第2話 ナス入りミートソース
待ってました!私の一番好きなやつ!!
ナスは、それ自体では味もぽわんとしてて、中身がスカスカなのか水も油もすごく吸う。だけどなんてひき肉と相性がいいんだろうと惚れ惚れしてしまう。麻婆茄子も茄子の挽き肉詰めもそれはそれで美味しいけど、やはりここにトマトが加わることで、とてつもないハーモニーが奏でられてしまうのだ!
「お待たせしました。」
昨日、衝撃の木苺ムース事件があったにもかかわらず、また来てます。ここ『ルナ・クレシェンテ』はイタリア語で三日月という意味ということで、お店の看板や白いお皿のワンポイントなど、至る所にかわいい三日月のワンポイントが存在している。時々思い出して真っ赤になっている私としては、ランチのドリンクは「ハウスワイン、赤で」と三日月のラベルが貼ってあるボトルを指さしたくなるのだが、まだ金曜日の昼であることを考慮してなんとか自分を抑える。
「よりちゃんからランチ誘ってくれるなんて、天変地異の前触れ?嬉しいけどね〜。」
と陽気に話してくれるのは、同じ部署の2年先輩、小笠原優子女史、そろそろ係長の打診がきそうな仕事ができる主任である。人事部の人事課に配属されたのが25歳の時、それから2年とちょっと、小笠原さんの下にいたからなんの苦労もなく新人やってられたんだろうなということを最近ひしひしと感じている。
「小笠原さん、7月に移動するってもっぱらの噂ですけど、うちうちに話でもあったんですか?」
質問する声に抑揚がなくなっているのは許してほしい。だって、だってだって、小笠原さんにいなくなられた後のあの部署のことを考えると、もはや気が遠くなってうっかり辞表を書いてしまいそうである。それくらい、他の面々が大変な人たちなのである。
今日、基本おひとりさまである私がランチに小笠原さんを誘ったのは、昨日の今日でバツが悪かったり気恥ずかしかったりしたせいであることは否定しない。だがしかし、小笠原さんにここを確認したかったということは本当だ。もし内定していたとしても言えない場合もあるだろう。だけど、彼女がいなくなった後、私が途方に暮れるであろうことくらい伝えておきたかった。あの、仕事嫌いな部長と、怒り方が下手な課長と、メモの取り方さえ知らないお嬢様新人りなさんに挟まれて、なんの権限もない右往左往するしかできない平社員の私がどうしたらいいというのでしょう。同じ班に派遣の杉山さんがいるのが唯一の救いではあるけれど、派遣の方は社員に言われたことしかやってはいけないからといって、仕事のできる彼女に頼めず仕事のできないりなさんに手伝ってもらって仕事がさらに増えて残業になるのは目に見えているのにどうすることもできないこの気持ち。わかってくださいというくらい、言っていいわがままですよね!!
そして人手が足りないから人員の補充ということでやってきたパートの大橋さんは、結婚退職した元社員だからといろいろ知ったかぶって職場を荒らした挙句毎日3時に退社して、それから1時間かけて私が書類を片付けてること、先輩だけは知ってますよね、ね、ねねね!
「ああ、その話ね。」
フォークでナスをぶすぶす刺しながら、そして麺を巻きながら、小笠原さんは天井を見上げた。
「ん〜。」
ああ、移動するんだ、わかった。否定しない時点で、そういう話になっているのは察しないといけない。彼女は大学院で労務管理を勉強した人事のスペシャリスト候補。他の人と移動のスピードやルートが違うのは、誰もがわかっていたことじゃないか。二人でしばらく黙々と食べていたけれど、そんなこんなでパスタのお皿も空になってしまった。
「楽しく仕事するって、どうやったらいいんでしょうかね。」
もうここからは愚痴以外のなにものでもないけど、私の考える唯一愚痴ってもいい相手が、小笠原さんなのだ。他の誰かに話したらただの悪口になっちゃうけど、でも彼女なら、解決すべき課題ととってくれる。そしてきちんとアドバイスという形で返答をくれる。
「よりちゃんはさ、うちの会社がどんな会社ならいいと思う?」
「え?」
「それによるんじゃないかな、楽しいの定義は。」
「え〜、そんな難しいこと言われても……」
「もっと言えばさ、よりちゃんにとって仕事は何か、って話になるよね。」
もう小笠原さんが何を言おうとしてるのかさっぱりわからない。
「えっと、お給料をもらいたいから働いてますけど、どうせ長時間過ごすから楽しい方がいいな、と。」
「じゃあ、宝くじ当たったらこの会社やめる?」
「え、小笠原さんと一緒に働けるなら、お金があっても働きたいです!」
「そうかぁ。よりちゃんは、仕事そのものは好きなんだね。」
多分、そうだと思う。仕事をしたくないと思ったことはなかった。
「人なんだね、問題は。」
多分、多分そうだと思う。人に対して困っていることは山ほどある。
「下手なんだと思います。組織で働くの。人と何かを一緒にやるとか。」
自分以外の人が、何を考えているかとか、どうすれば喜ぶかとか、一生懸命考えてその挙句答えを外している。頑張れば頑張った分だけ怒られてる気がする。
「小笠原さんが説明してくれたことは全部すぐにわかったんですけど、部長や課長や大橋さんの話がわからなくて、怒られてばっかりなんです。」
もう、泣いちゃおうかな、金曜日の昼間だけど。顔が腫れて調子が悪いから早退しますと言ってハウスワイン飲んじゃおうかな。でも月末だから、給料計算やってる隣の係が戦場になってることを思うとやっぱりなんとなく戻ろうかなと思う。電話ぐらい出られるし、私でも。
「小笠原さん、今度は飲みに行きましょうね。」
「よりちゃんに飲みに誘ってもらうの、2年間待ってたんだ私。」
小笠原さんは、この上もなく嬉しそうににっこり笑った。
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