 ヴェデルニコフ膝蓋アクチュエーター:
アンドロイドの膝蓋部(膝)に埋め込まれる小型動力の1つ。シグマモーター社製。
※2 参式腰部中継情報補助組織:
※3 チューリエ頸椎:
頸椎とは人間を含むほとんどの哺乳類で言うところの首を構成する七つの骨。アンドロイドの頸椎は人間のそれと同じく様々な情報やエネルギーの伝達組織が密集している重要な部位である。カクタ躯体工房製。
※4 シカマ人化工業:
アンドロイドの筋繊維(人工筋肉)、人造皮膚、人工毛髪、人造眼球など「柔らかい」パーツを生産している。現在母体企業の
※5 飾磨IC:
ICはインダストリアルケミカルの略。アンドロイド部品供給企業としては屈指の大企業。最近大きな疑獄が表沙汰になり信用を失墜しつつある。
※6 Cdv:
五十畑と宮木が勤務する
※7
Wraithとはスコットランド=ゲール語で「亡霊、死霊、失った肉体を探しさ迷う生霊」。アンドロイドの脳機能にごくまれに発生する自律性感情系バグ。これが発生したアンドロイドは、感情プログラムやチューニングされた感情、ロボット工学三原則、思考行動制御抑制プログラム等を無視し、あたかも心があるかのように振る舞う。脳機能内では検知が困難。
※8
イクスはXのベルギー語読み。
※9 ロボット工学三原則:
「2058年のロボット工学ハンドブック」に記載されていた原則。人間を守り、人間の命令を守り、自身を守る。この三つを矛盾しない限り遵守することをロボットは求められる。遥か過去の原則だがアンドロイドの行動規範としてプログラムされている。
※10
ドゥブルヴェはWのベルギー語読み。
※11 脳機能
一言でいえば人工知能(AI)。人間の思考、感情を模した言動を取るように設計されたアンドロイド用の人工知能の事を脳機能と総称する。
【次回】 ままならない二人-2 Wraith
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます