第3話 Wraithという亡霊

 ところが、肘をついた宮木の口から語られたのは五十畑の期待に全くそぐわない話だった。


「しかしね、その二重の三原則プログラムだってフレーム問題(※1)回避簡易型。しかも未だ全く得体の知れないWraithレイスXイクスの感情系を隠れみのにして走ってる可能性もある。いや、可能性が高い。いや、多分間違いない。それにそもそものWraith自動生成への対抗措置だってさ、現行じゃバグ潰しのプログラムを上乗せ上乗せしてるだけの最悪の手法じゃん。しかも効果は未だはっきりしない」


 実のところ宮木の懸念はいずれも正鵠せいこくを射ている。その宮木は片手をポケットに突っ込み、うつむきながら氷抜きガムシロップ倍量のアイスティーをちびちびと口にしている。

 思ってもいない話題に少し戸惑い呆れながら、それでも五十畑は生真面目に受け応える。


「それを解消するために第八雷撃隊立ち上げたんじゃない。あの顔ぶれならいずれ正規のバージョンアップで対応できるようになるわよ。」


「第七隊まではどうなっちゃったんすかね?」


 宮木の皮肉っぽい口調に大きなため息で答える五十畑。


「……はあ。大体畑違いの私たち――特に宮木が、とやかく言える話じゃないでしょ。それにそこら辺全部のコントロールを外れたらハード上『自爆』するようになっているんだから問題ないじゃない。心配し過ぎ」


 カップを手に持ったまま人差し指で宮木を指しながらひと通り述べると、不機嫌な顔でブラックコーヒーをすする五十畑。今の話は前振りで、そろそろ先ほどの情報について詳細が聞けるのか。


「うーん、あれって本当に大丈夫なのかなあ…… Wraithによってそこまで想定外の感情の自律性や独立性が高まったXが『自殺』するとは考えにくいんだけど」


 カップの紅茶から面を上げ少し不安そうな顔をする。この宮木の根拠のない悲観主義が五十畑には気に入らない。更には聞きたい話がいつまでたっても聞けないのも実に気に入らない。


「な い 。さすがにそれはない。自爆プロセスにはWraithどころか通常のプログラムも介入できないんだから。設計上それは間違いないのはあんただってわかっているでしょ? Wraithに対抗する安全装置としては 確 実 に 機 能 し て い ま す 。 」


 聞き分けの悪い子供をさとすような口調になる五十畑。本当に物分かりが悪い、と少し苛立いらだちも混じる。一体全体どうしてこんな話になっているのか。こちらの知りたい話が一向に出てこず苛立ちもいや増す五十畑。自然と眉間にしわが寄り一気に畳みかける。


「Wraithの問題だけじゃなくて、あんた感情系全般で色々懸念けねんしている様だけど。忘れてるなら今ここで思い出させてあげる。電機電子福祉局(※2)の『第三域高度自律性人造躯体くたいに搭載される脳機能に関する重大な注意喚起(※3)』にのっとってXはどのメーカーの脳機能より念入りに、充分過ぎるほど入念に管理されてるから。出荷時の感情設定もガイドラインに沿って丹念にチェックと微調整がされてるしオーナー引き渡し時だってそう。オーダーに合わせて事前チューニングする感情も人畜無害の善人の範囲マイナス4°内に設定済み。それはもう当局だって文句の一つも言えないくらいに対策してあるの。それに現実としてXが人間や他の機体の生命身体財産信条良心の自由を侵害した事例なんてひとつだってないからね」


 初めて宮木の眼差しが真剣になる。


「今までは、ね。そういった感情設定を全部済ませた出荷直後の1年次2年次メンテ時の感情のぶれは『性格が変わった』と言えるほど大きくはなってない。現状これはほぼ間違いない。そりゃわかる。ガイドライン通り。おっしゃる通り行政だって文句なしだ」


 ほとんど空っぽのカップを片手でもてあそびながら珍しく真面目な目で話を続ける宮木。心持ち声も低くなる。


「でも時間の経過や環境の変化とともに感情が変動するってのは、結局のところXも人間とまるで変らないって事でしょ。人間よりは多少予測可能で多少安定しているに過ぎない。ところが、出荷後長期稼働機、中でも2年次メンテを複数回繰り返すほど長期にわたって稼働していた機体となれば話が違ってくる。注視すべきは4回以上2年次メンテを行っている機体なんだけど、これについては6月の閉架アルファレポート(※4)に報告があってさ。『アンガス効果(※5)』って言う感情強化のぶれる方向性に癖がつく現象が生まれるんだって。例えばA7°とか、ね。そうすると感情強化の蓄積がA7°にばかり偏って、次の2年次メンテを待たずにそこが閾値しきいちを超えて逸脱行為を働くレベルまで感情が強化されてしまう。そんな事例がいつかきっと生まれる。これ、間違いないとあたしは思うんだよね。A7°の場合どうするよ。オーナー命令を拒否するかも知れないよ。犯罪を犯すかも知れないよ。これがPp1°なら引きこもっちゃうかも知れない。個性というレベルを超えて罪や病に至るのさ」


