第11話 ミネストローネ

「なんか、連日すみません。」


申し訳なさそうに頭を下げる。


「部屋が暗かったので留守かな、って。でも、今日はちょっと怖くて。」


本当に焦っていたらしい。私としては、寝ぼけ眼の起き抜け顔を見せることにすごい抵抗を感じながらの、やっとそこを越えて人命救助に出動した、という体なのだが、私の目が二重じゃなくて一重だな、なんてことはどうでも良いくらい、ドアの内側に入れたことでホッとしているようだった。


「また追いかけられたんですか?」


今日の私はやさぐれている。もうお茶なんか出さない。ビールだ、ビール。


「上司に呼び出されました。」


「つまり、彼女が、あなたの上司に訴えた?」


木苺は、深くため息をついて、首を横に振った。


「柏原さんに仲人頼まれたけど、俺で良いのかって。」


「はい?」


「彼女と結婚する予定はありませんし、付き合ったことすらありませんって言ったんだけど、」


「言ったんだけど?」


「そういうお前の態度が彼女を不安にさせるんだから、しっかりしろって。」


なんでそうなる。


「どういう言い方したんだろうね、彼女。あなたが悪者になっちゃうくらい、彼女の評判が良くてあなたの評判が悪いの?」


「んー、おじさんは、若くてかわいい子には、点数甘いのかな。」


「まあそれは、否定しないわね。」


『娘十八番茶も出花』という諺を知っているであろうか。日本においては、若いって正義だったりする場合、多々ある。


「で、あなたもどういう言い方したら、付き合ってもいないって言ってるのに説教される羽目になるわけ。」


「俺にもさっぱりわかんない。無実で逮捕されて自白しちゃう人の気持ち、わかった気がする。誰に何を何度言っても信じてもらえないと、心底疲れる。それで、もうどうでも良くなって、やりましたっていうんだろうな〜。」


自分も、自分のことだとどうしていいかわからなくて、ずっと午後から落ち込んでいたけど、第三者の悩みはなんとかしてあげたいって元気が出るから不思議だ。


うちで一番大きな鍋に、ダース買いしたミネストローネの缶詰を3つ開ける。それを火にかけ、蝶のような形のパスタ、ファルファッレを一握りぶちこむ。


「今日はちくわをつまみに飲む予定です。付き合ってください。」


いや、なんか、ご馳走になってばっかりで、本当にご迷惑をおかけしてすみません、このお礼は、なんてごちゃごちゃ言っているので、長丁場になりそうなこの案件を、ビジネスライクに進める提案をした。


「それじゃあ一回千円取ります。お助け代。ただ、うちで出るものだけだとお腹いっぱいにならないでしょ。お腹いっぱいにならなそうだと思ったら、自分でなんか買ってきて。」


ご近所さんにあんまり迷惑をかけて申し訳ないというのであれば、お金を介在させればいいのだ。出費は痛いだろうけど、気分的に楽だろう。


「あ、はい。ありがとうございます。」


キョトンとしているが、合意したとみていいだろう。


「あとは、その彼女の話。真面目に上司に相談した方がいいですよ。多分、あなたが困ってること、伝わってないと思います。」


「そうかな、そうかも。」


「だって、伝えようとしてないでしょ。なんとかなると思ってるでしょ。」


この人は、あまりにものんきだと思う。もう結構際どい事態になってると思うんだけど。


「……今日、荒れてますね。」


突然自分に振られてびっくりした。


「え? いつもこんな感じですよ。いつも怒って怒鳴ってますよ。」


「いや、なんか、それでも…… 。やっぱりなんでもないです。」


歯切れが悪い。


「言い出しかけてやめられるのが、一番気になるんですよ。そこまで言ったら言ってください。」


「じゃ、失礼を承知で言います。今日、あんまり優しくないなあと思って。」


「は?」


「ごめん、何言ってんだって思うよね。いつも怒って怒鳴ってるけど、それでもいつもは『優しいな』って思うんだけど、なんか今日は違うっていうか。あ、そんなこと言える立場じゃないんだけど。ほんと、優しいから今日も家にあげて匿ってくれてるんだし。」


そして、うーんと言いながら首を捻った。


「言い方変える。余裕がないっていうか。今日なんかあった?」


やばい、そんなふうに気遣われると、涙腺まじでやばい。突然砕けた口調に、距離を一気に詰められた気がして、さらにやばい。


鍋を見にいくためにキッチンに走る。程よくあったまったことを確認して、深皿にミネストローネを盛る。冷凍庫からバケットを取り出しオーブントースターに入れ、縦4分の1に切ったきゅうりをちくわに突っ込み、わさびと醤油を用意する。拭う動作はちょっと目立つから、流れるままに任せた。木苺には気づかれてるかもしれない。だってさっきから、何も言わない。


「今日はね、いつも頼りにしていた派遣さんが、異動になるって知らされて、落ち込んでました。だから飲むんです。」


白ワインとワイングラスもテーブルに並べて木苺を呼ぶ。


「ビールはこれで終わりです。次はワインだから。」


いつものワイン、飲みきれなくてもいいようにスクリューキャップのを買うんだけど、今日は木苺がいるからその心配もいらない。


「私も仕事のことではいろいろ悩むけど、あなたの悩みに比べたらちっぽけだなって思いました。」


「そんなことない。きっと大変なんでしょ。」


「っていうか、あなたは自分の心配もっとしてください。下手するとどっちか怪我しますよ。」


「えーっ、まさか。」


わかる。自分だけは大丈夫って、みんな思う。だから事件の後、「まさか」ってみんな言うんだから。取り越し苦労でもいい。もう少し自分の安全を考えてほしい。


「私の友達も、あなたと同じような目にあって、大変でした。あの時も、もう少し早く私が気づいていたらって、相当後悔したんです。」


私の友達、そう、友達なんかじゃない。私自身が被ったことだ。そして、もう少し早く対処していれば……


思い出したくないことが深いところから浮かび上がりそうになる。直視したくなくて、ワインでもう一度流し込んだ。


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