第14話 ボンゴレ・ビアンコ

私は今、非常に緊張している。なぜなら隣に木苺が座っているからだ。


「貝って殻付きだと、ご馳走感ハンパないよね。」


「……そうだね、あさり、殻ついてるね。」


「あさりの出汁って、ほんとうまいよな。」


「うん、美味しい。」


「話飛ぶけど、しじみの味噌汁、しじみ食べる人? 出汁のみ堪能する人?」


「あ、食べる人。」


「俺も食べる人〜。」


今日は木曜日だから、木苺はもともと「木曜の人」、木曜日にルナ・クレシェンテに来れば、会うことに不思議はない。ただ、いつも時間が早かったから、今日もすれ違うだけだとばっかり思ってた。だから店の前で会ったときはびっくりしてしまった。


いろいろありすぎて、木苺とは長い付き合いのような気がしてたけど、14日前の木苺事変からの顔見知りで、全然知らない人なのだ。木苺は気さくで人懐っこい性格に加え、今日は機嫌がいいらしい。絶好調に喋っている。だから、自分だけ緊張しているなんておかしいと思っていたけど、おかしいことはない。うちで何回か一緒に晩ご飯食べてるから、すごく親しい人のように考えてしまったけど、それは錯覚だから。私たちは避難所で共同で炊き出しをしているだけだから。だから、先々週知り合ったばかりの人に、緊張するのは何もおかしいことではない。緊張しているだけで、嫌いとか苦手とかでは全然ないわけで。


木苺に好感が持てる理由はいくつかあるが、食べることを楽しむ姿勢がまずあげられる。ルナ・クレシェンテのボンゴレ・ビアンコは他のお店よりスープ多め、あさりの出汁がたっぷり出ているスープが堪能できる。そこを喜んでいるところが、素晴らしい。自分と喜ぶポイントが近い人とご飯が食べられる。それがこんなに楽しいことだったとは。あさり最高!


ちなみに私はあさりの砂抜きが苦手である。だから家では滅多に料理しない。それもあって、外でアサリが食べられると本当に嬉しい。


「この間のミネストローネ、すごくうまくてさ、」


そうでしょう、そうでしょうとも。少し高いんだけど、やっぱりあそこのミネストローネじゃないとね。


「俺も通販で注文しちゃったよ。」


仕事早いな〜。


「気になったから、あそこのメーカーのコーンポタージュもクラムチャウダーも一緒に頼んじゃった。」


木苺って、結構家でご飯食べる人なんだ。この年頃の独り者って、外食かコンビニ弁当ってイメージだったけど。


「なんか、今日口数少なくね? 」


「そ、そんなことないよ。」


「だって、いつも何かにまくし立ててるじゃん。」


「そんなことないよ!私大盛り頼んでるから、一生懸命食べなきゃなんだよ!!」


「ああ、そうかそうか。」


何を喋っても、何を喋らなくても木苺は上機嫌だ。あまり悩みすぎないのは、この人の長所なのかな。だって、相変わらず追いかけ回されてるんだろうし。


先にスパゲティを食べ終えてコーヒーを飲んでいる木苺が、少しトーンを落として話し始めた。


「おとといの、一回一千円の話なんだけどさ。」


「一千円、高かった?」


「そんなことないよ、むしろ安いよ。そうじゃなくて、」


断られるんだろうな、うん、そんな気はしてた。昨日うちに来なかった時点で、そうなんだろうと思ってた。木苺は、真っ当な人だから、人を利用する感じになるの、嫌なんだろう。だから、また申し訳ないからとか、そういうことを言い出すのだと思ってたわけで。だから、木曜の真っ昼間から、こんな話の流れになるとは全く想像していなかった。


「人助けとか、そういうんじゃなくて、ただ単に俺と一緒にご飯が食べたいから呼んでくれる、そういうふうになりたいんだけど。」


「は?」


「前にさ、俺とご飯食べるの純粋に楽しいって言ってくれたじゃん。そういう理由で俺のこと、家に呼んでくれないかな、これからは。」


「はい?」


「柏原さんのことは、俺が始末つけるから。もう逃げ回るのやめるし、収拾つけられるよう動いてる。」


「はあ。」


「でも、それだと会えなくなっちゃうでしょ。また会いたいんだけど。」


一瞬、目の前が真っ白になった。身体中の血が沸騰した気がした。多分いま、私はこの上もなく喜んでいる。


さっきから、緊張してたんじゃない、ずっと意識してたんだ。気づかないように頑張ってたけど、やっぱりそうだった。私だって、ずっと、木苺にとって大切な人になりたかった。木苺と目があった。まっすぐな目だった。


次の瞬間血の気が引いた。


『お前が悪いんだよ。俺のこと無視するから。』


目の前に、猫の死骸が並べられた光景を思い出して、肩が震える。耳の奥であいつの声がエンドレスで響き始める。


『邪魔する奴は俺が排除する。心配しなくていいんだよ。』


『嬉しいだろう?やっと僕らは一緒になれるんだから。』


あいつはもういない。そして木苺は、あんなやつとは全然違う。私をいつも思いやってくれる。自分本位な好意の押し付けじゃなく、私の立場に立って考えてくれる。だけど、体の震えが止まらない。過呼吸にならないように、必死に息を吐く。


「どうした? 苦しいのか!?」


右側から、木苺が支えてくれているのがわかる。しばらくカウンターに突っ伏して、息を整える。


なんとか落ち着いて、それぞれの会社に戻る。午後は仕事を続けることが無理そうだったので、病院に行くと言って早退した。地下鉄に揺られながら、木苺から「会いたい」と言われたことをうやむやにしてしまったことに気づく。でも、それもどうしようもない。私には、木苺に『はい』という勇気が、ない。不用意に言った一言が、相手と自分の未来を拘束する可能性がある。そんな不確定で不明瞭な関係は、自分には無理だ。


会いたい、会えない、言えない、会わない。


「無理だ。」


その日は何も食べられえず、ベッドに潜り込んだ。

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