 五十畑は驚いて宮木に目をやる。いつの間に専門外の感情系についてそこまで知識を収集していたのだろう。そんな五十畑の様子には気付かない宮木は身振り手振りを加えて話を続ける。


「これと同時にバグってWraithが生成されたらどうすりゃいい? こちらの思惑を超えて過敏に反応し過剰に動作するようになってしまった感情プログラムと自律感情系バグのWraithが手に手を取って走り出しちまうんだよ? 最悪Wraithが肥大化した感情プログラムを制御下に置いてもおかしくない。言ってる事、分るよね。これはもう完全な暴走さ。今までのケースを見てればあり得なくはない。そうなったらおそらくその感情はもう誰にも止められない。誰にもだ。」


 宮木は軽く一息つく。



 声色が少し変わったが、五十畑はそれに気づかなかった。もう1度少し息を吸い込んでちらっと五十畑に視線を送る宮木。まるで五十畑の反応を探っているかのようだ。言葉を続ける。


「そうだったじゃない。そういったケースをでしょ。だからつまり『』」


 最後は古くからある刑事ダイレクトドラマに出てくる登場人物の口ぶりをかっこよく真似る宮木。アイスティーをあおった後その登場人物の行動を真似てゴミ箱にカップを放り込む。カップはゴミ箱のふちに当たってコツン、と音を立ててゴミ箱の底に落ちて行った。


 五十畑の表情には先ほどからの明らかな苛立ちに加え呆れの色が差し込む。


「『ルイス&ニック(Lewis & Nick)(※6)』みたいなこと言わないの。あれまだ観てるの? だけどお生憎様、その確率についても既に試算済みだから。結果はゼロよ、ほぼほぼほぼほぼ、ほぼゼロ。ないとイコール。妄想レベルだからそんなの。いい? 分る? もうそんな雑な仮説推論が通用するようなドゥブルヴェの時代とは違うの。宮木が言うような事が起きる前につつがなくイグレック(※7)にモデルチェンジされるから。前々から言っているけどあなたホントに悲観主義ね。」




 強い口調で一気にまくしたてる五十畑。誰が見ても彼女の強い苛立ちが手に取るように分かるだろう。一通りまくし立てた後ブラックコーヒーを飲み干し、カップをゴミ箱まで持って行き、ゴミ箱に放り込むようにして捨てる。




「知ってる」


 五十畑の流れるような線の後姿をじっと眺めながらぽつりと呟く宮木。この呟きは五十畑には聞こえなかったかも知れない。

 この時五十畑も宮木に聞こえない声でぽつりと呟いていた。


「そうよ。もう《素体C(※8)》みたいなことはないんだから……」




 今まで出来の悪い部下に寛容な上司の見本を見せるようにして、散々いらない問答に突き合わされた苛立ちをぐっと堪えていた五十畑。だがさすがにしびれを切らす。

 カップを捨てたその足取りで宮木の左隣に立つと内緒話をするように身を寄せ、宮木の袖を2度小さく引っ張り、特に誰がいる訳でもないのについひそひそと耳打ちをする。


「それとさっきからずっと待ってるんだけど、どうなのよあの話」


「何だって? どの話?」


 宮木は本当に何のことか理解できていないようで、眼鏡の奥はきょとんとした目つきになっている。


「Wraithのデリートも抽出も失敗したって話!」


 小声だがついつい語気が強まる。肩を掴んで揺すってやりたい気分だが袖を強く一回引っぱるだけで我慢した。


「えっ? いや、別にあれ以上の情報はないよ。あれで終わり」


 きょとんとした顔つきのまま答える宮木。


「えっ? だって、その話でここ連れてきたんじゃないのあんた」


 その答えに同じくきょとんとなる五十畑。


「えっ? いや? あたしは美人でセクシーなCdf(※9)とここでひと時の逢瀬と癒――」


「バカ言ってんじゃないのっ! このタコっ!」


「いってぇ!」


 休憩コーナー内にバシィッ! となかなかいい音が響く。


 五十畑の中で最高潮に達していた苛立ちは0.001秒で怒りに変換され、とっさに力の限り宮木の背中を平手ではたいていた。怒りで真っ赤になった五十畑が思い切り振り下ろす平手の威力は相変わらずで、思わず呻く宮木。五十畑は宮木の痛がるところをよく知っている。


