第7話 ペペロンチーノ

「おい、この間の女の子の名前、わかったよ。」


今日の日報をPCに打ち込みながら、あと1時間で帰れると浮き足立ってきたところに電話がきた。


「この間の女の子って誰ですか。」


休憩コーナーの自販機でカフェオレを買い、電話を耳に挟んでキャップを開ける。本来コーヒーに砂糖は入れない俺も、お腹が空いてくるとちょっと糖分が欲しくなる。


「日曜日にお世話になった、あ・の・子。」


「は〜!?」


「『佐藤より』だって。珍しい名前だよね。」


「なんで浅川さんから彼女の名前聞かなきゃなんないんですか。」


「だって聞きたかっただろ?」


「もう会うこともない人の名前聞いて、俺にどうしろって。」


「え〜?会うこともない人なのかな〜?」


「そ、そう、そうですよ!会うこともない人ですよ!。」


「ふ〜ん。」


「……」


「あ、そ。」


そう、別に会うこともない人で、罰ゲームが終わった時点で本来俺の人生になんのかかわりもない人だ。地下鉄からのカルボナーラは、偶然の偶然が重なっただけで、そんなものは人生に何度もなくていい。今は彼女も欲しくないし、強いていうなら友達になるかならないか。それだって、無理矢理なるものでもないし、っていうかそれより何より、


「知り合いになりたかったら、名前くらい聞くだろ、普通。」


彼女はただのいい人で、怖い女に追いかけ回されてる俺を助けてくれただけで、どちらかというとあれは俺への好意ではなく、


「慈悲?人助け?ボランティアだよな。」


そして多分、ただのボランティアなら名前くらい聞く。だからわざとだ。近寄らせないように警戒しているとしか思えない。ただでさえナンパみたいなことしてくる変な人っていう認識だろうに。もしくは正義の味方か。俺がどういう人かなんて関係ない。怪獣に襲われそうになってたら、多少性格の悪い人類でもウルトラマンは守るだろう。俺は、守ってもらった一市民に過ぎないのだ。


「浅川さんが楽しいのはわかるけどさ。」


当事者は、たまったもんじゃないんだって。デリケートな領域でおもちゃにしないでくれ。


さっきの電話さえなければ、それこそ浅川さん誘って飲みにでも行こうと思ったけど、しばらく口聞いてやらないと心に決めた。近所のスーパーで缶ビールとゆでだこを買って家に帰る。


俺の仕事は印刷会社の営業で、一応9時から5時までとはなっているがそんなに規則的ではない。工程次第では夜中になることもある。だから、まとめ買いはしない。その日に食べ切れるものだけ買う。自炊は嫌いではないが、それも余力が残っているときだけだ。ヘトヘトなことも多いからできたものを買ってくることが圧倒的だ。一人暮らしを始めた頃は加減が分からなくて、よく冷蔵庫の中の食材をダメにしていた。できるはずと思いながら意外とできない。それが自炊。


鍋にいつもの1.6mmスパゲティを入れてタイマーを8分に設定。隣のコンロにフライパンを置いて、オリーブオイルを多めに注ぐ。乾燥したニンニクチップと種を抜いた鷹の爪をその中に入れ、弱火で香りを出す。


お腹が空いて、家にあるものでなんとかしたい時、ペペロンチーノが登場する。生のニンニクでなくても結構香りが出るし、乾物だけでできる重宝なメニューである。そして個人の感想ではあるが、これをベースにして海の幸を加えると、本当に美味しい。オリーブオイルとニンニクって、考えてみればイタリア料理の基本だよな。先日ルナ・クレシェンテで食べた、オリーブオイルベースのイカとしめじのパスタ、本当にうまかった。あれを食べたら、そうイカを食べたらタコも食べてみたくなるのは必然。


「投入。」


フライパンに茹で上がったスパゲティと一口大に切ったタコを入れ、皿に盛る。


「緑が欲しいな、緑が。」


ここはパセリというより、あっち。


「これ、よかった。賞味期限まだだった。」


小瓶に入った乾燥バジル。これがあるとないとじゃ大違いなのである。


「やっぱタコうまいわ〜。」


予想はついていたけどうまい。寒くなったら奮発してカキ入れてみよう。


撮り溜めしていた録画の映画を見ながらぼーっとする。ぼーっとしてれば彼女の顔が浮かぶ。ああそうか、ドラマの最終話を見てないような落ち着かなさなのだ、彼女に関しては。


昨日の木曜日は、散々迷った挙句やっぱりルナ・クレシェンテに行った。あんなこととかそんなことがあったからって態度を変えるのは、余計に変な気がした。意識してると思われるのが一番嫌だったから、いつものように11時半ごろ店に入って、ランチを食べてコーヒー飲んで、12時過ぎに店を出た。


俺がレジに立った頃、彼女が一人で店に入ってきた。彼女はいつもこの時間に入ってくる。多分常連としては大先輩で。昼休みが12時から13時までの1時間という、標準的なOLなのだ。考えてみれば木苺のムースの日だって、今日だって、明るいグレーの地に白のペンシルストライプのベストとボックススカートで、まさにOLですっていう制服姿だ。


ルーティンを愛する俺が、他人の平穏な日常を壊したかもしれないことを考えると、なんとも言えない罪悪感に見舞われる。俺さえ浅井さんとの賭けに負けなければ、彼女を巻き込まなくて済んだわけだし、木苺のムースさえ奢らなければ、あの場で彼女が俺に会釈をすることもなく、浅井さんに声をかけられることもなかった。そしてただ俺一人が柏原さんを前に、右往左往して困った顔をしていればそれでよかったのだ。謝りたい。お礼も言いたい。俺の中のモヤモヤをスッキリさせたい。


「でもそれって、俺の勝手なんだろうな。」


きっと、これ以上波風立てて欲しくないに違いない。たまに木曜日の昼すれ違う、今までの関係に戻ろう。何もなかったことにしよう。ルナ・クレシェンテを後にするときにそう決めた。そう、それなのに、そんな昨日の今日で、


「『斉藤より』とか、そんな情報投げてよこさないでくださいよ……」


よりさん、よりちゃん、より、よりっぺ……


「あああっ!もう!!脳内うるさい!!!」


こうなったら、夜中のコンビニにもう2、3本ビールを買いに行くしかなかった。

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