馴れ初め

プロローグ

第1話 夏の日

 島谷伊緒いおは伝統的で安価な買い物用自転車にまたがり、同じクラスの矢木澤シリルがある住居に向かっていた。


 伊緒がまたがっている自転車は安価なものとはいえ四段ギアつきで、更にはお年玉でバーハンドルや見た目がちょっとはましな前かご、それにCLEDライト(※1)の前照灯に交換してある。再安値品に比べれば走りや見栄えはだいぶ良い。


 伊緒は時速32kmの制限速度を器用に維持して自転車を走らせていた。

 ばっさりとカットした黒いショートヘアと少し日焼けした肌、見るからに悩みとは無縁そうな明るい表情をたたえた、快活そうな少女の印象を受ける。オフホワイトの半袖Vネックパーカーとゆったりしたデニムのショートパンツとを身にまとい、律儀にも校則で定められたヘルメット、膝当て、肘当ても装着し、勉強道具の入ったリュックを背負っている。これからテスト勉強をしに行く。


 紫外線量は充分調整されているとはいえ、夏季期間の照射はかなり強い。


 じりじりする光を浴びていた伊緒はさっ、と日陰に覆われる。

 今伊緒が走っている道の両脇には、何十本もの生きた太い街路樹が連なり、道路全体をアーチ状に覆っている。

 大小の木漏れ日が伊緒を照らし、時速32kmの速さで彼女の背後に置いて行かれる。

 本日の天候は終日雲量1.5の快晴で最高気温28.3℃±2度、前期試験前でなければ彼女と連れ立ってどこかに遊びに行きたくなる天気だ。


 街路樹のトンネルを抜け、再び夏の強い光に全身をさらされた伊緒。アスファルトできれいに舗装された道路を気持ち良さそうに疾走する。伊緒は自宅からシリルの置かれた住まいまで短いサイクリングを楽しんでいた。



 伊緒の短距離サイクリングの目的地、矢木澤シリルの置かれた家はこの辺りでも一際ひときわ瀟洒しょうしゃな高級住宅である。

 濃いクリームカラーの外壁、高い屋根は重厚なブラウン。大きな家と広い庭を囲う高い壁はまるで本物の石材のようだ。模造石の外壁と外壁の切れ間にしつらえられた大きな門扉は、いくつもの鉄棒を美しくかつ幾何学的に折り曲げて作られている。その全てが高級感溢れる旧世界(※2)懐古調様式の典型と言える。


 伊緒はいそいそと自転車を降りてヘルメットを外し、その重々しい門の脇にあるインターホンを鳴らす。


「こんにちはー、あっついですねぇ。シリルちゃんはいますかー?」


 広い庭の向こうに建つこの家の大扉はローズウッドを模した素材で作られていた。濃淡のある赤茶色の地色に紫の年輪模様の縞が差し込んでいて美しい。どっしりとした外見通り実に重たそうに見える。ところが、伊緒がインターホンを鳴らし声を上げたのとほぼ同時に、それはすっと滑らかに開く。まるで客の到着を玄関で待ちかまえていたかのように。


 重そうな扉の向こうから矢木澤シリルは姿を現した。しなやかですらりとした立ち姿で、伊緒とは全く異なった印象を受ける。肌は白く、腰の少し上あたりまである細絹のようなストレートの髪は、わずかに栗色がかっている。起伏に乏しい細身のスタイルに合う夏らしい淡青色の半袖ブラウスに、白いロングフレアスカート。清楚で淑やか、の見本といえそうな外見である。その見た目通り物静かな物腰のシリルは歓迎の微笑みを見せながら足早に門扉へと向かい開く。二人で笑みを交しながら黙ってそそくさと玄関に向かう。早く人目につかない二人きりになりたい。


「約束の時間より2分23秒早いですよ。本当にこういう時間には正確。学校の始業時間には不正確なくせに」


 玄関先で静かに大扉を閉じると、時計も見ずにシリルは伊緒をからかった。


「『母』は急に楽団の用事ができたので出掛たの。気兼ねしないでいいから」


「そうなんだ、だいぶ良くなってきたみたいだね」


「ええ、おかげさまで。ありがとう伊緒。でもまだまだ不安定だから心配なの」


 機械のように正確で無駄のない、かつ美しい動きで伊緒の足元に室内履きを揃える。慈愛をにじませた彼女の微笑みを見れば伊緒の訪問をどれほど心待ちにしていたかがよくわかる。