 だが、1発くらいでは気が済まない。もう1発。


「思わせぶりな事してっ! ああもうホント腹立つったらっ!」


 先ほどとほぼ同威力の平手が先ほどとほぼ同位置に振り下ろされる。更なる衝撃に更に大きな呻き声を吐き出してしまう宮木。


「いってぇ!」


 この場所だとフロアの社員までその声は届かないので五十畑も存分にその平手の威力を発揮出来る。

 2発の痛打を食らわせてやってようやく少し留飲りゅういんを下げた五十畑は少し痛い自分の右手をひらひら振ってわざとらしいとげのある笑顔を宮木に向ける。


「10時半からの合同ミーティングあなたも出るのよね? ポジティブで有益で活発な意見交換と議論を期待します。では、宮木Ldv(※10)」


 怒りでまだ少し赤い顔の五十畑は宮木に棘だらけの微笑みを投げかけるとその脇を通り過ぎて脚を踏み鳴らしながら自席へと歩み去っていった。五十畑が去る時細く柔らかい髪がふわりとたなびく。甘くていい香りが宮木の鼻腔をくすぐった。


「了解。五十畑Cdf」


 宮木はそう呟やくと、ホロタブレットを小脇に抱え肩をいからせ足早に歩み去る上役の後姿をしばらく目で追う。


「ったく、かなわねぇなぁ」


 ふっと苦笑いを浮かべ後頭部を右手でさする宮木。本当に色々ままならないものだ。特に感情系は。背中がじんじんとしびれるように痛い。



▼用語

※1 フレーム問題:

 脳機能に一つの行動をとらせる際、その際に起こり得る可能性について、人間からしてみれば排除されて当然の物事をも全て抽出してしまうため、過負荷状態に陥り機能停止してしまう問題。

 アンドロイドに実装されているロボット工学三原則プログラムは、このフレーム問題が発生し難いように同プログラムの重要度や優先度を意図的に下げている。


※2 電機電子福祉局:

 市民生活省下の省庁:電気製品による市民の福祉を指導、支援する。その中にはアンドロイドも含まれている。


 ※3 第三域高度自律性人造躯体くたいに搭載される脳機能に関する重大な注意喚起』:

 「第三域高度自律性人造躯体」とは一般に販売されている感情型アンドロイドの法規上での名称。各メーカーの製品ともに、これらの機体にWraithと同様のバグがごくまれに発生することが電機電子福祉局の調査で明らかになった。それを重大視した当局はこの注意喚起を告示。各メーカーにバグ発生の抑制と品質管理の徹底を強く指導した。


 ※4 閉架アルファレポート:

 通常全社員に送信され共有化される月例アルファレポートとは違い、申請した者でないとみられない技術レポート。


※5アンガス効果:

 脳機能内の感情プログラムは特定の感情がランダムで強くなりやすくなるよう設計されている。これによって機体ごとに感情の偏りが生まれ個性的な機体が実現される。だが長期稼働機体の脳機能にある感情プログラムではこのアンガス効果により感情の偏りが顕著になってしまうとされている。理由はまだはっきりしない。


※6 ルイス&ニック(Lewis & Nick):

 3Dテレビやダイレクトドラマで大人気の刑事もの。最終的に20シーズンまで放映された。ルイスは栄光を意味する名前で、ニックは盗みを意味するスラング。正義感の強いルイスと狡辛こすからいニック、そりの合わない二人組の刑事が数々の難事件を解決していくほろ苦いストーリー。お笑い担当のサブキャラにベンジャミンがいる。

 有名なセリフとして「見えないところでもう事件は起きているんだぜ」がある。第八シーズンから若干修正されて「事件はいつだって俺たちの見えないところで起きているのさ」に変更される。


※7イグレック

 現用の脳機能Xの後継機。近日発売予定。これでWraith問題は一掃されると期待されている。


※8 素体C:

 かつて極秘裏に脳機能の試験に供されたWドゥブルヴェ搭載型アンドロイドを指す。Wraithレイスの発生など複合的な要因で機体は全壊し計画は失敗に終わったとされる。詳細は不明。アンドロイドの軍事転用を模索していたとも噂されている。


※9 Cdf:

 五十畑の職位を表す階級名。フランス語でCapitaine de frégate、旧世界ベルギー海洋構成部隊での中佐を表す。課長職相当。


※10 Ldv:

 宮木の職位を表す階級名。フランス語でLieutenant de vaisseau、旧世界ベルギー海洋構成部隊での大尉を表す。主任から係長相当。




【次回】 伊緒の初恋-1 機械仕掛けの彼女 4/17 22:00 公開予定



2021年2月12日 脚注の誤りを訂正いたしました。

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