第3話 自宅でたらこスパゲティ
「タカヤ、お前ちゃんとミッションクリアしたか?」
電話の向こうの浅井さんが、ニヤニヤしてる。声だけでわかる。面白がっている。ああ、面白いだろうよ。
「心配しなくても、罰ゲームは滞りなくやりました。俳優になれる自信もつきました。ありがとうございます。」
と棒読みよろしく感謝の言葉を述べた。
「自己申告だけじゃなぁ、証拠か証言が欲しいよな。」
でしょうね。ああ、めんどくさい。
マスターにでも証言してもらって、この件は終わりにしよう。明日のお昼に待ち合わせをして電話を切った。
休みの日は家でダラダラしてることの多い俺にとって、レトルトは大切な命綱だ。コンビニに行くのもカフェに行くのもめんどくさい時、家に長期保存可能なものがあるってことが、心の平穏につながる。
「今日はこの、クリーミーってやつ食お。」
たらこのスパゲティソースを選ぶとき、バター風味にするか生クリーム仕上げのタイプかいつも悩む。多分両方好きなんだろう。明太子も悩む。結局全部買う。
お湯を沸かして麺とレトルト両方一つの鍋にぶち込めば、待つこと8分いただきますだ。
「そろそろ買い足しとこ。」
PCの前にスパゲティと烏龍茶を持ってきて、通販サイトを開く。いつものやつと、気になる初めての味をカートに入れ、パスタも1.6mm以外にフィットチーネやペンネ、等々試してみたいのをどんどん入れていく。最近は好きなメーカーが決まってきたので、迷いはない。
「そういや、美味しそうに食べてたな。」
自分が木苺のムースをプレゼントした子は、知り合いでもなんでもない。たまたまそこにいたから俺に利用されただけであって、それ以上でもそれ以下でもなく、もしかしたら謝らなきゃいけない相手かもしれない。
「それでも、会釈して全部食べてくれたっけ。」
そもそもなんでこんなことになったのか。確か、相当くだらない理由だった気がする。
「俺、酔っ払ってたし。」
浅井さんは、高校の時の部活の先輩だ。学年が二つ違うから、高校生の時はほとんど接点がなかったのに、同じバンドのファンであることが判明してから一緒にライブに行くようになった仲である。15歳の時は恐縮してあまり話せない相手だったが、あれからも15年、一番気の置けない間柄となってしまった。だからこそ、遠慮も何もないことが時々起こるわけなのだが。それにしても賭けに負けた罰ゲームが
「お店の人に、『そちらのお客様からです』と言わせること。」
っていうのはなんなんだ。確か、ドラマの話をしてたんだった。あり得ないだろその展開、っていうのを羅列して揚げ足取って楽しく話してたのに、なんで自分がそれをやる羽目になったんだか。まあ、終わったことだし、まあいいかで済ませられる範囲のことだろう。この歳になれば道端で突然叫び出したくなるような黒歴史の一つや二つ、余裕であるわけだし。
カフェ・バー『ルナ・クレシェンテ』は、毎週木曜日に顔を出す取引先の会社の近くにある。だから木曜日はちゃんとプロが作ってくれるパスタを食べに、あの店に行くと決めている。和食も中華もエスニックもなんでも好きだが、あの辺のお店で言ったらルナ・クレシェンテがダントツうまくて値段も手頃で店の雰囲気が俺好み。
「パスタで大盛り値段変わらずって、ないよな他に。」
ご飯おかわり自由の定食屋はいくつか知っているが、麺類で量を増やして値段変わらずっていうのは、後にも先にも俺が知る店ではここ一つ。そしてさらにありがたいことに、同じ曜日に行っても同じメニューばっかりってことがない。ここを配慮してくれているのか、毎回違うものが食べられる。もうここに決めた。ものぐさな俺は、ルーティンを愛しているんだろう。パターンが決まるとホッとする。飽きてもいい。飽きたと感じることがまた安心につながる。
俺は営業だから、多少時間の融通が効く。あの店であまり待たずにパスタランチを食べるために、11時30分くらいにいつも入店するようにしている。周りはオフィス街だから、12時を過ぎたら途端に混みだす。だから、食べ終わったらさっさと外に出る。
先週の木曜日は、担当者が変わるからといって、今の担当者から丁寧な引き継ぎがなされた結果、お店に入るのが12時になってしまった。だから混んでたし、いつもなら10分くらいで出てくるランチが30分待った。俺自身も相当焦ってたんだろう。奢る相手は別に性別指定されていたわけじゃないのに、ナンパに準じたやり方じゃないとだめなんだと思い込んでいた。いや、浅井さんはそれをやらせたかったんだろうけど。でも、今冷静になってみると、いろいろバツも悪いし気恥ずかしい。
「っていうか、次にあったらどんな顔すればいいって?」
ぐるぐる考えたがいい考えが浮かぶわけもなく、何もなかったこととして、何もせず静かに過ごそうと決めた。あっちもちょっと木苺のムース奢られたからってどうするっていうタイプにも見えなかったし、それに、俺自身、自慢じゃないけど存在感薄い自信がある。営業だけど。いや、営業に存在感は関係ない。取引先には信頼されていればいいわけで、アイドル性はこの仕事には要求されていない。安心安全がモットーの湯山隆弥、もうすぐ30歳。
唯一の危険分子それは、突拍子もないことを言い出す32歳。武将のような名前のあの男、浅井晴政。
「あの人いつになったら落ち着いてくれんのかな〜。」
本日何度目かのため息をついて、スパゲティの皿を流しに持っていく。
「コーヒー飲も。」
基本出無精な俺は、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。今日は家から一歩も出ないで過ごせそうだ。明日はどうしたって浅井さんをルナ・クレシェンテに連れていかなきゃいけないんだから、今日はしっかりぐうたらしておこう。
「映画見よ。」
コーヒー片手に、土曜日の一番幸せな時間を満喫すべくソファに陣取った。
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