 伊緒は満面の笑顔でいつものように一方的に喋っていた。


「アイスいる? 大福もあるんだ。あ、やっぱり今日もお煎餅がいいのかな?」


 シリルは苦笑しつつも嬉しそうにも見える。


「ううん、前にも言った通りあまり水分は摂らない方がいいのだけれど。でも、せっかくだし久しぶりにアイスをご馳走になってもいい?」


 話しながらどちらからともなく手を繋いで二人でリビングへ向かう。


「やった。アイス久しぶりだよね。今日買ってきたのってこれがまた美味しいんだよ」


 シリルは伊緒にリビングのソファに掛けるよう促し、当然のようにシリルがその隣に座る。すると伊緒は冷房が効いているとは言え暑苦しいほどにくっついてくる。シリルは熱さなど全く気にしてない様子だ。


「前から思っていたのだけれど、どうしてそんなに私に食べさせたがるの? 確かに私には味覚があるけれど、食べる事は無駄でしかないのに」


 不思議そうな顔をして伊緒の顔を覗き込むシリル。シリルは伊緒とコミュニケーションをとるようになってからみるみるうちに表情が豊かになってきている。


「食べてるのを見ているのが嬉しいから、かな。一緒に何かを食べるのって楽しくない?」


 相変わらずの笑顔で元気いっぱいに答える伊緒。


「楽しい? 一緒に? ええ、そうね。楽しいと言う感情は理解できるかな。大好きな人と一緒だから楽しいのね」


 シリルは微笑みを浮かべながら大好きという言葉を強調し、隣の伊緒を見つめる。


「えっ、えっ」


 意表を突かれる形で大好きと言われ目を丸くする伊緒。


「ふふっ…… 大好きな伊緒と一緒だったら、おやつだけじゃなくていつでもなんでも楽しいってこと。そ、なんでも……」


 少し伊緒に寄りかかってさらに顔を伊緒に近づけるシリル。その深緑色をした虹彩の奥で深紅と黄色の煌めきが悪戯っぽく伊緒を何かに誘う。

 今までの元気のよさとは全く違う感情に彩られた鳶色の眼でじっとシリルを見つめる伊緒。接していただけの腕を互いに求め合うようにして絡ませ合う。伊緒の表情が何かをねだるように変わる。


「……う ……ね、その…… シリル…… いいかな……」


 伊緒と同じく何かを求める瞳で伊緒を見つめるシリル。深紅と金に瞬くシリルの瞳孔がなまめかしく揺れる。伊緒が瞳を閉じるとシリルは伊緒を抱き寄せ、自分の唇で伊緒の唇に触れる。


「ん」


 お互いの唇を長い時間をかけて求めあう。


 唇を離すと二人は腕と指を絡め寄り添うようにしてソファに深く腰を沈める。伊緒は甘えるようにシリルの肩に頭を寄りかからせる。自分の肩に乗っている伊緒の頭に頬ずりしながらシリルがぽつりと呟いた。


「本当はダメなのよ、こういう事。私、アンドロイド(※3)なんだもの。」 



▼用語

※1 CLEDライト:

 民生用LEDライト。LEDライトより耐久性や信頼性がかなり低い。


※2 旧世界:

 地球、あるいはかつて地球が世界の中心だった頃の世界。またはその時代。

 こちらからでは詳細が観測不能な「大厄災」によって地球との連絡が途絶する以前の世界。「黄金期」と称する人々もいる。対して現代は「現世界」「黄昏期」と呼ばれる。



※3 アンドロイド:

 いくつかの惑星のテラフォーミング用に開発された人型機械。人間の姿を模しており、強靭頑健で精密な作業も難なくこなし労働争議も起こさない。これによってテラフォーミングの工程は大幅に短縮された。

 10数年前より一般販売が認可された感情プログラム搭載型、いわゆる「感情型アンドロイド」が発売されてはいるが、あまりにも高価なため全くと言っていいほど普及していない。

 にもかかわらず社会問題を引き起こしつつあり、また感情プログラムに深刻なバグが発生するのではとの噂も絶えない。そのためその是非を巡って人々の意見は真っ二つに割れている。



【次回】

 ままならない二人-1 極秘情報


 2020年9月25日 加筆修正をしました。 

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