第12話 ペスカトーレ

昨日は小笠原さんが出張で、悲しい思いを家まで引きずってしまったが、今日は絶対私の胸の内を聞いてもらう!始業30分前にはデスクにいる小笠原さんに熱いコーヒーを持っていきつつ、


「今日ランチ、一緒に食べてください。絶対絶対です!予定ありますか? あったてもキャンセルできませんか??」


「だ、大丈夫よ、よりちゃん。どうしたの、いきなり。」


「どうしたもこうしたも、もうやってらんないっすよぉ。」


「わかったわかった。」


今日の『ルナ・クレシェンテ』は心なしか混んでいる。しかし原因は分かっている。本日のランチはペスカトーレ。トマトベースに海の幸がふんだんに入っていて、ちょいと辛い。ペスカトーレのファンは、多いのだ。


「ペスカトーレって言っても、シーフードミックスをトマトで煮込んだってイメージだったけど、ここで食べるとエビは大きいしムール貝入ってるし、見た目からしてゴージャスね。」


このお店が褒められると、自分が褒められたような気分になってしまう。へへっ、顔が綻ぶ。しかし、喜んでばかりはいられない。


「小笠原さん、新しい部署に、杉山さん連れてっちゃうらしいじゃないですか。」


あー、その話?と言いながら、左手で貝殻を押さえてムール貝にフォークをさしている。


「私が決めたんじゃないけど、結果的にそういうことになるか。ほら、今の部署から仕事3割くらい持ってくことになるでしょ、だから人も減らさなきゃいけないってことになったらしくて。」


「だったら、大橋さんと川上さんを連れていってくださいよ。私と杉山さん二人でやりますから。それがダメならむしろ私を一人にしてくださいっ!」


「わかる。言いたいことはわかるよ。」


「私、どうやって仕事していいかわからないんですよ、本当に。」


喋りながらではあるが、結構なペースでスパゲティは口に入れなくてはならない。なぜなら今日も大盛り頼んじゃったからである。今後大盛りにするかどうかは少し考えた方がいいな、と思う。


すると、普通盛りを食べている小笠原さんが、ふっと小さく笑う。


「よりちゃんてさ、勤務以外の時間に私と話してくれるようになるまで、半年かかってるんだよね。」


「そうでしたっけ?」


なんで今その話ですか、と思いながらも、聡明な小笠原さんの話だ、素直に聞いてみる。


「そうよ。話しかけやすさで売ってる私がね、半年かかるって、ある意味新記録。」


「え、やだ。嫌な思いさせてました?」


「嫌な思いはしてなかったけど、心配はしてた。人に頼んだり確認したり、時には督促したり。そういうことが一番大事な部署だから。」


ほら、いろんなところから書類集めるし、締め切りもあるしね。そう言いながら、食後のコーヒーに手を付ける。


「よりちゃん、うまくやろうって、思わなくていいのよ。」


「そんなに上等な仕事、できてないですよ。毎月やっと回してますよ。」


「『嫌な思いをするのは私だけで十分』って思ってるでしょ。」


「それはあるかも。仕事で難しい〜とか思ってもいいけど、人から嫌な思いをさせられるのは、個人的に辛い。人がやられるの見ても辛い。」


「だから、りなちゃんがいつまでもポワポワしてるわけよ。」


「わー、もっと具体的にアドバイスくださいよ〜。」


「ちゃんと課長に引き継ぎの時間もらってあるから、ちゃんと話すわ。」


「少し、ちょっと入り口でいいんで教えてくださいよ。」


「ざっくり言うと、大橋さんもりなちゃんも、課長に直接怒られるシステムにしろってことよ。よりちゃん経由じゃなくてね。」


え?できるの?


「誰が何しても私が呼ばれますけど。」


「そりゃあ、課長からしたら、よりちゃん口ごたえしないし、一度言ったことはきっちりやるし、一番楽じゃない。これが、りなちゃんに直接指導する課長を想像してごらんなさいよ。」


「……はい。話通じなそう。」


「6月いっぱいで、よりちゃんが指導の立場から外れるでしょ、3ヶ月経つんだから。それまでにわかりやすく独立させる。大橋さんだって、主任の私がいなくなれば、直接課長の下なんだから、直接やりとりしてもらえばいいのよ。」


「だって、3時までしかいないから、あとよろしく〜って帰るんだもん。」


「それ、おかしいんだって。私も大橋さんに何度か言ったけど、聞かない。課長に困るって言ってるけど、あの人はご存知の通り、上を困らせることは言わない。もうできることはただ一つ。よりちゃんが大橋さんのやりかけの書類、大橋さんに突き返す。それができないんだったら……」


「できないんだったら……?」


「よりちゃん、この先組織の中で、自分も他人も仕事も守れないよ。」


「なんか、今日小笠原さん厳しくないですか?」


「そうだねえ、厳しいねぇ。」


「優しくしてくださいよ〜。」


「そんな悠長なこと言ってたら、よりちゃんこの会社辞めちゃうもん。やだやだ。定年までここで働こうよ。」


「私だって、この会社で還暦迎えようと決めて入社したんですよう。」


「そうだよ、先は長いんだから、こんなところで行き詰まってる場合じゃないんだって。」


「胃がやばそうです〜。」


「だから、ここでなんとかなってもらわないと。今までも多かったんだってば。仕事のできる人柄もいい人が、休職からの退職〜って流れ。それで新しい部署が立ち上がるんであって、社長はなんとかしたいと思ってるんだってば。」


社員の皆様が働きやすい環境を作る人事の人間が、働きにくいって泣き言を言っているのは、確かに問題だ。


「部署が変わっても、ランチ一緒に食べてくださいね。」


もちろん!と小笠原さんは笑顔を見せてくれた。

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