第8話 ベーコンとほうれん草のクリームパスタ

私は今また、巻き込まれている。なぜなら目の前に、例の長身美人がいるからだ。


「突然申し訳ございません。どうしてもお話する必要があると思いまして。」


先週の金曜日、木苺友人と偶然の再会(目は合わせてないけど)をしたことにより、週末私はぐったりしていた。木苺事変からこっち、気持ちの休まる暇がない。いったい私に何が起こっているというのか。


この人は、この前の日曜日、私の家の前まで木苺を追いかけてきた。だから、私の家がバレているのは知っている。連絡先を知っているわけでも勤め先を知っているわけでもない。必然的に、会おうと思ったらこのアパートに押しかけてくるしかないのだ。だけど、この人を自宅にあげる気にはなれず、外で話すことを提案する。


「ここまで来てもらって悪いけど、駅前まで戻ってもらえる?」


ファミレスにした。多分カフェより会話が目立たないであろう。お互いいい香りのする紅茶を頼んで、はたから見れば、仲良しの同僚が会社帰りにお茶してる、という風情だ。だけど、きっとこれから、エグい時間が待ってる。


「彼を解放してあげてくれませんか?」


開口一番そう切り出された。いや、それ、私のセリフだから。


「去年の今頃から、憔悴している湯山さんをずっと見てきました。しょっちゅう電話してきてましたよね。本当に疲れ切ってらっしゃいました。仕事にも支障をきたしていたように感じます。」


「はあ……」


「あなたも本当に湯山さんの幸せのことを思うなら、潔く別れてあげてください。湯山さんの幸せを考えてあげてください。」


そんなことなら、ずっと考えている。この前の日曜日から、ずっと「木苺が幸せになりますように」って祈ってるくらいだよ。でも、木苺が幸せになる方法なんて、簡単なんだけど。


「わかりました。でも一つ条件があります。私が彼と別れたら、あなたも彼につきまとうのやめてください。」


長身美人は、紅茶を一瞬喉に詰まらせた。素直に別れるっていうとは思っていなかったのだろう。(そもそも私が元カノじゃないところから、大いなる勘違いは始まっているのだが。)だけど、自分の行動に言及されるとはまったく予想していなかったようだ。どう考えても、長身美人が木苺を追いかけ回していること、問題はそれだけなのに。うまく行かない理由を自分が悪くない前提で探そうとするから大ごとになっているだけのだ。


「それを約束してもらえないのであれば、私も引き下がりません。そもそもあなた、彼のなんなんですか?」


申し訳ないが、木苺のフルネームがよく分からないため、本日「彼」で通させていただく。長身美人が「湯山さん」って言ってるから、「ゆやまさん」が苗字なんだろけど。


すると目の前の彼女はにっこり笑って、ティーカップをテーブルに置き、うっとりして喋り始めた。


「わたしは湯山さんと同じ会社に勤めております。受付にいるので、営業の湯山さんを笑顔で送り出し、お疲れ様とお迎えしています。彼は私への好意を隠そうともせずいつもにこやかに声をかけてくれます。でも湯山さんは直接私に何かを言ってくるようなことはありません。彼女がいる身で無責任なことはできないと思ってらっしゃるのです。」


つまり、世間話ぐらいはするけど、告白されたわけでも、もっと言えば食事に誘われたことも飲みに誘われたことも映画に誘われたこともなく、更にもっと言うなら受付で、『行ってきます』『行ってらっしゃい』『ただいま』『お帰りなさいませ』以外の会話はしてないってことだよね。


呆れた。


心底呆れた。


でも、私はこういう人種が実在することを、身をもって知っている。


ストーカーの定義がどういうことか、よくは知らない。でも、一度自分は相手に愛されていると思い込んだら、罵倒も、攻撃も、逃避も全て、その人間は愛情表現と取るのだ。そんな経験をすると、深い人間関係は恐怖以外の何者でもない。そしてストーカーの恐怖は、深い人間関係に限らない。自分が顔を知らなくても、相手が自分に狙いを定めたら、もうこちらにはなす術がないのだ。


「やだ、あなた泣いてるの?そんなふうにしがみつくから湯山さんが苦しい思いをしてるってこと、わかって欲しいのに。」


知らないうちに、涙が出ていた。あなたは追いかける側だからわからない。訳もわからず執着されている側の恐怖を。そして突き放した時に起こる悲劇、その時加害者と呼ばれるのはこちら。怪我をさせられたって、「あなたが冷たくするから」と責めてくる。自分で決して責任を取ろうとしない卑怯者。もうこの人に、言葉を選ぶ配慮なんて、必要ないわ。


「あなた以外の人になら、彼のこと譲ります。家柄が良くて優しくて素敵な人、見つけてきてください。あなたみたいに自分勝手な人にだけは、絶対譲りません!」


本人不在で言いたいこと言ったけど、もう知らない。どうにでもなれ!!


ファミレスを出て、アパートに向かう。木苺の顔がずっと脳裏に浮かぶ。あんなにヘラヘラして、と思っていたが、ああやって誰も傷つけないように、自分がいつも周りのことを考えていたのだ。誰かが嫌な思いをするくらいなら、自分が少々困ることになっても、どうということもないのだ。


木苺を励ましてあげたかった。元気付けるようなことをしてあげたかった。名前くらい聞いてあげればよかった。だけど悲しいかな、私はまだ、男の人に名前を聞く勇気が持てない。木苺はいい人だ。頭ではわかっている。でも、何かしようとした瞬間に、心臓が凍りついていくのを止めることができない。


木苺は、いい人なんだよ。いい人に苦労させんな!


長身美人を思い受かべて心の中で叫ぶ。


お前も大概にしろよ!これは、木苺友人に。


コンビニに寄って、冷凍庫の前に立つ。最近見つけたこれ、気分を簡単にあげたい時の秘密兵器。『冷凍なのに生パスタ』だ。クリームベースのソースにほうれん草とベーコン、なんと鉄板な組み合わせだろう。そして特筆すべきはフィットチーネなのだ。普通の丸いスパゲティでは味わえない感触、喉越し、またソースの絡み方の違いからくるもっツァり感。それがなんとっ!


「レンジで2分なのだよ。」


誰もいないのにドヤ顔になってしまうのは許して欲しい。本当にすごい商品なのだ。


クリームソースは途中で飽きてくることが多い私に、今日は白ワインで。そしてピクルス。この素敵な夕食が


「レンジで2分!」


少し深さのある、いわゆるカレー皿に外袋から出した生パスタを入れ、電子レンジに入れる。スクリューキャップのワインを開けて、ワイングラスに注いだタイミングでチャイムがなる。


まさか、まだ言い足りない長身美人が殴り込みに来たんだろうか。


魚眼レンズをそっと覗き込めば、申し訳なさそうに小さくなって立っている木苺がいた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る