第17話 ナポリタン
齊藤よりの私服、気にならないことはない。でも、別に知らないわけじゃない。2度目に会った時、助けてもらった日曜日は、私服だったから。スリムなブルージーンズに長袖の白いTシャツ。少しゆったり目のシルエットで、細めの体型にすごく似合ってた。
肩より少し長い髪も下ろしっぱなしで、黒い小さなリュックを背負った姿は、無造作すぎて少年ぽい。でも手をつなぐ距離まで近づくと、さっぱりしたいい香りがした。女性らしいというよりは妖精のような透明感、ツンとした顔立ちなのに意外と感情的。怒ってるか、食べてるか、泣いてるか……
今日は、元気にしてるといいけど。
「で、結局よりさんのドレス姿を見にきた、と。」
「ほら、早く持ち場に帰ってください浅井さん。」
「バーで飲むんだろ。お客様、最上階ですよ。例の宴会は1階ですけどね。」
「お察しの通り、彼女を一眼見ようと涙ぐましくここまで来たんで、宴会終わる頃1階に降りてきますよ。」
「中学生みたいだな。」
「なんとでも言ってください。」
そして、あわよくば話したいし、今日が無理でも何か約束できたらラッキーだし。武者振るいなのか、少しブルっと来た。
「先にトイレ行っとこ。」
フロント横のトイレは清掃中。確か奥のエレベータ前にもあったはず。勝手知ったるじゃないけど、浅井さんのおかげでこのホテルには結構来ている。バーも眺めがいいし、鉄板焼きのレストランも、美味しい肉が食べたいときには持ってこい。中華のレストランはちょっとお高いのでランチしか来たことないけど、やっぱり美味しい。結婚式の披露宴だって、料理が美味しいところを選ぶと招待客が喜ぶから、力を入れるのは当たり前だよな。
齊藤よりがいるであろう宴会場の前を抜け、楽しそうに友人たちと話している彼女を想像して、ちょっとヤキモチをやく。『友人』という称号を与えられているだけで俺からすればジェラシーだ。
「今日だって、俺は単なる一市民なんだからな、けっ。」
トイレの手前のベンチに、派手な衣装の女の子が丸くなっている。エメラルドグリーンのフリフリワンピースって、カナリヤ役か何か? 披露宴の余興かな。飲まされすぎてもう酔っ払っちゃってるとか。水でも持ってきてもらうか、それとも……
「大丈夫ですか? フロントにタクシー呼んでもらいましょうか。」
しゃがみこんで、目線を合わせる。
「あ。」
「 …… 」
齊藤よりだった。
「水島天神まで。」
結局そのまま齊藤よりの手を引いて、タクシーに乗った。
「駅前の商店街抜けたところに本屋があるんで、そこ左に入って真っ直ぐ行ってください。」
向かっているのは俺の部屋。だって、齊藤よりの部屋に送っていったら『今日はありがとうございました』なんてお辞儀をされて、じゃまた、なんてことになったら、おそらく激しく泣きじゃくっていたであろう彼女を、また一人にしなきゃいけないじゃないか。本当に一人になりたいなら、ここで何か言うはずだし、もしくは俺の部屋の前に着いてから、そのまま家に帰ると言えばいいし。齊藤よりの部屋までは、どうせ長く見積もっても徒歩7分だから。
タクシーに乗る前から繋いでいる手。彼女が振り払わないのをいいことに、ずっと繋いでいる。タクシー代をカードで払ってる間も繋いでいた。繋いだままタクシーを降りた。階段を上がって突き当たりの部屋までたどり着くと鍵を開けて電気をつける。7畳くらいのワンルームにはベッドとデスクと大きなテレビ。
「洗面所、お借りしてもいいですか?」
「ああ、バスルームにしかないから、そこの扉から入って。」
タオルを渡す。震えてる声。まだ離すべきタイミングではないと思いながら、仕方なく手を離す。考えてみたら、今日初めて彼女の声を聞いた。ホテルの廊下で会ってから、ずっと肩で息をしていた齊藤より。まだ、時々しゃくりあげている。
しばらくすると、マスカラもチークも溶けて悲惨だった顔が、いつもの齋藤よりになって戻ってきた。自分の顔を見てびっくりしたのだろう。居た堪れない表情で、また無言に戻る。メールを打っているのか携帯に向かっている。途中退席した事情でも伝えているのだろう。
冷蔵庫からお茶を出してコップに注ぐ。自分の分と二つデスクに運ぶと、一つを彼女に手渡す。
「落ち着くまでここにいろよ。帰りたくなったらいつでも言って。送ってく。」
首を縦に振って頷く。まだ、まともに声が出せないのかもしれない。両手でコップを持ち、静かに口に運んでいる。
宴会が始まる時間が6時。齊藤よりと廊下であったのが6時半を過ぎたくらい。彼女、ちゃんとお腹いっぱい食べたかな。あそこの料理、本当に美味しいんだけど。
冷蔵庫の野菜室には、一人暮らしの三種の神器とも言える人参・玉ねぎ・じゃがいも。日持ちするのがなんと言ってもありがたい。鍋にお湯を沸かしてスパゲティを茹で、その間に玉ねぎを薄切りする。3本だけ残っていたソーセージも斜めに薄切りしてフライパンで炒める。ピザトースト用に買っておいたピーマンを一つだけこっちに流用、スライス。ケチャップと茹で上がった麺をフライパンに入れれば、なんとなくナポリタンの完成だ。クローゼットから小さな折り畳みテーブルを出して、お皿二つとフォーク二つを並べる。
「もし、まだお腹に余裕があったら、食べて。俺、これから夕飯だから付き合ってよ。」
コクっ。またも無言で頷く。そして小さな声で『いただきます』と告げる。なんだか俺も小声になって『召し上がれ』という。
黙々と食べる齊藤より。笑顔ではないが、ひたむきに食べている姿を見て、少しホッとする。酸欠になるほど激しく泣くって、いったい何があったんだ。いい大人が、公共の場で、子供みたいに丸くなって、普通じゃないだろ。
けれど俺は、このあと彼女に何も聞かないんだろう。全てに知らないふりをして、コーヒーを入れて、サブスクでラブコメ映画を探して並んで見るんだろう。彼女の顔を見るまではいろいろ考えていたはずなのに、いざとなると、俺がいつもしてもらってることを返すのが精一杯。
なぜって、ことここに至ってさえ、俺たちはお互いを名前で呼べないのだから。
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